第3話 この日本的情緒なるもの


 目を覆わんばかりの殺伐とした事件が報じられています。

 

 そんな中、あの勸玄くんの舞台度胸には、ほとほと頭が下がります。

 まだ三歳にもなっていない勸玄くんが、父海老蔵が病気で舞台を休んだなか、一人奮闘したのですから。


 演目『外郎売』で、三分半にも及ぶ長台詞をやってのけているのです。

 

 先代の團十郎の一子海老蔵も、若き日、その天性の演技力に、私、大いに感嘆をしていましたが、海老蔵の一子勸玄くんも、それに劣らずに天性のものを持っていると大いに感動しているのです。


 歌舞伎役者の血は、確かに、受け継がれるものなのだと、そんなことも思っているのです。


 きっと、堀越勸玄から海老蔵を襲名、将来は、團十郎へと大きく羽ばたくのではないかと、そんなことも思っていたのです。


 殺伐としたニュースを背負いながらも、勸玄くんの素晴らしい演技にほっこりとし、私、ウッドデッキに出て、野菜の出来を見ながら、ホースからブリキの如雨露に水を満たしていた時でした。


 この日は、梅雨の晴れ間、気温も三十度をゆうに超えた日でした。


 粋な黒塀 見越しの松に 仇な姿の洗い髪って、鼻から抜けるような歌いごえの春日八郎の声が、ギラギラと輝く太陽から聞こえてきたのです。


 不思議なことってあるものだと。


 なんで、春日八郎なんだって、そう思いつつも、死んだはずだよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん えっさほー 源冶店


 極めて、正確に、私の脳裏にその歌詞の一句一句が出てきたのですから驚きです。


 レノンやマッカートニーの曲ばかりではなく、こんな昔の歌も、私の脳裏に収納されていたとはと驚いているのです。


 娯楽の少なかった時代、大ヒットしたこの曲、大人も子供こぞって口ずさんでいたに違いありません。きっと、私も、意味は何もわからず、その調子のいい語呂がすっと頭の中に入ってきていたのです。

 

 後年になってのことですが、この歌が、「与話情浮名横櫛(よわなさけ うきなのよこぐし)」なる歌舞伎が元になっていることを知るのです。

 

 初演は、江戸も末嘉永年間のこと、お富は八代目團十郎、良三は四代目尾上梅幸が演じました。


 恋仲になった二人、しかし、お富は親分の女、その女に手を出したものだから、良三は体痛い目にあいます。

 お富は、海に身投げと、今でもありそうな男と女の成れの果てではあります。


 しかし、身体中、刀傷で覆われた男は、切られ良三として名を馳せる悪党になります。そして、身投げしたお富は豪商に命を救われ、妾になるのです。


 さらに、悪党の良三がその豪商の家に悪さをしに入り込みます。

 粋な黒塀に、見越しの松のある立派なお屋敷です。

 

 そして、二人はそこで運命の出会いとあいなるのです。


 そんな他愛もないストーリーなのですが、日本人はそう言うのが好きなんです。

 ちょっと悪い奴こそ魅力があるというやつです。

 身分を乗り越えて、愛し合い、しかし、当然のごとく、想いは遂げられない、だから、心中立てを行なって、この世では如何ともしがたい思いを、あの世で二人で添い遂げようと言うのです。


 悪と一言で言ってしまえばそれはそうですが、当代唯一の人気娯楽歌舞伎は、それを極めて情緒豊かな作品に変容させていったのです。


 しがねぇ恋の情けがあだ

 江戸の親にやぁ勘当うけ

 つらに受けたる看板の

 きずがもっけの幸いに

 切られ与三と異名を取り


 お富に会った良三が大見得を切って語る台詞です。


 おしがりゆすりも習おうより

 慣れたじでえの源氏店

 そのしらばけか黒塀に

 格子造りの囲いもの

 死んだと思ったお富たぁ

 お釈迦さまでも気がつくめぇ

 よくまぁお主ゃぁ 達者でいたなぁ

 

 惚れた女に再び出会えば、その女はまた他の男のもの、この情緒、この行き先のない世界こそ、歌舞伎の世界なのです。

 その行き先のない世界に、ごくごく普通の江戸の市民は、ほだされていったのです。


 己にはできないこと、良三がしてくれたと。


 歌舞伎は実際にあったことを芝居にし、市民はそのことの真相よりも、そこに毒々しく横たわっている情緒に、時に恐れ、時に感動していたのです。


 あの赤穂の浪士の討ち入りだって、即座に芝居にかけて、いまだに仮名手本忠臣蔵として伝わっているのです。

 

 この日本橋人形町は玄冶店(げんやだな)で起きた情痴事件のあの振る舞いだって、当時は、江戸っ子たちの興味関心すこぶる高いものであったのです。

 幕府のお達しで、地名こそ源冶店とか、源氏店と名を変えて、ぼかしてはいますが、江戸っ子たちは、人形町の玄冶店のあの一件だねって、皆、知って、この芝居を見ていたのです。


 しかし、このところ、世間を恐怖に陥れ、怒りをあらわにさせるあの一件、この一件、時代と言うのでしょうか、名のある方々があれこれと批評をしていますが、一向に、それらの意見が身に入ってこないのです。

 

 立派なそれらの方々の言葉に、一つ欠けているものがあるからだと、私、気がつくのです。

 

 それが日本的なる情緒なるものなのです。


 きっと、近い将来、勸玄くんもこの切られ与三を演じる大看板になるに違いないと、いかなる日本的情緒を醸し出してくれるのかと、なんだかワクワクしてきたのです。

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シェークスピアの野次 中川 弘 @nkgwhiro

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