第3話 裏野ハイツは事故物件になりました

 同日、202号室。

 

 薄暗い部屋の中では、低い声で五人の会話が交わされている。


「急に申し訳ありません。今度の203は勘がよさそうだと夏目さんから伺いましたので」

「ええ、ええ。それにあの子はきっと度胸もありますよ。孫と似たような目をしていましたからねえ。なんとかあの場からは連れ出しましたが、放っておけば202を開けてしまうかもしれません」

「それは困ります!」

「103の奥さん、お静かに。……では計画を早めましょう。ぎょうは終わっているので大丈夫です。103のご主人、101さん、近日中に会社の休みは取れそうですか?」

「うちはちょうど大きなプロジェクトが終わったところなので、一日二日なら風邪ということにして突然休んでも問題ありません」

「こちらも特には」

「わかりました。ありがとうございます。では、明後日の昼から決行ということで。

 夏目さん、呼出役をお願いできますか?」

「はいはい。喜んで。スーパーで大安売りをしていると誘ってみますよ」

「本当は夜の方が目立たないのですが、その分警戒されますからね。男性方は今まで通り最初の始末をお願いします」

「わかりました」

「それでは明後日に。みなさん、俺がお願いしておいた解体道具の持参を忘れずに。女性と言えども骨や腱は固いのでご覚悟ください」

 

 色の白い男の口からさらりと無残な言葉が出てくる。けれど住人たちは何も動揺することなく、みな「はい」とうなずいた。



                       ※※



「森沢さん、この前のスーパーでトイレットペーパーの安売りをしてるんだけど一緒に行かない?お仕事が始まるのがまだなら、このあたりの地理も知っていた方がいいと思うし」

「行きます行きますっ」


 なにしろまだ新聞も契約してない、というかチラシのためだけに新聞を取るのは勿体ないんじゃないかと思い始めていた私には、夏目さんの提案はとてもありがたいものだった。


「よかったわー。わたしが一人でトイレットペーパーを持ってると目立つのよ。ほら、わたし、チビでしょ?」

「いやいやそんなことないですよ。うちのおばあちゃんも夏目さんくらいでした」

「あら、そう?」


 2人で他愛もない話をしながらハイツの外廊下を歩いていく。

 そのとき、夏目さんが202号室の前でぴたりと足を止めた。


「そういえばこの前、このお部屋のことで森沢さんいろいろ言ってらしたでしょ?あれからわたしも気を付けてみたの。そうしたら、やっぱりおかしいわね、このお部屋」

「あ、やっぱり夏目さんもそう思います?よかったあ。不動産屋の時田さんに相談してみましょうよ」

「そうねえ……浮浪者さんなんかが住んでいたら困るし……」


 夏目さんがなんとはなしに202号室のドアノブに手をかけると……動いた?!


「かかかか鍵かかってない?!」

「え、でもそんなのおかしいわ。退去の時に鍵は必ず大家さんに返すし、大家さんはすぐに鍵を付け替えるから、合鍵を作っていても開かないはずだもの」


 そして、なんとなく、二人とも目を合わせる。


「……入って、みちゃいましょうか……」

「あらでも変な人でもいたら……」

「大丈夫ですよ!いざってときの備えもありますからね!」


 私は夏目さんの制止も振り切り、202号室へ入っていく。


 止められるほどやりたくなる。これは私がそんな気質だと気づいていた夏目さんの罠だなんて、このときは思いもしなかった。



                  ※※



 202号室に入った瞬間、ばたりと背後のドアが閉じた。

 ……夏目さん?!

 え、なにこの部屋真っ暗じゃん!黒いカーテンてなに!?喪中!?


 それと同時に、誰だか知らない奴らが私の頭を殴る。


「なにすんだよ!痛ぇじゃねぇかダボ!」


 思わず、成人してからは絶対に口に出すまいと封印していた黒歴史ヤンキー時代の口調が戻ってくる。


「ざけんなコラ!女だからって舐めんじゃねぇぞ!」


 暗闇の中、人の気配があるところに思い切り拳を突きだしたら、予想より柔らかい衝撃が伝わってくる。

 よっしゃ!腹やった!

 私はその隙にカーテンへと走る。そして光をさえぎっていた黒のカーテンを思い切り開ける。


「は……?」


 明るくなった目の前に広がるのはカオス地獄だった。

 ぐちゃぐちゃぶくぶくに腐った人間3体。

 お腹を押さえてうずくまってる30代くらいのおじさん。

「え、俺、どうしよう」みたいな顔をしている50代くらいのおじさん。


 人間だと言う以外に共通点のない物体計5つ。


「だからくさかったのかー!!」


 人間は極限に追い込まれると訳の分からないことを言うと聞いたけれど、あのときの私はまさにそれだった。


 死体、殴打事件、変なおじさん2人。

 つっこむところはほかにもいっぱいあったはずなのに。


「ふっざけんなよおまえら!夜中ごそごそやってたのもおまえか?それともおまえか?こっちは新しい環境で眠りが浅いんだよ!なにやってんだか知らねえが静かにしやがれこのバカ!」


 でも私はもう、常識も理屈も通じないくらいキレッキレにキレていた。


「せっかくのいい物件なのに―!」


 いや問題はそこじゃない。今ならそうつっこめるけど、あのときは無理だった。

 そのとき、うずくまっていた30男が立ち上がった。

 手にはトンカチ。これはやばい。はんぱな武器より簡単に頭蓋骨を叩き割れる(父談)。


「エモノ出すなんて上等じゃねえか。でもこっちだってエモノは持ってんだよ!」


 私は胸ポケットに差していたボールペンを手に取り、キャップを投げ捨てた。

 キラキラした銀の片刃が光る。「都会は物騒だから……」と母が餞別にくれた仕込みボールペンだ。

 ありがとう、お母さん!確かに都会は物騒でした!


