八月の死体

月浦影ノ介

八月の死体

 もう十年以上前、確か八月だったと記憶している。

 朝の七時頃、近所に住む加藤さん(仮名)が、私の自宅を訪ねて来た。

 加藤さんは当時、六十代前半くらいの男性で、私の父と仲が良かった。毎朝、健康維持のために地元の川原を散歩している。

 こんな朝早くに何の用だろうと思っていると、加藤さんは額に汗を浮かべながら「ちょっと来てくれ」と少し青褪めた表情で言った。

 いつものように地元の川原を散歩していたら、人間の死体らしきものを見付けたのだが、しかしどうにも気味が悪く近付く気になれない。なので一緒に来て確認して欲しいというのだ。

 本物の死体なら大変なことだが、見間違いの可能性もある。そこで私と私の父、加藤さんの三人で現場へ赴くことにした。


 加藤さんが死体を見付けたという場所は、橋を渡った対岸にあった。橋から続く国道を脇に逸れ、小さな雑木林を抜けて、川へ向かう砂利道を降りて行く。

 少し下流の方角に向かって進むと、腰の高さほどのある草むらが目の前に広がっていた。その中を掻き分けて進む加藤さんの後ろを、私と父は黙って付いて行く。

と、加藤さんがふいに立ち止まり「あれだ」と指差した。

 ゴツゴツした大小の石で覆われた地面に、何やら黒く大きなものが横たわっていた。


 それは人の形をしているように思われた。海老のように背中を丸め、両膝を折り畳み、両腕を胸の前で小さく縮こまらせた姿は、まるで胎児のそれに似ている。

 恐る恐る近付いて仔細に見てみると、それは紛れもなく人間の焼死体であった。


 最初はマネキン人形を燃やしたのかと思った。この辺りは夏になるとキャンプやバーベキューに訪れる者が多く、夜遅くまで花火に興じる若者グループもいる。きっと誰かがふざけて、持って来たか捨ててあったかしたマネキン人形に火を付けたのだろうと。


 だがマネキン人形は燃やされたからといって、こんな風に身体を丸めたりはしない。焼死体が胎児のように手足を小さく縮こまらせて身体を丸めるのは、筋肉が焼かれて固くなり、関節が折れ曲がるせいだ。

 顔は完全に炭化して目も鼻もなかったが、開いた口から白い前歯が覗いていた。背格好からおそらく成人男性だろうと思われる。

 死体の周囲にはあまり草が生えておらず、僅かに伸びた雑草が少し燃えた程度であった。辺り一面の雑草に燃え広がらなかったのが幸いである。

 私たちはしばらくその場に立ち尽くした。ドラマなどでよくあるように、死体を見たからといってすぐに吐き気を催したりはしない。ただ日常の風景のなかに、人間の焼死体がポツンと置き去りにされている様は、ひどく非日常的で現実感がなかった。


 三人の中で携帯電話を持っていたのは私だけである。少し離れた場所に移動して、とりあえず地元の駐在に通報した。顔馴染みの警官がまずバイクでやって来て、それからニ十分後ぐらいには管轄署の警官たちが数台のパトカーに乗って次々と到着した。

 現場でそれぞれ個別に事情聴取を受け、私たちはありのままを話した。

 ひとまず事情聴取が終わり、三人で少し離れた場所に立って現場検証の様子を見守っていると、駐在署の警官が近付いて来た。彼の話によると、まだ断定は出来ないが、現場の状況から見ておそらく自殺だろうとのことだった。

 草むらの中に僅かに灯油の残ったポリタンクが捨ててあり、昨夜遅く全身に灯油を被って火を付けたものと思われる。また近くに停めた車の中から、免許証や荷物の他に遺書らしきものも発見された。

 翌日、地元の地方新聞に小さな記事が載った。それによると焼死体の身元はすぐ隣町に住む中年男性で、借金や病気などを苦にしていたことが申し訳程度に書かれていた。


 不思議なのは、加藤さんが焼死体を発見した経緯である。あの辺りは草が高く生い茂っているため、わざわざその中を突っ切って歩く者はいない。

 そのことを尋ねると、加藤さんは少し言いにくそうな表情をした。


 「あの近くを歩いていたら、草むらの中から呻き声が聴こえて来たんだよ」


 うぅ・・・・・うぅ・・・・・と、酷く苦しそうな呻き声が、加藤さんの耳にはっきり聴こえたのだという。


 前述した通り、この辺りは夏になるとキャンプやバーベキューなどに訪れる人が多く、深夜に馬鹿騒ぎをする連中もいる。ひょっとしたら誰かが酔っ払って倒れているのではないか?

 そんな疑問がふと湧いて、草むらの中に足を踏み入れて探すうちに、あの焼死体を発見したのだった。

 しかしその時刻にはあの男性はとっくに死亡している。死体が呻き声を上げるはずもなく、周囲には他にそれらしい人影もない。事情聴取を担当した警官にも同じ話をしたが、不思議そうに首を捻るばかりだったそうだ。


 「ひょっとして早く見付けて欲しくて、俺を呼んだのかなぁ・・・・・」


 加藤さんは思案するように話したが、その呻き声の正体は結局のところ分からないままである。

               

               (了)


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