午後のお茶会

「ああ、お待ちして、おや?」


 カランという鐘の音に引かれて顔を上げたクウィッドは、間違いなく喜んでいた。変化に乏しい表情ではあるが、今のあからさまな落胆顔と比べれば、遡って明白だ。上がって落ちた、というのを目の当たりにして、シイナが怯む。


「あ、はは。こんにちは」


「やークウィッドさん、お久しぶりですねー」


「これはこれは。失礼ですが、どういったご関係で?」


 断れば許されるというものでは無い。それが解らないクウィッドではないから、これはつまり牽制の類。あるいは、それほどまでに興味の無い相手ということか。


「お友達です」


「お友達ですねー」


 片方、もしくは双方が幼子であるならまだしも、分別のつく年齢の者同士が互いに”友達”と呼称し合っているなど、如何わしい事この上ない。だから裏があるものだと思ってしまうのも仕方のない事。


「そういう……なるほど、理解しました」


「えっ。いえ、本当に、普通に、友達ですから」


「ええ、よろしいんじゃないでしょうか」


「えぇぇ。やっぱりソフィアって」


「そーきたか。身に覚えもあるんですけどねー。どー言うのがせー解なんでしょ」


「身に覚えって、そんな」


「あれ? そっち? えっとー、お金返せないーって人に、お仕事あげたりとか」


「やっぱり、私の体が目当てだったんだね」


「え。ほんと、大丈夫ですか?」


「ごめん、忘れて。どうしよう、これ」


「はーい、落ち着いて。掌に人って書きましょー」


「三回のみ込むんだっけ。効くの、これ?」


「全然」


「ソフィア⁉」


「そんな緊ちょーしなくても、普つーの人ですから」


「だよね。そうだよ、堂々と、堂々と。私は私」


「なんかスローガンみたいに、なっちゃってません?」


 ぱんぱんに膨れたトートバッグを胸に抱いて、シイナは『私は私』と繰り返した。まるで呪文でも唱えているかのようで、顔を引き攣らせたソフィアが、人一人分の距離を空ける。つける薬なし、と。思考の袋小路に陥っている相手を引き戻すには、大きな音を出すなりして中断させてやるのが手ってとり早いが、この場でそれをするのは気が引けるのだろう。

 あるいはこの場に居たのが三人だけであればそうしたかもしれない。けれど今日に限ってクウィッド以外の職員が3名ほど居た。あれやこれやと指示を出しながら、山積みの書類と回覧板の様なものを分配しているから、引継ぎをしているのだろう。一対三という所に、含みを感じてしまう。

 

「では、後を頼みます」


 一段落ついたらしい。こちら側へ出てきたクウィッドが、二人の元へやって来た。


「お待たせしました。ご案内します」


「はいはーい。ってどーせ、おー接室でしょーけど」


「私は私。私は私。私は私」


「シイナ? 行きましょ?」


「へっ⁉ うん、大丈夫だよ?」


「どーしたもんですかね」


 クウィッドの先導に従って、カウンターを越える二人。向こう側のその奥の、片開の大きな扉の中へと入っていった。


「只今呼んで参ります。それまでどうぞ、こちらでお寛ぎください」


「はいはーい」


「お気遣い、ありがとうございます」


 二人が通されたのは東棟と呼ばれている場所、その一番奥。高級そうな雰囲気の空き部屋。通ってきた通路も、通り過ぎてきた空き部屋達も負けず劣らずラグジュアリーだったが、ここはその中でも飛びぬけている。感情が一周回ってしまったようで、シイナはむしろ落ち着いているように見える。


「どうしよう、今のうちに準備した方がいいかな?」


 けれど表面だけだった。


「あ、クロス敷いたら逆に失礼だよね? でもランチョンマットならいいじゃないかなって。一応濃い色と薄い色持って来たんだけど、この机だと安っぽく見えちゃうかな?」


「膨らんでるなーと思ったら……」


「でも直においたら汚れちゃうよね。コースターにすればよかったんだ。あっでも、マドレーヌを置くトレイ代わりにしたらアリかな? ソフィア、ハサミ持ってない?上手くカットしたら、」


