私、ロボだから、貴方との約束を絶対忘れません
エレベーターから現れたむとう君は、すぐに自宅の前に佇むムツキちゃんに気づいた。うさ耳もないし、エプロンドレスでもないのに一発で判別できるとは、やはりこの少年はできる。
ムツキちゃんは、はにかみながら、むとう君に振り向いた。
『こんにちは、むとうかずき君』
「どうしたの? ぼくのうちの前で…」
『かずき君のお手紙が嬉しくて、そのお返事を言いたくて、来ちゃいました』
「…え!?」
途端に、少年の顔に朱が差す。
「え、あ、あれは…! その…!」
『私、とっても嬉しかった』
ムツキちゃんは膝を折り、その視線をむとう君に合わせた。しっかりと目を見る。
『私、あれから考えました。たくさん、たくさん考えました』
「う、うん…」
『けど、とう演算しても、ダメだって、そう答えが出たの』
「………」
『でも、でもね、私は、たとえダメでも、たとえ無理でも、不可能でも、不合理でも、不条理でも―――この気持ちを、この心を、このエラーを、貴方に伝えたいんです』
「お、おねえちゃ――」
『貴方が大人になったなら、そのときは―――…私と結婚してください』
「―――!」
少年の顔が真っ赤に染まった。怒り散らしたナナちゃんのように、オーバーヒートしているようだ。
「う―――うん! やくそくだよ!」
『はい! 約束です! 私、ロボだから、貴方との約束を絶対忘れません!』
人間なんて、適当で、忘れっぽくて、気まぐれで、とてもじゃないが”忘れない”なんて約束できる作りになっていない。十二年後、彼は本当にムツキちゃんを迎えに来るだろうか?
いや、それだけじゃない。法が、倫理が、契約が、あらゆるものが、きっと彼らの前に立ち塞がるだろう。生半可な覚悟では、この場で頷くことなんて出来ない。
ただ、まだ子供である彼は、そんな事を一つも知らず、ただ無垢な感情だけで、彼女を好いて、彼女の約束に応えた。
彼の答えは、ただ結論を先延ばしにしただけだ。
それは、とてもとても残酷な行為だった。それを誑かした僕もまた、碌な奴じゃない。
けど、僕はむとう君を信じる。
彼ならば、きっとやり遂げると。
―――なんて、また僕はそんな、酷いことを想う。
「あ、そうだ! おねーちゃん、ぼくの家であそんでく!?」
『え!? 婚約後即同伴で自宅に!?』
「おかあさん、きっとお菓子だしてくれるよ!」
『ご両親にもご挨拶を!?』
うん? あれ? これは―――大丈夫か…?
『は、はわわわ…こ、こんな展開は予想外ウサ…』
どうしてこんな時にその語尾が出るの!?
『かずき君、それってつまり―――ちょっと早いけど、私に遺伝子情報を預けてくれるってことでいいんですよね?』
「???」
対するむとう君は不思議そうに首を傾げてる。そりゃそうだろう。
片や思考が先に進みすぎており、片や若さ故にそのような考えに至ってはいないのだから。両者には彦星と織姫を超える隔たりがある。相対的な距離ではなく時間的な隔たりが存在するのだ。
いや、隔たりというより、暴走しているムツキちゃんが諸悪の根源なのだけれども!
「ナナちゃん! イツキちゃん! 出番だ!」
『ムツキのバカ! 今手を出したら犯罪だって忘れてやがるにゃ!』
『暴力で解決するのは、イツキ得意ですの!』
スペックが同じでもこちらは二機。数の利がある。
最高速度で接敵。初撃で保護対象からムツキちゃんを引き剥がした後、多少荒っぽい方法で拘束だ。
『ナナちゃん! イツキちゃん! 離してください! もうこれは行くしかないんです! 据え膳食わぬは武士の恥なんですぅ!』
『お前は武士じゃなくて給仕ロボだにゃ!』
『ほら、ムツキちゃん、もうお仕事に戻りますですの!』
『放せウサーッ! かずき君ー! かずきくぅん―――!!!!』
ドタバタと3体のロボが揉み合っている様を、かずき君はポカンと見つめている。
僕は、そんな彼の隣に立った。
「ところで君、ムツキちゃんのどこが好きなんだ?」
「え、えっとね…。おかあさんみたいに、やさしいところ」
「そうか」
「おじさんは?」
「そうだな…―――」
ところで、僕は今になって思ったのだけれど…あの手紙はラブレターなどではなく、単に”ファンレター”だったのではないだろうか?
