第23話 海蔵寺での邂逅 堀 久太郎と柴田 源左 Scean20
「それがしを臣下に加えた羽柴様の動きは素早いものでござった・・・」
「うむ?」
「中川清秀殿、高山右近殿、筒井順慶殿に三法師様お迎えのための軍勢に合力を要請する傍らにてお三方より人質を受け入れる約束を取り付けたのです・・・織田家同僚たる私を臣下に加え、更には同じく同僚であるお三方から人質を取る・・・羽柴様はこの時点で己の野望を包み隠すことも
「ふむ・・・」
「摂津・大和に居城を持つ中川殿、高山殿、筒井殿からの協力を取り付け、山城国の背後を固めた羽柴様に対し柴田様は焦り感じられたのでございましょう、自分に断りもなく信雄様を新たな織田家の家督相続者と決めた羽柴様に対し𠮟責の使者でなくなんと講和の使者を北ノ庄より遣わせられたのです・・・」
「前田利家殿・・・にござるな」
「さようにございます。信雄様が織田家の家督相続者となり宿老である丹羽様、池田様、羽柴様が信雄様との間に主従関係を結び清洲会議の約定を反故にした事実を知った柴田様は下手をすれば織田家の中で謀反人とされる恐れを抱いたのでございましょうな、慌てて十一月になるや羽柴様と仲の良い朋輩である前田様を筆頭に金森長近殿、不破直光殿を講和の使者として山崎宝寺城に派遣され和睦の道を模索し何とか和睦関係に一旦は落ち着いたかのようですが・・・」
「うむ?」
「ところが和睦交渉が終わって幾ばくもなく私は佐和山にて領内の新たな仕置きについて頭を悩めていたところ突然羽柴様がわずかな供回りだけを連れ佐和山城を訪れられたのですよ・・・」
「ほう・・・」
「天守にて二人きりになった時に、羽柴様は私にこう告げられたのです」
『ふーむ・・・良い眺めであるな・・・佐和山の天守から眺める湖畔の美しさよ・・・長浜とはまた違った趣がある・・・。それとじゃ、この場から辺りを見渡してつくづく思い起こすのじゃよ・・・丹羽殿をここの城主として信長様が置かれた理由がよおく分かるのう・・・北は北国街道にのぞみ、東は中山道から岐阜に通じる・・・そしてあの安土城とは目と鼻の先の距離じゃ・・・いかに信長様が丹羽殿を
どれほど信頼しておったかこの場に立って改めて感じるわい・・・丹羽殿は、友であり、兄弟であると信長様は申されておったとも伺っておる・・・羨ましいものじゃて・・・』
『さようでございますな・・・』
『この地は、まさに要衝!! そなたが敵にまわらずに本当に良かったと思うぞ、カッカッカ!!!』
『いえ、それほどとは自身思いませぬが・・・』
『謙遜よな、フッフッフ・・・まあよい、さて本日突然来た理由の一つがこれじゃ』
秀吉は懐から書状を取り出すと堀にそれを差し出す。
その書状を預かり中身を確認する堀の表情が次第に驚愕していく様を秀吉は満足するようにその様を眺めている・・・
『こ これは!?』
『うむ、口頭だけの了承だけでなくこうして書状として
『ありがとうございまする・・・』
堀が押し抱くその書状の内容は、堀が羽柴の姓を受けるにあたって秀吉に突き付けた条件の二つに対しての受諾とする起請文であったのだ・・・。
その二つの条件とは
一つ、三法師様の御身、御命をすべからく御守りすること
二つ、慈徳院様の御身に危害をもたらさぬこと
この二つの条件をいずれかに
『よいよい、そなたの心情や覚悟のほどを
『恐悦至極にございます・・・』
堀は改めて目の前でサル顔をくしゃくしゃにして笑っている小男を凝視する・・・
(この方は・・・これが、人たらしと言われる所以か・・・)
堀は秀吉が自らとの約束事を口頭だけでなく起請文として明らかにし、更には自身が佐和山まで足を運び直接手渡すという誠意を示したことに感心する・・・
『うむ・・・それにしてもじゃ、守役であるそなたが三法師様の御身を案じるのは当然のこととして、慈徳院様のことも気に掛けておった事実には正直驚かされたのう。あのお方様は信長様のご側室であられ信忠様が敬愛して止まない乳母様であった。わしにとっても主筋にあたるお方じゃ、今後いかなる事態になろうと御身に危害など加えるつもりはない、たとえ近い将来滝川家と戦いになったとしてもじゃ!そなたが恐らく案じているような、人質に取るようなまねは決してせぬ!安心せよ・・・』
