闇夜行路 ~オリジナル版

ととむん・まむぬーん

行き着く先は……

「またか……」


 オレはひとりでそうつぶやくとギアをバックに入れる。

 そこは雑木林の中、車一台が何度かの切り替えしを経てなんとか方向転換できるだけの空間はあるものの周囲には人家はおろか照明設備もない、ヘッドライトのみが頼りの真っ暗な袋小路だった。そしてハロゲンライトの白い光の向こうに浮かび上がるのはいつの時代のものとも知れない数基の墓石だった。


 すっかり冷めた気分でオレは今さっき走ってきた道を引き返す。舗装もされていない雑木林の一本道を進むこと数分、車はようやっと舗装された道にたどり着いた。

 オレはできるだけ最短コースで帰路に着くためにオフにしていたカーナビをオンにする。起動画面のロゴマークに続いてナイトモードの落ち着いたカラーリングのマップが画面に浮かぶ。オレは現在位置がどのあたりかを確認してみた。どうやら東京西部、多摩川よりもずっと向こうの都県境のあたりらしい。ここから社員寮があるN市まではたっぷり一時間はかかるだろう。そしてオレは辟易しながら夜の郊外を急ぐのだった。



――*――



 オレがこの社員寮に住むようになってかれこれ三年が経つ。ちょうど去年の今頃だったか、駐車場に空きができたって知らせを受けてすぐさまオレは車を買った。それが今の愛車だ。それはもう嬉しくて、買って間もないころはどこに行くにも車だったな。

 そしてこの春先あたりからだろうか、突然、無性にドライブをしたくなるようになった。それは入浴前の夜のひとときだったり、休日の暇を持て余した昼下がりだったり、とにかく一度そう思い始めると居てもたってもいられず、着の身着のままで車を走らせる。そんなときオレはカーナビをオフにしてただひたすらに感性にまかせて車を走らせるのだった。


 気の向くまま行きたい方向にハンドルを切る。やがて車は裏道へ裏道へと進んでいく。そして行き着く先はいつも決まっていた。

 そこは終着点、目の前には必ず墓石が並んでいた。あるときは住宅街の中にポツンとある墓地だったり、雑木林の一本道のどん詰まりだったり、とにかく必ず墓地にたどり着くのだ。

 そんなときオレには恐怖心などまったくなく、ただただ「ああ、またか」とあきれた気持ちで帰路に着くだけだった。



 ある日のこと、酒の肴にでもとそんな話を同僚のNに話したところ、今度いっしょに連れていって欲しいとせがまれた。いつもは一人のドライブ、いや、一人だからこそ起きる現象なのかも知れない。だからNを同乗させてもそうなるのかどうかはハッキリ言ってオレにもわからなかった。しかしそれでもNは構わないと言う。もし起こらなかったら起きるまで同乗させてほしい、なんならガス代を持つから、と。

 オレはNに聞いてみた、なぜそこまで執着するのかと。するとNの口から出て来たその答えはあっけないほど単純なものだった。


「俺は生まれてこの方、心霊体験ってものをしたことがないんだよ。だから一度経験してみたくってさ。だってお前のそれって明らかに心霊体験だよな」


 そしてその週末の夜、オレはNを助手席に乗せて車を走らせていた。


 いつもはその気になったときだけのドライブだが、さて、今夜はどうだろうか。とりあえず俺は気の向くままに車を走らせた。とにかく感性にまかせるためカーナビもラジオもオフにしてのドライブ、手持ち沙汰のNはひとりスマホをいじったり面白くもない景色をボヤっと眺めたりしていた。


 しかしどうにも気分が乗ってこない。どこをどう走っても案の定すぐに幹線道路に復帰してしまう。そんな面白くもないドライブを続けて小一時間が経過したころだろうか、そこはもう社員寮からだいぶ離れた場所だったが、そこで突然オレの頭の中で何かが閃いた。

 すかさずルームミラーで後続車はいるか、そして前方からの対向車もないかを確認してすぐさま右折、徐行すらしない突然のことにNは面食らった顔をしていた。

 そこからはいつものあの感覚、何かに引き寄せられるような、しかし恐怖心ではなく好奇心が勝るようなあの感覚がオレの中に沸き起こっていた。


 どこをどう走っているかもわからずただひたすらにハンドルを切る。助手席のNは現在位置のヒントをつかもうと窓の外を見つめているが真っ暗な中に点在する民家の明かりがポツポツ見えるだけで、もうここがどこかもわからなくなっていた。

 やがて枝分かれするように右に分岐している細い道がヘッドライトの中に浮かび上がった。オレは迷うことなくその細道に車を進入させた。


 道は暗く細く、もし対向車が来ようものならどちらかが余地のあるところまで後退せねばならないくらいだった。

 オレは車を進める。そして雑木林の中を縫うように進む一本道はやがて終点を迎える。

 やはりそこは墓地なのか?

