第12話 お出かけ3
ファミレスの近くにあった公園まで移動すると、俺は初音と並んでベンチに座り、次に行く場所を考えていた。ノープランで始めたのでぶっちゃけ行くアテがない。
俺は初音に自販機で買った水を渡した。ジュースでも良かったのだが初音は余計なものが入っていない方がいいだろう。
「蒼太さんには借りを作ってばかりです。私は何から返していけばいいのか……」
「俺が勝手にやってるだけなんだから、いちいち借りを返そうとか思わなくていいんだよ」
「そうでしょうか。借りたものは返すのが当然だと思うんですけど……」
普通はそうだけどな。バレンタインにチョコを大量にもらう奴はホワイトデー大変だろうな……それは関係ないか。
俺の持論に初音は不思議そうな表情を浮かべた。初対面のときと少し似ている。
「蒼太さんは優しいのか冷たいのかよくわかりません」
「少なくとも俺は自分が優しいと思ったことは一度もない」
「それは『ツンデレ』というやつですか?」
「お前また変な言葉覚えやがったな……」
母さんの仕業だろうが教えるなら日常で使える言葉にしろよ。ツンデレなんて日常会話で使う機会ないぞ。
「そんなことよりさっさと水飲め。まだ暑くはないけどそのうちぬるくなるぞ」
「
「そう言う割には嬉しくなさそうだな」
初音の口調は嬉しいというよりは呆れに近い。
「嬉しくない、というのは語弊があります。そりゃあ最初は戸惑いましたけど、慣れてくるとこの現代がどれだけ恵まれているのか実感しました。だから少し罪悪感があるんです」
「罪悪感?」
「多くの姉さんや禿、振振が吉原を出られずにいるのに、私だけこんな豊かな生活を送っていいのかと思って……」
なるほど。確かにほかの遊女が現代を知ったら初音に嫉妬するかもしれない。「こっちは毎日苦しんでるのに、お前だけのうのうと暮らしやがって」みたいな。
「お前は何もしてないんだから罪悪感なんて持たなくていい。それに、過ぎたことを気にしても仕方ないだろ」
「……蒼太さんは大切な人と二度と会えない状況になっても『仕方ない』で済ませるのですか?」
「え?」
「私は正直、吉原に戻りたくありません。でも、見世の人に会いたいという気持ちはあります。些細なことでもいいから話したい」
俺は言葉に詰まった。初音は続ける。
「書店でも言いましたけど、私は花魁になれなくてもいいんですよ。興味ないですし。ただ、お職の振振が花魁になれなければ姉さんに恥をかかせてしまう。考えすぎかもしれませんけど私はそう思うんです」
初音はそこまで言って水を飲んだ。長く話して喉が渇いたのだろう。
「すみません。私から一方的に話してしまって」
「謝らなくていい。俺の方こそ勝手なこと言って悪かった」
それからお互い無言になった。もはや「次、どこ行く?」などと呑気なことを訊ける雰囲気ではない。かと言ってずっと黙っているのも気まずい。
「……お前の花魁ってどういう人なんだ」
「姉さんですか? そうですね……あまり笑うことはありませんけど優しい人ですよ」
「そうか。お職ってことは馴染みは多いのか」
「ええ。何人いるのかはわかりませんけど、見世の花魁ではダントツだと思います」
「へぇ」
やはりトップと二番手とでは大きな差があるのか。
「蒼太さん、姉さんに興味あるんですか?」
「多少な」
「曖昧な答えですね。……まあ蒼太さんなら姉さんの
「ふぅん。その手練手管がどんなものかは知らないけど、現代の男にも通用するとは限らねぇぞ」
俺の言葉に初音はムッとした。毎度こいつは感情がすぐ顔に出る。
「人の心理はそう簡単に変わりません」
「かもな。でも、世間の常識はかなり変わってる。お前さっき言ってたろ? 『最初は戸惑った』って」
初音はずっと吉原にいたから庶民の暮らしは知らんだろう(俺も詳しくは知らない)が、現代とのギャップは感じているはずだ。実際、服装や髪型は大きく変化してるし、情報量は江戸時代と比べたら指数関数的に増加している。
「はい。というか、すぐに慣れる人なんていませんよ。蒼太さんだっていきなり吉原にええと……タイムスリップして『ここ、もしかして吉原? すごい!』とはならないでしょう」
「まあな。スマホやパソコンはないし、移動手段も限られてるからストレス溜まりそう」
話題が完全に吉原にシフトしてしまった。初音が相手だとどうしても吉原のことが頭に浮かぶ。書店での言葉の真意も気になっていたから尚更だ。
手元のペットボトルを見ると中身はほとんど減っていない。相当話に夢中になっていたのか。
「……蒼太さん、どうかしました?」
「いや別に。つーか、お前マジで欲がないんだな」
「欲? 食欲はありますよ」
「さっきファミレスでハンバーグ食ったばっかりだろ」
こいつは食べることしか頭にないのだろうか。
「俺が言いたいのは花魁のことだよ。どんな事情があるにせよ、吉原に来たんなら大体の子は花魁になることを目標にするだろ」
「ああそのことですか。蒼太さんはすでにご存じでしょうけど、花魁はとにかく多忙なんです。私は振振ですけど姉さんの近くにいたのでよくわかります」
ご存知ですとも。吉原遊郭検定なるものがあれば準一級は取れる自信がある。一級を取るには本一冊は書けるぐらいの知識が要る……ということにしておこう。
「……仮にだぜ、お前の花魁がお職じゃなかったらどうしてた?」
初音の真意を聞いた限りだと、その花魁がお職でなければ自分は振振でなくても、例えば番頭新造(現代で言うマネージャー的な存在)でもいいと解釈できる。
初音は頬を掻き、十秒ほど経っておもむろに口を開いた。
「……多分、番新になってたと思います。名代を務める必要はありませんから気が楽といいますか。登楼して姉さんに振られた方は不機嫌になることが多いので……」
「話し相手がいるだけマシだと思えないのかね」
「さあ。私はやるべきことをやるだけですからとやかくは言いません」
普通の女子ならとっくに鬱になっているだろう。メンタルの強さなら大人にも引けを取らないかもしれない。
「……そういえば私たち、何をしにこの公園に来たんでしたっけ」
「なんだったっけな……」
遊びが目的でないのは確かなんだけど……忘れてしまった。
「……ま、いいや。帰ろう」
「そうですね」
俺は腰を上げて残っていたソーダを一気に飲み干す。ゲップが出そうになるのを我慢してペットボトルをゴミ箱に捨てた。無理に飲むもんじゃねぇな。
ふと、初音が俺の右手を握ってきた。振り向くと、彼女は柔和な笑みを浮かべている。
「こうしないと私、蒼太さんとはぐれるかもしれないので……帰るまでいいですか?」
「あ、ああ……別にいいけど……」
なんだ? やけに胸の鼓動が早くなっているような……疲れはないはずなのに。
「蒼太さん、少し顔赤いですよ」
「太陽の光浴び続けてたら誰でも赤くなるだろ」
「じゃあ、私の顔はどうです?」
鏡で見ろよ、と言おうとしたが俺が口で伝えたほうが早い。
「……白いな」
あまり意識していなかったが彼女の肌は全体的に白く艶がある。年齢も関係してるだろうけどある程度の手入れをしていないとこの色艶は保てない。
「体質の違いだろ。詳しくは知らねぇけど」
「そうですかそうですか」
「腹立つ言い方だな」
なんなんだこいつ、いきなり人が変わったように……小悪魔かよ。ふいに初音が何かを呟いたが周りの音でよく聞こえなかった。
「……これが私の手練手管です」
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