「葉月、これおみやげ」

 定時にあがった一花は、自分のデスクに積まれた書類に埋もれている葉月に声をかけた。顔をあげた葉月の顔には珍しくクマがある。

「寝てないの?」

「彼氏と破局した、慰めて」

 一花は縋りついてくる葉月をなだめたりはせずに、隣のデスクの椅子を拝借した。支障ない程度に机の荷物をどかし、七絵のところから持ってきたシャーベットを開ける。

「割とすんなり別れたじゃん」

「何の仕事してるのかよく分からない女とは付き合えないんだと!」

「まあ、一理ある」

 一花のあっさりとした返答に、葉月は口を尖らせた。その表情すら可愛げがあるのはなぜなのか、一花の中の謎である。

 そもそも一花も葉月も神様なのだ。死を司る神、死神。易々と人間との関係を持てるわけではない。それでも人間らしい生活を求め、葉月のように交友関係を持ったりもする。良いとはされていないが、止める理由がないため、制されてはいない。それでも多少の噛み合わなさが生じてしまう。

「神様だって言ったの?」

「言うはずないでしょ。ザ・死神みたいなことをしてるわけじゃないし、よりによって死神ってところがもう終わってる」

 死神といってもすべてを一人がこなしているわけではない。国ごと、地域ごとに分かれ、そこから業務ごとに細分化されている。一花は主に死んだ後に現れる魂を回収する仕事を、葉月は魂を浄化して来世を与える仕事を担当している。世間が想像する死神像とは勝手が異なるため、無知の相手に説明するのは困難なことであった。

 一花も死神だと名乗ると、骸骨のお面や大きな鎌を持っているのではないのか、と尋ねられるのは飽きていた。いちいち説明するもの億劫である。それでも毎度ご丁寧に解説をする自分は律儀で偉いと褒めることしかない。

 葉月は一花から手渡されたシャーベットを口にし、一花の顔を見た。何か分からず一花は首を傾げる。

「めっちゃ美味しい。これどこの?」

「行きつけの喫茶店」

「一花にそんなところあったんだ」

「今の超失礼だからね」

 不意にポケットに入れていたスマートフォンが振動する。一花は画面を確認して、そのままポケットに戻した。

「誰から?」

「ネロ。だから大丈夫」

「何が大丈夫なのか全然分からないけど」

 あっという間にひとつ食べ切った葉月に、一花は数口だけ食べたシャーベットの残りを渡した。葉月はお礼を言い、二つ目を堪能する。

 あれから七絵のところに顔を出していない。下手すればまた郁と居合わせてしまうかもしれないからだ。行くタイミングを窺っていては、当分顔を出すことはできそうになかった。

 郁からの連絡は、あの日以来途絶えていた。もうこれ以上顔を突っ込まれても困るので、一花は一生連絡が来なければいいのに、くらいに思っている。

「そういえばそっちの彼氏は?」

「は?」

「電話の子」

「付き合ってないし、その気もない」

 電話繋がりで思い出したのだろう。葉月は二つの空容器を片付けながらその後どうしているのか、一花に尋ねる。

「別に何にも」

 詳しく話す必要もないだろう、と一花は適当にはぐらかすが、葉月は気になるようで質問を続ける。

「連絡先は交換したの?」

「既に電話番号知ってるじゃん」

「え、メールアドレスは?」

「してない」

「一花も向こうもどういう神経してんの……」

 消極的な一花に葉月は呆れた顔になってしまう。自分から仕掛けておいてつべこべ言うのもどうかと思うが、一花は他人に興味がなさすぎると感じることが多い。よく自分と仲良くしてるな、と葉月は思ってしまう。

 言い方を変えれば、こういうこと如きで一花の何かが変わるわけではないということが分かったので、半ば安心している部分もあった。もちろん葉月は冗談で、一花もそうだと分かっているが、万が一付き合うなんてことになったら、葉月の中の一花像と解釈違いを起こすところだった。

「てか別れるの結構遅かったね」

 話を戻してくる一花を、葉月は睨んだ。傷を塩で抉ってくるような質の悪さである。

「遅いって何よ。別れる前提じゃん」

「だって葉月の相手はアイツじゃないもん」

 当たり前のようにそう返す一花は至って真面目であり、それは真実であった。葉月に伝えていないのは、本人に言うなと止められているからであり、いつでも教えることはできる。

