自覚と無自覚
時計買うなら工芸区、というのはソフィアも納得する所。問題なのは二人が今いる場所。販売所のある南西側ではなく、北西の作業区画側。シイナからすれば、面識のある相手と交渉をしたかっただけなのだろうが、相手の立場を知って尚そう判断した図太さにソフィアは感服していた。邪気が無いといえば聞こえは良いが。
「ウィウスさん、こんにちは」
「ん? おぅ嬢ちゃん」
見上げる程の厳つい背中に向けて、躊躇いも無く声を掛けるシイナ。背中越しに相手を確認したウィウスは、知った顔に気をよくして向き直った。そして、別の知った顔を見止めて気を悪くした。
「厄介なもん連れて来たな」
「友達なんです」
「あ? 大丈夫なのか?」
「ソフィア……」
「まー仕方ないですし」
へらへらと気にした様子の無い本人の横で、シイナが渋い顔をしていた。マーロの時は全体的に冗談めいた空気の中だったが、今は違う。同じ内容にも拘らず、雰囲気の違いがシイナの気に障ったらしい。
「何か嫌」
「はい?」
「なんでみんな、そんなにソフィアを警戒するんですか?」
「シイナ⁉」
非難として放たれた言葉は、しかし意図したのとは違う相手に突き刺さった。三人全員が、ポカンとしている。
「ホント、ぶっ飛んでんな。そうだなぁ……」
「いや、乗らなくてもいーですから」
「猫かなんかが寄ってきたと思ってよ、撫でてやったらトゲだらけときた。しかも、気付いたらケツの毛まで毟られてたとなりゃあ、警戒もするだろ?」
「……」
「上手い例えしますねー」
付き合いが長ければ、それだけエピソードもあって、単なる好き嫌いでは区別できなくなる。お互いに立場があるから猶の事。それでも興味を持ち続けてくれているのだから、むしろ好意的なのだ。数日分の積み重ねしかないシイナには踏み込めない部分だった。当たり前の事なのだが、本人はショックだったようで、絶句している。
痺れを切らしたウィウスが先を促す。既にかなり無礼だ。
「で、なんだ、何の用だ?」
「あれ、門前払いしないんですか?」
「あったりめぇだろ。聞くだけは聞いてやる。それから追っ払う」
「さっすが、太っ腹」
「おめぇじゃねぇ、嬢ちゃんのだ」
「えー」
お互い分かっていてやっているなら、それこそ関係が良好な証。シイナが悲しそうな顔をしている。疎外感を感じているなら、これでカノンとソフィアとお揃い。
「その、今日はちょっとご相談したいことが」
「なんだ? 昨日の今日で借金か」
「えっ」
「この人、心読んできますからねー」
「おめぇに言われたかねぇ。それで? 嬢ちゃんおめぇ、自分がどれだけ無茶苦茶言ってるか分かってんだよな?」
「それは……でも、必要なものは必要で」
「は?」
「目覚ましが必要なんです。必ず返しますから」
「口だけじゃなぁ」
「それは、えっと」
見ていて可哀そうな程に委縮している。だからこそ余計に、ウィウスの態度が厳しいものになっていく。重荷なんて背負わないに越した事はない。それでも尚というのなら、自分に対してその覚悟を持たないといけない。これまでとは遣り取りする額が違う。千倍と一口に言ってしまえばゼロが三つ増えただけにしか思えないだろうが、それに伴うこもごもは爆発的に増加している。だからウィウスは促していて、ソフィアは黙って聞いてる。シイナがすべき事はこれまでと同じ。けれど誤った。
「そうだ、ソフィア、証人になって?」
「私⁉」
「お付き合い、長いんでしょ?」
「まー、そーですね」
泣きそうな顔で同意を求めてくるシイナに、ソフィアは曖昧な表情で頷き返した。それが弾みになったのか、シイナの舌が滑らかになる。
「だったら、ソフィアを信じてください。私は、」
「おめぇさんよぉ、てめぇが何言ってんのか、分かってんだろうな?」
「え? はい、ちゃんと返すので、」
「ちっ」
