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一週間も経たないうちに、一花のスマートフォンに郁からの着信があった。指定された時間に、七絵の喫茶店に足を運ぶ。向こうがどんな理由で呼び出したのかは定かでないが、一花にとっては明確な目的があったので、幾分足取りは軽かった。
時間ぴったりに喫茶店に入る。七絵は一花のことを確認すると、ご丁寧に郁が座っている二人席を指差した。カウンターで飲み物を頼み、受け取ったあとに、郁の向かいの席に座る。
郁の顔は、一花が予想していたよりも険しいものだった。理由を何となく察した一花は、無言でアップルジュースを飲む。もちろん氷なしである。
「呼び出しておいて無言はどうかと思うけど」
どのくらい前からここにいたのか正確には分からないものの、グラスから伝う水滴の量からして随分前からということは分かる。
ビジネスパートナーという便利なポジションにいるネロに頼み、一花はここ数日に高元郁の情報を一通り掴んでいた。職務乱用といえばそうであるが、バレなければ問題ない。そこで得た情報が今の郁の態度を説明しているのは明確であった。
「あたしのことはある程度分かった?」
その行為にあまり罪悪感を伴うことがない。似たようなことを目の前の相手もしているからである。
「何も話されてないのに?」
「お得意の情報収集はうまくいきましたか、って聞いてんの」
一花の言葉に郁の表情が強張る。どこかでボロを出したのかと頭をフル回転させるが、思い当たる節はなかった。
そもそもそういう指摘を受けることすら一度もなかった。自分で評価するのもどうかと思うが、郁は本性を周りに見せない代わりに、それなりに広い交友関係を築いてきた。持ち前の顔の良さと親しみやすさで、幾分簡単に人の懐に入り込んできたのだ。それでも本質が見えないと言われることは少ない。両手で数えきれる。
そのはずなのに、数回会っただけの目の前の人物が自分の核心に迫りつつある。
「ひとつ言っておくなら、君が集めた情報のほとんどが真実だよ。まあ、全部七絵からだろうけど」
手汗を太ももで拭うが、あまり改善はされない。嘘だ、と口にしようとするが、声が出なかった。慌てて頼んでいたカフェオレを流し込む。
一花という人物について知っている人がやけに少ないのは、郁の中で大きな疑問だった。長い黒髪、白い肌、長い睫毛に光のない黒い目。細い手足は普通に掴んだだけでも折れてしまうかもしれないと思わせる。誰もが放っておくわけがないような人物を、知っている人がほとんどいなかった。見たこともないという人ばかりである。唯一交流をもつ白河七絵からの情報は非現実的な話ばかりで俄かに信じがたい。
「一花ちゃんが神様ってことが?」
「ぴんぽーん」
郁の情報処理が追いついていないことは、見ていれば一目瞭然であった。一花は郁がひとまず答えを出すまで待つことにする。
「そうだとしても、何で俺の誘いに乗ろうとしたの」
「最初に言ったでしょ。かわいそうだと思ったからだって」
「何で、そんなこと」
「それは『高元郁』くんとちゃんと話せるようになってからかな。今の君に話しても、受け流して終わるだろうからね」
こう物事が思い通りに進まないことについて、郁が苛立ちを感じているかといえば、嘘になる。もともと自分の考えに賛同して面白おかしくついてくる人を見るのが滑稽で楽しいと思っているタイプであった。それなりの人付き合いをしているのも、一花のように街中で声をかけて誘うのも、根本にはそういう感情が渦巻いている。
そして、こうして簡単には口説けない女が、何よりも好みであった。
「で、いつになったらあたしはちゃんと君と話せるわけ?」
それを分かっていて、一花はもう一度郁に問いかけた。
そういう気持ちになってしまう原因があることは分かっているが、それで人生を棒に振るのは間違っている。一花は脳裏にちらつく光景をかき消すように、強めの口調で言葉を続けた。
