第6話 昨日は友達、今日から……




 いつの間に追いつかれたのか――


 学校にたどり着き、生徒でにぎわう廊下を歩いていたときには気づかなかった。

 和機かずきが教室に入ろうとした時である。


「っ?」


 後ろから突き飛ばすような勢いで、誰かが和機の横を通り抜けた。

 二人並んで通るには入り口は狭く、隣の誰かと手がぶつかる。


(なんだよ――)


 誰だよ、と思っていたら――その誰かは和機などお構いなしに教室の中に入って行って、自身の席へと歩を進める。


 ……十時ととき花月かづきだ。


(……? あとでセクハラとか言われない……?)


 多少気にはなったが入り口に突っ立っているのも邪魔だ。自分の席へ向かう。


 と、


「おうおう、かずきんさんよぉ」


 それに気づいた幼馴染みが絡んできた。


「もしかしてあれか? あれなのかい?」


「何なんだいメガネ怪人」


 和機が自分の席に座ると、そいつは空いていた前の席に腰を下ろした。ひとの机に突っ伏すようにして顔を近づけてくる。


 黒縁メガネがよく似合う角ばった顔立ち。真面目な顔をしていれば寡黙な文学少年といった印象なのだが、どうにも真面目とは縁遠い幼馴染みその2こと、舞畑まいはた介持かいじだ。


「あかずきんさん、お前ェあれなのかい?」


「だから何なんだよ。早く言わんと殴るぞ」


「朝からバイオレンスだなぁ!」


 介持は大げさな反応をしてから、やや声を潜め、


「もしかしてお前さん今日、十時さんと一緒に登校した感じですか? もしかしてそういうお仲ですか?」


「どういうお腹だよ。別に……同じとこに住んでんだしさ、たまには一緒になるだろ……」


「そうだよな、同じ屋根の下に住んでんだもんな」


「いや、マンション単位の屋根ならそうだけどな? それを言うならお前だってそうじゃん。むしろお前、十時さん家の真下に住んでんじゃん。トイレの音とか聞こえるくらい身近じゃん」


「さすがに聞こえないから。……いや待てよ? 意識してみれば聞こえるかもしれない……?」


「やめろ変態。そんなことしてみろ、友達やめるぞ」


 今の話を誰かに聞かれてはないだろうかと周囲を窺うが、クラスメイトたちはそれぞれ談笑に花を咲かせているし、当の十時花月はといえば遅れてやってきたもう一人の幼馴染み・澤副さわぞえ雪知ゆきちと話している。


「とりあえずな……」


 和機もなんとなく声を潜めながら、


「一緒に登校したいんなら時間合わせるなりすればいいんじゃねえの?」


「……あかずきんさん、お前まさかそんなことしたの? ストーカーかよずきんかぶったオオカミかよ、うっへえ……」


「だから、今日はたまたまだって言ってんだろこのやきもちモンスターめ。いいかげん殴るぞ?」


 ……家を出る時間を合わせれば、一緒に登校することが出来る。

 そうすれば和機も詩鳥しとりと一緒に登校できるだろう。そういうところから一歩ずつ、距離を縮めていければいいのかもしれない。

 だけど、それは介持の言うようになんだかストーカーのそれっぽい。

 だから和機はそういう「気持ち悪い」と思われかねない思考は、なるべく考えないように、頭に浮かべないようにと心がけている。


(だって気持ち悪いもんな……)


 よくある話でたとえるなら……小学生の男子が放課後、好きな女子の縦笛を舐めるようなものだ。当人からすれば気持ちを抑えきれずにしたことなのだろうが、それを相手の女子が知れば「気持ち悪い」以外の何を思うだろう。

 仮にモテる男子イケメンがいたとして、眼中にない女子から寄せられる好意はそのイケメンにとって迷惑以外の何ものでもない。


 恋心だなんだと美化は出来ても、誰かを一方的に想うことほど傍目に見て気持ちの悪く、痛々しいものはない――風倉和機はそう思うからこそ――


(……死にてえ……。もしも仮に心の読めるヤツがこの教室にいて、俺の考えてること知られたらと思うと……)


 そうでなくても、何かよからぬことを考えればおのずと態度や雰囲気に出るものだろう。

 短冊を飾りにいこうとすればその前日から寝付けなくなるし、家を出る時間をあわせようとすれば不自然さが滲み出る。

 そうした挙動の不審さが「気持ち悪い」につながるから、思うことすら厳禁だ。


 何より自分自身が、自分を気持ち悪いと嫌悪してしまうから。


(別に、他人がさ……介持とかが十時さんのこと好きなぶんにはいいんだよ。出待ちしてようがさ、ストーカーしてようが――あ、いやそれはさすがに引くけど)