『誠にもって、感謝の言葉もございませぬ・・・』
『いや、よいよい。そなたと一益殿との関係を思えば心中穏やかなものざることも十分分かっておる・・・にもかかわらずわしが臣下となる決断をしたのじゃ、そのような重い決意を示したそこもとに対する誠意と思ってくれれば良い・・・そして、此度ここに参った理由の二つめであるが・・・』
そこで、秀吉は姿勢を正すと、慇懃に堀に頭を下げる
『久太郎殿、よくぞわが羽柴の姓を承けていただいた。感謝致す、この通りじゃ・・・』
『は 羽柴様! お顔を、上げてくだされ!!!』
秀吉は、堀の言葉に顔を上げると目元を潤ませながら言葉を選ぶ・・・
『もう、何年になるかのう・・・美濃茜部村で久太郎殿と知り合ってから・・・うむ、十四、五年になるか・・・そなたを知ってから自分の家臣にしたいと常日頃からずっと思っておったのじゃ、信長様の小姓衆に取り立てられたと聞いてもわしの心の奥底ではずっと・・・ずっと思っておったのじゃ・・・だが、信長様の家臣として功を上げ、織田家中において名声があがるそなたを家臣にするなど全くもって無理な相談じゃとあえて自分の気持ちに心の中で蓋をしておったのじゃ・・・が、信長様がお亡くなりなられ幸か不幸かそなたと一緒に同じゅう時間を過ごす機会が増えその気持ちを抑えることができなくなってしまったのじゃ・・・』
(羽柴様・・・)
『・・・わしは・・・敬わられてはおらぬ・・・』
『羽柴様?』
『分かっておるのじゃ、久太郎殿。そんな目をしてわしを気遣うことはないぞ、フフフ・・・』
『しかしながら・・・』
秀吉は、何とも言えぬ哀しそうな表情のまま堀の言葉を遮ると
『わかっておるのじゃ・・・同じ織田家中の同僚達はおろか最近会うことが多なった公卿衆・・・そしてわしの勢いに恐れをなして機嫌を取り懇意になろうとする寺社仏閣の者ども・・・この者たちの心の奥底ではすべからくこの成り上がり者めがとわしを軽蔑し疎んじておることを・・・』
『お言葉ながら、私はそのような』
『分かっておる、分かっておるぞ! 久太郎殿がわしを蔑むような心根でわしと接することがないことはな・・・されど、多くの者はそういった心根でわしを見ておるのは事実じゃ。まあ、今になって始まったことではないがのう・・・わしはなぁ、久太郎殿』
『はっ』
『出自からして、人から敬わられるような者ではないのじゃ・・・それこそ幼少の頃からは食うためには口に出せぬことも数え切れぬほどしでかしたものであった・・・それが信長様に拾われて人がましくなったとしてもこのようなガサツなあざとい性格じゃ、人から蔑まれてもしょうがないわい、カッカッカ・・・』
『・・・』
堀は自嘲気味に苦笑しながら告白する秀吉を黙ったまま見つめる・・・
『じゃが、悔いてはおらぬ! 人からどのように思われようがわしにはこのような生き方しか無かった!! 信長様の下で功を上げ、立身するためにはそのように振る舞うしか手段がなかったのじゃ!! 久太郎殿、よく見よ!! わしのこの矮小な体躯を!!! このなりでは戦場で兜首を挙げるような真似はできぬ! であれば頭を使って信長様に認められるようにする他は無い。智よ、知略ぞ、他の者が気づかぬところまで目を配りそれを信長様に進言し結果として信長様の益になるよう努める・・・これこそがわしの矜持であった・・・されど、口悪い朋輩衆達からは逆に
(そのような思いを・・・持ち続けられておったとは・・・)
『わしは、そなたが羨ましゅうてのう、久太郎殿』
『はっ?』
『そなた自身気づいておらぬやもしれぬが、そなたが醸し出す《かもしだす》品格、持って生まれ備わった人格とも言うべきか・・・下賤でガサツなわしと違って人から敬わられる存在じゃということにわしは妬ましいほど羨ましく感じておった・・・』
『はて、それは・・・?』
『わしとは違い織田家中において年長年少問わず同僚達がそなたを謗る言葉など全く無くむしろ敬意をもって接しておったことをわしは敏感に感じておった・・・無論そなたが信長様の近習であり御取次衆でありまた信長様の名代となって上使として遣わされるという立ち位置だったことも多分にあったと思うが・・・さりながら信長様がお亡くなりなられた昨今のそなたを顧みれば信長様ご在世のそなたの立ち位置だけの影響でなくそなた自身の持つ品格が同僚や朋輩衆達から敬われる要因となったのは明らかじゃ。例えば先月わしに見せたあの修理(柴田勝家)からのわしに対する弾劾状のことじゃて・・・』
