第24話 海蔵寺での邂逅 堀 久太郎と柴田 源左 Scean 21

「ま まさか、そのような事が・・・」


 堀の衝撃的な告白を受け、源左は絶句する・・・


「上様からの御沙汰が明智殿の胸中でどのような心境の変化に相成ったか・・・私は確かに計り知れませぬが、あの凶事に思い至った要因の一つになったのは紛れもなく事実であったのではないかと推測しておりまする・・・」


「・・・」


 呆然とした表情を見せ、黙り込む源左を思いやるよう堀は同じく言葉も発せず黙ったまま見続ける・・・どれほどの間があったのであろうか、やがて胸中にて整理をつけたのか源左は口を開く。


「久殿・・・今となっては何を言っても詮無き事かと・・・存じる・・・」


「・・・で、ございますな源左殿」


「いかにも・・・」



 チリィ~ン~~~ チリチリィ~ンン~~~



 源左は、音色に誘われたのか無意識に縁側の軒先に吊らされている風鈴を見る。


 堀はそこで場の雰囲気を変えるかのように、すっと立ち上がると先ほどから心地よい音色を奏でる風鈴の下に歩むとそっと指先でつつく・・・


 チリィ~ン~~~ チリチリィ~ンン~~~


「ところで、源左殿。この風鈴はさる人物からの頂き物にございましてな」


「それがしも心に染み入るようなその風鈴の音色が最前から気になっておったのですが、いったいどなたからの贈り物にござるか?」


 堀は、いたずらっぽい笑みを浮かべると逆に源左に尋ねる。


「どなたからの、頂き物だと源左殿は思われますか?」


「はて・・・とんと想像もできぬが・・・」


「フフフ・・・氏照殿  北条氏照殿にございますよ源左殿」


「はっ⁉ 氏照? あの北条氏照殿にござるか!??」


「ええ、そうでございます。敵である北条家きっての闘将で、我等が眼前の敵、早川口の門を守る主将にございますな、フフフ・・・」


「そ それは・・・いかなる経緯にて・・・」


「実はこの風鈴を実際に持参していただいたのは、宗二殿にございました・・・」


「な なんと山上宗二殿とな!」


「はい・・・」


「・・・であれば、先月徳川殿が長谷川殿に伴われてここ海蔵寺に突如来られたあの出来事の時にござるな・・・?」


「さようにございます」


「・・・久殿、ちょうど良い機会なので伺ってもよろしいか?」


「はい、何なりと・・・」


「それがしは、不思議に思っておりましてな。あの折、何故に長谷川殿が徳川殿を誘うよう伴い当地に参ったのか・・・更にはあの徳川殿が北条方の降将やその家臣団並びに山上宗二殿もお連れになり久殿を頼られるようにここ海蔵寺を訪れられたのか?」


「ああ」


 堀は、そこで少し破顔すると往事を思い出すかのように見上げる風鈴の先の宙をみつめ語り始める・・・


「その件なれば・・・まずは竹殿、いやっ失礼、長谷川秀一殿の件ですが長谷川殿は徳川殿にとって大げさに申さば命の恩人なのでございますよ源左殿」


「命の恩人・・・とな?」


「はい。あの本能寺の変の折、長谷川殿は上様より命じられ徳川殿の堺見物の饗応役として徳川殿御一行に同道しておったのです」


「ほお・・・」


「本能寺の凶変を聞き終始狼狽する徳川殿主従に長谷川殿は冷静に徳川殿本国である三河の国まで帰路への道筋を提示してあげたのですよ」


「・・・」


「堺見物から京へと向かう途中摂津枚方で凶報を受けた長谷川殿はまず堺へ戻り海路を使って三河へ戻る提案をしたそうですが船旅の経験が薄い徳川殿主従は拒絶されたそうです・・・それならばと危険度は増しますが山城国の南路、宇治を通り南近江甲賀郡信楽路を経由し伊賀を抜け伊勢に入る道程を再提案したところ徳川殿は承諾されたとのことでした。もともと、宇治から南近江甲賀郡信楽街道沿いの土豪達のお取次役を上様より命じられていた長谷川殿にとって見知った場所であり孤立した徳川殿主従達の安全を確保するために彼等土豪衆達の力を借りようとしたのでございます。これは、全く土地勘の無い徳川殿達にとって長谷川殿の存在はまさに一抹の光明であったと想像されます・・・」


「なるほど・・・無事、本国へ戻れたのは長谷川殿のおかげ と、いう理由でござるか」


「はい。そういった経緯で敵味方となった小牧長久手の戦いを経てなおいまだに徳川殿からよしみを通じられており、時折に徳川殿から贈り物を頂いていると長谷川殿から聞き及んでおります・・・」