 介持のそれは好きな人との距離を縮めるための「努力」だと思える。

 だけど自分の場合に置き換えると、それはなんだか後ろめたく、気持ち悪さを覚えるのだ。


(……気持ち悪ぃ……なんであんなことしようと思ったんだろ俺……。吐きそう。いや、吐き出せないから気持ち悪いんだけど……。誰にも言えねえよ……)


 大したことじゃない。自分だけが知っていることで……だからこそつらいのだが、他の誰にも知られてはいない。

 ただ、公衆の面前に今なおそれを晒し続けていることが気がかりで、それは実質、人前で何かしでかしたに等しい。その事実に恥ずかしくて死にたくなる。

 魔が差したんだ。過ぎたことだ、悔やんでも仕方ない――そう自分に言い聞かせるのだが、


「……はあぁ……」


「どうしたよ? そんな急に動き出した路地裏の室外機みたいなため息ついて」


「奇特なたとえするよな……。いや、別に、なんでもないけど」


 苦笑しつつ、何か話題を逸らせないかと教室内に目をやって、


「……そういえばさ、あの二人……」


 きゃっきゃしている――片方はとても静かだが――十時花月と澤副雪知の方を軽く促す。


「あんな仲良かったっけ? かいじん知ってる?」


「仲良かったって……教室で話してるくらい普通だろ? それで〝仲良い〟なら、一緒に登校すんのはもうカップルじゃん」


「根に持ってんな……。そうじゃなくてさ、あの二人、なんか休みに一緒に映画いったらしいんだよ」


「マジか、ゆきチーあの野郎……」


「お前の嫉妬の矛先は女子にも向くのか……」


 呆れていると、


「んで、なにゆえお前ェそれ知ってんの?」


 不意に、介持がたずねた。


「え?」


「え? じゃねえよ。なにゆえお前ェはあの二人が映画いったって知ってんの?」


 メガネがぎらりと光った。墓穴を掘った気がした。


「そうそうー、」


 と、横から割って入る声が。


「あたしも気になってたんだけど?」


 ハイエナのように食いついてきたのは、さっきまで花月と話していた雪知だ。


「なんでかずきん、休みの日にあんなとこいたの? しかも朝早くに」


 最悪の予想が当たった。今もっとも突かれたくないところを突いてくる。

 まさか短冊を飾るためだけに出かけたなんて想像もしないだろうが、万が一……万が一ということがある。何かの間違いであの黒い短冊のことを知られてしまうかもしれない。そう思うと気が気でなくなった。


「い、いちゃ悪いのかよ? おお俺だっているよ。なあ介持?」


 フォローしてくれと一番の友人に目配せを送るのだが、


「なあと言われても、」


「でもさ、この専業主夫予備軍みたいなのが休日に出かける? 出かけないよねえ? かいじん」


「ねえと言われても、」


「ニートだとか引きこもりだとか言われなかっただけマシだけどさ、むしろ休日に出るだろ専業主夫。俺だってたまには出かけるし」


 さすがに幼稚園から一緒の幼馴染みなだけはある。休日の行動パターンは把握されているか。だからこそこうも突っかかってくるのだろう。和機が雪知の立場でも多少は気になったはずだ。

 それでもここまでしつこく追及はしないが――


「だから、何しに出かけたのってきいてるんだけど?」


「べ、別になんだっていいだろ……?」


「ほう? 即答できないってことは何か後ろめたい理由だな?」


「なんでそうなるんだよ! というか何? 雪知さんはなぜにそこまで気にするんですかー? もしかして俺のこと好きなの?」


「はあ……っ?」


 ガラっ――と。


 雪知が何か言い返そうと口を開きかけた時だった。

 言い合っていた和機と雪知は揃って音のした方を振り返る。


 ――十時花月だ。


 勢いよく立ち上がりでもしたのか、座っていた椅子が後ろの机にぶつかったらしい。

 さっきまで教室はそれなりに騒がしかったのだが、今の一瞬でわずかに静まり返った。


(俺も我に返った……。なんだかとても小学生っぽい口喧嘩をしていた……)


 花月はかすかに頬を染めてうつむくと、そそくさと教室を出て行った。


(ちょっと可愛いな……。急にどうしたって感じだけど)


 ともあれ、これは使える。


「何あれ?」


 と、和機は話題を変えるために介持に話を振るのだが、


「分かった。今日からお前ェはオレの敵だ」


「なぜに!?」


 一番にして唯一の男友達を失った瞬間である。



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