 いや違う、墓地ではない。

 目の前には行く手を阻むかのように閉ざされた鉄格子のような門があり、その向こうには暗い星空の中にそびえ立つ黒い建物のシルエットがあった。


 そこは一本道の終着点ではあるが門の前には車を方向転換できる程度の広さがあった。オレは万一に備えてすぐに発進できるように車を今来た方向に向けてバックで門前に駐車した。

 エンジンを切ってオレとNは車を降りる。そして門の前に立って向こうにそびえる黒い建物を見上げた。

 鉄筋コンクリート造で五階建ての建物は全ての窓ガラスが割られていて、その壁のおおよそ手が届きそうな範囲にはスプレーで書かれた無数の落書きがあった。その姿はまさに廃墟、おそらく心霊スポットなどと騒がれて多くの若者たちがここにたむろしては荒らしていったのだろう。



 オレは並んで立つNの様子を伺ってみた。さすがに圧倒されたのかNは無言のまま呆然と建物を見上げていた。


「どうする。ここで引き返してもいいが……」


 オレがわざともったいつけるようにそう言うとNはすかさず答える。


「ここまで来たら行くしかないだろう。ひょっとしてお前こそビビってる?」

「よし、それなら行ってみるか」


 オレはそう言って目の前の格子門に手を掛けて左に引いてみた。すると門はあっけなくスッと開いてしまった。

 そしてオレたちはこれまた万一に備えて門をいくぶん広めに開けておくと、その先に続くひび割れからまばらに雑草が伸びる荒れたアスファルト舗道を建物に向かって歩いていった。



――*――



 真っ暗な中、薄ぼんやりとした月明かりだけが頼りだった。夜空に黒く浮かぶ無機質な建物は奥に向かって伸びており、全ての窓はみな向かって左を向いている。これが全室南向きだとするならば、今オレたちは西に向かって進んでいるのだ。オレは妙に冷静になってそんなことを考えていた。

 一方Nはすっかり寡黙にながらも、軽い興奮と警戒心とでとにかく周囲をやたらとキョロキョロと見まわしていた。


「あっ、やべぇ!」


 そのときNが突然に頓狂な声を上げた。オレは思わず肩をすくませNを見た。


「スマホのバッテリーがやべぇ、お前のはどうだ?」

「オレのはまだ十分、八割は残ってるぜ」

「ならそのスマホをライト代わりにしないか。なあ、どうよ」


 なるほど月明かりがあるここは大丈夫だとしてもすぐそこに見える車寄せの張り出し屋根の下から向こう、ましてやこのまま建物の中を探索するとなれば、そこはもう真っ暗闇だろう。


「そうだな、とりあえずあの車寄せのあたりで明かりをつけようか」


 そう言ってオレは少しばかり歩を速めた。


 塗装の剥がれが目立つ車寄せの屋根の下、オレとNはガラスが割られてフレームだけになったエントランスの前に立つ。

 窓から射し込む微かな月明かりでかろうじて様子がうかがえる内部はどうやら待合ロビーのようだった。奥の方にカウンターらしきものが見え、その手前にはボロボロになって下地がむき出しになったたくさんの長椅子が好き勝手に置かれていた。

 オレはNに少し意地悪そうな口調で確認した。


「どうする、ここで戻るんでもいいけど……?」

「そりゃ行くでしょ、行くしかないでしょ」


 Nはオレの問いにかぶせるようにして答えてきた。いつものNにしてはいくぶん早口で声も大きいのは、やはりヤツなりに虚勢でも張っているのだろうか。そして吐き捨てるようなセリフが続いた。