「受けた恩に対する、お礼にござるな」


「ええ、左様にございます」


「ふむ・・・長谷川殿と徳川殿が懇意であったというのは理解しもうしたが、何故にお二人は久殿を頼られたのであろうか・・・?」


「実は、その時の北条方の降将であった皆川広照殿とはいささか御縁がありまして」


「ほう、それは初耳でありますな」


下野しもつけ国皆川城城主であった皆川殿は本能寺の変の前年・・・確か 天正九年の10月でありましたか、紀州根来寺で能化職に就いていた叔父の玄宥殿を案内人にして家老職の関口石見守殿を使者として安土へ遣わされたのです。その時取り次ぎをしたのが私でした。皆川殿から上様へと贈られたのが黒あし毛の名馬三頭で上様はことのほか大喜びなされまして、お返しの品として【天下布武】の朱印状と縮羅、紅緒、虎皮を多数贈答されたのでございます。私も上様のご様子を【添え状】で出しておりよく憶えております・・・その際、私にも馬を贈られたこともあってそれ以降も書状のやりとりは続いておったのですよ源左殿」


「御取次衆時代からの、お付き合いであったと・・・ふーむ・・・。皆川殿は下野国の城主と申されたがその時分から皆川殿は北条家の傘下であられたのか?」


「いいえ、当時はどこにも属さず独立勢力であって北条家にはその後天正十三年に降ったと伺っております」


「ふむ。では、徳川殿は皆川殿から久殿とのえにしを聞いて当地に連れて参られたと?」


「はい。そこで後日談になりますが安土を無事伺候した関口石見守殿は上様によって命じられた左近様が帰りの東海道の道中の安全を保障されたことによって浜松城にて徳川殿と面会する機会を得たようで、それ以降徳川殿と皆川殿の間で交流は続いていたとのことです」


「道中の安全を保障するということは、この者は織田家の客人であると書状にて証明してあったということですな、その段取りを滝川殿がのう・・・それで皆川殿の陪臣に過ぎない関口殿を徳川殿がわざわざ謁見したと・・・ふーむ・・・今更ならじゃがあの滝川殿・・・一益殿はどれほどの仕事を上様に命じられ掛け持ちでやられておったのであろうな? またその時間をどのように捻出しておったのか・・・」


「ハハハ、私も本当にそう思います」


「・・・まあ滝川殿の件はさてとして、話しを戻すと皆川殿は交流のあった徳川殿のもとに投降し、その皆川殿を当地に連れて参るために徳川殿が長谷川殿を久殿との橋渡しのために声を掛けられたということにござるな?」


「いかにもでござる。源左殿もご存知かと思いますが私と徳川殿との間にはあの小牧長久手の合戦時に徳川殿配下の軍勢を私が破った事実と、それ以降に生じた【源氏の長者】を巡る問題もあって少し・・・微妙な関係になっておりましたので徳川殿としてみれば直接私のもとを訪れるのではなく私と懇意にしている長谷川殿に声掛けし、更には仲立ちをお願いされたのであろうと思われます」


「なるほどそれで徳川殿は直接来られずに、久殿と縁戚関係を持ち盟友である長谷川殿に声を掛けられたと・・・ふむ、納得できましたな」


「更には、徳川殿にしてみれば殿下に対する配慮もあったかと・・・」


「関白殿下に配慮・・・?」


「皆川殿が山上宗二殿を伴い、小田原城を抜け出し徳川殿のもとに身を寄せた時期は先月の四月初旬・・・小田原城の包囲網が完成するや否やの時期でした」


「で、ありましたな・・・」


「現在でもそうですが、未だに徳川殿と北条家は通じておるのではないかという風評がまことしやかにささやかれております・・・小田原包囲網の序についたばかりのその時期に北条家との関係を疑われる徳川殿が北条方の降将を引き連れ殿下のもとに参じれば、さもありなんと殿下から痛くもない腹を探られるのを徳川殿は良しとしなかったのでありましょう・・・皆川殿の口から私との関係を聞き出した徳川殿は渡りに船とばかり私を連れ出し殿下のもとに報告に伺う算段を決意されたと・・・単独で報告するより私を同席させたことによって、自分自身への風当たりを弱くする・・・フフフ・・・私は殿下からのていのいい風よけのために徳川殿に利用されたのですよ、さすが、徳川殿と申すべきか、ハッハッハ・・・」