「はい、でました」

 葉月は再びデスクに身体を預けた。電源を落としたパソコンのキーボードが頬に当たる。痕ができることを気にする余裕などなかった。

 神様と名乗るには、そう認められるための能力が必須である。一花の場合、運命の赤い糸が見えることで神様となった。もちろん葉月はそれを知っており、だからこそ自分の恋愛に干渉しないように釘を刺してきた。もっと言えば、運命の相手が誰であると決められていること自体が不服なため、神様の思い通りにはいかせないと必死なのだ。自分も神様ではあるが、それでも思うところがある。一花が声をかけてきた男性をたらい回しにしてくるのも、これが関係してくるが、恋愛関係の神様の協力など鬱陶しいに他ならない。

「私の話はもういいでしょ。一花の話しようよ。結局その男の子とはどうなったの」

「何もない」

「何もないなら何度も会ったりしないでしょ。私が知ってる一花はそういう女の子だもん」

「よく分かっていらっしゃること」

 一花は資料室に返そうとしていた書類の束を掲げて言った。死神の仕事をするにあたり、その人間がどういう人物であったのかを知る必要があるため、神様たちが共有できる資料が存在する。出生のことから人間関係、趣味嗜好まで細かく書かれたそれは、長く生き、経験が多いほど量も比例して大きくなる。高校生にしては多い情報量をもつ郁の資料を流し読みする葉月は、一花のことを軽蔑した目で見ざるを得なかった。

「もしかしてだけどさ、これ使ったの?」

「情報収集が得意らしいから、同じことしてやろうと思って」

「まだ十代の人間に何マウントとってんの」

 片手で持つのは避けたい重さの資料を一花に押しつけ、葉月は頬杖をつく。ろくに寝ておらず、生活リズムが崩れているのが影響して出てきたニキビが爪にあたった。

「で、何が気になってここまでしたのさ」

 細い腕では抱えきれず諦めて床に置いた一花は、不機嫌そうに尋ねてくる葉月の言葉に首を傾げた。明確な理由があるわけではないからだ。ただ、少しだけ引っかかることがあった。

「赤い糸が見えなかったんだよね」

 人にもよるが、産まれてきた段階で赤い糸が結ばれていることもある。相手が出生していなかったり、運命の相手として釣り合っていないといった理由で見えないこともあるが、高校生ともなれば、ほとんど全員に赤い糸が現れる。ずっと同じ相手と結ばれていたり、環境などの個人の変化で相手が変わることもあるが、そういう相手は十代半ばになれば誰にでも与えられるようなものである。

 それなのに、高元郁の赤い糸は見えなかった。

「珍しいから、少し気になっただけ」

 興味よりも素性が顕著になっていく危険性の方が高かった。だから一花は暇潰し程度に、郁に呼ばれれば姿を見せていた。最後に会ったときにも、赤い糸が見える兆しは全く確認できなかった。

「自分と、って可能性は? 自分の糸見るのあんまり好きじゃないんでしょ」

「残念なことに相手は変わっていない」

 上の空な状態に近い一花を見て、葉月は世話のかかる子だな、と感じた。実際、生活リズムが死んでいる一花は一人では生きていけそうにないと思っているが、自分自身の感情にここまで鈍感となると、さすがに呆れてしまう。

「最後まで見届けてあげたら? 神様の娯楽的な感じでさ」

 それが恋愛的なものでないとしても、一花が誰かに興味を持つこと自体、葉月にとっては大きな変化だと思えた。

 葉月と知り合う前は、各方面から釘を刺されても尚、人間と干渉していたと聞いたことがあった。それから絶縁状態が続いていると本人からも聞いていたが、行きつけの喫茶店を作るくらいにはまた関わる気になったということだ。

「責任取って幸せにしてあげるのも、神様の大事なお仕事だけ思うけど」

「……ありがとう、ママ」

「一花の方が長生きしてるでしょ」

 思い立ったように、一花は葉月のデスクにあるメモとボールペンを手に取った。そして走り書きをしたメモを丁寧に二つに折る。

「ちょっと、用事思い出した」

 郁に関する資料を代わりに返すように押しつけ、文句を言いながらもひらひらと手を振る葉月に見送られて一花は先を急いだ。

 一花は恐らく同学年の子たちと会話をしていた郁を思い出す。和気あいあいとした雰囲気を装う中に、不穏なものを感じずにはいられなかった。七絵と話していたときも、自分に声をかけたときも。

 肩の力の抜き方を忘れているように思えた。

 もっと楽に生きれるはずなのに。

 無理やり頭に叩き込んだ情報の中にあった郁が通っている高校名を検索し、そこへ向かう。

 頭上では夏が来たと思わせる虫の声が鳴り始めていた。

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