「クソッ、バッテリーがあればツイキャスで実況してやるのに」


 いくぶん興奮気味に強がるNに中に進むように促すが、ヤツが言うには照明を持つ方が先を歩くべきだ、と。そして何回かの譲り合いの結果、結局、明かりを手にしているオレが先頭を、続いてNがその後についてくることになった。



 スマホのストロボを利用したライトを手にしてオレはエントランスからロビーに足を踏み入れた。一、二歩後からNが付いてくる気配を感じる。

 目の前に浮かぶ下がり天井とカウンター、その前に広がるスペースに並ぶ荒れ果てた長椅子を見るにここはおそらく病院だったのだろう。人家から遠く離れた無機質で武骨な外観から察するにサナトリウムや長期療養型の施設だったと思われる。

 深夜の廃病院……その言葉を思い浮かべた瞬間、得体の知れない寒気がオレの全身を包み込んだ。

 とにかく前だけを見るんだ。明かりが照らすその先だけを。余計な暗闇に気をまわしてはいけない。恐怖だの何だのなんてのは自分の思い込みと自己暗示なんだ。自分で自分にそう言い聞かせながらオレは前に進んだ。

 オレはNにも聞こえるようにまたもや意地悪く声を上げた。


「こりゃ廃墟病院だな。ここならお前が期待することも起こるかもな」


 しかしNからの答えはなく、ただ床に散らばる細かい瓦礫を踏みしめる音だけが響いていた。


 オレは荒れ果てたロビーを抜けて奥に続く廊下を目指した。真っ暗闇の中、いくつものドアが整然と並んでいるのがライトにぼんやりと照らされて映る。かつては病室だったのだろう、しかし今はそれらひとつひとつに下卑だ絵柄や文字が赤や青、黒などで描かれていた。

 数メートルも歩いたところに他よりも広い間口が口を開けていた。それは担架の搬入を想定していたのだろうか、おそらくそこは救急室か手術室だったのだろう。オレは高ぶる気持ちを押さえつつその部屋の前に立った。

 やはり誰かが荒らしたのだろう、床には倒されて踏み荒らされたドアが放置されていた。オレはその部屋の中をライトで照らしてみた。しかしそこは手術台も無影灯もないただのガランとした広間だった。腰壁にはタイルが張られていたのだろうが、そのほとんどは剥がれ落ちて下地のコンクリートにタイル目地がところどころ張り付くように残っているだけ、そしてなぜか部屋の中央には何枚もの朽ち果てた畳が積み上げられていた。


「死ぬときは畳の上で。ベッドの上はイヤ」


 そんな声がオレの頭の中にふと浮かんで消えた。

 そうか、この畳はそんな死期が迫った患者さんたちのための……いやいや、考えるな。これはただの畳だ。放置された産業廃棄物に過ぎないのだ。見るな見るな、とにかくやり過ごすんだ。そしてオレは朽ちて埃とカビの匂いが漂う畳の山を横目にそのまま奥へと進んでいった。

 剥げたリノリュームがまだらに残る床に散乱しているガラスらしき残骸をパキパキと踏みしめながら進む。オレの足音に呼応するかのようにNの足音もまるでエコーのようについて来ていた。

 オレは部屋の奥に見える、やはり扉が破壊された開口部を抜けて再びロビーから延びる廊下に出た。


 オレたちは真っ暗な廊下を小さなライトだけを頼りに奥へ奥へと進んでいった。そこには両側にいくつも閉ざされたドアが並んでいたが、オレはとてもそれをひとつひとつ開けてみようなんて気にはなれなかった。そう、正直もう怖さが限界に達していたのだ。

 ここまでに何か見たわけではない、誰かの視線を感じたわけでもない。ただ黙々と歩いているだけだ。しかしオレの本能というか何と言うかそういう感覚が「そろそろいいかげんにしておけ」と言っているようだった。


 後ろを振り返ってはいけない、天井を見上げてはいけない、左手に延びる廊下を照らしてはいけない、目の前のドアを開けるなんてもってのほか、とにかく急げ、前だけを見て進め。ここをひと回りしたらさっさと車に戻るんだ。そして寮に着いたらNとビールでも飲んで笑い話にすればいいのだ。


 やがて廊下の向こうに上階に上がる階段が見えた。おそらく担架を通すためであろう、やたらと幅広い階段はこれまた広い踊り場の上部にある小さな窓から漏れる月明かりでぼんやりとしたモノトーンに包まれていた。