「・・・」


「さりながら・・・」


「うん?」


「・・・宗二殿にとって、皆川殿と茶道において関係を結ばれていたことがまさか仇になるとは・・・」


「・・・」


「・・・宗二殿が北条家で仕えていた主の北条玄庵殿は、たまたま自分に仕えていたただの茶人である宗二殿が戦に巻き込まれるのを偲び難く思い、またその気持ちをおもんばかって私との関係も知っておったのであろう氏照殿の下に皆川殿が属していた偶然が氏照殿の配慮によって皆川殿の手勢と一緒に宗二殿が投降できるようなってしまった・・・そして直接声を掛けた皆川殿・・・この三人の好意が巡り巡ってこのような結末に相成るとは・・・」


 沈鬱な表情を浮かべた堀に源左は声を落としながら尋ねる・・・


「山上宗二殿といえば、残念なご最期を遂げられたと風聞にしましたが・・・」


 堀は少しうつむき、うん、と一つ頷くと口を開く・・・


「・・・宗二殿は、己の矜持に殉じられたのです・・・」


「己の・・・矜持・・・ですか?」


「ええ・・・宗二殿は茶席においてはどんな人であろうと対等な関係であると。例え参席者が天下の名士であろうと気後れすることはない・・・という考えを持たれておりました」


「うむ・・・」


「茶席において、月日が経つごと高圧的な態度をとる殿下に対し宗二殿は己の考えを殿下に述べ、殿下の茶席での振る舞いは茶の道から外れておると直諫したことで一度ならず二度も殿下の怒りを買い、堺にも居れず商人としての道も絶たれ流浪の後この小田原の地に足を踏み入れたのです・・・」


「そうでありましたか・・・」


「それから殿下の本陣となった箱根早雲寺に事の経緯を説明すべく徳川殿に同道した私は、皆川殿の城抜けに宗二殿も同行されておることを報告申し上げると殿下も驚きつつもすぐにお目見えさせご機嫌よく我等で談笑されておったのですよ。宗二殿がその場を辞する際には御自身がまた自分、私、宗二殿の三人でかの山崎の地で語り合ったように話しをしようぞとまで申されました・・・ところが、翌々日 打ち首にされたと・・・」


「・・・」


「私はその話しを聞くや、憤慨し事の次第を知ろうと早雲寺に向かい殿下にお目通りをお願い致しましたが・・・殿下からは、目通り叶わぬの一点張り・・・それではと、利休殿に事のあらましを尋ねたところ利休殿は『宗二殿の死は私のせいであります・・・』その言葉ばかりでございました・・・」


「それは・・・どういった意味でござろうか?」


「・・・利休殿は自らの仲立ちにて、殿下と宗二殿のこれまでの一件を三人で茶席を共にすることによって全て水に流されようとされたのでありましょうな・・・ところがその茶席の場でまた自分に仕えぬかという殿下の言葉を宗二殿は断ってしまった。そこでどのような話しになったか私も想像の域にしか達しておりませぬが宗二殿はこれまで通り殿下の茶の湯のなされようには納得されておりませんでしたから、ひょっとしたらまた殿下の逆鱗に触れるようなきつい諫言をされたのかもしれませぬな、でなければあのような酷い有様のされようで・・・くっ!・・・」


「久殿!?」


「・・・利休殿は、自分の弟子のために良かれと思い自らが茶席を設けたばかりに弟子である宗二殿を死に追いやってしまった・・・と、いうことでありましょうか」


「・・・」


「宗二殿は、何も天下人の茶頭になりたいとは思ってはいなかったのですよ。商人としての栄華への道を絶たれ、あるのは自らの信ずる茶の湯の道・・・『茶の湯の席では、何人たりとも対等・・・』 己が矜持のために殉じる・・・そうでありましょうな、宗二殿・・・」


(久殿・・・その申し分は自分に言い聞かせるようにそれがしには映りますぞ)


 虚空を見上げながら、静かに語る堀の姿に源左はそうつぶやく・・・


「この風鈴がまさか宗二殿からの最後の置き土産となるとは・・・」


 風鈴を見上げながら堀は嘆息するようにつぶやく・・・


「・・・その風鈴は北条氏照殿から宗二殿に手渡されたと、伺いましたが?」


「ええ、そうでございます。そしてこの風鈴と同じ物が妙心寺の暘谷庵にも飾られているのですよ」


「暘谷庵? 慈徳院様の⁉」


「はい。この風鈴は氏照殿からの挨拶と伝言です、フフフ、何とも風流な言づけにございますな、フフフ・・・」


「ふーむ・・・それがしにすぐには分かりもうさぬが、いったいどのような意味があるのか・・・?」


「今は信松尼様と呼ばれる松姫様のことを、お忘れなきように・・・という意味にございましょう・・・」


「ま 松姫様がことを‼⁉」


「氏照殿には慈徳院様からの依頼もあり松姫様のことをお頼み申し上げるという意味も込めて季節の物を時折送り届けておりました。なぜなら先ほど私が述べたように松姫様は武州八王子において領主である氏照殿の庇護を受けておられましたので」