『弾劾状・・・に、ござるか?』
『さようじゃ、あの己が織田家中において一番であるということを常に顔に出しておるあの傲岸不遜なあの男がなんじゃ、あの書状の内容は・・・そなたにわしがことを何とかしてくれといわんばかりの辞を低くした書状・・・恐れ入ったわい、あの同じ家中の者に対し常に上から目線のあの男がそなた宛に書状を送った事実にのう・・・』
『・・・』
『更にはその弾劾状の件より前の出来事にもそなたはわしを驚かせてくれたのじゃ、そうあの山崎での一件じゃよ・・・あの頼廉殿との会話の中そなたが本願寺において法衣の宰相とも称せられる下間頼廉殿だけでなくあの顕如殿からも戒名を頂くほど信を得ていたとは・・・まさか長年の宿敵ともいえる戦の相手からも敬意を表されておったとは全く思いも及ばぬ発見であった・・・そして極めつけはわしが小姓衆達がそなたに見せた憧憬の眼差しであった・・・紀之介、佐吉、正之助あ奴らは主であるわしにさえ向けたことのない屈託のない憧憬の眼差しや口調・・・それを見知ったわしは真剣にそなたへ嫉妬を覚えたほどであった・・・狭量ですまぬのう久太郎殿』
『いえ・・・』
『わしは、本当に羨ましゅう思った・・・敵味方関係なく敬われるそなたにな・・・そして改めて実感したのじゃよ、わしに無い魅力を持った人物、堀久太郎を是非とも我が臣下にしたいと・・・』
『・・・』
『そんな気持ちを思わず吐露してしまったのがあの山崎での一幕であった・・・あの当時、増上慢になっておったわしに理路整然とわしの非を述べながら、それであってもわしの言い分に耳を傾け充分に相手の考え意向を聞き終えた後、敢然とした態度でわしを詰問したそなたの態度・・・誰もがわしの機嫌を覗うてばかりの口上に溢れておったあの時期にそなたの取った態度は新鮮で清々しさを覚えたものじゃよ・・・』
『・・・』
『そして、思い知らされたのがそなたの殺気に当てられあの櫓の上で、少しちびってしまったことじゃて、あんなに怖い思いをしたのも久しぶりであったぞよ、久太郎殿、カッカッカ!!!』
『恐れ入ります・・・』
『趣きは、違うかもしれぬが心底怖いと思ったのは信長様から叱り付けられた以来かもしれぬ・・・わしみたいな横着者は時々怖い目を見なければ調子に乗りすぎ周りが見えなくなるというのが実感じゃった・・・そこで改めて久太郎殿に申しておきたいことがある・・・』
『いかなることでございましょうか?』
『わしは、どうやら信長様がお亡くなられてからというものどうやら“たがが外れた”ようでな、我意を通そうとするばかりで周りどころか足元さえも見失っていた事にそなたとの話の中で気づかされたのじゃよ。わしのような者にはきちっと叱りつけて、諫言してくれる者が必要だとな!』
『・・・その役を、私にせよと・・・』
『うむ。どうかのう、請けてはくれぬか?』
『さりながら、御家中には蜂須賀殿、黒田殿、ましては御実弟であられる秀長殿もおられるのでは・・・?』
『いやさ、あ奴らがおってわしの今のざまじゃ。確かに小六とは付き合いも長くわしに歯に衣をつけずにぞんざいな口もきくし家中に睨みもきく・・・官兵衛なんぞはわしよりも知略があり他人の心情を
『・・・』
『わしは、そなたに山崎で詰問され挙句の果てそなたから命を奪われるやもしれぬといった恐怖を感じて以来何が今の自分に足りぬのかを真剣に考えた・・・そこで思い浮かんだのが半兵衛の姿であった・・・』
『竹中様の・・・』
堀は美濃産の織田家家臣団において半伝説化している人物の名をつぶやく・・・
『うむ。半兵衛はわしに対し常に同格の立場でものを申す男であった。あ奴はわしが判断に困った時にも大所、高所からの視点で理路整然とわしにこうあるべきだと意見を具申してくれておったのじゃよ・・・まあ、わしもあ奴も信長様の下では同じ一家臣という対等な立場であったというのもその要因ではあったのだがのう・・・今思うてもあ奴の助言でどれほどわしは助けられたことか・・・助けられたといえば、その最たるものがあの松寿がことよ・・・久太郎殿も松寿が一件、確か御取次役ではなかったか?』