普段の勢いを取り戻しかけていたシイナをウィウスが遮った。非常に不快そうな顔つきで。
「ソフィア、てめぇはそれでいいのか?」
「しょー直、寝耳に水なんですけどねー」
「だろうな」
「まー、普段のシイナ見てる限りは、いーんですけど」
「普段、ねぇ」
「きょーちょっと、ちょー子悪いみたいで、」
「けっ」
ソフィアの言葉すら遮って、ウィウスは二人に背を向けた。
「裏回れ。好きなもん持ってきゃいい」
「あの、ありが、」
「シイナ、だったな」
「はい?」
「そんだけか?」
「えっと、」
「言いたい事はそれだけか?」
「……はい」
「ちっ」
販売所側へ行くには、敷地の外周をぐるっと迂回する必要がある。中を抜ければ近道になるが、昨日ウィウスが警告した通り、慣れない者が歩き回ると危険なのだ。挟まれたり、巻き込まれたり、溶けたり、焼けたり。
「絶対、怒ってたよね」
その道すがら、丁度役場の裏手辺りに差しかかった時、ぼそっとシイナが呟いた。ここまで無言だった二人。
「怒ってたってゆーか、うーん……」
「どうしよう、顔合わせ辛い」
「まー、暫く会う事も無いでしょーけど」
「ソフィア、お金貸して?」
「はぁ⁉」
「それでお支払いして、そうしたらきっと、」
「いやまーそれはそれで。とゆーか、ホントどーしたんですか? 今日ずっと変ですよね?」
「そうかな」
「それとも、コッチが本しょーですかね?」
「酷い……」
「あれー? なんか悉く外してきますね。朝何かあったんですか?」
「んー」
足を止めたシイナは、フェンスにもたれ掛って、自身のつま先を見つめた。そういった動作の一つ一つが予想外なソフィア。少しイライラしている。発言そのものの不躾さも去ることながら、やたらとソフィアに対する配慮が欠けている。気心が知れてきて甘えているのとはちょっと違う、理不尽な感じ。それでも黙って、シイナが話してくれるのを待っていた。
「ちょっと、夢見が悪くてさ」
「はい」
「……」
「え、それだけ⁉」
あまりにも簡潔すぎて、到底納得のいくものでは無いだろう。だから詮索せずには置けない。多少の不和を伴ったとしても。
「ずっと引っ張ってるんですか?」
「そんなつもりは無いんだけど」
「どんな夢か聞ーても?」
「覚えてない。ただ凄く嫌だった」
「あー、それで元気が出ない?」
「ううん、何か変に楽しかったり、悲しかったり」
「は?」
「フワフワしてる感じ。ずっと」
「フワフワ、ですか」
要は地に足が着いていないという事か。それを踏まえて振り返ってみれば、納得できる節もある。その場その場で思った事を思ったまま発言していたとすれば、不躾さも無遠慮さも説明がついた。つまりは理性が正しく働いていないという事で。
「シイナって、酔ったらはっちゃける人なんですね」
「あんまり変わらない筈だけど」
「酔った事自体はある、と」
「うん」
「抑え効かなくて上下にブレまくってるのかなー?」
「酷い」
「うーん……」
縋りつく様な目つきで見つめてくるシイナを視界の端へ追いやって、ソフィアは空を見上げながら悩み始めた。ふんわりと握った拳の親指で唇をぽんぽん叩いている。ぽよんぽよんと四回弾ませ、五回目を目前にして止める。
「戻りましょう」
「え?」
急にハキハキと喋り始めたからか、その内容が予想外だったのか、シイナが目を見開いた。露わになった大きな瞳をまっすぐ見据えて、ソフィアが発破を掛けた。
「ほら、行きますよ」
「なんで? 顔合わせ辛いんだって」
「だからです。ほら、さっさと行って、ちゃっちゃとはっちゃけなさい」
「それで失敗したんだって」
「だから何ですか。成功するまでやりますよ」
「なんで⁉」
「あの人別に怒ってませんし。と言うより、私と話す時いつもあんなですから。要はムスくれてるだけなんです」
「怒ってるよね、それ」