「おお、そうでありましたな」


「慈徳院様と松姫様の文をやりとりする関係も相まって、直接関係のない自身にまで細やかな心遣いをする慈徳院様に対し氏照殿からもお礼に贈り物が届けられるようななるまでそんなに時間はかからなかったとお聞きしております。それで、その贈り物の中の一つにこの風鈴があったと・・・」


 チリィ~ン~~~ チリチリィ~ンン~~~


 堀は、優しく風鈴を指先でつつく・・・


「ふむ・・・そういった経緯で・・・」


「ここ海蔵寺の住職殿に尋ねたところ、何でもこの小田原風鈴は『砂張さはり』と呼ばれる鋳物で作られており、鳴らした音の澄みやかさとても美しく、また余韻も長く続くので聴く人の耳に染み入るような感覚にさせるのだとか・・・」


「・・・確かに、それがしもそう感じますな・・・『砂張さはり』・・・初めて聞くのう・・・」


 小田原風鈴に妙に感心している源左の姿に可笑しさを感じ、堀は少し癒された感じになり、またその風鈴を突く・・・


チリィ~ン~~~  チリチリィ~ンン~~~


「宗二殿によって持たらせられたこの風鈴を見て氏照殿の風鈴に隠された意図に気づいた私は松姫様の件を、ちょうどうまい具合に先日この地に参られた前田様にお願い申し上げた次第です」


「ああ! 先月のあの時の事でござるな。 あの時の利家殿はひどく腹を立てられておりましたな、ハッハッハ・・・」


「まことに・・・フフフ・・・」


「クックック・・・ハッハッハ・・・・。それがしは、ちょうど居合わせて一部始終見ておりましたが、案内も乞わずいきなり本殿の玄関先にて『久太郎!! ありゃなんじゃ!!! あの秀・・・ いやっ ここではまずいか!! おおっ、源左か! 久太郎は居るか!?』 殿下を呼び捨てにしようとして慌てて気づいた利家殿の顔は昔のかぶき者であった犬千代殿を思い出させてもらいました、ハッハッハ!!!」


「フッフッフ・・・いかにもでございます。あの時前田様は、私の顔を見るや、こう申されたのですよ」


「ほお、なんと?」


『久太郎、悪いが酒をくれ!! あの秀吉の憎々しげなつらと言い方を思い出すとムカつくわい、あの“タワケ”がっ!!! 酒でも飲まねばやっとれんわ!!!』


「ハハハ、尾張弁丸出しで、それは見事なばかりのご立腹でした」


「ワッハッハ!!! そうですか、そうでござったか、クックック・・・」


 何かツボにはまったように笑う二人である。


「あの日前田様は、降伏した北条家の宿老である松井田城城主大道寺政繁殿を伴い北条方の支城を八つほど落とした実績を胸に意気揚々と殿下が滞在する笠懸山の借りの本陣にこれまでの経過報告をするために一時期戦場から戻られたのです。ところが前田殿の意に反し、殿下からはお褒めの言葉やねぎらいの言葉もなかったばかりか逆に


『城の、七つ、八つも落としたというのに、一つも撫で斬りにしてないのはどういう事だ‼』


 と、𠮟責されたそうです。皆が居る場所で殿下のこの言葉を受けた前田様は、頭に血が上りつつもぐっと我慢して以後はそのように致す所存と殿下に申し上げてその場を辞し、その足でここ海蔵寺に来られた由にございます」


「それで、あの様に・・・」


「はい。前田様が言うには、無理攻めをせず、兵の消耗を避けるよう事前に殿下からそう申し付けられておられたようで、『おめぇーが、そうしろと言ったからでねーか』とかなり怒っておられました」


「クッツ! フフフ、いや失礼、それは確かに理不尽な殿下の申されようですな」


「左様でございます。それからも前田様は散々『きゃつめは、どうなっとるんだ⁉』と殿下の悪口を口にしておられましたが、やがて『奴に、何があった?』と尋ねられたのです」


「ふむ・・・」


「・・・私はそこで宗二殿の一件を話し、そしてあまりにも酷い最期を遂げられた事を前田様に伝えもうした・・・」


「・・・」


「前田様は、『耳と鼻を削がれたままで、打ち首だと・・・』 と、つぶやくと暫くの間、押し黙ったままでした・・・。源左殿もご存知かもしれませんが前田様は一度目の殿下からの逆鱗に触れたあと身の置き所を無くした宗二殿をかくまい自身に仕えさせた経緯がございます・・・その宗二殿の最期を聞かされれば、その胸中はいかがなものか・・・」


