第5話 蒼い月




 ――いつも通りに朝を迎える。


 アラームが鳴った瞬間に飛び起きて、枕もとのスマホを黙らせる。

 それからとっさに確認するのは、カーテンで仕切られた向こう側――同じ部屋に眠る、義理の妹の様子だ。

 案の定、カーテン越しにベッドのスプリングの軋む音、もぞもぞと身動きする気配が伝わってくる。

 毎度毎度こちらのタイミングで起こしてしまうことに後ろめたさを覚えるのだが……。


(……まあ、なんというか……目覚ましないと起きれんし……)


 ……そんな生活も、近々終わりを迎えるらしい。

 思うところがないでもないが――


(……起きよ)


 うんと伸びをしてから、風倉かざくら和機かずきは起床する。

 そそくさと敷布団を片付けて、部屋を出た。


 朝日の射し込む、明るいリビング。

 ダイニングには既に義母がいて、和機と前後してあくび混じりに父が現れる。

 テーブルの上には朝食が並んでいて、そのにおいに空腹を刺激されながら顔を洗いに向かう。ダイニングに戻ってくるころには制服に着替えた妹が部屋から出てきていた。


 食卓を囲む――いつも通りの、気が付けば〝いつも通り〟になっていた朝の光景。

 食事をしながらあくびをかみ殺していると、実はまだ自分が夢の中にいるのではないかとふと思う。


 本当はまだ眠っていて……いつも通りに自然に目を覚まし、真っ暗なリビングに光を取り入れ、家事をしたり朝食の用意をしたり――そんな日々が続いているのでは。


「ごちそうさまでした」


 ナイーブな気分を振り払うように席を立ち、そそくさと部屋に戻る。素早く制服に着替えると、登校する仕度を整えてからそのまま家を出た。


「いってきます……」


 いってらっしゃいの声を背に部屋のドアを開ける、と。


「うおっ……」


 廊下に人が立っていた。

 朝一番にドアを開けてすぐのこれはさすがに声を抑えられず、こちらに背を向けて立っていたその人が振り返った。


「…………」


 誰かと思えば――朝から出くわすには一番心臓に悪い相手、十時ととき花月かづきである。

 制服姿で、スマホを片手に突っ立っている。


「…………」


 そう滅多に出くわすことがない相手だけに、一瞬どう反応すればいいかためらう。


 ……目が合ってしまっていた。


「……えっと、おはござー……」


 軽く頭を下げて、そそくさとその横を抜ける。


 おとといはあいさつすらしなかったものの(というか出来なかった)、今日はさすがに学校で顔をあわせるから、これくらいはしておかないといろいろ気まずい。

 むこうはそんなこと気にもしないだろうが――と思えば、すれ違いざま小さく頭を下げたように見えた。


(人として認められたような気がする……)


 ともあれ、このままだと土曜の二の舞になりそうな気がして、和機は足早に階段を下りた。


「……ふう……」


 階段を下りて一息。息を整えながら一階で少し足を止めて待ってみるが、一階に住む幼馴染みが出てくる様子はない。階段を下りる音が聞こえてきて、和機は慌てて学校へと足を向けた。


(……あれ? これ、この前と逆のパターンじゃね?)


 気が付けば、少し後ろを十時花月が歩いている。

 重なるような足音に振り返りたい衝動に駆られるも、いざ振り返って変な顔をされるのではと考えると心がつらい。なんだか見られているような気になって、そわそわと落ち着かない。最悪な気分だ。


(……嫌がらせ? 嫌がらせなの? それとも仕返しですかこの前の? ……いやまあ、そこまで俺のこと意識してるわけないですよね――)


 なるべく考えないようにしながら歩調を早める、と。


「あ、ハナちゃんせんぱーい」


 後ろから聞きなれた声がして、今度こそ振り返りそうになった。

 ……ここで振り返ったら、あれだ。……切なくなる。


「おはようございますっ」


「おはよう……、妹ちゃん」


 ――風倉詩鳥しとりだ。


(…………)


 和機はそそくさと足を進める。


 いつものことだ。気にはしない。

 もしかしたら本当に気付いていないだけかもしれないし――


(いやさすがに……前歩いてるんだから気付くわな……。俺の後ろ姿にまったく特徴がないんなら別だけど)


 外に出たら、まるで他人だ。


 特別嫌われるようなことや気に障ることをしてはいない……はず。

 ただ、なんとなく――たとえるならばそれは、道をすれ違う人に理由もなく声をかけるか? という話だ。理由がないから、必要がないから声をかけない。外では話さない。ただそれだけ。

 本当に……連絡事項なんかもスマホで済ませられるから、話をする必要が、きっかけがない。

 後ろから花月と詩鳥のやりとりが聞こえてくるものの……和機にはそんな共通の話題もなければ、それを得ようと今の会話を盗み聞きするのも何か違う気がする。


 距離があり、壁がある。

 同じ屋根の下に住んではいても、心は全く違う場所にある。

 両親の前では家族を、兄妹のようなものを装ってはいても、外では他人。それがデフォルト。

 それが風倉和機とその義理の妹・詩鳥の関係だ。


 父に再婚の話をされてからすぐ、相手側との初めての顔合わせの時からそれは変わらない――現実は残酷だ。


 ――だから、願ったのに――


(まあ……、うん)


 頭では分かっていたことだ。だけど心のどこかで信じたいというか、期待する部分があって、それが和機を行動に駆り立てた。

 しかし早くも7月8日……何事もない現実に、二日前の自分を思い出して恥ずかしくなる。


(あれもう撤去されてるかなぁ……。誰かに見られたらと思うと――いやまあ黒地に黒インクで書いてるから、ぱっと見なに書かれてるか分からないはず……)


 しかし撤去する際、目立つ黒い短冊に気付いた業者だか係の人だかに内容を見られるのでは、なんて想像が脳裏をよぎり、陰鬱な気持ちになる。


(うわぁ、おとといの俺、殺してぇ……)


 後悔ばかりの募る、憂鬱な月曜日。

 学校へ向かう足取りは重く、しかし歩き続けなければ気まずい沈黙に追いつかれること待ったなし。

 追われるように足を動かした。



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