裏野ハイツは事故物件ではありません

七沢ゆきの@「侯爵令嬢の嫁入り~」発売中

第1話 入居まで

「え、も、もっと安い物件はないんですかぁ?!こんな家賃払ったらわたし飢え死にします!」

 

 不動産屋のカウンターにわたしの声が響き渡る。

 一瞬間をおいて、ぶふっと吹きだす声や気の毒そうな目線が不動産屋の中に満ち、あー。やっちゃったと、どんどん赤くなっていく頬にわたしはてのひらを当てて顔を隠す。

 穴があったら入りたい。いやもういっそ埋まりたい。


「しかし、お客様のご希望ですとどうしてもこういった価格帯になってしまうんです」

「あっ、じゃ、この際狭い1Kでもいいですっ。マルコビッチの穴みたいな部屋でもいいですからっ」

「申し訳りませんが、当社はそういった特殊な物件は扱っておりません」

「ないですかぁ~……穴」


 私は森沢マミ。

 田舎から就職のために都会に出る予定のため、一人暮らし用のアパートを探していた。

 ただ……わたしは都会を舐めていた。


 実家近くなら簡単な条件。駅チカで、コンビニも近くて、バスルームとトイレはもちろん別。クローゼットがあればなおいい。キッチンは玄関先に押し込められたようなのじゃなくて、ちゃんと独立してる1DK。

 それでも築浅でなかったり木造だったりすれば、家賃は4万くらいからある。(共益費込み)


 貰えるはずの基本給と、支払う公共料金と、小遣いと、そんなものを考えれば、私が支払う予定の家賃には確固たるボトムラインが存在する。でも、4万なら楽勝だと思っていた。だから、実家の近くの不動産屋さんに相談するようなつもりで住む予定の街の不動産屋さんに行き、私は悲鳴を上げたのだ。


 家賃10万?15万?共益費1万円?!

 

 ナニソレ!都会怖い!


 上京すると決めたとき、都会には色々な人がいるから気をつけなさいよと母に言われたけど、そんなものより今は家賃が怖いよ!


「じゃ、じゃ、じゃあ事故物件とかは?あの、畳血まみれとか謎の人型の染みとか夜中に聞こえるうめき声とか私全然気にしませんから!むしろどんと来いですから!」


 幸い私はオカルトマニアだ。事故物件羅列サイトの大島てるをみるのも大好きだ。

 しかも私は一度でいいから霊や妖怪に会ってみたいと思っているのに、いまだに会えたことがない。


『そりゃ、あんた、霊には刑法が適用されないから会えたらとりあえずぶん殴る!なんて奴の所には霊も来たくないよ』と友人の遙には言われたが、きっとあの世には、そんなことを気にしないもっと根性のある霊もいるはずだと信じている。


「事故物件……」


 あたりを気にしてか、不動産屋さんの声が少し低くなった。


「当社扱いの物件には現在そのようなものはありません。ただ……」


 これまで机の上に出されていた物件情報の上に、一枚、ぺらりと紙が置かれた。


「とりあえずご覧ください。お客様の条件にはほぼ沿っているかと。その上でお気に召したら物件案内をさせていただきたいのですが、いかがですか?」


 その紙に印刷されていたのは『裏野ハイツ』の文字。

 それと、私には理想的過ぎる条件だった。



               

                      ※※




「あの、裏野ハイツさんって、事故物件じゃなかったらどうしてこんなに家賃が安いんですか?」


 いっそその場で即決してもよかったのだけど、不動産屋のお兄さん、時田さんが「内覧しないことにはちょっと……」と言葉を濁したので、私はそのまま時田さんの車で裏野ハイツに向かっていた。

 まあ、裏に工場があってその稼働音で眠れないとかじゃ困るし。時田さんの言い分ももっともだ。


「森沢様はそのようなことは気にされないようなので率直にお話しいたしますが、人が消えています」

「は?」


 けれど、運転席でハンドルを握っていた時田さんの口から出てきたのは予想外の言葉だった。


「森沢様をご案内するのは203号室なんですが、一昨年から今年にかけて、その部屋をご紹介した三名のお客様が、三名様とも突然失踪されました」

「よ、夜逃げとかですか?」

「いいえ。家財道具以外に預金通帳などの貴重品ももすべて残されていましたし、会社もお辞めになっていませんでした。部屋が荒らされているなど、犯罪につながるような痕跡も一切ありません。保証人はみなさんご両親を立てられていたのですが、そのご両親もさっぱり訳がわからないと。みなさん、トラブル、借金、とりあえず表立った部分には何もなかったそうです。現在、3名様とも警察に捜索願が出されています」

