第13話 中間テスト

 この高校は一応ではあるが進学校。テストが近づくとどの学年もほとんどの生徒が勉強に熱を入れる。俺もテスト勉強はするが特に苦手な教科はないし、学年上位も目指していないので軽く復習するぐらいで済ませている。だから今回も出来はまずまずだった。

 全日程を終了してテストから解放された生徒たちの表情は明るい。……数人を除いて。


「もう最悪だよ……マジで数学わかんなかった……」


 優也は問題用紙を睨みそんなことを言う。自業自得だ。


「遊んでたツケが回ったな」

「ちゃんと勉強したっての。そう言う蒼太はどうだったんだよ」

「数学は両方手ごたえあった」

「両方?……ああ、理系は数Bもあるのか」

 

 文系は数Ⅱだけ。俺は理系を選んだので数Bも受ける。数学は得意教科なので一年の文理選択は迷うことなく理系にした。

 

「よくやるよなぁ。数学がなんの役に立つのかわかんねぇのに」


 出たよ。数学嫌いの常套句。数ある教科の中でなぜ数学ばかり否定されるのだろう。ほかの教科で同じような文句は聞いたことがない。

 こういう奴には、三角関数や微分積分がどんな場面で活用されているか力説しても効果はない。当事者ではないから大抵は「ふーん」で終わる。だが、ここであっさりと肯定するのも癪だ。


「何言ってんだ。数学は充分役に立つ」

「例えば?」

「大学受験」

「俺は推薦で行くから問題ない」


 推薦される確証があって言っているのだろうか。


「大学は学部によって数学が必要になるから気を付けた方がいいぞ。経営学部は文系だけど数学使うらしい」


 優也は淡泊な声で「へぇ」と返す。どうでもいい、とでも言わんばかりだ。だめだこりゃ。

 俺は無意識にため息が出た。ふと吉野に視線を移すと、五十嵐を含めて五、六人はいるだろうか。とにかく多くの生徒に囲まれている。


「葵ちゃん、今回も学年トップいけそう?」

「どうだろ……ていうか、この高校、学年順位発表されないから出来がよくてもトップかどうかはわかんないよ。そもそも、二年から文系と理系で分かれるから順位出せないんじゃない?」

「あ、そっか。葵ちゃんは理系だっけ」

「うん。理系はちょっと難しそうだから文系にするつもりだけど、苦手意識っていうのかな。そういうのは早いうちに克服した方がいいと思って変えたの」


 意外だ。吉野はオールマイティーのイメージが強い。実際、運動と勉強はともに学年トップクラス。弱点らしいところは見当たらない。


「へぇ、葵ちゃんにも苦手なものってあるんだ。いつもテスト満点なのに」

「いやいや。私、満点逃した回数の方が多いからね」


 それでも平均は九割を超えているだろう。個人的にはわざわざ文系と理系に分ける必要があるのか疑問だけどな。こんなシステムがあるの日本ぐらいだ。

 

「でも、一年の学年末は全部満点だったじゃん」

「え。私、学年末のテスト点数言った覚えないんだけど……誰から聞いたの?」

「聞いてはないけど噂で流れてたんだよ。『吉野葵が全教科で満点取った』って」

 

 五十嵐の言葉に、吉野が珍しく渋面を作った。結果が良くても人の情報を勝手に流されるのはいい気分ではないのだろう。結果が逆だったら赤っ恥だからな。

 吉野の心境を察したのか五十嵐は慌ててフォローする。


「あ、いや、その……噂を流した人は悪意があったわけじゃないと思うよ。むしろ葵ちゃんに感銘を受けて……えーと、葵ちゃんのすごさを知ってもらおうとしたんじゃないかな」


 五十嵐の狼狽える姿を見て優也は苦笑する。他人事みたいに……実際他人事だけども。


「まあまあ。テストのことはもういいじゃん。早く帰ろうよ」


 女子生徒の一人がそう言って仲介に入った。五十嵐はホッと胸をなで下ろす。

 

「蒼太、俺らも帰ろうぜ」

「そうだな」


 俺はそう返して腰を上げ、優也と教室を後にした。




「蒼太さん。それ、テストの問題用紙ですか?」 


 帰宅して遅めの昼食を済ませた後、リビングで自己採点をしているところで初音が声を掛けてきた。


「ああ。数学の採点してる」

「数学……聞いたことはあります。算数より難しいんですよね」

「まあ難易度は高くなってるな」

「……少し問題見せてもらっていいですか」

「いいけど、多分意味わからんと思うぞ」


 初音は俺から問題用紙を受け取ると、内容を見てさっそく眉根を寄せる。


「なんですかこれ。数字とアルファベットばっかり……小文字のaに似た文字もありますね」

「αだな。ギリシャ文字だ」

「あ、あるふぁ? ぎりしゃもじ?」


 案の定、初音は困惑している。一瞬だけ「ギリシャ文字」が「ギリしゃもじ」に脳内変換された。俺の頭は大丈夫だろうか。

 