「・・・お察し申し上げる・・・」


「その後人払いをして二人きりになった後、ポツリと前田様はこうつぶやかれました・・・」



             ☆ ☆ ☆



『宗二殿は、何か言っておられなかったか・・・?』


『私もゆっくりとはお話しする事は叶わなかったのですが、道中にて少しばかり二人で話す機会がありました・・・。宗二殿は、当地で上方でご縁があった方々とお会いできる事を楽しみにしておられました。師の利休殿はもとより、厚意に対し泥をかけるような事態を起こしそのあげくに迷惑をかけるだけかけた後、そんな自分に対し繰り言も言わずに優しく送り出していただいた前田様と会える機会があるかどうか、もしその機会があればその時は改めて心からお礼を申し上げたいと申されておりました・・・』


『・・・ふむ、そうか・・・。叶うことならば・・・またあの秀吉に対しても怯まずに言い切った【理非曲直】な話しぶりを耳にしたかったものだったが・・・』


『私も、とても残念に思うております・・・』


『おぬしに聞いた限りでは、宗二殿はがあれほど会うことを切に焦がれておった師の利休殿の親切心が、仇になったとはな・・・何ともやり切れぬ・・・』


『はい・・・』


『利休殿と言えば、宗二殿はわしがもとに居った頃こんな事を言っておった・・・』


『・・・?』


(近頃の師を見ておると自分の立ち位置を見失いつつあるようです・・・天下人の茶頭となり諸大名をはじめ全ての人々から師の言動について忖度そんたくされるばかりになり御自身のみの魅力だけでお付き合いを望まれる方々が少なくなったのが原因でございましょう・・・それがもとで師は自分勝手な【詫び さび】の世界に傾倒、いや昏倒していると申しても差し支えないでしょう。私は師の在り様に危惧を抱いておりまする・・・山を谷、西を東と・・あるがままの茶の湯の法度を破り、あまっさえ御自身の価値判断だけで物の価値を自由にされる昨今の師の姿には敬意を覚えませぬ・・・)


『とな・・・』


『なんと・・・宗二殿はがそのようなお話しを前田様に・・・』


『ああ、そうじゃ。難しい言葉まわしで話しておったので頭の悪いわしにはよくわからぬが、要するに何の変哲のない壺を利休殿が二万貫といえばその壺は世間では二万貫の値打ちで取引されるという事であろう?』


『おそらくは・・・』


『久太郎がそう考えるならそうであろう・・・が、それにしても解せぬのだが、何故利休殿は秀吉と宗二殿を茶席に招くことをしたのであろうか?』


『それは、殿下と宗二殿との間のわだかまりを水に流そうとして、一席設けられたのではないかと・・・』


『いや、それはおぬしから先程聞いたから分かっておる。だが、わしが言いたいのはそういう事ではない。いいか、宗二殿は一度ならず二度も茶席の場で秀吉に諫言したために堺はおろか、京、大坂からも追放されたのじゃぞ。あの二人が茶の湯の場に同席したならまた同じ事が起きるやもしれぬと二人の関係をよく見知っている利休殿ともあろう人が、何ゆえにそれに気づかぬ⁉』


『あっ!・・・』


『ん⁉ 久太郎、おぬしでも気づいておらんかったのか? となると、そんな風に感じたわしの方がおかしいのか・・・』


(この人は・・・)


 堀は、さらりと利休の矛盾点を衝いた利家の鋭さに驚かされる・・・


『もともとの利休殿という人物は、信長様にお仕えしておった頃そういった人と人の間の微妙な気配を悟り、さり気なく助言してくれる気遣いの人だったと思うておったが・・・やはり宗二殿が言っておったとおり昨今のあの御仁は今の自分の立場によって自分自身の立ち位置を見失っておるのやもしれぬのう・・・名声を手にし財も極めつつある己自身をかえりみて自身気づかぬうちに現世うつつよのしがらみから一時いっときでも抜けたいばかりに質素で静かな清貧な世界である詫び・さびの世界に逃げ込みたいと・・・信長様が重用した宗易殿、あの気配り気遣いの達人であったそんな人物であっても富貴を手にすると変わってしまうものか・・・』


(この人は、やはり鋭いお方である・・・粗野を振る舞い、自身で頭が悪いと放言しているが、なかなかもって・・・物の本質を見抜く人物であったか・・・)


 堀は利家のひとり言のようなつぶやきに更に驚かせられたのであった・・・


 利家は、それからというと空になった杯を指先でゆっくりと小刻みに震わせながらそれをじっと見続け、ひとり考えごとをしていたのだがやがて、その杯を膳に置くと目をつむり眉間を指で揉むような仕草をとる・・・