「それは……なんかすごいですね」

「お二人目で近辺で噂になってしまい、やむなく家賃を下げました。大家さんは親御さんから何棟かの物件を相続されているんですが、海外赴任をされていてなかなか戻ることもできないので、そのあたりはすべて当社に一任すると」

「あ……それで」

「はい。でもそのときはここまでお安くはしていませんでした。ただ、それが三人続くとなると……。当社としてもあまり気分のいいものではありませんし、さらに値下げをして、こちらからはあまりお勧めしない物件にしました」


 わあなんか予想外。そこ、幽霊とかそういうものよりタチが悪いのがいるんじゃないの?


「住人の人に反社会的勢力的な方がいるとか……。お化けはいいんですけど、そういうのはちょっと……ケンカしても勝てる気がしないので……」

「あ、その点はご安心ください。お住まいになっている方たちはみなさん普通の方々です。特に神経質な方などもいらっしゃいませんし、当社に持ち込まれた苦情も『エントランスの蜂の巣を駆除してほしい』程度です。正直、ほかの物件よりも格段にトラブルは少ないですね。最近は騒音の苦情や隣人トラブルがどこも多いですから。

 ……森沢様こそ、ケンカなどという物騒なことは……」

「はあ……じゃあ居心地はよさそうなんですね……?」

「ええ。長年お住まいの方もいらっしゃいますよ。その方はお年寄りなんですが、ご家族があまり尋ねてこられないようなので、個人的に時々様子を見に行かせていただいています。いつも大変感じのいい方です。ですから、住人の方が原因ということは考えにくいですね。それに、そこまで腹が立つことがあれば、失踪する前に当社に苦情が入るかと」


 時田さんがしごく当たり前のことを言う。

 まあそりゃそうだ。

 借りたアパートで嫌なことがあって逃げるにしても、通帳もそのまま、親元にも帰らない。そんなことはありえない。

 うーん……。

 

「時田さんから見て、裏野ハイツはどうなんですか?もうここまでぶっちゃけられたんで、なるべく率直にお願いしたいんですけど」

「この条件でこの値段は破格だと思います。築年は古いですが大家さんが定期的にリフォームをなさっているので外装、内装ともきれいですし、バス、トイレが別れているのも個人的にはポイントが高いですね。スーパーまでは少し歩きますが、コンビニなら近くにありますし。何度も申し上げますが、連続失踪以外にはこちらの物件にはなんの問題もないんです。ですからかえって当社も困っているんですよ」



                      ※※

 


 よし。即決。


 203号室の建物と室内を見せてもらい、私は時田さんに「決めました」と告げる。

 もう少し考えても……と言われたけれど、決めるときはとっとと決める。やると決めたらやるっきゃないのだ。


 それに、時田さんから車中で話を聞いたときは、廻りをコウモリが飛びカラスがギャアギャア鳴いているような恐怖の館を想像していたけれど、裏野ハイツはまったくそんなものじゃなかった。


 瀟洒な外見に、夕涼みもできそうなきちんとしたバルコニー。室内もリフォームしているとだけあって、フローリングとクローゼットの揃った洋室は築数十年の木造アパートとは思えなかった。

 無理やり欠点を探すとしたら、裏野ハイツ全体がちょっと独特の臭いがすることかな。

 でも仕方ない。ここは見た目は新しくても築30年の木造住宅。カビもホコリも年代物に違いない。


 え?連続失踪者が3名だって?


 偶然、偶然。もし偶然じゃなくても、張り手をかまして戦ってやる。

 でないと私が飢え死にだ。

 いつか来るかもしれない危機より今そこにある危機。


「でも……本当によろしいんですか?」


 契約書にサインするわたしに時田さんがまた聞く。


「はい!いざとなったら回し蹴りです!」

「いや、回し蹴りでは勝てないような気がするのですが……まあ、森沢様が希望されるなら……」


『回し蹴りでは勝てないような気がするのですが』


 私はこの時田さんの言葉をのちのち「本当でしたごめんなさい」と思い出すようになる。

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