「とゆーか、別に接待しに来たんじゃないんでしょ? 味でしょー負なんですし、もっと楽にしたらいーんですよ」


「だって、見た目って大事じゃない。なんで容器の事考えなかったんだろう」


「いや、ふつーに向こーが準備してくれるでしょ。そんな事より、イタズラ仕掛けません? 紐繋いで、ドア開けたらあの壺落ちるようにして」


「高そうだよ?」


「えーまー、ウチが納めたヤツですけど」


「やっぱり、私を買うつもりなんだ」


「なんかアリな気がしてた。ふひっ」


「嫌ぁ。積荷は嫌ぁ」


「積荷?」


「んんっ」


 やいのやいのと盛り上がる二人の声は、廊下にまで届いていたらしい。気遣いが聴こえてくるなり、ソフィアは顔を上げ立ち上がった。コンコンとノックが響く。


「どーぞー」


「失礼します。町長をお連れしました」


「はいどーも。本日はお招きに預かりましてー」


 まるで畏まることの無い言葉遣いとは裏腹に、裾を摘まんでやんわりと膝を折るソフィア。珍しい所作ではあるが、様にはなっている。

 けれど、”そんなことより”とでも言いたげに、退いたクウィッドを更に押しやるようにして出てきた町長殿は、深刻な顔で問いかけてきた。


「ソフィーちゃん、あなた」


「はい?」


「ついに手を出しちゃったのね!」


「ついに、ってなんですか、人聞きの悪い」


「だって、船に積んでエオリに送るんでしょ?」


「積荷は嫌ぁ」


「あー、そーいう事でしたか。とゆーか、シイナ? 主賓とー着しましたよ?」


「えっ?」


 両手で耳を塞いで嫌だ嫌だと繰り返してたシイナは、主賓という言葉に反応した。ちゃんと聞こえているなら、なぜ耳を塞いでいたのか。起立、礼とばかりにびょんと立ち上がって、ガクッと折れた。


「あ、あの、失礼しました。突然の申し出にも拘らず、お受けいただきまして、」


「あ、あら? お茶って聞いてたんだけど、違うの? そういうのなの?」


「ふつーのお茶であってますよ。なんか緊ちょーしちゃってるらしくって」


「うくっ」


「そうなの? 緊張すると、もっとこう……育ちがいいのかしらね。やっぱり私の目に狂いは無かったわ」


「えーまー、根っからの善人っぽいのは確かですけど。なんかちょっと振れ幅でっかいんですよねー」


「あの、」


「いいじゃない。それ自体素直って事でしょう? 若い頃思い出すわぁ」


「あー、そーいうとこ似てますよ」


「それじゃ猶更、将来有望ね。どう、ウチで働いてみない? 今なら秘書枠空いてるわよ?」


「え? あれ、昨日、」


「先に目を付けたのは私ですんで。勝手に手ー出さないでください」


「なによ、ケチ臭いわね。若者は財産よ? 独占なんてさせませぇん」


「そっちこそ、横やりなんて入れさせませーん」


「あの、そういったお話は、出来れば私の居ない所で……」


 立ったまま盛り上がる三人をジトっと眺めて、黙って聞いていたクウィッドがようやく口を開いた。というよりも、開かざるを得なかった。放っておいたのでは終わらないのだ。これが業務の一環なら、そのまま喋り続けてくれた方が平和だと判断しただろうが、今日はそうも行かない。クウィッドは今、いくつかの調整と来週への負債を背負いこむことで此処に居るのだから。


「なんでもいいのですが町長、さっさと座ってください。お二人が困っています」


「それもそうね。ごめんなさい、気付かなくって」


 着席する四人。クウィッドはちゃっかり、シイナの対面を確保していた。


「改めて自己紹介した方がいいかしら? 私はマーロ。町長を”させられて”いるわ」


 ソフィアは顔背け、クウィッドは明らかに溜息をついた。


「え。えっと、シイナと申します。ソフィアとは友人で、もうすぐ自警団さんのお世話になる予定です」


「友人? そう。これも何かの縁だし、何かあったら言ってらっしゃい? 悪いようにはしないわ」


「まるで人が悪いよーにするよーな言い方しますけどね、私そんな事一回もした事ないですからね?」


「だってエオリに送るんでしょ?」


「しませんよ!」


「町長、そろそろ本題に」


「はいはい。それじゃ早速だけどご馳走して頂戴。そうねぇ、どちらのお茶から戴こうかしら?」


「いや、私は何も持ってきてませんよ?」


「あら珍しい。どういう魂胆?」


「また、ストレートな。きょーは本とーに、付き添いです」


「そういうこと」


「いえまー、否てーはしませんけど。 ホントに損は無いですよ」


「それはこちらで決めるわ。さ、振舞って頂戴」


「ごめんなさーい、完全にぶち壊しちゃったー」


「あ、はは。ソフィアってさ」


「はい?」


「人徳ないよね」


「追い打ち⁉」


 すっかり撃沈されたソフィアは、肩をすぼめて抜け殻のようになってしまった。その代わりとでも言うように、溌溂としたシイナ。開き直ったとも言える。貴重な犠牲を踏み台にしたからには、図々しさ増量中。マーロへ向けて真っすぐな視線を送る。


