信号機

江戸端 禧丞

交差点


 それが起こったのは昨日のことだ、あと数日で夏休みに突入するとあって、子どもたちは浮かれて長い休みを楽しみにしていた。

 

 ひぐらしが鳴く時間帯に学校から帰る少年にとっては馴染みの通学路を急ぎ気味に大きな歩幅で進んでいた、このいつもの道の途中に交差点と横断歩道がある。その横断歩道の中頃で、車に轢かれたであろう猫の死骸を視界に入れた少年は、後ろからやって来た人物の着ているスーツが汚れることなど気にもせずその死骸を抱き上げるのを見て、何も言えずに頭だけ下げてその場から逃げるように走って一旦振り返り、また走って帰宅した。眠れたものではなかった、あの時に見たスーツ姿の男性が、死骸を胸にして柔らかな笑みを浮かべていたから。


 あの異様な光景が記憶に刻まれて、夢にまで見たほどだ───。


 翌朝の8時過ぎ、中学生の黒田くろだ 裕樹ゆうきは母が作った朝食をゆっくりと味わいながら食べていた。ダイニングキッチンに置いてあるテレビから、よく聞く交通事故の情報が流れはじめ、皿洗いをしている母が溜息と共に眉尻を下げて心配そうな表情で息子に向かって口を開いた。


「最近、嫌な事故が多いわねぇ……アナタも気をつけなさいよー?」


「分かってるよ」


 いつも言われている、言い聞かせられ毎日の通学路でも信号機の色、通行車両の有無をきちんと前後左右確認してから渡る少年になった。今日も、普段通り道々で確認をしながら学校に向かっていた。もう少しで学校に辿り着くというところで、一瞬ひどい眩暈に襲われ横断歩道上で膝から崩れ落ち、後ろを歩いていた人に肩を軽く叩かれて無事を確認された。振り返るとピシッとスーツを着こなしているその人物は、昨日の男性だった。なにか自分と縁でもあるのかと思いつつ、困り顔で礼を言ってゆっくり立ち上がると身体の不調などはなかった、彼自身は健康優良児だ、こんなことは今まで一度も無かったというのに…。


 不思議に思いながらも顔を上げて横断歩道を渡り切ると、なにかとは言えない違和感に襲われ後ろを振り返ってみた、が、何もなかった。近頃、自分の学校では街に棲みついているが怪奇現象を起こしていると噂になっており、それを思い出した裕樹自身もいま不気味なと遭遇したような気がしてサッと血の気が引いたのを感じていた。


「──なんだ…?」


 無事に学校に着いたは良いが、何やら心配そうに幼馴染みの真木まぎ 拓哉たくや赤坂あかさか 秀一しゅういちが裕樹の机までやってきた。


「おい、お前大丈夫か?」


「えっ…何だよ急に…」


「顔だよ顔っ!真っ青じゃん、なんかあったの?」


「パッと見で心配になるぐらいには青白いぞ」


 そう言われ、裕樹はペタペタと自分の顔に手を当ててみた、たしかに妙に冷たい、手の平でそう感じ取れるくらいには。小首を傾げて原因を考えていると一つだけ思い当たるモノがあった、通学途中の横断歩道で酷い眩暈に襲われたことだ。


「そういえば、来る途中でヒドい眩暈がしたな。いま何ともないんだけど」


「…それなら良いが─」


「あっ!!ねぇねぇ!明日から夏休みだし、ウチの街の七不思議体験ツアーやっちゃおうよ!」


「……は?」


「拓、あんまり騒ぐなって」


「えー…良いじゃーん!裕も体調大丈夫って言ってるし!ねっ!ねっ!!」


 真木 拓哉は、好奇心旺盛で興味を惹かれたものなら何でもやってみたがる。三人のなかで一番のお調子者で、恐れるということを知らない。赤坂 秀一はクラスの委員長だけあって文武両道、密かに彼を慕っている子も多い。少し頭は堅いが、面倒見もよく裕樹のことも見ていてくれるし拓哉の世話も焼く兄貴分のような存在だ。いまも駄々をこねる拓哉の姿に溜息を吐きながら、裕樹の反応をうかがっている。


 そして拓哉のこういったワガママは大概、裕樹の優しさと秀一の諦めで受け入れられてしまう。今回もいつも通り二人が折れて、結局明日の午後に集合することになった。終業式が終わると、三人はまた明日も会うというのに元気に学校近くの広い公園に入っていき、設置されているアスレチックで遊び始めた。しばらく三人で遊んでから裕樹が腕時計を見ると、もう黒田家の門限が迫っていた。