結婚という言葉は、この少年の知る最大の賛辞を示す言葉に過ぎなかったのでは?
そう、愛でも恋でもなく、憧れをこの少年は抱いていたのではないだろうか?
そうだとすれば、悲壮な覚悟さえ背負い込んで、僕に背中を押させるなんて小細工まで弄して、ついにはこんなところまで来て、最後の最後でやらかして姉妹たちに取り押さえられている彼女は―――
「僕は、バカで一途なところが好きだな」
ファンの一人として、素直にそう思った。
ところでなのだが、どうしてセキュリティのある駅前マンションに僕や給仕ロボ達が入り込めたかというと、単純な話で、あのマンションには僕の部屋もあるからである。何階の何号室が僕の住まいなのかは、個人情報保護の観点から省かせて頂くとして、彼女たちがわざわざセキュリティを破ってマンションに侵入したのではなく、僕が彼女達を招き入れたということは、ここで語っておく必要があるだろう。
そう、給仕ロボは犯罪を犯さないのだ。
いや、まぁ、ちょっと危ないところだったけれど…。
『いらっしゃいませ…ウサー……』
「今日はとびっきり元気がないねムツキちゃん…。あれ、ムツキちゃんだよね?」
『はい、ムツキです…ムツキです……』
翌日、僕は入店するなり、【反省中】と書かれた札を取りつけられたドラム缶型の旧式ボディに換装させられているムツキちゃんに声をかけた。上部のタッチパネルに描かれたウサギのデフォルメキャラが、残念そうな表情をしている。
「で、その後、かずき君とはどんな感じ?」
『別に何もありませんですウサ』
ちょっとムッとしたような口調でムツキちゃんは言う。
『昨日の今日で進展あるはずありませんウサ』
ま、それもそうか。
『でも、メールアドレスを交換しましたウサ。営業時間が終わったら、一緒にゲームで遊ぶ予定ウサ』
いや、それは進展しているのでは!?
ムツキちゃんのアドレスは、僕でさえ知らないぞ!?
むとうかずき…やはり、侮れぬ男よ…。
けど、なんかそれって―――
「お友達から始めましょう、って感じ?」
『……ウサ』
将来結婚しようと子供心に約束してみたけれど、その約束がどれだけ重く、その先に何があるのか、相手が何を期待しているのかは、まだ彼にもわからないようだ。
だけどまぁ、ここが良い落とし所なのかもしれない。早すぎる
『それで―――お客様、ご注文はいかが致しますウサ?』
「ああ、えーと、コーヒーでお願いします」
『承りましたウサ』
僕はドラム缶型ボディの上部のタブレットが注文完了を促すYESの表示をタッチする。
そうしていると、突然、幼稚園くらいの男の子がとことこと僕らのところへやってきた。
「あ、あの!」
『はい、どのような御用でしょうかウサ?』
「む、ムツキおねえさん、だよね…?」
『はい、そうですウサ』
「あ、あの、じゃあ、あの、これ…!」
『え…?』
幼稚園の子は、しわくちゃになった折った紙をそっとムツキちゃんのボディの隙間に置いて、顔を赤くして駆けてゆく。お会計の前で母親と合流し、ムツキちゃんに向かって、バイバイと手を振った。
「………」
『………』
「………」
『………あ、あの、お客様』
見るな見るな、僕を見るな。これ以上、この厄介事は勘弁してくれ。
『私、ロボだけど、これがモテ期なのでしょうか?』
「…分からないよ」
誰からも愛される彼女に、僕は苦笑を見せる他なかった。
私、ロボだけど結婚します! ささがせ @sasagase
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