 こんなに微かな光でもそこにあるだけでほのかな安心感を感じるものだ。今回は階段はパスしよう。上には上がらずに左に曲がればぐるりと回ってさっきの左通路を抜けてロビーに出られるはずだ。オレはそんなことを考えながら、なるべく階段に目を向けないようにして左の壁に寄るようにして進んだ。


「N、上には行かないぞ。とにかくひと回りで帰ろう。なんかヤバい気がする」


 Nもかなりビビっているのだろう、返事はなく、ただ足音と時折鼻をすする音が聞こえてくるだけだった。


 しかしオレには見えたんだ。

 階段の前を左に向かうとき、オレの視界の右端にそれは見えたんだ。踊り場の高い位置の窓の下、逆光で暗闇になったそこに浮かぶ、闇よりも黒い影を。あれは子どもか何かだろうか、そう大きくない黒い影が立ってたんだ。

 オレはなるべく見ないようにしていた。が、向こうはこちらに気付いたようで、踊り場からゆっくりと階段を下りてくるのが見えたんだ。それは歩いているというより滑っているような感じで。

 ヤバい、これはマジだ、もし追いつかれたら……


「N、走るゾ!」


 オレはそう言ってスマホを前方に向けたまま走り出した。

 廊下に響く二人の足音、やはり時折聞こえる鼻をすする音、確かにNはついてきている。オレは走り出してすぐの角を左に、そしてその先の角をまた左に向かってとにかく走った。

 そしてあの荒れ果てたロビーに出るとそれを横目にオレはとにかくエントランスに向かった。瓦礫で足を滑らせないように注意しながらオレは車寄せを左に曲がって荒れた舗道を走った。



 鉄格子の門扉が向こうに見えたあたりでオレは後ろを振り返って夜空に浮かぶ建物を見上げて言った。


「N、あれはシャレにならなかったよな……N?」


 そこにNの姿はなかった。

 しまった、てっきりついて来てるの思ってたのに……まさか、あいつまだ中にいるのか?

 そのとき遠くからオレを呼ぶ声が聞こえた。


「お――い、大丈夫かぁ――、こっち、こっち」


 開け放たれた鉄格子の門扉の前、Nはそこにいてオレを呼んでいたのだった。オレはこれ以上建物を振り返ることなく門扉に駆け寄った。


「N、見たかよさっきの階段の。あれはマジだったよ。それにしてもN、お前、いつオレを追い抜いたんだよ」

「あっ? お前、何言ってんだ? 俺はずっとあそこの入口にいたよ。お前こそ、よく一人で入って行けたもんだ、あんな薄っ気味悪いところに」

「えっ、ひ、一人?」

「そうだよ、だからとりあえず俺は待ってたんだよお前が戻ってくるのを。それが三〇分経っても戻ってこないし、さすがに俺も怖くなってさ。それに俺のスマホもバッテリー切れになるしで連絡もつかないし、仕方なくここに戻って待ってたんだよ」


 なんてこった。それじゃさっきまでオレの後をついてきてた足音は、鼻をすする気配は、あれは何だったんだ?

 痺れにも似た寒気がオレの全身を包み込む。続いて足はガクガクと震え身体からだに力が入らず、今オレは立っているのがやっとだった。


「なあN、帰りの運転、頼めるか?」


 Nはニコリと微笑んでオレから車のキーを受け取ると、オレの向こうにそびえる黒い建物を見て言った。


「ひょっとしてお前、心霊体験しちゃったのか。クソッ、俺も一緒についてけばよかったぜ」


 そして恐怖と安堵で目にうっすらと涙を浮かべていたであろうオレの顔を見ながらNは続けた。


「次は俺も一緒に心霊体験するからな」


 そう言ってニヤリとした笑みを浮かべたNの顔は、淡い月明かりにほんのりと照らされて青白く浮かび上がっていた。



 気ままに走ればそこは墓地だって?

 ふざけるな、もう二度とゴメンだこんなこと。

 いっそのこと冬のボーナスで車を買い替えるか。そう言えばNのヤツも次のボーナスを頭金にして車を買うって言ってたっけ。


「なあN、もしよかったらオレの車、冬のボーナスまで貸してやるよ。どうだ?」




闇夜行路

―― 完 ――

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