第2話 シェークスピアの野次
相手に寄り添って、などという言葉をよく耳にします。
でも、なんとなく、寄り添っってと言う言葉には、そらぞらしいという観念がつきまとっていると私は思っているのです。
ある老人施設で勤務する人が、年寄りに赤ちゃん言葉を使っていました。
なんと言うこともない映像でした。
ぼぉーとしていれば見過ごしてしまうそんな瞬間的な映像であったのですが、私、その若い、もちろん、年寄りに比べて、若いと言う意味ですが、その人が、年寄りに、さぁ、ご飯を食べまちょうね、今日はお豆腐でちゅよって言っているのを聞いて、なんだか鳥肌が立ち、胸くそ悪い空々しさを感じてしまったのです。
私が足腰立たなくなり、周りも世話焼きが大変だと、私の保険を取り崩して、そのような施設に送り込まれて、あんな言葉をかけられたら、私は、私の人生の最後の力を振り絞って、オイオイ、イイカゲンセイヨって、お前さんのような若造から、そのような赤ちゃん言葉で寄り添ってもらわなくても、一人で生きていけわいって、車いすから転げ落ちてやろうと思っているんです。
少々、言葉が過ぎました。
でも、政治を担っている若い候補者の方に、皆様に寄り添って、仕事をさせていただきたいとそのような言葉を耳にしますと、いい加減にしてくれ、お前さんなどに寄り添ってもらう謂れはないと言いたくもなる時があるのです。
相手に寄り添うとは、要は、その相手と波風を立てないということにもつながります。
きっと、そのことが、私の中に、生ぬるい、そんなことでは、生き馬の目を抜く世の中を生きてはいけない。自分が生き抜くためには、相手に寄り添うのではなく、相手と対峙することこそ肝要であるという、あの二十四時間戦えますかの時代を生きてきた名残ではあると思うのです。
文句を言う暇があったら、がむしゃらに働け。
不平を言う暇があったら、相手にぐうの音も出ないような仕事をせい。
不満ばかりを口にしている人間にろくな人間はいないって、そんな時代の名残があると思っているのです。
先だって、退屈にかまけて、YouTubeの映像を見ていました。
あれを見ていると、三、四十分があっという間すぎて、何をしているんだと、我ながら呆れてしまうのですが、この時は、イギリス議会の議長の野次を止める発言映像をとめどもなく見て、その三、四十分を過ごしてしまいました。
ORDER, ORDER〜 と叫ぶのは、英国下院議長ジョン・バーコーでした。
静〜粛に、せ〜〜しゅ〜くに〜、と目の玉をひっくり返して叫び倒すのです。さらに、これでもかって、相手を紳士的に罵倒するのです。
「我が下院の議員諸氏は、他の誰よりも冷静でなくてはなりませぬ。自制心、忍耐、これなくして、女王陛下のしもべたる議員ではないのでありま〜す」
まぁ、私の勝手な翻訳ですから、多少、オーバーになっていますが、それがオーバーではないくらい、バーコー議長は叫び倒し、野次を放つ議員の方を見て、全身を前に傾けて、唾を飛ばしながら言うのです。
それでも、相手が野次を飛ばすのをやめないと、その相手に向かって……
貴殿は、立派にして、名のある弁護士。
法廷で、さようなる所作が認められるのであろうや、もっとも、そのようなことお構いなしであるから、あなたの事務所には閑古鳥がないているのやもしれぬ。
と、これも、私の少々オーバーな翻訳ではありますが、ともすると、失敬な、貴殿は我を侮辱なさるのかと相手を怒らせるのではないかと言う発言をするのです。
が、さすがに、ユーモアの国、議場には笑い声が沸き起こるのです。
ある時には、野次を飛ばす議員に向かって、バーコー議長は立ち上がり、その議員を指差し、これは実に失礼なあり方です、それをあえて行って、指差しながら、あなたは実にもっともっと有能な人間であるはずだ、なのに……って、失望の念を露わにし、目を落とすのです。
そうなると、指さされた議員もしっとりとしてしまいます。
加えて、満場は爆笑の渦です。
これが世界に冠たる英国議会の、シェークスピアも真っ青の芝居じみた言葉のありようであったのです。
イギリス英語の鼻の奥にかかったような発音と、代々受け継がれてきた洗練された言葉の応酬こそ、かの国のありようであると、それを聞いて、私は時を過ごしてしまったのです。
日本の国会を見ていますと、言葉尻を捕らえて、大臣を突き詰めていったり、言葉に詰まっただけで、資格なしと野党議員が絶叫するのをテレビで見ます。
野党であれば、政権与党の弱点を突いて、そこに攻め込むと言うのは当然のことですが、最近の先生方を見ていますと、どうも釈然としないことが多々あるのです。
それをこそ今時の若い人たちは、嫌っているのではないかと、私、野党の先生方に教えてやりたいと思っているのです。
若い人たちは、学校教育の中で、相手に寄り添えって教えられてきた子たちなんです。
クラスでいじめがあれば、先生は相手に寄り添う人になれって、そう説諭し、それを受けとめて、問題を解決してきた青年たちなんです。
だから、自分と考えの異なる人に対して、強面で批判し、対立の構図を作るようなありようには忌避をするのです。
まして、金切り声をあげて、仏頂面をして、書類の束を揺すって、ボードを叩いてでは、青年の心を捉えることはできないのです。
その点、与党の方は政権の柄を握っていますから、相手を心広く受けとめて、真摯に、低姿勢で対応します。
だから、青年たちに保守傾向があるのではなく、相手のことを慮って、対処するそちらの方に好感を持ってしまうのです。
人に寄り添うと言うことは、相手と対等の関係であると言うことです。
対等であれば、無碍に相手を罵倒することは避けなければなりませんし、相手を赤ちゃん扱いすることもしてはならないのです。
若い人たちは、学校での教育でそれを教わって、それがいいか悪いかは別に、そうして、社会に出てきているのです。
それを日本の議員があるいは候補者が知れば、自ずと道は拓けてくると思っているのです。
バーコー下院議長であれば、最悪の状態から帰るところは笑いしかなのであると、リア王の登場人物、謀略にあって追放されたエドガーの台詞を使って、もっと、楽しく、議論をなさるが良い、相手を罵ってばかりではいけませぬと教えてくれるものと思っているのです。
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