ずっと近くに。ずっとそばに。

 授業が終わるといつものように、仁と一緒に教室を出て部室に向かう……つもりだったのだけど、今日はバレンタインデーで、クラスの何人かの女の子からチョコレートをもらった。友チョコだよ! との事だ。普段から良く話しする子たちだし、特に深い意味もないだろうから、ありがたく頂いた。

 仁の方はというと、クラスの子のほかにも呼び出されたりして、たくさん貰ったようだった。こちらは友チョコではないようで、恐るべきモテ具合だな。


 医者の先生からは、とりあえず普通に生活はしても良いという許可は貰った。

 ただ、まだ激しい運動はダメで、手もなるべく冷やさないようとのことだから部活に顔を出してもすることがない。だから、最近は吉本さんのお手伝いをしている。

 部室では僕たちが貰ってきたチョコを見て、田辺君と桐嶋君の二人が血の涙を流しそうな勢いで悔しがっていた。


「クッソォォォ! 俺たちは友チョコどころかチョコボールすら貰えなかったのに!」

「お前らみたいに、一人で何個も貰うような野郎がいるから、俺たちにまわってこないんだよ!!」


 完全な言いがかりだ。

 よっぽど悔しいのか二人は延々と恨み節をぶつけてくる。最初はスルーしていたのだけどイライラしてきたのか、仁は二人にあて付けるように、見せびらかして煽りだす。


「お前らは気楽だよな。貰ったらお返ししなきゃなんだぞ? こんだけ貰ったらお返しだけでバイト代吹き飛ぶわー。全部吹き飛ぶわー。お前らが羨ましいわー」


 あーあ、完璧ケンカ売ってるな。

 田辺君と桐嶋君は、今にも仁に飛び掛かりそうだ。


「うるせえ! そんなに困るなら俺たちが食べるの手伝ってやるよ!」

「そうだ、なんなら食った分の女の子を紹介してくれてもいいぞ!」

「ゼッテエ、やらねー。ひとつ残らず俺のもんだ!」


 睨み合っている三人。

 狭い部室で取っ組み合いなんかされたら、たまらない。

 間に入ってなだめることにした。


「そう怒るなよ。水泳部女子のみんなが、さっきチョコくれたじゃない」

「違うんだよ、俺たちが欲しいのはそういう『男子みんなで分けてね』的なやつじゃないんだよ!」

「もっとこう、俺だけのために用意してくれたような、そういう、何というか、グッ! とくるようなやつが欲しいんだ!」

「そんなこと言いながら、さっきバクバク食ってたじゃねえか」


 仁が呆れたようにツッコミを入れる。

 しかしよー、と田辺君が今度は僕を恨めしそうな顔で見てくる。


「一之瀬は吉本さんから絶対貰えるもんな。もう勝ち組だもんな」

「はあ……、俺たちが欲しいのは正にそういうチョコなんだよ。もう、貰ったのか?」

「いや、家の冷蔵庫で寝かせてるらしくって、帰りに貰う事になってるんだ」


 今朝、一緒に登校するときに吉本さんが照れながら「まだ家で寝かしてるから帰りに渡したいの。だから今日も一緒に帰ろうね」って言ってたんだけど可愛かったなあ。なんであんなに可愛んだろう。しかも手作りチョコみたいだし楽しみだなあ。