『松寿?・・・松寿丸殿、黒田官兵衛殿の御嫡男であられる長政殿の件にございますな?』
『うむ、その松寿をわしは信長様より殺せと命じられたのじゃ・・・そなたも存じておろうが、あの当時荒木村重が謀反を起こしそれを止めるよう説得に向かった官兵衛が有岡城に捕らわれの身になり帰ってこなんだがために信長様は官兵衛が裏切ったと判断され人質となっておった正寿をわしに殺せと命じられた一件じゃ・・・』
『存じております・・・』
『半兵衛は、信長様の命と官兵衛に対する慚愧の念に板挟みになって途方に暮れておったわしにサラリと私が処理しておきますのでと言い残すとわしが何か言おうとするや、それ以上は言わぬがよろしいとばかりに黙ったまま首を振るや散歩に向かうような足取りで岐阜に旅立った・・・あの後ろ姿・・・今でもよう憶えておる・・・。あの男には
『・・・』
『わしが信長様の命には逆らえぬが、されど官兵衛が裏切ったとも思えぬゆえにその人質である松寿を殺すことに逡巡する様を見て半兵衛は自らの一存でこの件を処理しようとしたのじゃ・・・その後の顛末はそなたも存じておろう?』
『はっ、竹中様は正寿丸殿の首と偽って別人の首を上様に差し出し、正寿丸殿を自分の領内にて
『その通りじゃ。のう久太郎殿、あの男はあの信長様を、あの上様を堂々と欺いたのだぞ!! 織田家の家臣としてあの信長様を目の前にして、出来得ることか!? いくら横着なわしでも信長様の目の前でそんな真似をしようとすれば必ず気取らればれるわ!! そうは、思わぬか!?』
『はっ、さようかと・・・』
『
『いかにも・・・』
『・・・それから一年以上後に官兵衛が見るも無残な状態で有岡城から救出された時に松寿がことを思い出し慌てたわしや、信長様は半兵衛が正寿を生かしておった事実を知り安堵したものであった・・・もうその時には半兵衛はこの世にいなかったのじゃがな・・・わしや、信長様は半兵衛に救われたのじゃよ、松寿が生きておったことで辛うじて官兵衛に対し顔向けができた・・・死して尚、生ける者を助く・・・』
『死して尚、生ける者を助く・・・』
『うむ、半兵衛めにしか出来ぬ生き様よな・・・わしは、それからもこの件の事が気になってのう、ある日半兵衛から松寿を匿って面倒を見ろと命じられた奴の家臣と話しをする機会を得た。その家臣の名は不破矢足といい、かの者に何ゆえに半兵衛はあれほど危ない橋を渡るような事をしたのか何か聞いておらぬかと問うたところ、かの不破も主である半兵衛を諫めたらしいのじゃ、上様にこの事実が露見すればどれほどのお咎めを受けるかとな・・・そして何ゆえにそこまでして松寿丸殿をお助けするのかと問い質したところ半兵衛はこう申したそうじゃ・・・』
「この世で得難い語り相手と巡り会えた・・・そのような相手が辛く悲しむ顔をわしは見とうないのでな、フフフ・・・」
『それがために・・・!?』
『そなたが、驚くのも無理はない。半兵衛の理由を聞いてわしでさえ、驚き、あきれたわい・・・じゃが・・・見事な理由である。羨ましく、そして嫉妬するほど見事な生き様である・・・欲得にまみれたわしには出来ぬ生き方よな。あ奴には敵わぬと何度も感じ入ったわい・・・』
『・・・』
『うん!? ああ、こりゃすまぬ。話が逸れてしまったが半兵衛のことを話題にした理由であるが、そなたには、わしに対しあくまでも対等の意識を持ってこれからも接してもらいたいと願うとるのじゃよ・・・』
『・・・私には竹中様ように振る舞うことなど出来ぬと存じますが・・・』
『いやさ、何も久太郎殿に半兵衛になれとは申しておらぬ。家臣となった関係には成ったとはいえこれまで通りそなたが感ずることをわしに対し意見具申してもらいたいということじゃ・・・どうかな・・・?』
『・・・』
秀吉は己の言葉に戸惑う堀の表情を見て、堀を励ますように言葉を続ける・・・
『久太郎殿、そなたは半兵衛に劣らず大所、高所の目線で物事の本質を見極める力量があるのじゃよこれは確かじゃ。更に付け加えれば半兵衛に無い強さを持っておるではないか?』