「えっと、本当はお洋服の事をお聞きしたかったんです。この辺では珍しいなって」


「そうかしら?」


「はい。それで、クウィ、ッドさん、でした?」


「ええ。ああ、名乗っていませんでしたか」


「よろしくお願いします。それで、クウィッドさんにお話ししたら、お茶菓子を持参すれば会っていただけるかもって」


「そうね、手土産は大事ね」


「あ、はは。でももう、こうなっちゃったら、こうなっちゃったで、いいかな」


「あら、どういうこと?」


「唸らせてみせます。さぁ召し上がれ!」


 なんの飾り気も無い普通の山型マドレーヌを、クウィッドが用意した銀色のトレイに並べていく。啖呵を切った割にはお粗末だが、それだけに、直球勝負だという事が現れている。なにより、並べられたとたんに広がった甘い香りは、この街ではとても珍しいもので、マーロとクウィッドはその時点から魅了されていた。

 何より、他ならぬシイナ自身が焼き菓子好きだというのが手伝って、ここ数回の内に滑らかさやふんわり加減への拘りが生じていた。その結果が昨夜の試作会であり、目の前の成果達だ。本人からすれば、まだまだ改善の余地が有るのだろうが、その品質は既に十分、市販に耐えうる。つまり、合格だった。


「ぎゃふん」


「まーた、かれーしゅーのする反のーを」


「失礼ね。仕方ないじゃない、美味しんだから。それで? どこの新作なの?」


「あ、はは」


「だーからー、言ってるじゃないですか。個人的なお茶会な、ん、で、す」


「冗談じゃなくて? そんな生産性の無い事するの? あなたが?」


「せーさんせーって……無い自覚あったんですか」


 皮肉を交えながらも、それぞれに楽しそうな二人と、空気を測りかねて愛想笑いを浮かべているシイナ。そんなかしましさの傍らで、真剣が面持ちで食べ比べをしていたクウィッドが、重い口を開いた。


「僭越ながら、感想を述べさせていただきたいのですが」


「は、はいっ」


 居住まいを正すシイナ。緊張の面持ち。合否の判定を告げられるようなものだから仕方ないといえば仕方ないが、”お茶会”という言葉のイメージにはそぐわない。


「あんまり気にしないでね。こいつ口悪いだけだから」


「いえ、特に批判的な事を言うつもりはありません。言うなれば要望、ですね」


「嘘……嵐でも来るの?」


 ポカンとしているマーロの目の前で、ソフィアはレモンの香りを胸一杯吸い込んでいた。とても幸せそうだ。両手で包んだお菓子を鼻にあて、吸ったり吐いたりしている絵面は怪しい事この上ないのだが、指摘できるものがこの場に居ない。


「もう一押し、何か加えていただく事は出来ませんか?」


「一押し、ですか」


「はい。このスーッとする感触が、少し強すぎるんです」


「でしたら、ミントを減らして」


「いえ、バランスはこのままで。ですので何かを加えていただきたい。例えばフルーティさのような」


「フルーティさ……」


「レモンの香りはこのまま生かしていただきたいので、何か他に相性の良いものが」


「なんなの。何が始まったの?」


「お茶会ってゆーより品ぴょー会ですね」


「そうよ、それだわ。お茶も持ってきてくれたんでしょう?」


「はい。甘いのと甘くないのが」


「両方いただくわ」


「両方いただきます」


「あ、はは」


 これこそソフィアが着いて来た理由。二本の魔法瓶。果たして本当にたったこれだけで、と試してみたい気持ちもあっただろう。それをぐっと堪えて、更にはこれまでさんざん揶揄われたのにも耐えて、やっと本懐を遂げた。手提げから魔法瓶を取り出して机に置く。並んだそれを眺めて、満足そうに息を吐いた。当人が達成感を得られているなら、それに越した事はない。

 これまたクウィッドが用意したティーカップに、お茶を注ぐ。萌木色と胡桃色が目に優しい。方やカルダモン香るグリーンティー。方やミント香るミルクティー。並べてしまうと鼻が忙しないが、口を着ければちゃんとそれぞれの香りを楽しめた。ゆったりした表情のマーロの横で、眉を怒らせたクウィッドが口を開いた。


「これは、先程のお菓子に比べると、数段落ちますね」


 聞いた途端、眉間に皺を寄せたマーロ。楽しい気分に水を差されたのだから当然。


「始まった。ほんとに気にしないでね?」


「いえ、教えていただけるのは有難いので」


「グリーンティーは可も無く不可もなく」


 もはや誰に断ることも無く、独り言の様な講釈が開始された。


「ですが、ミルクティーは煮だしが足りません。苦みも渋みも、ミルクが相当に打ち消してくれますから、もっとしっかり煮出しても平気なはずです」


「はい」


「それと、もし蒸らしているのなら、止めていただきたい」


「ダメなんですか?」


「香りというのは大抵、熱を加えると飛散してしまいます。それにそもそも、蒸らしというのは乾燥した茶葉に水分を行き渡らせる為のものですから、生茶には本来必要ありません」