「違うんですって。じゃなくて、問題はそこじゃないんです。シイナはどうしたいんですか? 悪い事したと思ってるんですよね?」
「えぇぇ、なにこれ。恥ずかしい」
「そのレベルって事です。心残りがあるなら、ずばっと謝りなさい」
「なにこれぇ」
勝手知ったるとばかりにスタスタと作業場の中へ入っていくソフィア。一切振り返ることなく進んでいるから、着いて来なければそれ迄と見限るつもりなのかもしれない。果たして、心底嫌そうな顔をしたシイナは一応後に続いていた。
木材の立て掛けられた通路を抜けて、幾つも大きな刃物が壁に掛けられた部屋の中で立ち止まる。目当ての相手はそこに居た。二人をちらりと確認したきり、他の反応を示さずにいる。警告するでもなく、ましてや怒鳴るでもなく、全くの無関心。だから、深々と項垂れているシイナに代わって、ソフィアがやたらと明るく声を掛けた。
「ウィウスさーん、ちょっと時間くださいよー」
「今日はもう店終いだ」
「だったらちょー度いーですね。個人的にお話ししたいんでー」
「やなこった」
「そー言わずに。場所はここでいーですよ。別に秘密の話じゃないですしー」
「正気か?」
「自分でもらしくないなーとは思うんですけど」
大体の内容は予測出来ているのだろう。それでも無下に扱わない所が、ウィウスの
「五分やる」
「じゃー十分ですね。私に五分、シイナに五分」
「かっ。好きにしろ」
「流石、太っ腹」
「ほら、始まってんぞ」
「まー単純な話なんですよ」
余所行きな顔つき。癖のある話し方。そのどちらも普段通りで、だからこそ言葉に説得力が宿った。気付き上げてきた関係性ゆえに。
「しょー直、ちょっとこー悔してまして。私が着いて来ちゃったばっかりに、行く先々こんなんなっちゃって」
「そうかい」
「シイナもちょー子出ないみたいで、結局私が持ってっちゃってる感じなんでー」
「おめぇ、」
「はい、そんな訳でウィウスさん、今後とも御ひー屓に」
「はぁ?」
言葉にした方が負けという向きがある。特にこの二人は、自分のものではない物を遣り取りしているから、その傾向が強い。それを逆手にとって、強引に落とし込んで行くのがソフィアのやり口。しかし今は相手の土俵に上がっていた。それは譲歩の意思表示。そうするだけの価値があるのだ、という宣言と同義。
「調子出てねぇのは、おめぇじゃねぇか。今度からずっと嬢ちゃん連れて来いよ」
「いーですよ? 本ちょー子のシイナは、私も丸め込んじゃう位ですから」
「はんっ」
「はい、シイナ。私の残りも合わせれば、八分位話せますよ」
「持ち越すなんて、ああ、そうかくそっ。ちゃっかりしてやがんな」
「あの、そんなに掛からないと思います」
「おぅ」
「その、ごめんなさい! さっきは調子にのってました!」
「は?」
一瞬呆気にとられたウィウスは、しかし直ぐに思い至って、呆れ顔でシイナに向き直った。
「何かと思や。どうせあれだろ? 金出来るまで会うこたねぇから、今のうちに謝っとけってんだろ」
「え、っと、その」
「何から話しゃいいのやら。とりあえずな、それが間違いなんだよ」
「それっていうのは、」
「用が無くても会いに来い」
「はい?」
「だりぃしメンドくせぇし、そもそも忙しいなんてのは皆そうなんだよ。それでも時間割くから、付き合いってのが生まれるんだろうが」
「はぁ」
「別にいいんだぜ? 外しちゃなんねぇトコだけキッチリ守って最低限、ってのもな。そっちの頭破裂させたヤツみたいによ」
幾重にも折り重なったレースで形作られた牡丹のような髪飾りを、わざとらしくふるふると揺さぶっている。
「きょー控えめなんですけどー」
「知ってら」
「最低限……」
「要はどっちにしたいかって話だ。付き合いなのか、お付き合いなのか。その辺ごっちゃにしてっと、お互い不幸になる。嬢ちゃんはどうしたいんだ?」