『竹中様に無い強さを?・・・私が・・・で、ございますか?』
秀吉は、にっこりと笑顔を見せると
『ああ、そうじゃ。そなたは、自分の守るべきものが侵されそうになれば敢然と立ち向かう気組みをわしに見せたではないか!!』
『⁉』
『気づいてくれたか? カッカッカ・・・。半兵衛には、わしに牙を向けるような意識は全く無かった。むしろそんな面倒は御免じゃと言わんばかりであったからのう。あ奴が生きておればこう申すであろうよ、
(そのような事は、私にとって余事につき・・・)
とな、クックック・・・カッカッカ・・・』
『羽柴様・・・』
『わしもそなたから牙を向けられぬよう今後意識はするが、何分こんな性格であるからのう、とんと失念してそなたの機嫌を損ねることが多々あるやもしれぬ。が、その時はわしの目を覚ます意味もあって存分にかかってこられれよ、よいな、久太郎殿これもわしからのお願いじゃて。まぁ、なんじゃ。またちびらされるのも御免じゃがのう、カッカッカ!!!』
(このお方は・・・)
堀は、目の前で大口を開け哄笑する秀吉の姿を改めて注視するのだった・・・
(なんという人物であろうか・・・この男は・・・)
『そこでじゃ・・・のう、久太郎殿。改めて臣下の契りをわしはそこもとと契ったと感じておるのだが、どうじゃのう?』
『はっ、仰せのごとくかとそれがしも思いまするが』
『な ならばじゃ・・・そ その、なんじゃ・・・』
不意に視線を泳がせ、挙動が不自然になった秀吉を堀は訝しげに見つめると
『羽柴様?』
『・・・うむ・・・その その羽柴様という呼び方なんじゃが・・・』
『はっ?』
秀吉は、
『・・・と 殿と・・・改めて殿と・・・呼んではくれまいか・・・』
堀は、一瞬戸惑いを見せたが、やがて少し破顔しながら慇懃に答える。
『 “”殿“” 改めてはでございますが、今後とも宜しくお願い申しあげまする』
その後暫くの間、秀吉は堀に殿と呼ばれたことがよっぽど嬉しかったのであろう、堀の前で俯いたままその小さな体を小刻みに震わせながら感涙に耽るのであったがやがて顔を上げ涙を拭うと、一つ空咳をし、堀に告げる・・・
『さて久殿、来月になったらすぐにこの城を借りることになる。そのための準備をお願いしようと参った次第じゃ、この意味は分かるな?』
『・・・やはり兵を挙げられるのでございますな・・・?』
秀吉は、そう問うた堀の表情に影が落ちるのを見逃さなかった。
『・・・うむ、そうじゃ。そなたにしてみれば思う所はあろうがここに至って仕方なき状況に相成った・・・』
『されど、去る二日に柴田様との間に和睦を結ばれたと伺いもうしましたが・・・』
『あれは、あくまでも修理めが持ち掛けたかりそめ、上辺だけの和睦よ。なぜならその証拠にあ奴は和睦を結ぼうとしている傍らで毛利、長宗我部、紀州雑賀、更には将軍足利義昭公そしてあの徳川殿にまで同盟依頼の書状を使者に遣わしておった・・・』
『それは、まことにござるか?』
『ああ、間違うことない事実じゃ。わしはなぁ、久太郎殿。あ奴のことを見くびっておったやもしれぬ・・・ただの戦場での猪武者だばかり思っておったが
『・・・知りませんでした・・・柴田様がそのような事実を・・・』
『うむそういう次第であるからにして兵を挙げるに至ったのじゃ。修理めのこの企てを知った信雄様をはじめ、あれほど挙兵には参加せぬと申されておった丹羽殿、池田殿も此度の挙兵に助勢していただくいただくことに相成った。何ぶん大軍となる予定である。この佐和山の城を拠点とするので面倒を掛けるが万端宜しく準備のほどお願い致すぞ』
『の 信雄様に 丹羽殿、池田殿も・・・はっ、してどれぐらいの滞在になるのやお教えいただければと・・・?』
『ふむ・・・長くともひと月は掛からぬと思うておる』
「承りました・・・』
『うむ、それとじゃ。和睦と言いながら陰でこそこそと企てをしておった修理めに堂々とケンカを売ろうと思うてな、フフフ・・・』
『柴田様にケンカを売る・・・?』
秀吉は、そう堀に告げるや北国街道を望むと、
『長浜を取り返す所存じゃ・・・』
『長浜を?』
『うむ。修理めの勢力下にあるあの長浜を我が手に取り返すつもりである・・・』