「あれ、フレッシュハーブだって、分かるんですか?」


「はい、渋みが違います。エグみと言えばいいでしょうか。生ですと、どうしても植物特有の青臭さが残ります。その代わり香りは強いです。一方煎茶や紅茶などの蒸したものは、これが渋みに変わっていて、それを旨味としてお茶に出します。ですがどうしても香りは弱くなる」


「なるほど」


「このミルクティーは両者の中間点。しかも双方の悪い方を発露させてしまっています。弱った香りと植物っぽさ。ですのでいっそ、芯まで香りを絞り出して、味は後から整える方がいいのではと、」


「ごちそーさまでしたー」


「んーいい香りだったわぁ」


「おや?」


 熱弁の腰をぼっきりと折って、マーロとソフィアはカップを置いた。ソーサーと触れた時のカチャンという音が透き通っていて、品質の高さをうかがわせる。


「あ、あはは」


 あっちを立てれば、こっちが立たず、シイナは笑うしかない。ここへ来てからずっとそうだ。振り回されっぱなし。その分以上にソフィアを振り回しているのだが。


「あーそっちも終わりましたー?」


「ええ、まぁ。最低限は伝えられたかと」


 声も顔も全力で不満であることをアピールしている。


「あれで最低限とか。なんでもかんでも仕事っぽくするんだから、この陰険おでこ」


「でこっぱちは貴女もでしょう。それはともかく、これだけのものを戴いたのですから、何かお礼を」


「お一人様二じゅーどーでーす」


「ソフィア⁉ いえそんな、売り物じゃないですから」


「ええまぁ。今回は私的な、という建前上、そういった事は致しかねますので。代わりと言ってはなんですが、町長?」


「分かってますぅ。言われなくてもあげる気でしたぁ。まったく。はい、これ」


 やたらと子供っぽい仕草とともに、口を尖らせたマーロが取り出したのは、先の割れた涙型の金属板。ここでは黄色。


「ありがとうございます。あれ、でも確か町長さんのって」


「れーぞー庫入れますよ、それで」


「電気も引けますね」


「売り込み成功じゃない? 美味しいものいっぱい作って頂戴」


「が、頑張ります」


 これで三枚目。左綴じの最初のページから順番にストックしていたので、今回は見開きの右手側。緑色の金属板と隣同士になった。


「おや?」


「あら? シセロに貰ったの」


「やっぱり、分かるんですね」


「そりゃね。めっずらし、あの引き籠り」


「同じこと言ってる……」


「誰とかしら?」


「あっ、えっと、ウィウスさんも、そう仰っていたので」


「あれとも面識あるの」


「なかなかやり手ですね」


「ほんと、そういうのじゃ」


「この後借金しに行きますしねー」


「ソフィア⁉」


「なるほど。この場は足掛かりと」


「違います。計算とかじゃなくて、なにこれぇ」


 ソフィアは当然として、クウィッドまでもが分かっていてやっている節がある。これまでのやり取りから、シイナとの関わり方に当たりを付けたらしい。普段が普段なので分かりにくい事この上ない。そんなじゃれ合う三人を余所に、マーロは少し、遠くを見ていた。


「ふぅん。そう」


「ごめんなさい、あの、気を悪くしないでください」


「なぁんでよ、もう。どちらかと言えば、いい気分よ?」


「そう、ですか?」


「ええ」


 少し雰囲気のある声音に、ソフィアとクウィッドの視線も引き寄せられた。


「ねぇクウィッド、今何月?」


「は? 六月、ですが」


「次の春は遠いわねぇ」


「まぁ。ほぼ丸一年先ですね」


「あんたここ来て何年目だっけ?」


「五年目、ですね」


「そっかぁ、早いわねぇ。年も取るわけだ」


「どこがですか?」


「誉め言葉よね?」


「ええ、まぁ」


 どこか含みのあるやり取りは、当人同士にしか分からないものが有るのだろうと、シイナとソフィアは黙って聞いていた。マーロは終始遠くに思いを馳せていて、横に座ったクウィッドは訝しむばかり。沈黙して尚、視線が交わることが無い。

 やがてシイナがしびれを切らした。


「あのぅ?」


「あら、ごめんなさい。そうね、予定があるなら、これでお開きにしましょうか」


「えっ、あの、すいません、ゆっくりできなくて」


「十分したじゃない。一々謝らないの」


 向けられた笑顔は何処か寂しそうで、先程までの元気なお姉さんというイメージとは少しズレていた。けれど三人が黙り込んでしまった事に気付くと、ころっと元に戻って溌溂と言い放った。


「また来て頂戴ね。新作、楽しみにしてるわ」


「はい、頑張ります」


「ええ。それじゃ、またね」

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