「郁くん、校庭で誰か待ってるみたいだよ」

 散々夏休みの過ごし方について念押しされる終業式を無事乗り切り、終礼も済んだ教室は、あらゆる情報がごった返している。それに聞き耳を立てながら鞄に荷物を詰めていた郁に、隣の席の女子がそう言った。郁はその子にお礼の言葉を返した。もちろんいつもの笑顔も忘れずに。

 放課後に校門の前で待ち伏せされることは何度もある。一時あまりにも人数が集まりすぎて問題になったこともあったりした。それ以来郁はそれなりの関係になった女の子には、それこそ文化祭などの行事でない限り学校に来ないようにと話している。

 窓からぎりぎりではあるが校門が見える。郁は誰なのかを確認しようと、窓を開けて身を乗り出した。蝉の鳴き声と熱気が、冷房で冷やされている教室に侵入してくる。郁の行動を見て、窓の近くにいた数人も、同じく校門の方に目をやった。

 かなりの距離があるにも関わらず、校門にいる一人が郁の方に手を振った。その容姿を確認した郁は、自分の鞄をひったくるように持ち教室を飛び出す。その郁に何人かが声をかけるが、それに応える余裕はなかった。

 黒い髪に白い肌。やけに見覚えのあるシルエットだった。

 まさか、と思いながら、郁は階段を駆け下り、靴を履き替え、校門へ急ぐ。

 奇妙な出会いをして約一ヶ月。未だにその正体を掴めていない女の子が一人いた。いつもなら同じ時間でかなり親密になっているはずなのに、郁自身が持つ疑問が未だに晴れていない。相手が自分をそう思うことはよくある。自分のことをあまり表に出していないため、当然と言えば当然のことである。しかし、全く同じ状況に自分が陥るなんて思ってもみなかった。そんな相手のことを想像した。

 あれから二週間弱の時間が経っていた。

「すごいね。郁に用があるっていったらすぐだったよ。というか郁に用ですかって聞かれた」

 退屈そうに門に体重を預ける体勢でそこにいたのは、思った通りの人物だった。相変わらずの容姿は、見惚れてしまうほどに綺麗なものである。

「……何、しに来たんだよ」

 思いのほか全力疾走をしたため、息が持たない。郁は鞄を地面に置き、肩で息をしたまま尋ねた。汗だくの郁に比べ、相手は涼しげな表情をしている。それなりに日差しが強く、気温も高い。日の当たるこの場所で郁のことを待っていたはずなのに、汗ひとつかいていないように見えた。

「これ、渡しに来ただけ。仕事中に電話が鳴るの迷惑だから」

 手渡された紙を開くと、筆記体に似た走り書きでメールアドレスがあった。それが相手のものであると理解するのに少し時間がかかる。

「何かあったら連絡しな。気になる子がいるんでしょ」

「恋愛の神様だから、悩み相談に付き合ってあげる、的な?」

「正解。物分かりがよくて助かるわ」

 まただ。自分は神様だから、なんてありえないことを言って気を逸らそうとしてくる。

 郁は無意識に小さく舌打ちをした。手にあるメモを握りしめる。

 ただ、考えて自分の中で出した、最悪の答えに匹敵していることは確かであった。

 一花の言う通り、郁には一人、気になる相手がいる 。簡単には手に入らない、掴めない、そんな相手だった。その子との関係を持つためなら、何でもやると決めていた。もしも目の前の相手が本当に神様なら。そんな馬鹿げた考えが頭に浮かんできてから離れなくなっていた。

「じゃあ、後で連絡するわ。一花ちゃん」

 使えるものは使えるだけ使う。利用する。

 郁の言葉を聞いて満足したのか、一花はじゃあね、と踵を返し、学生の波に紛れて郁の元を去ろうとする。そして、何かを思い出した素振りでもう一度こちらを向いた。

「これから青春真っ盛りの夏を過ごす郁くんにひとつアドバイス」

 郁のこの決断が、これからの人生を少しだけ変えることを、一花も知らない。ただ、今分かっていることだけ、そのまま口に出した。

「今のところ君は『赤い糸の先がないかわいそうな少年』だよ」

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少年Iとの関係 中ノ瀬 @kkynn

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