「みんなに『高元郁』として、そんなに好かれていたいわけ?」
油を注ぎすぎたか、と顔色を確認する。郁の顔からは笑みが消えていた。正確には薄ら笑いではなく、嘲笑のような表情に変わっていた。
間違えたかもしれない。一花は都合が悪そうに頭を掻いた。
「全部分かってて、わざと挑発してるとは思わないか。さすがに」
「は?」
「やっとこっち見たな、少年」
郁は一花のしてやったり顔を見て、奥歯をきつく噛んだ。ここまで自分の思い通りにいかなかったのは二度目だ。
「情報収集が十八番なのは自分だけだと思ってるわけ?」
郁の一花に対する不信感が増したのを肌で感じた。
葉月に仕返しをされて思ったが、自分が他人にしていることをやられると、いつも以上に頭にくる。そして自暴自棄になりやすい。まだ人生経験の浅い郁なら尚更だった。
「こちとら神様だぞ」
もともと知っている風に話しながら、一花はネロに用意してもらった郁に関する資料の内容を必死に思い出そうとする。このまま大人しく話を聞いてくれる材料はないのか。卑怯ではあるが、相手の心を抉るのには十分である。
郁は無意識に椅子を引いていた。力でねじ伏せられるよりも重い圧を全身で感じている。手を伸ばせば掴める距離にいるはずなのに、ものすごく遠くから、脳内に直接語りかけてくるような感覚があった。
「あたしは一花。世間の言う赤い糸が見える神様」
聞いたこともない情報が流れ込んでくる。
「君の誘いにのった最初のきっかけは、何度も言うけどかわいそうに思ったから。神様っていろいろ役割があって、あたしに今までのことを懺悔しても助けられる力量は持ち合わせてないんだけど。君の抱えている悩みを解決する自信はある」
郁の脳裏に、赤い髪がよぎる。
そのためなら何でもすると自分自身に誓った。周囲の人間関係を把握し、浅く広い交流関係はここ数ヶ月でかなり拡大している。それでも何かが足りない気がして、片っ端から情報を集めていた。
いつか使える、いつか役立つ。
自分のために、みんなきっと。
「君は相当頭がキレるからね。たくさん考えて、ちゃんと答えが出たら、また連絡ちょうだい」
また前回みたく置いて行かれそうになる。郁は咄嗟に一花の腕を掴んだ。見た目よりもその手は細く感じられた。
「何も知らないくせに、何なんだよ」
「だから言ってるでしょ。神様だって」
その一言で押し通そうとする一花が、あまりにも信じられなかった。
それですんなりと信じるとでも思っているのだろうか。
郁は自分のことをどこで聞きだしたのか、声を荒げて尋ねた。一花の神様だから、という一点張りが、癪に触る。
「お前だって、自分をそうやって偽ってんじゃないのかよ」
「お、やっと自分を偽ってるって認めたね」
誘導させられた。いつもしていることを、やられた。
無意識に一花の腕を握っていた力が緩んだ。一花はそれを逃さず、郁から一歩引き、掴まれていた部分を擦った。
「じゃあね、郁」
一花が初めて自分の名前を呼ぶ。普段ならそこに気づいてまた距離を縮めようとするが、今の郁にそんな余裕はもちろんなかった。
心配そうにこちらの様子を窺っていた七絵に詫びると、あんな郁くん初めて見た、と耳打ちされる。一花は意気消沈している郁の背中を見た。確かに、あんな姿を見せていると知った瞬間、本人はそそくさと店を出るだろう。薄っぺらい笑顔と、出まかせの言葉で身を守りながら。
持ち帰り用のシャーベットと、二人分のドリンク代を支払い、一花は七絵に手を振った。店の外では白猫が不機嫌そうに待っている。
「あれが例の子?」
二度ほど角を曲がったところで、ネロが口を開いた。一花は丁寧に包装されたシャーベットを押しつけながら、相手の表情を確認する。
「何、気になってたの?」
「そりゃあ気になりはするでしょ」
似たようなことをしている同士、気になるのだろうか。一花はそんなことを思いながら空返事をした。
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