「拓っ!秀っ!門限近いから俺帰るわー、また明日なっ!」


 少し離れた場所にいる二人に声をかけてリュックを背負い、手を振り合いながら公園を後にすると、すぐ近くの交差点にある横断歩道がちょうど青信号になったので、裕樹はいつも通り前後左右を確認しながら道路を渡った。すると、最近よく聞く声が後ろから投げ掛けられた。誰のことかと思いながら、キョロキョロ周りを見てみたが、自分以外にはスーツ姿の男性一人しかいなかった。


「こんにちは、ここ何日かよく会うね。体調はどうだい?あー…キミだよ、青いリュックの──」


 そこまで聞いて、ようやく自分のことだと気づいて立ち止まり後ろを振り返った。案の定、視線をやったその先には今朝も声を掛けてくれた男性がいた。


「ぁ…こんにちは、今朝はありがとうございました」


 全身が黒一色の彼はとても赤い唇と真っ白な肌が特徴的に見える、裕樹が改めて礼の言葉を口にすると男性は柔らかな笑みを浮かべ、片手をヒラヒラと横に振りながら言う。


「良いんだよ、あぁ…引き止めちゃってゴメンね?もうすぐ信号も点滅するだろうから、気を付けて」


「あっ!はいっ」


 裕樹は一つ礼をしてから、また前後左右を確認すると、我が家に向かって駆けていく。部活動に入っていない黒田家の門限はすこし早い午後五時なので、たまにこうして走って帰ることがある。ちなみに、秀一と拓哉は美術部の幽霊部員だ。少年が自宅に帰り着いたのは午後五時ピッタリ、ずーっと走りっぱなしで疲れた彼は靴を脱いで揃えると、リュックを背負ったまま着替えもせず冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぎ、勢いよくがぶ飲みしていた。すると、カウンターキッチンから見えるテレビニュースで、スーツ姿の男性と裕樹が交差点で鉢合わせしたすぐあとに、あの場所でなにか事件が起こったらしいことが速報で流れていた。


 交通事故だった、この地区にある大学の四年生が帰り道に自動車で轢き逃げされたという。そう事故が多い交差点ではないし見通しの良い場所だ、なぜ轢き逃げなどが起こったのか疑問視されている。裕樹も同じ気持ちだった、眉間に皺を寄せて唸っていると、また母親から心配する声が向けられた。


「本当に気を付けなさいね…」


「分かってるよ」


 世の中には不可思議なことが山ほどある、誰がなんの為に…というものから、目に見えるのに存在しないもの、存在しているのに見えないもの、全ての偶然が必然的に重なり生じるもの、良きにつけ悪しきにつけ。


 ソレは誰かにとっての終わりであり、また別の誰かにとっての始まりとなる事がある。ソレは生死であったり、儀式や風習によって起こされることであったり様々だろう。感覚が鋭い者は、時折ソレに狙われる事があるというのは、その世界の常識であったりもする。純粋に食糧として狙われた、ただそれだけの事が多い。


 麦茶の入った容器を冷蔵庫に戻して、制服を洗濯機に放り込んだ裕樹はリュック片手に二階の自室へ続く階段を上っていった。まだ食事にも風呂に入るにも早い時間だ、タンスから部屋着を引っ張りだして着るとベッドに倒れ込んだ。そして、学校で拓哉が言っていた〝街の七不思議〟についてボーッと考えている内に眠ってしまった。この〝街の七不思議〟は挙げればキリがない程なので、実際のところ七つなどでは数え切れない。数多く挙げられる話の中から、もっとも信憑性が高いと思われる話を勝手に上から数えて七つで区切りつけたもので、その中には人間では分からないような奇異な話もある、異形の目でしか見えないものだ。


 裕樹が通っている中学校に流れている噂はは、メジャーかつ安全なものが殆どを占めている。トイレの花子さん、メリーさん、路地裏の男、異界へ続くエレベーター、黄昏の魔女、地獄の交差点、夜中二時の鏡。これら全てが在りそうで無いような、無さそうで在りそうな数々の噂の中から選ばれたこの街の七不思議、都市伝説とも言える。


 裕樹は悪夢にうなされていた、異様に大きなハサミを持った何者かが追いかけてくる夢だ。真っ赤な口からヨダレを垂らし迫ってくる何者かは、口以外が真っ黒でどこに目があるのかも分からない。逃げても逃げても追いかけられて、ついには捕まってしまった。今にも大きなハサミが首を切らんと開かれた瞬間に、裕樹の目が覚めると、階下からは食事の時間だと告げる母親の声がしていた。その日は一日、またあの夢を見てしまうかも知れないと思うと不安で眠れなかった。


