第25話  幕間一 秀吉

「前田利家殿、海蔵寺にて堀秀政殿の本陣に立ち寄った由にございます」


「うむ、・・・で あるか・・・」


 秀吉は報告する近習に視線も向けずそう告げるや左手を振る・・・


 もうよい、退れということであろう・・・


 近習は黙ったまま頭を下げるやその場を退く・・・


(・・・やはり又左の奴は久太郎の所へ行ったか・・・)


「フフフ・・・、いい奴じゃて、又左の奴は・・・クックック・・・」


(本当に分かりやすい友垣じゃわ・・・)


「・・・殿下、嬉しそうにございますな?」


「ん? そうか?」


「はい、小さきながら笑い声が聞こえましたので・・・」


「そうか、わしは笑い声を漏らしておったか・・・そうか そうか フフフ・・・」


(はて・・・いかなる御心境であるか・・・)


 本因坊算砂は、盤面を挟み対座する秀吉のあきらかな機嫌の変化に困惑する・・・


(先ほどまで、耳目がある場であの前田様をきつく𠮟責されておられたのではなかったか・・・?)


 算砂は、秀吉の表情の変化に思わず問いかけてしまった自分のうかつさを呪いつつも興を惹いた秀吉のこぼした言葉の意味を知ろうと決意すると、黒の碁石をつまむや舞うような美しい差し手でピシリっと碁盤に打ちつける。


「前田様は、殿下にとってかけがえのなき御仁なのですな」


「何故に、算砂殿はそう思われる?」


「いえ、殿下が前田様のことを 失礼ながら 『いい奴じゃ』と申されて笑い声を上げられましたので・・・」


「うん? そうか、そんなことを口走っておったか⁈」


「はい、さようでございます。それで私は思わず殿下に嬉しそうにございますなと申し上げた次第でありました」


 臆せず算砂は面を上げ時の最高権力者である秀吉に答える。


 あの信長とも盤を挟んで対局中普通の会話ができたよう腹をくくれば豪胆にもなる算砂である。その性格や棋力を信長は高く評価し好み


『そちはまことの名人なり』


と称賛された本因坊算砂は、秀吉にもまた評価されこの小田原戦役中にも召され滞陣中にもこうして秀吉から碁の対局を乞われていたのであった。


「フフフ、確かに又左はわしにとってかけがえのない友垣じゃて。その無二の存在の又左が久太郎のもとを訪れたという知らせを聞いて無意識に嬉しくなりつい笑みをこぼしたという事かのう・・・フフフ・・・」


「堀様のもとへ・・・で ございますか・・・」


「又左と久太郎の二人はな信長様が在りし日の頃のわしの姿をよく見知っておる者なのじゃ・・・やたら陽気者を気取りあざといひょうげ者を演じておった信長様御世のわしの姿をな・・・」


「・・・」


 算砂は笑みの中に複雑な胸中を吐露する秀吉に自然と心を引き締める・・・


(やはり・・・うかつな問いであったか・・・)


「今頃は二人してわしの悪口を言っておる頃じゃろうて、クックック カッカッカ・・・」


(これは これは・・・前田様と堀様が自分の悪口を言っておるかもしれないことをこうも機嫌よく話される殿下の真意とは・・・はて・・・)


「特に又左の奴はわしに戦の仕方がぬるい! と先程痛烈に面罵されたのがよほど不服であったようじゃからのう、おそらくは久太郎相手に盛大にわしに対し酒でも飲みながら悪口雑言を吹きまくっておる頃じゃろうて、カッカッカ!!!」


「・・・その・・・何と申せばよろしいのか・・・」


「いや、算砂殿が恐縮することはないぞ。又左や久太郎の二人はな、わしにとってかけがえのない人物なんじゃて、その二人がわしの悪口を語り合う姿を想像すると確かに複雑な気持ちにはなるがのう逆にいまだに二人の仲が親密である事に、ほっ としている自分がある・・・」


「なるほど、そのようなお気持ちで・・・」


「ああ・・・そうじゃ。ほんに、二人はかけがえのない存在であるからのう・・・」


「殿下が、それほどまで申されるとは・・・お二人様も殿下の御心を知ればいかに喜ばれます事やと」


(フフフ・・二人がわしの描く筋書き通りに動くことがうれしかったということか)


 秀吉は予想を裏切らずに堀のもとを訪れた利家に喝采を胸中にて上げる・・・


「つかぬ事をお聞きいたします事ご容赦いただければと。先程殿下は前田様と堀様の仲がいまだ親密であると仰られましたが、お二人様は以前から親密な関係であったと理解してよろしゅうございますか?」


