僕が僕だった日々は遠ざかり、だんだんと僕は僕でなくなってゆく

@TearsThatAreBlue

僕が僕だった日々は遠ざかり、だんだんと僕は僕でなくなってゆく

 歩道橋に手をついて、僕は目的も無く雑踏を眺めていた。午後八時半。人通りが多い。

 せわしない街の中で立ち止まっているのは、僕と『ビッグチャレンジ』を売っているおっさんだけだった。かたや制服、かたや赤の蛍光色。どちらもこの場における「異物」だった。

 『ビッグチャレンジ』が何であるか知っているだろうか。主に社会問題を扱う雑誌で、街角で販売員の手によって売られる。販売員はホームレスであり、雑誌が売れると、その売り上げの多くが販売員のものになる。公式ホームページ曰く、"チャリティではなく、チャンスを提供する事業"とのこと。

 僕はかなり前からここにいるが、『ビッグチャレンジ』は全く売れていなかった。だから僕は一冊それを買ってやりたかった。それでおっさんに「世の中捨てたもんじゃないぜ」と伝えたかった。しかし、あいにく持ち合わせが無かった。

 だから、世の中なんて捨てたもんだ、と思う


 昨日は始業式だった。桜舞う学び舎の下、何かが始まった気がした。だから今日、恋い慕う君に告白をした。ふられた。桜散る学び舎の下、何かが終わった気がした。

 勘違いしてしまうじゃないか、僕は馬鹿だから


 告白前日――つまり昨日――僕は君に「明日公園に来てほしい」と伝えた。君は「しょうがないなあ」と返した。

 だから僕は翌朝、君と一緒に食べるためのクロワッサンを気兼ね無く買えた


 僕は君の気をひくために、誕生日など節目にプレゼントを贈ることを忘れなかった。確実に僕の好意は勘付かれていた。

「私のことかわいいと思う?」

「かわいいと思うよ、普通に」

「どれくらい?」

「そこら辺の猫程度には」

「ふうん」「ねえ」「もう一度かわいいって言ってみてよ」

「はいはい」「『かわいい』」

 だから、プレゼントを買うときに、いつも頭によぎることがあった。

 どうせいい金づるだとか思ってるんでしょ

 別にそれでもいいんだけど

 モノだって愛だって、君の前では安いもんだ


「好きです。付き合ってください」

「ごめんなさい」

「……こちらこそ、ごめんなさい」

「友達としてなら付き合いたいんだけどね」

「ごめん」「とりあえず、クロワッサンだけ渡しておくね」

「わざわざ買ってくれたの」

「うん」

「……おバカさん」「いい人なんだからさ、私みたいなのに騙されてちゃだめだよ」

 騙されてなんかないよ

 騙されたけど、騙されてないんだ


 僕は君のことになると判断が狂ってしまう。君と夜遅くLINEをして、あの返信は良かったのだろうかなどと考えて眼が冴えてしまって、翌朝寝坊して学校に遅れてしまったときには自分で自分に驚いた。君と他の男が仲睦ましげに喋っているのを見た後、数学の問題で全然計算が合わなくて、思わず「なんっでこんなのもできないんだよ!」と叫んで教室が静まり返ったのは忘れられない。

 そんなんだから「しょうがないなあ」も良いふうに解釈してしまったのだ

 「しょうがないなあ」はその言葉通り「しかたないから面倒くさいけどついていってあげるよ」だったのだ

 馬鹿者


 歩道橋は意外と高さがあって、落ちたら打ちどころ次第で死んでしまいそうだ。

 だから僕はそこから飛び降りた。

 数えたら二秒も無かっただろう。けれどもその時間は永遠にも思えるほど長かった。

 僕はそれを確認してから顔を上げ、その場に背を向けて歩き始めた。

 さようなら

 『ビッグチャレンジ』のおっさんが遠ざかる。きっともう彼に気を留めることも無いのだろう。

 でも、それも僕だったよ

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