 翌日、一睡もできていなかったが、約束のためにダルい身体に鞭打って待ち合わせ場所に着くと秀一がいて、それだけで裕樹は安堵した。こういう三人だけで遊ぶ日に、ほんの少し遅れてくるのが拓哉で、それは変わりないのだと実感したのだ。拓哉が集合場所に来たのは、待ち合わせ時間より十数分遅れ。これが大体いつも通りのことだ、今回ほど浮かれているのは珍しいが。


 元気な挨拶と、真っ青に晴れた空に向かって咲く向日葵のような明るい笑顔を浮かべている幼馴染みに、二人は苦笑するしかなかった。最初に口を開いたのは秀一だ、まず何をしたいのかを拓哉から聞き出せるように─すかさず挙手した拓哉はそのままの勢いで答えた。


「全部行きたい!」


「それは無理だ」


「えーっ!!なんでっ!?」


「トイレの花子さん、うち男子校だぞ」


「あと黄昏の魔女もダメだね」


「なんでーっ!?」


「場所も治安も悪すぎて人間に殺されるんじゃない?」


 秀一と裕樹が、興味本位で行っていい場所ではないと考え色々と拓哉に難癖をつけて絞りに絞った結果、路地裏の男、異界へ続くエレベーター、地獄の交差点、この三つだけを三人でやることになった。他は拓哉だけでもできるだろうと言い含めて、まず〝路地裏の男〟だが、これはシンプルにとある場所の路地裏へ行くと全身が真っ黒な男に出会う、それから何か欲しいものは無いかと話しかけると、三日後に必ず死ぬというものだ。三人で試しに行ってみたが、これは単なる噂でしかなかった。


 次に異界へ行けるという噂のエレベーター検証、三人で代わる代わる一人で十回ずつ試してみたが、上手くいくことはなかった。そして最後の〝地獄の交差点〟へとやって来た、交差点で横断歩道があればどこでもいいのだが、帰りが楽だという理由で昨日の公園近くにある交差点で試してみることになった。裕樹は形容しがたい不安感に襲われていた、に対してなのかは分からない、気にしても気にしなくてもの正体は判明しないのだから、この気持ちは一旦横に置いておこうと自身を納得させて腕時計を見てみると、この七不思議で重要な時間が迫っていた。


「ここで最後だねっ!」


「やっとか…」


「はいはい、もうすぐ時間だよ。拓〜、ここで最後だぞ!俺もうすぐ門限なんだからー!」


「はーいっ!行こうぜ〝地獄の交差点〟!」


「はしゃぎ過ぎだぞ全く……」


 二人の肩を押しながら横断歩道を渡っている中で、ふっ…と裕樹の脳裏に、自分を襲った一昨日と昨日の奇怪な現象が思い起こされた。最初は猫の死骸を見て立ち止まり、恐怖に襲われて横断歩道上を走って渡りきり振り返ると、黒が印象的な人物が柔和な笑みを浮かべていた。二度目は門限に間に合うように、走って横断歩道を渡っている途中で黒が印象的な男性と会話するため立ち止まった、そして拓哉や秀一にとっては初めてだろうこの危険な肝試しは、裕樹にとって最期の一回……視線の先には、陽炎かげろうのようにユラユラと揺れながらニタリとわらっているがいて歩みを止めてしまった。午後四時四十四分に、三日間続けて同じ交差点の横断歩道の白線だけを渡り真ん中で止まると死ぬ。


 ちょうど今、裕樹がいる横断歩道の真ん中の白線は、死神がこじ開けた黄泉への入口へと変わっていたのだ。妙にひんやりとした風と共に、自分たちの肩を掴んでいた裕樹の手が離れていくのを感じた拓哉と秀一が後ろを振り向く、すぐ後ろにあったハズの裕樹の首から上が跡形もなく消え去っており、一瞬置いて悲鳴を上げながら少年二人は全力でその場から走って逃げようとしたが……。


 信号の色も、左右を気にする間もなく赤信号の道路へ飛び出した拓哉と秀一の身を激しい衝撃が襲い─ドンッという鈍い轟音が響き渡った。二人の身体は血や肉片となってそこら中に飛び散り、辺りが血の海になっているのを見た人々が悲鳴を上げている中で、誰にも見えないは嬉しそうな表情をして眺めていた。

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