「うん? 算砂殿はそこが気になるか?」


「ええ・・・さようでございます」


「ふむ、そうさな・・・又左と久太郎の関係が急に深くなったきっかけは・・・」


 秀吉はしばし虚空を見上げ、何かを思い出そうとしていたがやがて算砂に答える。


「織田家の中で歳の離れた単なる同僚という関係から劇的に変化したわけは・・・やはりあの賤ケ岳の合戦が契機となったのであろう・・・」


「賤ケ岳の合戦でございますか?」


「ふむ・・・又左と久太郎はな、あの合戦の際に人生の折所せっしょを二人で遭遇しておったのじゃよ、特に又左の奴の方が最大の人生の折所であったのう・・・。

そんな又左にとって人生最大の折所に居合わせたのが久太郎であったな・・・」


「堀様が前田様の折所にございますか・・・?」


「うむ・・・」


「ブシュッ!!」


 秀吉は突然くしゃみをすると無造作に高価な装束の袖口で鼻を拭いながら続ける


「ああ、そうじゃ。あの賤ケ岳の合戦の最中、突然又左めは陣を勝手に引き払い府中城に立て籠もった・・・そうふてくされたようにな・・・」


「ふてくされたように・・・で、ございますか?」


「うむ。又左の奴はな府中城に立て籠もってわしの出方を待っておったのよ」


「殿下の出方をですか・・・」


「算砂殿は、あの賤ケ岳の合戦の仔細はご存知かの?」


「・・・あくまでも他人から耳にした話に過ぎず詳細を存じておるかとお尋ねになられるといささか返事にこまりまするが、前田様が陣を退いたため殿下の軍勢が有利になったと聞き及んでおります・・・」


「その通り。又左の奴が勝手に戦線を離脱したがために柴田勢が総崩れになりわしが勝った・・・それは紛れもない事実じゃ」


「・・・」


「当時世の風評ではわしと又左の奴が裏で繋がっておって又左が修理(柴田勝家)を裏切って戦線離脱したとまことしやかに噂されておったのはわしも耳にしておった・・・」


「・・・」


「ところで算砂殿、当時又左の所領はどこだったか存じておるか?」


「・・・確か・・・能登国 七尾城主でございましたか・・・?」


「ああ、そうじゃて。奴は能登一国の領主であって居城を七尾に構えておった。そんな又左の正室であるお松殿が何故にあの賤ケ岳の合戦のおりわざわざ越前府中城に居合わせたと思う?」


「そ それは・・・」


 算砂は利家の正室、お松が越前府中城にあの合戦の折居合わせた事実を秀吉から聞き、驚愕しながらも突然の問いに対する最善手の答えを探すべく考える・・・


(確かに、殿下が言われたように今更ながら何故に前田様の御正室であらされるお松様が能登の七尾からわざわざ越前府中城におられたのか・・・それもいくら飛び地の所領で御嫡男利長様が治めておられるとはいえ主戦場の賤ケ岳に近いかの城に偶然居合わせたとは思えぬ・・・で、あればやはり風評のとおり殿下と前田様は裏で密約があったのか・・・)


「御非礼かとも思いまするが、あえて申し上げます。殿下と前田様の間で・・・御約束事が有られましたのではないかと愚考致しましたが・・・」


 算砂は秀吉の天下取りの最大要因となった賤ケ岳の合戦の決して明らかにされる事のない歴史の影の部分を垣間見ようと踏み込む・・・


「フフフ・・・踏み込むのう、算砂殿。信長様との対局中にもこのような秘中の秘め事を語り合うやりとりをさりげなくやっておられたのではないか?」


「いえ、左様な事は・・・」


「カッカッカ・・・よいよい、わしもそなたと碁を打つようになり何故にあの信長様が貴殿と時間を惜しむように碁を打っていたのか分かるようになったでのう、フフフ・・・」


「殿下・・・御戯れを」


「よいよい」


 秀吉は算砂の胸中を見透かすような視線を浴びせながら続ける。


「又左の奴の名誉のためにもこれだけは言っておくが、わしと又左の間で密約など決して無かったのじゃ・・・」


「・・・そうで、ございましたか」


 算砂はそう追従ついしょうしながらも胸中には疑問が残る


(では、何故に前田様はあのような行動を・・・)


 秀吉は顎をひくと頭の裏側をコリコリ掻く


「又左には、戦になるまで何度も書状を出したが一度もわしに寝返れとは書かなんだ。ただ、おぬしとは戦いとうない・・・本当に戦いとうはないと書き綴ったものじゃ・・・」


 往事を偲ぶように遠い目をする・・・


「長屋暮らしの時代から懇意にしておったお松殿には、おねからも折に触れ何度も何度も戦になりたくないと手紙を書き送った・・・そう 何度も 何度もな・・・」


「北政所様からも、お松様にでございますか・・・」


「ああ・・・」


「・・・では、何故にお松様は府中城にお在されておられたのでございましょうか?」


(・・・不作死就不会死ヴジュオシージウブフイシ・・・か)

 咄嗟に中国の格言を思い出した算砂はもうこの辺りで止めておけというもう一つ心が叫ぶのを無視して歴史の裏舞台を垣間見ようと更に踏み込む・・・


「知りたいか・・・」


「はっ・・・御非礼を承知でお願いできれば・・・」


「奴はな、わしと死合うためにお松殿のを七尾から連れ出したのじゃ・・・」


「な⁈ なんとっ!!」


 算砂に告げた秀吉の目は底冷えするような、ぞっとする暗い表情を醸し出していた・・・















 


 

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垣間(かいま)見る ある歴史の情景 繚乱 @kabiryouran

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