『現長浜城主は柴田様御世嗣の柴田勝豊殿でございますが、勝豊殿をお討ちあそばれますや・・・?』
『いやいや、討たぬよ。カッカッカ・・・勝豊殿をこちらに引き入れるのじゃよ』
『調略にござるか?』
『うむ、そこでじゃが紀之介、参れ!』
『はっ!』
秀吉は階下に声を掛けると、ミシミシと階段を上る音を立てて堀が見知った顔の若武者が姿を現す。
『堀様、一別以来にございます』
満面に笑みを浮かべた大谷吉継が堀に挨拶をする・・・
『大谷殿・・・』
『この紀之介を長浜の調略に当たらすことにしたのじゃ』
『大役にござるな、大谷殿』
『はい、いささか不安にも思っております・・・が、堀様のお側近くでお役を任された事に法外な喜びを感じているのも事実でございます』
『そこで久太郎殿、この紀之介の面倒も見てはくれぬか?』
『大谷殿の!?』
『紀之介や、道中にても話しておいたがそなたの役目はわしが大挙兵をこの地に率いるまでの間に勝豊殿を我が方へ
『はっ、承知仕りました。堀様の仰せに従いまする!』
『という事である。久太郎殿、よろしいかな? 何ぶん長浜と山崎までは距離が離れておるのでな、近々の判断を下さなければならぬ事態に遭遇した場合に時間が掛かっては紀之介の仕事にも不都合が生じ易くなってしまうのでな』
『・・・私めの判断で、よろしゅうございますか?』
『無論のことじゃて! そなたに任せておけば間違いはない!!』
『承知仕りました』
『堀様、宜しくお願い致します!』
『大谷殿こちらこそ、宜しくお願い致す。こちらに滞在中は何か要望があれば何なりと申されるがよい』
『はっ、かたじけなきお言葉にございます。では、早速お言葉に甘えさせてもらいお願いしたき儀があります』
『如何なることで、ござろうか?』
『また、堀様のお時間が許す範囲でそれがしとお話しする機会を設けてはくれないでしょうか?色々とお尋ねしたいことも多々ございます故に・・・』
『よろしゅうござるよ』
『それと、今ひとつお願いしたい儀が・・・』
恐縮しながらも願い事を言おうとする紀之介の姿を微笑ましく思った堀は
『フフフ・・・どうぞ申されよ』
『け 決してご迷惑はお掛け致しませんので、堀様の執務中のご様子を遠目で伺ってもよろしゅうございましょうか?』
『ん? それがしの執務中の姿を・・・? そのような事であればいつでも。
『はっ! ありがたき幸せにございます!!』
『のう、紀之介! そちが久太郎殿との時間を楽しみにしておるのは分かるが、決して自分の役目を忘るるまいぞ、よいな! それとあまり久太郎殿のお邪魔はせぬように』
『はっ、当然にございまする!!』
『分かっておればよい。では、そなたは下がっておれ。わしは久太郎殿と二人で話しがあるのでな』
『はっ! 堀様、また後ほど・・・』
秀吉と自分にお辞儀をし、しずしずと階下に下がる吉継の姿を見送ると堀は秀吉に語りかける・・・
『良き若武者でござりますな大谷殿は』
『うむ、そうかのう・・・あの紀之介の母親が我が奥の縁者であってのう、そういうこともあってついついあ奴を甘やかしておるやもしれぬのじゃが・・・』
『おね殿の、御縁者でございましたか?』
『うむ。才気豊かで将来有望ではあるが、いずれにしてもまだ世間知らずの若輩者であるからのう・・・久太郎殿、せっかくの機会だ紀之介を宜しく指導のほどお願いするぞい・・・』
『はっ、心得もうした・・・』
『さて、まあ長浜の件は最終的にわしが大兵を佐和山に率いて長浜城を威圧すればさほど難しくなることはないと思うておる。むしろ長浜をこちらに調略した後のことをそなたと打ち合わせをしておきたい』
『はっ・・・』
『長浜を我が手に取り戻した後もわしはここ佐和山に兵を留め辺りを
そこで秀吉は真剣みを帯びた目で堀に告げる・・・
『いずれにしても、修理との戦いにおいて最先鋒を務めるのは・・・そなたじゃ』
『!⁉』
『この意味は、聡いそなたなら十分に理解してくれるものと思っておる・・・』
堀は秀吉の謎かけに、一つ頷くのであった・・・
『うむ・・・さすが久太郎殿じゃ。言いたくはないが・・・』
秀吉は苦虫を嚙み潰したような苦笑を浮かべ