「私ですか? えっと……」
「てめぇがどうしたいのかも決まんねぇうちに、相手に何かを求めちゃいけねぇ」
「はい」
「良い悪いだけで済ますんなら、謝る必要なんぞねぇ。俺の好みじゃ無かっただけの話だからな」
「はい」
「それでも謝るってんなら、俺とよろしくしたいって事になるな」
「その言い方はちょっと」
「調子出て来たじゃねぇか。まぁ今回は、それだけ切羽詰まってたって事にしといてやる。もう寝坊すんじゃねぇぞ?」
「なんで⁉」
「そりゃおめぇ、借金こさえて迄、目覚ましなんてもん欲しがるってこたぁ、すっぽかしたんだろ? 男か?」
「えぇぇ」
殆どウィウスが一方的に話しているだけなのだが、シイナは何か憑き物でも落ちたらしい。不安定だった情緒が和らいでいる。その分太々しさも増していった。
「少なくとも、ウィウスさんじゃないです」
「はーっはっは。今は、な」
「えぇぇ」
それでもやっぱり、ウィウスの方が
「調子狂ってる時なんざ誰にだってある。それが偶々だって分かって欲しけりゃ、日頃から顔合わせるしかねぇのさ」
「はい」
「ちなみに、俺ぁ肉が好きだからな?」
「はい? いえ、お弁当とか作ってきませんよ?」
「なんだよ、気が利かねぇな」
「そういうのは奥さんに頼んでください」
「おぅ嬢ちゃん、触れちゃなんねぇ話題ってのがあるんだよ」
「ふふっ」
軽やかに笑うシイナの横で、なぜかソフィアが瞳を潤ませていた。責任の一端でも感じていたのか、気に入った相手をはげませない事に無力さでも感じていたのか。なんにせよ気持ちの上げ下げに心が動く程には、彼女もまだまだ鮮度が良いらしい。
すっかり気を良くしたウィウスは、顎を撫でまわしながらシイナを眺め下ろす。ぽかんとした表情は間抜けだが、その瞳は無知な子供とは程遠い。つまりは歩んできた道のりの違い。悪意のなさ。だからだろう、ウィウスはシイナの事が気入っているようだ。
「まぁいい、ついでだ。嬢ちゃん、さっき自分が何したか分かってるか?」
「えっと、」
「嬢ちゃんは、あいつの事をどう思ってんだ?」
「友人です」
「だろうな。それを売ったんだ」
「えっ?」
「そんなとこだろうなぁ。あの狸が入れ込むのも頷けらぁな」
「あの、売ったって、どういうことですか?」
「貸し借りの証人ってぇのはつまり、身代わりだ」
「そんな! そんなつもりなんて、」
「んなこたぁ分かってら。あの爆発娘もな」
「……はい」
「いいか? 分ったからにゃ、おいそれと証人なんて口に出すんじゃねぇぞ?」
「はい」
「はーい、十分でーす」
にわかに重苦しくなった空気を、いたずらに明るい声が払いのけた。
「シイナ、私の事覚えてます? ソフィちゃんですよ?」
「うん、ごめん。ごめんね、私、全然」
「はいはい湿っぽいのは無しにしましょーか。せー意は品物で示してくださーい」
「品物? そっか、お詫びに、バニラ増量するね」
「え、それって、」
「ウィウスさんも、お時間取らせてしまって」
「構やしねぇ。んなことより、ザクザク稼いで、どんどん買ってけよ?」
「はい、がんばります」
「シイナ? 種、ですよね。鞘じゃないですよね?」
「何が?」
「何がって……まーいいや。はーいそれじゃ、お邪魔しましたー!」
半ば自棄染みたソフィアの声。それは来た時と同じ色。気まずさも気負いも無い。そう出来たことが嬉しいのは一人じゃ無くて、今だけここだけと、慣れ合う事が出来た。
「また来いよ」
「はい」
「はーい」
「おめぇは二度と来んな」
「酷っ」
「大丈夫、着いてきてあげるから」
「なんでどーじょーされる感じなんですかね……」
「だって、なんか可哀そうで」
「それが一番抉ってくるんです。素で憐れむのはやめてー!」
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