第5話 悪役令嬢、実は、聖女~ある歌姫の最後の歌~

 愛する息子へ


 これはわたしがあなたに贈る最初で最後の手紙です。

 少しだけ、母の話を聞いてください。


 そして、読み終えた手紙はすぐに燃やしてください。

 あなたは栄光あるハリティアス伯爵となるのですから、こんな母のことなどは忘れていいのです。


 わたし、ユーエル・フォン・ハリティアスはハリティアス伯家の一番下の娘として生まれました。

 二人のお兄様は年の離れた妹であるわたしを可愛がってくださり、お父様もお母様も同じく、わたしを本当に大切に育ててくださいました。


 けれど、お兄様たちとお母様が流行病いで急に逝かれてしまってから、お父様の心は少しずつ蝕まれていきました。


 お兄様たちと言う跡継ぎを一度になくしたこと、家の中のことすべてを取り仕切っていたお母様がいなくなったこと、どちらもお父様を狂わせるには十分だったのです。


 ハリティアス伯家を継ぐ資格はわたしにもありましたが、伝統を重んじるお父様は私が当主となり、ハリティアス女伯が生まれることを最も忌み嫌いました。


 もちろん、わたしは自分でも、この巨大なハリティアス伯家を采配する才能などはないことがわかっていました。

 私はただ歌うことが好きな娘で、またそのように育てられたのです。


 お父様はたくさんのごしゅを聞し召すようになり、そのうち、すこしずつ無茶な賭けに打って出ることが増えました。


 私に巨額の持参金をつければ、ハリティアス伯家よりも上の家の貴族の方が養子として私の夫になり、ハリティアス伯爵になってくれるのではないかと____。


 夢物語です。

 

 そのくらいはわたしにもわかりました。


 けれどわたしにはもうお父様は止められませんでした。


 これまでの当主の才覚のおかげで、伯爵家には似つかわしくないほど蓄えられていた膨大な財産はたちまちに蕩尽されていきました。


 お父様のごしゅはどんどん増えていき、侍女たちの数は減りました。


 そしてある日、お父様は私の頭に銃を突き付けられ、こうおっしゃったのです。


「王都一の商会、アギネスティ商会の会主、デ・ラ・アギネスティの妻になれ」と。


 わたしはそれだけはお許しくださいと懇願しました。

 あなたも年頃になればこの母の気持ちもわかるかもしれません。


 ただ、デ・ラ殿が商人だから、平民だから、という理由だけでお断りしようとしたのではないことはわかってください。


「ハリティアス家から女伯を出すくらいなら、格下の貴族にハリティアスを名乗らせるくらいなら、おまえとともに死ぬ」


 お父様は本気でした。


 普段は優しい方でしたが、貴族と言うことにとても誇りを持ってもいらっしゃったのです。

 

 けれどわたしもそんなお父様の娘です。


「ならば撃ってくださいまし。お母様とお兄様のところに行きましょう」


 わたしは甘やかされた惰弱な娘ですが、それでも矜持の一つくらいは持っていました。


 不正をすることも、それを許すこともしてはいけないと。

 

 これ以上書けばあなたのお父様を侮辱することになります。

 真実は自分の目でお調べなさい。


 するとお父様は銃をおさめ、わたしの膝に頭を乗せ泣き出したのです。

 あのお父様が!いつも誇り高かったお父様が!


 銃をおさめたお父様の手には一枚の契約書が握られていました。


 曰く、デ・ラ・アギネスティはユーエル・フォン・ハリティアスの婿養子となり、ハリティアス伯家の当主となる。。


 曰く、その婚姻が発効した日にデ・ラはハリティアス家がかつて所持していたのと同等程度の財貨を支払う。債務がある場合はこれもすべてデ・ラが支払い、無効とする。


 曰く、ユーエル・フォン・ハリティアスは婚姻のあとはユーエル・フォン・アギネスティ・ハリティアスを名乗り、子にもアギネスティを名乗らせること。子は男児を産むまで産み続けること。


 わたしは息が止まる思いでした。


 わたしは売られたのです。お父様に。


「許してくれ、ユーエル……もうこうするしかなかった……」


「爵位を売るなど貴族としてあるまじきことだとおっしゃっていたではありませんか!」


「だがもう……代々受け継いだ領地、城……私はすべてをなくそうとしている無能な……」


「そのようなものはなくても生きていけます!」


「いや、私は生きていけない。すまない、ユーエル。

 デ・ラはどうしても『王国の歌姫』と呼ばれるおまえが欲しいと言うのだ」


「お父様!」


「本当にすまない、ユーエル。契約はもう成立してしまった。私は私の債務を払おう」


 止める間もありませんでした。


 弾丸はお父様のこめかみを撃ち抜いていました。

 ふりかかる血。

 あとのことは思い出したくありません。


 気が付けば、私は花嫁衣装を着、デ・ラの妻となっていました。


 そして……あなたが産まれました。


 母はあなたを愛しています。愛しています。大人になったあなたを見たかった。あなたの妻を、あなたの子供を見たかった。


 それでも、愛する息子、ごめんなさい、母はこれで契約は成し遂げられたと思っています。


 わたしもわたしの債務を払いましょう。


 もう誰も、あなたも、何も支払うことがないように。母がすべてを清算します。





               ※※※





 ユーエル伯姫は男児を産んだあと、この手紙を書き上げ、産褥の床で胸を貫いて死んだ。


 赤い蝋で封をされた血染めの手紙は、婚姻の前からユーエルに仕えていた忠実な侍女が、デ・ラの目に触れる前にひっそりと隠し、彼女がユーエル伯姫の息子が真実を知るべきだと思ったときに手渡された。


 それはイ・サ・フォン・アギネスティ・ハリティアスが15歳になった時。


 こうして、『父殺し』のイ・サ伯が誕生した。


 その後、膨大な財産と権勢を手にした彼がどのように振る舞ったかは、また別の書で語られている。

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悪役令嬢、実は、聖女 番外編集 七沢ゆきの@11月新刊発売 @miha-konoe

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