「算数と全然違いますね。蒼太さんこの問題全部解いたんですか」

「まあな。出来は良かった」

「すごいですね。私は問題の意味すら理解できません」

「現代人でも問題の意味を理解できない奴は普通にいるぞ」

「そうなんですか? 現代の方が理解できないなんて……相当難しいのでは?」

「数学が苦手だとそう感じるかもな」


 初音は問題用紙をジッと眺めて難しい顔をする。何を考えてんだ。


「……やはり私には難しすぎます。ほかの教科も見せてくれますか?」


 よくわからないがテストに興味があるらしい。俺は鞄から英語の問題用紙を取り出してそれを渡した。


「……文章が読めません」

「だろうな」

「このテストを作った師匠……ではなくて先生は外つ国の方?」

「いいや、日本人だ。英語のテストつってもほとんど日本語で書かれてるだろ」

「あ、確かにそうですね。英語の文章自体は少ないです」


 本当の意味で英語の実力を試すなら、すべて英語にした方がいいんだろうけど、マジでわからなくなるし問題を作る方も手間がかかる。

 

「あっ、私この単語知ってます」

「どれだ?」


 俺が訊くと、初音は英文にある単語の「like」を指差す。


「これ確か『好き』って意味ですよね」

「意味というか、一般的にはそう訳されるな」

「もうひとつ似た意味の単語を実里さんに教えてもらったんですけど……なんだったかなぁ」


 おそらく「love」だろう。母さんの性格的に余計な知識を吹き込んでそうだ。「月が綺麗ですね」とか。


「物事を覚えるのは得意な方だと自負してたんですけど、英単語はどうも苦手で……蒼太さんは知ってます?」

「……あくまでも推測だぞ」

 

 俺はそう前置きして要らない紙にスペルを書いた。初音は「そうです! これです!」と言って頷く。


「確か『love』の方が好きの度合いが大きいんですよね」


 これはどう返せばいいのだろう。大ざっぱに比較するならそうかもしれない。


「……そうだな。それで合ってる」

「歯切れが悪いですね。何か違うところでもあります?」

「いや間違ってない。ただ単に返事が遅れただけ」

「そうですか……ところでテストの出来はどうだったんです?」

「英語はまだ採点してないからなんとも言えない。まあ、八割あれば御の字だな」

「結構得意なんですね」

「学校のテストなんて、出題範囲を把握すれば必死に勉強しなくても点数は取れる。学年上位を狙うならそれなりの努力はいるけどな」


 そう考えると吉野の努力は相当なものだ。とても真似はできない。


「蒼太さんは上位を目指してないんですか」

「目指す理由がない。受験や就職みたいに将来を左右するわけじゃないし」

「将来……」 

 

 初音はそう呟いて黙り込む。


「どうした急に」

「私、将来のことを考えたことがなかったので……なんというか、この先どうなるんだろうと思って」

「お前の場合は考える余裕がなかっただろ」

「ええまあ……」

 

 しかし初音の将来ね。当分は居候することになるだろうが、いつまで続くか。現時点ではほかに頼れる人間がいない……これは思ってたより深刻だな。

 場の雰囲気が重くなる。と、初音は気を紛らわせるためか話題を変えた。


「そ、それはともかく明日から通常の授業なんですよね」

「あ、ああ。だから帰ってくるのがまた遅くなる……」


 しまった。口を防いでも時すでに遅し。初音の表情がまた暗くなった。


「……家にはなるべく早く帰ってくるようにつとめるよ。だからそう落ち込むな」

「……はい」


 マジでどうすりゃいいんだ。せめて近況報告ぐらいはできたらいいのだが、初音はスマホを持っていない。俺が家の電話にかけて……厳しいな。ほかの生徒、特に優也に見られたら間違いなく訊かれる。

 こうなったら母さんに頼んで新しくスマホを買ってもらうか……ただ、それだとまた金銭的な負担が……待てよ。確か、部屋に中学時代に使ってたスマホがあるはず。

 俺は一旦部屋に戻り、いくつか引き出しを開ける。よし! あった。


「蒼太さん、急にどうしたんです……って、それはスマートフォン? 二つ持ってたんですか」

「これは捨てるのもったいなくて置いてたんだ。お前にやるよ」


 メッセージアプリはすでにインストールされている。あとはネット環境さえ整えれば連絡が取れる。近くに無料のWi-Fiスポットがあれば万事解決だけどウイルス感染が怖い。

 

「あの……頂けるのはありがたいんですけど、私、スマーフォンの使い方知りませんよ」

「……あ」


 どうやら課題は山積みみたいだ。……世の中やっぱり甘くねぇな。

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江戸吉原の美少女が俺の家に居候することになった件 田中勇道 @yudoutanaka

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