そして、そのままの姿勢でまた、ポツリとつぶやく


『変わったといえば・・・』


『はい・・・』


 利家は顔を上げ淡く笑みを浮かべ堀を見つめ口を開く・・・ 


『秀吉は・・・奴は、また変わってしまったな・・・』


『私も同じ感じを抱いております・・・』


『奴は、変わってしまった・・・』


 更にそう繰り返すと利家は、表情を厳しくし吐き出すように声を荒げたのであった。


『撫で斬りにせよなどとの言葉は以前の秀吉にはありえぬ言葉使いだぞ⁉ ましてや宗二殿を耳と鼻を削いだ後で打ち首だと!! ありえぬ・・・ありえぬわ、常軌を逸しておる・・・あの秀吉が、今のようなざまになったきっかけはおそらくは・・・』


『おそらくは・・・?』


『棄丸君が生まれたからだ・・・』


『棄丸様のご生誕がですか?』


『ああ、そのとおりだ』


『・・・』


『秀吉の奴はな、信長様に仕えてからあの小さな身体で己が立身出世のために必死になって生きてきたのだ。わしと違って膂力りょりょくの無い奴はあらん限り知恵を尽くして信長様に仕えた。その結果として信長様に認められ城持ちの大名となり信長様配下の五大重臣の一人に名を連ねるまでに至った・・・そして信長様が亡くなられた後の事は、おぬしの方がよく知っておろう・・・奴はな、天下人への道を着々と進む中で己が欲するもの全て手に入れようとしてきたのだ・・・だがそんな奴にでも手に入れることは叶わぬと諦めていた事が一つあった・・・そう世継ぎの事だ』


『お世継ぎの夢が叶った事で殿下の心境の変化に至ったと、前田様は申されるのでありますな・・・?』


『うむ・・・。秀吉はこれまで己が欲するものを手にいれるために戦い、攻め続けていたのだよ・・・だが棄丸君という世継ぎが手に入ったという事実が秀吉が今まで経験した事のない感情を奴の心のうちで目覚めさせたのだ・・・うまく言えぬが・・・守りに入った・・・と、でも言うべきか・・・』


『守り・・・にでございますか?』


『ああ、そうだ。考えてもみろ、久太郎よ』


『はい』


『棄丸君が幼少の折、万が一、秀吉の身に何かあったら豊臣の家はどうなる? 更に付け加えると幼少の棄丸君が天下を治めれるか?』


『それは・・・。もしも もしも万が一殿下の身に何かあった場合は前田様、徳川殿、信雄様といった有力な大名の方々棄丸君を補佐しながらまつりごとを行い天下の仕置きをするより他はないかと考えまするが・・・』


『まあ、そう答えるのが妥当であろうな・・・だがよ、久太郎!』


『はい⁈』


『・・・おぬし、本当にそう思っておるのか・・・?』


『前田様、それはいかなる意味にございますか?』


『フッ・・・とぼけおって。まあ、良いわ! 秀吉の奴はな、あの関白殿下様は自分の身に何かあった場合、諸大名が幼少の棄丸君を奉じて豊臣家の安寧を守ってくれるなんぞとは露程も思ってはおりゃせんという事だ!!』


『むっ!・・・』


『おぬしには、こうやって腹を割って話すが、誰がすき好んで秀吉の倅というだけの小僧に忠誠を誓うか!!!』


『前田様、少しお酒が過ぎたようにございますな? ちと言葉が過ぎるようにお見受け致しますが・・・?』


『これしきの酒で、このわしが酔うものか! 今宵はあの猿顔冠者の憎々しい物言いに腹を立てたわしがこれまでのあ奴に対する鬱憤をおぬしに思う存分ぶちまける所存でここに来たのだ、料簡りょうけん致せ、久太郎!!!』


『・・・これは これは・・・フフフ、承りました。ご存分にどうぞ、前田様』


『おうさ! それでこそ信長様が傍らで手塩にかけて鍛え上げた堀 久太郎じゃ!!』


 そこまで言うや利家は手酌で杯に酒を注ぐと、一瞬その杯をじっと見つめやがてゆっくりと口に含む・・・そして飲み干すや視線を落とし一転して冷静な口調で語り出す。


『うむ・・・棄丸君対して忠誠を誓ううんぬんという事だが、まあ、わしは秀吉との長屋暮らしの時代から続く家族ぐるみでの旧来のよしみや友誼、また奴から受けた恩や因縁もあり棄丸君に忠義を誓うのはやぶさかでないと思っておる・・・だが、信雄様や徳川殿は違う・・・あの二人は秀吉の力に屈服して無理やり奴に臣従しておるに過ぎないのだ・・・秀吉が生きておる間は豊臣家には服従してはおるが秀吉が居なくなればあの二人は必ず牙を向く、これは間違いない。現に以前、あの二人は秀吉にひれ伏すを良しとせず小牧長久手の戦いにおいて干戈を交えたのであるからな、特に信雄様にしてみれば秀吉なんぞ元をただせばほんの数年前までは自分の臣下だった男だ・・・信雄様の心中には複雑な思いが残っておるのは容易に想像できる・・』