「おら!来やがれ!」


 30男もいまさら引けないのか、トンカチを振りかざしたまま私に向かってくる。「息子のためなんだ息子のためなんだ妻も妻も妻も」となんかブツブツ言ってるけど、そんなの!私には関係ないから!!

 男に足払いをかまし、床に体を叩きつけ、ナイフを眼球すれすれに近づける。

 こいつはケンカの素人っぽいから、こういうわかりやすい脅しの方がいい。


「動くな。潰すぞ」

「い、101さん、無理です!これもう無理です!なんで最後がこんなカレリンみたいな女なんですか?!」

「なんでって俺に聞かれても……見た目は普通の女の子だし、夏目さんも『いい子だった』って言うから……!」

「大の男が吐きそうになるくらいのパンチをしてきて、ナイフを持ち歩いてる女なんて普通じゃありません!」


 うわ、むかつく。不意打ちで人の頭を殴った上にトンカチで襲い掛かってくる方が絶対普通じゃないのに!


「てめえは黙ってろ。おまえ」


 あたしは50男の方に首をしゃくる。


「携帯持ってるか?」

「あ、は、はい」

「いますぐ110番に電話して、かわいそうな女の子が殺されそうだって通報しやがれ!でねぇとこいつマジ殺す!」

「か、かわいそうな女の子……?」

「あたしのことだよ!さっさとしやがれこのモタ公!」

「かわいそうな男性が目潰しの危機だとも伝えてください!1分でも早く来てくださいと……!」

「黙れって言ったろうが!!」


 ヒッと30男が息を呑む。

 それを見て、50男が泣きそうな顔で携帯の操作を始めた。


「スピーカーにしろ。変なところにかけてごまかしたらマジ処刑」

「しませんっ、しませんっ」


 そのとき、夏目さんが部屋の中を覗いてきた。


 いやにのんきな「アラアラ」という言葉が印象的だった。



                     ※※※



 結論から言うと、失踪した3人の住人は全員ハイツの住人達に殺されていた。

 住人全員が協力したからこそできた事件だった。


 ハイツの住人はそれぞれ大切な人を亡くしており___夏目さんはお孫さん一家、101の50男は妻、私をトンカチで殴ろうとしてきた103の30男は息子___それを蘇らせるには同じ数の人体があればいい、と102号室の男に吹きこまれていたのだ。


 たいていの人なら一笑に付す話だろう。私だってそんなの信じない。


 でも、夏目さんは何より大事なお孫さん一家を金目当ての強盗に殺され、101の50男は長年大事にしてきた奥さんが自分の目の前で車に轢かれ、103の30代夫妻は、奥さんがちょっとだけ目を離したすきに揚げ物の鍋がひっくり返って息子さんは煮え立った油を浴び、火傷に苦しみながら死んでしまい……みな、狂ってしまったのだ。

 そう。103の奥さんがときどき押していたベビーカーに乗っていたのは……人形だった。


 102の男曰く、年末しか外出しなかったのも蘇生のぎょうの一つだったらしい。そいつは1年間のほとんどを、変な字の書かれた掛け軸の前で過ごしていたそうだ。この辺は刑事さんに教えてもらった。

 部屋もどうしても!とお願いして見せてもらったけれど……人間の髪で編んだような人形や、半紙にどう見ても血で図や文字を書いたものが散乱していて、すぐに「もういいです」と打ち切らせてもらった。


 101の50男、102の自称陰陽師、103の30代夫婦は逮捕された。

 102の自称陰陽師は「不完全だが術は完成した」以外のことは何も言わないらしい。


 残りの4人も魂が抜けたようになっていて取り調べが進まない、と、この前、また私にあのときの事情をまた聞きに来た刑事さんがぼやいていた。


 それから____夏目さんは見つからなかった。警察が様子を見に行ったときはもう部屋にはいなく、貴重品も持ち出されていたらしい。

「ま、捕まえて見せますよ。お年寄りですから体力もないでしょうしね」と言って刑事さんは帰って行ったけど。


 こうして裏野ハイツは正真正銘の事故物件になり、家賃の値下げどころか取り壊しが決まった。


 このせいで時田さんにも家主さんにもえらく気の毒がられたあたしは、家主さんの手持ちの物件で裏野ハイツと同グレードのマンションに、裏野ハイツと同じ値段で入居できることになった。

 酷い目に巻き込まれたけど、まあこれだけはよかったこと。


 そして、私のあだなは「暴走イノシシ」から、30男にカレリンって言われちゃったと遥に口を滑らせたせいで「霊長類最強」まで進化した。


 嬉しくない。ぜんっぜん嬉しくない。



                     ※※



 夏の日差しの中、陽炎に霞む坂道。

 

 小柄な老婦人が白いおくるみを大事そうに抱きながら歩いている。

 立ち止まり、老婦人が優しい顔でおくるみの中を覗き込む。


 そこには、目のない赤ん坊がいた。

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裏野ハイツは事故物件ではありません 七沢ゆきの@11月新刊発売 @miha-konoe

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