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梅雨明け宣言がないまま、真夏日が続くある日。いつものように七絵が営む喫茶店に足を運んだ。扉についている鈴が鳴り、その音に反応してカウンター裏から七絵が顔を出す。
「やっほ」
「一花さん、いらっしゃい」
丁寧にセットされた髪が動きに合わせて揺れる。一花は寝癖の残っている髪をかきながら、カウンター席に座った。
店の奥からこちらを見る黒猫に手を振ると、そっぽを向いてどこかへ行ってしまった。一花は先に出してもらった水を口に含みながら、くすりと笑う。水滴がついた手は、そのままプリーツスカートで拭った。
近所にも評判なこの喫茶店とだけあって、店内はそれなりに混雑をしていた。テーブル席には、子ども連れのお母さん方と、複数の学生。一花の座ったカウンター席には珍しく誰もいない。
「今日高校生多くない?」
「テスト期間なんですって。懐かしいですよね」
「ああ、なるほど」
新しくなったと渡されたメニューから桃のシャーベットを注文する。七絵は、一押しです、と言ってから準備に取りかかった。
エアコンと扇風機、そしてその風に揺れる風鈴のおかげで、外よりも圧倒的な冷涼感があった。それでもなかなか引かない汗を一花は手の甲で拭った。喫茶店の壁に飾ってある複数の絵を眺めていると、七絵が桃のシャーベットを一花の前に置いた。
「お待たせしました」
綺麗に飾られたシャーベットをスプーンの先端で崩して、口に運ぶ。美味しいと伝えると、七絵は嬉しそうに笑った。
「お仕事は順調ですか」
「程々にやって、それなりにサボってるよ。いつも通り」
「夏はお盆があるから忙しいですもんね」
「おじいさんもちゃんと連れてきてあげるから安心しな。未来の孫に会いたがってるんじゃないかな」
「ありがとうございます」
他愛もない話をしながらシャーベットを食べていると、学生の席から見覚えのある容姿の子が空のグラスをカウンターに運んでくる。一花は露骨に嫌な顔をした。
「久しぶり、一花ちゃん」
「……どうも」
いつかと同じような笑みのまま一花に声をかけた郁は、持ってきた空のグラスを受け取ろうとカウンターの外へ急ぐ七絵をやんわりと止めた。
「おなかに赤ちゃんがいるんだから無理しないでください」
「ありがとう。でもこれもお仕事の一つだし、運動の一環なんだよ」
綺麗な金に染まった髪を耳にかけながら、郁は七絵にドリンクをいくつか注文した。七絵は言われた飲み物の準備に取りかかる。
一花は作業をする七絵を見ながら、桃のシャーベットを無心で口に運んだ。少し手をつけないでいただけでも、溶けだしてしまっている。時々紛れている果肉がいいアクセントになっていた。
七絵がドリンクを作るまでの間、郁は一花と同じくカウンター席に座って待っていた。整った顔だと、横から見てもはっきりと分かる。奥にいる学生に比べ、服装はかなり着崩されていた。
「ひとつ聞いていい?」
「くだらないことじゃないなら」
器に残っている溶けたシャーベットをスプーンに集めながら、一花は興味なさそうに言葉を返す。
「神様って何なの?」
「……七絵、勝手に話したでしょ」
郁の質問には答えず、一花はカウンターの向かいでグラスに氷を入れている七絵の方を見た。誤魔化すのは得意ではない七絵は、弾みで落としてしまった氷を拾いながら口を尖らせた。
「だって、私も一花さんについてあんまり知らないなぁって」
「七絵さんは悪くないよ。俺がしつこかったから」
郁と七絵の庇いあいを横目に、一花は器に視線を戻した。
一花はいわゆる死神であるが、それ以外は普通と豪語する少女であった。奇妙な縁で知り合った七絵には素性を明かしており、一花的憩いの場としてよくこの喫茶店を利用している。仕事上あまり人間と関わらない方がいいとされているので一花はそもそもそんなに人と会話をしない。しかし妙に一花に懐いてしまった七絵のためにもと、なるべくこの喫茶店には顔を出すようにしていた。
だが、そろそろその習慣も限界のような気がした。
明らかに厄介な人物に、気づいたら自分の情報が洩れているのだ。これを悪用されたら仕事に支障が出るのは目に見えている。
「でも、冗談でそんなこと言うなんて、七絵さんも、一花ちゃんも、俺を子ども扱いしすぎじゃない?」
いや、と一花は否定しようとして口を噤んだ。冗談だと思ってくれている分には問題ない。それが真実であると知られるのがタブーなのだ。
「郁くん、本当だよ。だって一花さんは私のおじいちゃんを弔ってくれたんだもん」
「ちょっと七絵、もういいから」
「それに、あの絵は高校生のおじいちゃんが一花さんをモデルに描いたんだよ」
「七絵ちゃん? やめてくれるかな?」
素直でいい子だからこそなのか。一花が止めようとしても郁に知っていることを次々と話していく。途中からは止めることすら諦めて、液状化したシャーベットを胃に流し込むことに集中することにした。
ちらりと隣に座る郁の様子を確認するが、表情は変わらず七絵の話に相槌をうっているだけである。意識的に表情を作り上げている人はこういうときに厄介である。どこまで信用していて、どこまで飲み込んでいるのかを一目で分からないからだ。
どう誤魔化そうか考えていると、奥の席にいる一人が郁のことを呼んだ。当の本人は空返事をするだけで、そちらに向かう気はないようだった。
「行かないの?」
「こっちの方が大切です」
「学生は学生らしく勉強しなさい」
飲み物の準備をするはずが、既に手を止めて一花に関する話に夢中になっている七絵から情報を聞き出す方に集中してしまっている。隣に本人がいるのに、他人から話を聞こうとする意図がいまいち理解できない。
一花は口を挟まないのが吉であると判断し、プリーツスカートのポケットから裸のお札を一枚出す。それをカウンターに置いた。氷が溶けてしまった水を飲み干し、手についた水滴はスカートで拭き取る。
「七絵、満足した?」
「うん、とりあえず私が知ってる一花さんはこんな感じ。合ってるよね?」
「全部本当のことすぎてあたしは引いてる」
郁に何か言われる前に帰ってしまおう、と席を立った。お釣りを持ってこようとする七絵に前祝いの一部だと言い、店を出る。
シャーベットと店内の快適さで冷やされた身体はすぐに熱も持つ。一花は面倒くさそうに前髪をかきあげながら、仕事用のスマートフォンを取り出した。胡散臭い白髪の名前を選び、電話をかける。
「あ、ネロ。あたし。ちょっと調べてほしいものがあるんだけど」
小癪な手を使おうとするならとことん仕返しをしてやろうと考える一花は、似たような笑みばかり見せる郁を思い出し、改めてかわいそうだと感じた。
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