『・・・左様でございますな・・・』


『豊臣政権下の二大有力大名の胸中でさえこんな具合だ、秀吉にしてはせっかく手に入れた一粒種の世継ぎ棄丸君の将来を考えその身を守るため、ひいては豊臣家を守るために奴は守りに入る事を決断した。奴のその心の面持ちが如実に表れたのが棄丸君が生まれて数か月も経たぬうちに出されたあの発布だ・・・』


『昨年九月一日付 一万石以上の大名の妻子は在京を命じる・・・でございすな?』


『ああ、そうだ。奴は諸大名から人質を取ることによって自分に対してでなく棄丸君へ対する謀反を防ごうと考えたためだ・・・数十万石の大大名だけでなく、わずか一万石の小大名だぞ! 気がしれんわ』


『・・・』


 『そんな小身の大名にでさえ謀反をさせないようにと心を砕いた秀吉はこの小田原征伐の際に北条氏を降すだけでなく天下統一という一大集成を狙っておること、おぬしも存じておるな?』


『はい、向背定かでない関東、奥州の諸大名達に傘下に加わるのであればこの小田原の地に参陣しろとのお達しにございました、参陣せねば討つと・・・』


『そうだ、あの伊達政宗でさえこの命令に従うやもしれぬと噂されておる・・・秀吉はな、この小田原の地で天下統一の礎を築き、それにともない豊臣家の将来へのため今後棄丸君に対する禍根を残さぬように一気にけりをつけるつもりだ・・・』


『私も・・・薄々はと感じておりました・・・』


『うむ。それでその禍根となる対象の二人についてだが・・・奴はこの戦の最中かもしくは終わった後に信雄様、徳川殿を試すつもりだ・・・』


『試す・・・?』


『おぬしも、噂を聞いておろうが? 徳川殿をこの地に転封させるということを?』


『聞き及んでおります・・・』


『秀吉は、徳川殿に血肉を分けた思い入れのある三河、遠江、駿河を捨てさせ領国こそ増えるが未開の関東のこの地に追いやろうとしておる。この命に承諾すれば徳川殿を京、大坂の地より遠ざけることができる、応じなければそれを口実に徳川殿を討つつもりだぞ!』


『・・・そうで、ありましょうな・・・』


『徳川殿の帰趨きすうによって転封先の変更はあるかもしれぬが、信雄様にも秀吉は同じように命じるとわしは確信しておる・・・これは、脅しぞ久太郎! 命に従うなら良し、従わぬなら討つ・・・とな』


『さりながら、前田様。信雄様の件はまだ耳にしておらぬ故、何とも申せませぬが徳川殿に件は信憑性が高いかと思われます。もしそれが事実なら徳川殿はこの地で苦渋の決断をされるやもしれませぬが・・・』


『フフフ・・・ハッハッハ・・・北条家と手を結び秀吉を討つか?』


『その噂、今ではまことしやかに囁かれておりますが、いかに?』


『それこそ、秀吉は望んでおる事ぞ。これで心置きなく徳川殿を討てるとな!』


『・・・危険な賭けにございますな・・・徳川殿の謀反意に信雄様が乗られたならいかが致す所存にござろうか? あまりにも危険過ぎる賭けかと考えますが・・・?』


『フッ、それも奴の中では織り込み済みよ! 逆に、一石二鳥だと喜んでおるわい』


『・・・』


『納得ゆかぬ・・・というような顔だな久太郎?』


『はい。北条家、徳川殿、信雄様が揃って殿下に対し刃を向けるとなればただ事で済みそうもありませぬ故に・・・』


『誘っておるのよ、秀吉の奴は』


『むっ⁉』


『久太郎よ、小田原城包囲の軍勢の陣構えを思い起こせ』


『陣構え・・・?』


『ここから、小田原城を挟んで海側に陣構えしておるのが徳川殿。そしてその徳川殿の右隣に陣を構えているのは誰だったかな・・・・』


『あっ!!』


『フッフッフ、そうじゃ信雄様だて・・・』


『奴は、そこまで見越して諸将の陣張り先を決めておったのだ・・・だからだぞ久太郎。あの笠懸山に巨大な石垣を運び込み関東では初めての大掛かりな石垣の巨城を急ぎ築城させておるのは。何も北条家に悟られぬように築城を隠れて急がせておるのではない・・・いや、無いとは言い切れぬが、むしろ本当の築城の目的は大規模な謀反の軍勢を含んだ北条家の逆襲に供えるがためぞ、北条家を驚かせてやろうというのはあ奴の稚戯でありおまけにすぎぬわ、カッカッカ・・・』


