第2話 引っ越しとご近所さん

「なんかさあ、よくない気がするんだよねえ、ここ」


 引っ越しのあとの荷解きを手伝ってくれていた遥が、ぐるりと部屋の中を見渡す。 

 遥は地元の友達だ。1人ぼっちで荷物を片付けてたらホームシックになりそうだ、と私がぼやいていたのを聞いて、観光がてら引越しの手伝いに来てくれていた。


 ちなみに家賃について聞かれたので答えたら「いますぐ契約を取り消してこい」と言われた。


 だがしかし。

 大学も就職先も実家から通えるところに見つけた遥にはわかるまい。都会の家賃の恐ろしさを!


「3人消えてるって先入観があるからそう思うだけっしょー。いいよねー、遥は家賃タダで」

「だから実家近くの大学に行って、実家近くに就職したんじゃん。この近辺の家賃なんて払えないもん」

「あ、相場、知ってたの?」

「知ってた。だーかーら実家は外せなかったの。この辺だとオフィス街に近いところに住みたかったら塩と水とモヤシで生きていくか、通勤に数時間かけるかどっちかじゃん?」

「それ在学中に行ってほしかった……」

「まさかマミがそこまで計画性ないと思わなかったの!」

「私の性格知ってるでしょー!猪突猛進、袋をかぶせた暴走イノシシのあだ名は伊達じゃないよ?」

「自慢げな顔して言うな!」


 ぱちこんと遥に頭をはたかれる。


「まーいいや。あんたなら死神とだって戦えそうだよ。てゆーか、泥棒と勘違いして死神を叩きのめしそうな気がする」

「……私ってなんなの?」

「自分でも言ってたじゃん。暴走イノシシ」

「……人に言われるとあまり嬉しくないことに気付きました」

「もっと早く気付きましょう」

「……はい」



                          ※※



 同日、202号室にて。

 202号室の窓はすべてきっちりとカーテンに覆われ、昼か夜かの判断もつかない。

 ただ、非常用ライトの小さな光だけがほんのすこし部屋に灯りを与えていた。


 そして、そんな中に円陣を組んで座る、年代も体型も様々な5人。

 ぼそぼそした会話の内容から察するに、全員、裏野ハイツの住人らしい。


「103さん、4人めが来ましたね」

 

 50代くらいの、これと言って特徴のない男がそう言った。


「101さん、本当ですね。どうなるか心配でしたが。ねえ、102さん、何もかもあなたの言うとおりでしたよ」


 男の言葉ににこやかにうなずきながら、30代後半くらいの女性が横に座る男性に視線を向ける。

 薬指の指輪から察するに、この二人は夫婦のようだ。見つめられた男性も嬉しそううなずきながら、口を開く。


「これでようやく全員分揃います。ですよね?102さん」

「はい。もうぎょうもしなくてよくなります。肩の荷が下りました」


 102と呼ばれている男は、がっしりとした体つきとは正反対に妙に色白だった。

 暗い部屋からずっと出なければこんな色になるかもしれない。


「102さんには本当に申し訳ないことをしました。やり方を教えてくれた上、ご自身でぎょうまでしてくれるなんて……」

 

 ちんまりと座った上品な老女がハンカチを目元に当てる。


「いいんですよ、101さん。俺もみなさんの気持ちはよくわかりますから。俺はもうこのぎょうで取り返すのは無理ですが、みなさんはせめて……」


 それを聞いた夫婦も目元を抑えた。


「では、もうしばらくしたら203さんへの歓迎の儀式を始めましょうか」


 102が立ち上がる。

 それを合図のように、住人達は自分の部屋へと帰って行った。



                      ※※



 くさい。やっぱりくさい。

 

 あのときはいい物件ヒャッホー!で「これは築が古いせいなんだ」と自分に言い聞かせたけれど、違う。


 いちばんにおうのが202号室に面している物入れの中だ。


 廊下や部屋の中では「これくさいけどなんのにおいいだろう?」程度のものが、物入れに入ると炎天下で放置した生卵のようなにおいになる。

 うーん、さすがに物入れまではノーチェックだった。


 時田さんが言うには隣は空室だと言うけれど、なんかゴソゴソ動いてる気配もするし……。


 ちなみに、時田さんにはまだ相談してない。

 あれだけ渋られたのに強引に契約したのは私なんだから、においくらいで苦情を言うのは申し訳ない。

 このにおいから逃げるために住人が失踪したわけでもないだろうし。


 ……よし、とりあえずは敵情視察しよう。


 私は外廊下に出て、そっと202号室に近づいていく。


「こんにちわ」


 そのとき突然背後から声をかけられて、私は文字通り飛び上がった。


「あら、驚かせてごめんなさいね」


 背後にいたのは小柄で上品な顔つきのおばあさんだった。

 あ、この人かな。時田さんが言ってた『たまに様子を見に行く』って言ってた人。


「201の夏目です。ちょうど買い物に行くところで203から出てきたあなたが見えたから、お隣様にご挨拶しようと思ったの」

「こちらこそ。まだご挨拶もせずにすみません。203に越してきた森沢です。よろしくお願いします」

「それこそこちらこそですよ。若い人が同じ階にいると何かと安心だから。……別に何かを頼みたいとかではなくて、気持ちの問題ね」


 夏目さんが口元に手を当てて笑った。

 あ、この人が201の住人なら202のにおいは気にならないんだろうか。

 ちょっと聞いてみよう。


「あの、夏目さん、202号室のことなんですけど、なんか変じゃないですか?」

「あらまあ、なにが?」

「くさいんですよ。202に接してる物入れのあたりが特に。それに空室なのになんだかゴソゴソ気配がするし」


 夏目さんがうーんと考え込む。


「私がおばあちゃんのせいかしら、気になったことはないわ。年を取ると鼻も耳も弱くなっていやねえ」

「そうですか……」

「それよりね、森沢さん、これ見てくださる?私の孫の写真なの。ババ馬鹿だって言われそうだけど、なかなかハンサムでしょう?」


 夏目さんがふちがボロボロになった写真をわたしに差し出す。

 大丈夫です、夏目さん。ババ馬鹿じゃありません。この人充分かっこいいです。


「本当ですね。かっこいい!」

「ありがとう。もう可愛くって仕方ないのよー。だから会えないのが寂しくって……。この子、遠いところに行っちゃったのよ」

「あー、わかります、それ。わたしも上京組なんで」

「そうなの?よければもっとお話がしたいわ。穴場のスーパーを教えるからご一緒してくれないかしら」

「あ、はい!ぜひ!」


『穴場のスーパー』の一言で、私の頭の中から202号室のことはきれいさっぱり吹き飛んでいた。

 

 過去に戻れるなら、あのときの私にウエスタンラリアットをキメてやりたい。

 だからおまえが袋を被った暴走イノシシなんだ!と怒鳴りながら。

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