『修理めは・・・あ奴、柴田権六勝家は強い!!』
『・・・』
『平地の戦場であ奴と対峙したならばと思うと、正直、ぞっとするわい・・・クックック・・・それこそ身の毛がよだつだろうて・・・』
『・・・同感にござる・・・』
『織田家家中の法として戦場での先鋒の役はその戦場に近い所領を持つ者とされておる・・・が、しかしその御定法に
『いいえ、過分な御期待にそえるよう努力致しますが・・・さりながら私より戦巧者であられる中川殿、高山殿もいらっしゃるかと・・・?』
『確かに、あの両名は戦場での熟練達者には違いない、が、しょせん摂津衆であるのだ。自分達の所領の近くであれば思うこともあるであろうが、土地勘もなく縁も薄いこの近江の地でどれほど戦意があるか・・・それを思えば自らの所領が近いそなたの方が適任であろう・・・?』
『・・・、承りました』
『そうか、そうか納得してくれたか・・・あの柴田からの恐怖感を抑えるための準備、強固な防御陣の構築のための資材及び金銭は全てわしが持つ・・・それが大将の務めであるからのう、全力を尽くすこと・・・約束しよう、久太郎殿。重ねて言う、あの柴田相手に戦を強いる側の人間の務めである・・・了承してくれるか?』
『はっ』
(・・・いざ、戦となれば孤軍になるやもしれぬな・・・)
堀はその時、内心で憂慮していたのだ・・・
そんな堀の胸中を知ってか知らずか、秀吉は声を励ますように話題を変える。
『さて、修理めの話しはこれで置き、わしとそなたの一大目的である三法師様を無事にお迎えする儀であるが・・・』
『はい』
『事は迅速にあたらなければならぬ・・・それも信孝様が籠城など出来ぬほどの速さで我らは岐阜城にたどり着かなくてはならぬ。信孝様が三法師様を人質にするような状況には決してさせてはならぬ・・・この点はわしと久太郎殿と思惑は一致ということでよかろうな?』
『はっ、その通りにござる』
『ならば、そのためにはいかが致すかであるかじゃが・・・もうそなたなら腹案を考えておるであろう・・・?』
『・・・ここ佐和山から中山道を東に向かい関ケ原から大垣を経由し岐阜までに至る道沿いに所領を持つ信孝様に付けられた西美濃の与力衆達をいかに致すか・・・この与力衆達が我らの進軍を妨げ抵抗されると迅速に岐阜城までにたどり着けぬ仕儀となります。さすれば、この与力衆達が我らが進軍を妨げぬよう事前に承諾を得るか、もしくは我が陣営に与するよう調略する事が肝要かと愚考致しまするが・・・』
『クックック・・・カッカッカ・・・。さすがじゃのう、久太郎殿。まさにその事が一番の肝じゃ。西美濃衆達の抵抗に会い、進軍が滞れば信孝様は旗下の他の美濃の与力衆達を糾合して野戦から籠城戦に持ち込むのは必定。さればこのような状況は絶対に避けなければならぬ・・・となれば西美濃の街道沿いに蟠踞する勢力に対する地ならしから調略というわけであるが・・・あの地には “うるさい” 人物が二人おったか・・・』
『はっ・・・』
秀吉は、苦い顔をしてつぶやく・・・
『曽根城主、稲葉良通・・・大垣城主、氏家直昌・・・。特にあの曽根城主である頑固者の稲葉一鉄殿はなかなか難しい人物ぞ・・・あの信長様に対しても自分が正しいと思えば己の主張を曲げなかったほどの頑固者じゃて・・・あの御仁は【利】では釣れぬぞ、我らに非があると判断すれば兵の大少関係無く我らの前に立ち塞がってくるのは目に見えておる・・・。久太郎殿にはあの御仁を落とす手立てがあるのか?』
『稲葉様とは、同じ西美濃衆として私は以前から懇意にさせていただいておりました。此度、この佐和山の城主となってからも岐阜表に参る時は行き帰りの途中どちらかで曽根に立ち寄らさせてもらっております。そういった経緯もありまして我らの行動に対し私が【理】を持ってお話しすれば御納得していただけるかと、また氏家殿は、西美濃三人衆と呼ばれた中で一番の年長者である稲葉様が私どもに応じてくれていると話しをすれば得心していただけるとそれがしは考えておりますが・・・』
『ほお・・・』
秀吉は何か感じるものがったのか、涼やかに答える堀の顔をじっと見つめる・・・
『のう、久太郎殿。例えばじゃ、信孝様の与力衆達である他の美濃衆等にもそなたが声を掛ければ挙兵した我らに敵対はせずとも中立は守ってくれる者が多いのかのう?』