(そこまで、見越して築城並びに、陣張りの配置を・・・秀吉殿、あなたという方は・・・)


『言葉も出ぬか・・・わしも秀吉の口からその話しを聞いた時には開いた口が塞がらなかったからのう・・・あ奴はなあ、そこまで危険を冒しても豊臣家並びに棄丸君の行く末を案じ、守るためにこの戦をしておる。これは奴の【矜持】じゃ、天下人としての【矜持】だて・・・「やるなら、やってこい」 と、な・・・』


『天下人としての【矜持】・・・に、ございますか・・・』


『ああ、そうだ・・・。秀吉は胸中にそんな大きな懸念事を抱えながらも上辺では余裕のあるところを周りにはみせておった。妻女を呼んだり、市を建てるために商人達を上方から集め、あまっさえ将兵のために遊郭まで造らせる始末だ・・・だが内心では、あいつは己の心に迫る不安にさいなまれギリギリのところで辛うじて踏ん張っておったのであろう・・・そんな状態の秀吉に対し宗二殿は容赦なく諫言致したのかもしれぬ・・・秀吉はそこで抑えていた感情が激発してしまいあのような結末に至ったのかと・・・今、おぬしと話すうちにそう思えてきたわ・・・残念なことであった・・・』


『そのような仔細が・・・』


 考え込む堀を優しい視線で利家は暫し見つめていたが、一つ空咳をすると


『さて、秀吉に対するこれまでの鬱憤や、悪口を声を大にして放言する前にもう一つおぬしに話しておきたい事がある・・・』


 改まった表情で話しかける利家に対し堀は真摯に向き合う・・・


『何なりと、申されてください』


『秀吉が己が豊臣家や棄丸君の行く末に対し禍根を残すような者に対しこの地で排除する気組みである事は先程述べたばかりだが、大所おおどころの二人がそれでも秀吉の誘いに乗らず服従の道を選んだ場合その禍根は残ることになるな』


『いかにも・・・』


『奴は、自分がしてきた事を思い出しゾッとしておる・・・』


『それは、いかなる・・・?』


『おぬしが奴の近くでよく見知っておるように、あ奴は自身で幼君の為、幼君の御為と声高々にして自分の行いを正当化して織田家よりその権力をかっさらった事実だ・・・』


『むむ・・・そうでございましたな』


『奴は、自身がそうなった場合自分と同じように幼君棄丸君のためと称して天下を掠め取る人物が現れる事を我が身に振り返り非常に恐れておるのだ・・・』


『・・・』


『奴は考えた・・・もし自分亡き後、豊臣家や棄丸君行く末を頼める人物は誰か・・・と』


『・・・』


『わしが健在ならば、奴は間違いなく頼むであろうが何せわしも奴もほぼ同じ歳じゃ。そこで自分より年少の者で豊臣家の柱石になりうる人物がいるや・・・とな』


『・・・』


『豊臣家家中においては、秀長がおるが病身のため今後どれだけ時間があるか、心もとない・・・ならば他の大名格の家臣では誰がいるか・・・人望、実績を踏まえて考えてみれば・・・そうじゃ、おぬしよ久太郎、おぬしの顔を思い浮かべるまでそんなに時間はかからなかったと思う・・・』


『私めに、ございますか?』


『うむ・・・ここからは、あくまでもわしの想像だが奴はおぬしの存在を改めて顧みて驚愕したことと思うぞ久太郎よ』


『それは、如何なる事にございましょうか?』


『久太郎よ、おぬしは真の意味で秀吉に忠誠を誓っておったのか?』


『そ それは・・・』


『フフフ・・・それが答えだな、久太郎。わしが見ておってもお前の忠誠の対象は今の今でも亡き信長様の築いた織田家である・・・違うか?』


『・・・御賢察のほどを・・・お願い申し上げまする・・・』


『フフフ、まあよいわ。おぬしの忠義の対象は織田家の家燭である三法師様こと今の秀信様・・・この事実に秀吉は改めて気づき愕然とした事であろうよ、自分が死ねば堀久太郎は豊臣家並びに世継ぎである棄丸君に対し忠義を立て従う道理は一つも無いとな・・奴は気づいたのだよ小田原攻めの今、自分の身に何かあったならば最も警戒すべき男は・・・堀久太郎秀政、おぬしだ・・・とな』









 






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