「ほら、良く見とけ。これが、お前らでは決してたどり着けない境地に至った男の顔だ。不特定多数のチョコなんか全然興味ないからな、コイツ」

「チッ! 今ぶっ殺してやりたい野郎が一人できたわ!」

「マジかよ、俺もちょうど同じこと考えてたわー」


 吉本さんとの事を考えると、顔がにやけてしまうんだよな。

 そのおかげか、すごい殺気を感じる。

 なんだか今日はみんな怖い。




 そして部活も終わって、田辺君と桐嶋君の恨みがましい視線を振り切って帰る時間だ。

 部室を出たら、吉本さんは着替え終わって待っててくれた。

 吉本さんが顔をぱあっとほころばせて駆け寄ってきてくれる。


「一之瀬君、おっす!」

「おっす!」


 そうして、並んで歩き出す。

 学校が見えなくなったあたりで、吉本さんが少し拗ねた風にして、僕のブレザーの袖を軽く引っ張る。


「手をつないで帰りたいな」


 吉本さんは周りに人がいたら恥ずかしがってそういう事は言わないけど、こうして二人だけになったら甘えてくるのがすごく良い。そう、すごく良い。

 僕は右手で彼女の手を指をからめあうように握って歩き出す。

 けど吉本さんはすぐ立ち止まって、うーんと何かしっくり来ていないような顔をする。

 やっぱりこっち、と一度手を放すと反対側に回り込んで僕の左手を握った。


「しっかり握れるから右手の方が良いんだけどな」

「じゃあ、私がしっかり握っててあげる」


 どうも僕が右手で手をつなぐと、少し不自由な左手だけが空くのが気になるらしい。

 何かあった時にあぶないでしょ、と言うのが彼女の言い分。


「リハビリ、がんばろうね。私も手伝うから」


 ぽつり、と吉本さんは呟く。

 ずっと、僕の左手の事は気がかりのようで、こんな風に心配かけてしまってる。

 僕たちはさっきと同じように、指をからめる様にして握って歩き出した。

 吉本さんの手は小さくて、冷たくて、柔らかい。優しくしないと壊れてしまいそうだ。

 彼女は穏やかな表情で、少し俯き加減にしている。

 小さな手の温かみを感じるうちに、急に僕がしてみたかった事を話したくなった。


「僕の中でね、一人暮らしを始めたらやってみたいことトップスリーってのがあったんだ」

「へえ、どんな事?」

「一つは猫を飼う」

「いいね、私も猫好きだよ」 

「猫と暮らすのって楽しそうだよね、想像するだけでテンションあがっちゃう。まあ、まだ生活に余裕ないからできないんだけど……。そして、もう一つがギターを始める事だったんだ」

「一之瀬君のギター弾くところ見てみたいかも!」


 吉本さんが、きらきらした目で食いついてくれる。

 彼女の前でカッコよく弾けたら気持ちいいだろうな。


「じゃあ、やっぱり頑張らないとね。左手でコード押さえないといけないから」

「そっか……。二人で頑張ろうね!」

「いつか、吉本さんにカッコいいとこ見せられるようにしないとね」

 

 そう言って、僕たちは顔を見合わせてフフッと笑いあう。


「そういえば、やってみたいことの残りの一つは何だったの?」

「んー、それはまだヒミツ」


 そう、それは彼女が出来たらやってみたいことでもあって、付き合い始めの僕たちにはまだ早い事なのである。

 こんな往来で話すことははばかられるような内容だ。でも、必ずやろう。そう誓った男の夢だ。


「え……、何? 一之瀬君、なんかやらしい顔してる」


 おっと、思わず顔に出てしまっていたみたいだ。

 吉本さんに、ちょっと睨まれてしまう。

 そんな調子でいろいろ話しながら、吉本さんの家まで歩いて帰った。 




 吉本さんの家の前に着くと、「すぐ持ってくるから、ちょっとだけ待ってて!」と慌てて家の中に飛び込んでいった。

 五分ほど待ってると、薄いピンク色の小さな紙袋を手にした吉本さんが玄関から現れた。

 

「一之瀬君……、あの、これ……」


 おずおず、といった感じでその紙袋を渡してくれた。

 紙袋の中を覗いてみると、赤いリボンが着いた小さな白いケーキ箱が入っている。


「あのね、ガトーショコラ作ったの。作った次の日が一番おいしいから、今日のうちに食べてね!」

「うわあ、ありがとう! 吉本さんガトーショコラなんて作れるんだ、すごいね」


 うっわ! ホントにうれしい。どうしよう。

 今までも吉本さんからチョコを貰ったことはあったけど、今年はとしてくれる記念碑的な一品!

 嬉しすぎて鳥肌が立ってしまう。彼女から貰うとこんなに嬉しいものなのか。

 吉本さんが、照れくさそうにはにかんでる姿が愛おしく感じる。


「食べる前に、写真いっぱい撮ろう!」

「あはは、多分上手くできてるはずだから……」


 こんな風に渡すの慣れてないから恥ずかしい、とだんだんしおらしくなっていっちゃう吉本さん。

 今のこの瞬間、間違いなく僕の人生でも屈指の幸せな瞬間だ。なのに。すごく幸せなはずなのに、ふと不安になってしまう。

 もし、いつか彼女がこうして向けてくれる愛情がなくなってしまう時が来たらと思うと、すごく怖い。

 なんでこんな考えが頭をかすめるんだろう。付き合う前もいろいろヤキモキしてばっかりだったけど、彼氏彼女の関係になっても気苦労って絶えないんだな……。

 だけど、この先どんな結果になっても後悔しないように、吉本さんには僕の持てるだけの愛情を注いで行こうと思う。


「本当に、ありがとね。忘れられないバレンタインになったよ」

「よかった……。私も同じだよ!」


 えへへ、とお互いに照れながらもしっかりと瞳を見つめ合う。

 ここが吉本さんちの前じゃなかったら思いっきり抱きしめたのに。でも、どうしても気持ちを伝えたかった。

 だから、そっと耳打ちする。


「大好き」


 彼女は、一瞬固まったかと思うと、顔がみるみる赤くなる。

 そして、僕の肩のあたりを軽くつまんでくる。これは、屈んでほしい時の合図。

 軽く屈んだ僕に耳打ちしようと背を伸ばす。


「私も、大好き」


 一片の曇りもないキラキラとした最高の笑顔。

 そして、多分僕も同じ笑顔をしている。

 そうだ、心配なんていらない。この先に何があったって僕たちだったら大丈夫、心からそう思う。 

 これからは、ずっと近くに。ずっとそばに。

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チカクテトオイ ニシクラ サカセ @nishikura_sakase

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