常闇に。~白藍ノ夢~

 あの日から、一体、どれ程斯うしていただろう。ゆるゆるとした微睡まどろみの中、自問する。 

 幾度いくたび日月じつげつ浮沈ふちんし、幾度いくたび星々は巡っただろう。 

 腕に抱いていた筈の小さな温もりは、何処へ行ったのか。

 目の前で幾つもの泡沫が結んでは忽ち弾けて、消える。

 嘗て、雷を降し、風雨を呼び、星を読み、万里をりし己が身も、最早力は枯れ果て、今となっては指一つ動かすことすらままならぬ。

 冷え冷えとした青に包まれて、己は、生きているのか、死んでいるのか。判然わからぬまま、身はますます冷えて凍えて沈んでいく。

 そらが、遠い。


「――桐一葉きりひとは


 ぽつり、声なき声で、その名を喚ぶ。

 嘗て、己が身に充ち満ちていた白鬼の力は湧きて溢るる泉の如く、留まるところを知らなかった。千年の時を経て、衰えを感じ始めた頃、己の目の前に現れたその娘は、まさしく“桐一葉”――己が身の滅びの前兆に他ならなかった。

 よく泣き、よく笑い、そしていつでも自分を見つけると駆け寄ってきた。

 その真っ直ぐにぶつけてくる感情は、千年の時を生きいた自分が忘れ去っていたもの。

 懸命に日々を生きるその姿は、眩い生命そのものだった。

 娘は、日に日に白鬼としての力を強めていく。その身に余る程の力で、時に体調を崩すほどに。一方、己の力は確実に削がれていった。

 彼女を世俗の目から隠し、守り、慈しみ、育てること十有余年。年々数を減らしていく白鬼の特殊な力を利用しようと狙う者はいつでも居た。

 朦朧としてゆく意識、思うに任せぬ身体。滅びの刻は近づいていた。

 この娘を一人、残しておれようか。いっそ……と、思わないでもなかったが。

 ふと、目の端を、何とは知れぬ、紅色が過る。おそらくは、花なのだろう。深々とした水の中、鮮烈な迄に紅い。甘やかな香りすら、満々と満ちるようだ。

 その紅は、彼に、なぜか、強くその娘を思い出させた。


「――嗚呼、かなしきなれは……幸せ、だったか……」


 再び微睡みの中へと落ちゆかんと薄れる意識の中、懐かしいあの声が、彼の――千愁せんしゅうの耳に、聞こえた様な気が、した。




蒹葭蒼蒼 白露為霜 

蒹葭けんかの葉は蒼蒼と 白露は早くも霜となる)

所謂伊人 在水一方

(我が思う人は 水のかなたに居る)

溯洄從之 道阻且長

(流れを渡って行こうとすれば)

遡游従之 宛在水中央――

(まぼろしの面影は水のさなかにある)

 『詩經』秦風「蒹葭」



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白鬼伝 @xiaoye0104

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