『はて・・・皆が皆とは申せませぬが、ただ言えるのは今の信孝様旗下の美濃衆の方々はつい最近までは中将(信忠)様の与力衆でございます・・・新しく岐阜の御領主になったばかりの信孝様にどれほど信を置いておるかは・・・これは口が過ぎましたな、どうか御推察を・・・』
『・・・ふぅ~む・・・岐阜城をはだかにしてしまうか・・・。改めてそなたを臣下に加えたことの意味の大きさを痛感させられたわい・・・うむ、改めて念を押すが、肝心の一鉄殿は大丈夫なのだな?』
『・・・絶対とは申せませぬが、恐らくは・・・大丈夫かと』
『そなたがそこまで申すのであれば、まあ間違いはなかろう・・・されどあの頑固一鉄殿があの独立の気風を強く持つあの御仁が、同じ西美濃産というだけでなくそなたが
堀はそこで少し間を置くと、決断したかのように秀吉に答える。
『この佐和山に居を構えてからですが、実はある訴状の件で稲葉殿からかなりお褒めと感謝の言葉を頂戴致す機会がございまして、その時にそなたが困った事が何かあればわしは何をさておいてそなたへの助力は惜しまぬ、との温かくも心強いお言葉も頂いたのでございます・・・』
『ふむ、この地に居を構えてからというにはまだ最近の話しじゃな。して、その訴状についてそなたが一鉄殿に便宜を挟んでその結果感謝されたということかのう?』
『便宜を挟む・・・そこまではしておりませんが、その訴状の取次を上様から命じられておりまして結果として稲葉様の意に沿う御沙汰が上様より下されたのが実情にござる』
『謙遜よな、そなたは。まあそれはよいとして、その訴状とはいかなる案件であったのじゃ? 信長様直々の御沙汰が下されたというのが気になる』
『・・・』
『うん?』
言いよどむ、堀に秀吉は不安げに眉をひそめる・・・
『・・・その訴状は、稲葉様が上様に直訴なされた案件にございました・・・』
『の 信長様に直訴じゃと!! それは、穏やかでないのう、で、その内容は?』
『・・・那波 直治殿の出奔についてでございました・・・』
『那波・・・確か、稲葉殿の重臣、和泉守と称して
『その出奔の手引きをしたのが、斎藤利三殿・・・この件が発覚したのが事の次第を大きくし稲葉殿が上様に直訴に及んだ理由にございました・・・』
『内蔵助(斎藤利三)が、手引きじゃと! それは、まずいじゃろ!!!』
『仰せの通りかと・・・』
『内蔵助自身が一鉄殿の下から明智めへ鞍替えした時にも明智家と稲葉家両家の間に不穏な空気が漂い、それを仲裁した信長様もえらい目に合うたではないか・・・何とか信長様が一鉄殿をなだめて事なきを得たというのに、また懲りずに内蔵助が一鉄殿の家臣を引き抜く手引きをしたとは・・・この件、光秀は知っておったのか?』
『知らないほうが・・・おかしいとそれがしは思いますが・・・』
『そりゃ、そうじゃ! 内蔵助が主の光秀の許可を得ず他家、それも因縁の稲葉家から重臣を引き抜くことを知らされぬことなどありえん!!』
『はい・・・』
『して、その御沙汰はいかがなものになったのじゃ?』
『上様の御下知に従い稲葉家の家督を継いだ貞通殿に私が御沙汰の書状を送ったのですが、その内容は那波殿は稲葉家に帰参を命じる・・・というものでございました』
『ふむ。一鉄殿の勝ちか・・・それで明智めにはその御沙汰の報告は?』
『同日に、それがしから明智殿のもとへ上様の御沙汰を御上意として使者を遣わしました・・・上様からそれがしへの下知は、那波殿の明智家参入は認めぬ。更には明智殿、斎藤殿の対応によっては重大な仕置きを命じる、とのことでございました・・』
『・・・重大な仕置きとは・・・?』
『・・・斎藤利三殿に、切腹申し付けるものなり・・・と』
『なっ⁉ せっ 切腹じゃと!!!』
『・・・』
『そ、それを、そなたが書状を送ったのはいつの日のことじゃ?』
『今年、五月二十七日のことにございまする・・・』
『五月二十七日じゃと⁈ 光秀が謀反の直前ではないか!!!』
チリィ~ン~~~ チリチリィ~ンン~~~~
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