第4話 悪役令嬢、実は、聖女~夢見るころを過ぎても~
ある晴れた暖かな冬の日。
エルリックはかつての日々を懐かしむように、テラスで揺り椅子に座っていた。
「色々なことが……ありましたね」
誰に聞かせるでもなくエルリックはつぶやく。
エルリックの目は穏やかな幸せに満ちていた。
そして、その眼差しの先には、庭で遊ぶ孫たち。
どうやら、兄のクレメントが、気の強い妹のメイアのおままごとに付き合わされているようだ。
それを微笑ましく見ているエルリックの元に、突然メイアが駆け寄ってきた。
仕方なく、クレメントもその後をついてくる。
「おじいちゃま、おばあちゃまって本当はどんな方だったの?」
メイアはエルリックの膝に両手を乗せ、椅子を揺すりながら聞く。
メイアの輝く金の髪はショウエルによく似ていたが、目の色はもっと濃い瑠璃色だった。まるで、ショウエルとフレンジーヌの瞳の色を混ぜたように。
「メイア!」
クレメントがメイアを制止しようとした。
彼は、本人が話したがらないことは無理に知るべきことではないと思っていたからだ。
「だっておばあちゃまに聞いたこともあるけど、わたしは普通のおばあちゃんよって嘘ついて教えてくれなかったんだもん!父様や母様に聞いてもメイアにはまだ早いよって笑ってるだけだし。メイア、もうこどもじゃないよ!」
「7歳はまだまだこどもだよ、メイア」
「お兄ちゃんは黙っててよー。
だっておばあちゃま、特級黄金戦功十字章を持ってたんだよ?あの英雄王様がおばあちゃんにはひざまづくんだよ?ショウエル姫って呼ぶんだよ。大上妃様も今の王様も王太子様もおばあちゃんにはうやうやしいんだよ?」
メイアがうずうずと体を左右に揺する。もうショウエルの過去の話を聞きたくてたまらないようだ。
「今日だって王様たちと副官さんおじいちゃまが、うちまでわざわざご挨拶にくるんでしょ?
王様に会いたければ普通は王宮にこちらが行かないといけないし、明後日には王家の新年をお祝いする舞踏会があるからそこでも会えるのに」
「おやおや、恭しいなんて難しい言葉を覚えましたね、メイア。それに、特級黄金戦功十字章は宝物庫に入っているはずです。あそこにはまだ入ってはいけませんと教えたはずなのに」
「おじいちゃままでメイアのこと馬鹿にしないでー!
メイアは本当に知りたいの。メイアはいつかはこのおうちとは離れるだろうから、知ってる人がいるうちに聞いておかないといけないの!」
ああ、この子はフレンジーヌとショウエルの血を濃く引く娘なのだとエルリックは心から思う。
フレンジーヌが進む方向を逆にしたらこうなってたのではないかと思うような強い意思と矜持。それに、ショウエル譲りのためらわない心。
それと同時にエルリックは苦笑する。
以前からメイアは軍人になりたいと言ってはいたけれど、最近急に、特級黄金十字章を取るにはどうすればいいのかと聞いてきたのもこのことのせいだったのかと。
「そうですね。知りたいと思う者を子ども扱いしてはいけません」
「さすがおじいちゃま!きょーいくしゃ!」
「そんな言葉、どこで覚えたんです?」
「おばあちゃまから!」
「まったく、あの方は……」
エルリックが首を振る。髪が、揺れる。
鮮やかだった金色の髪はだいぶ色が抜け、白銀が主になっていた。
「メイア、クレメント、玉座戦争は知っていますか」
「は……」
「うん!もちろん!英雄王さまが偽物の王様を追い出したのよ!」
クレメントが返事をしたのを遮るように、メイアが身を乗り出してくる。
女性が強いのはこの家の伝統なのか、とエルリックは苦笑いした。
「では、本当は、英雄王イザナル殿ではなく、おばあちゃまが最後の怨敵を倒したと言ったら?」
メイアが唇を尖らせた。
そして、とても不機嫌そうな声で言う。
「……おじいちゃま、ごまかさないで。そんな嘘ヘタすぎよ」
「なぜそう思うのです?」
それをエルリックは穏やかに受け流し、逆に質問で返す。
「だっておばあちゃまは女の人だし、いつも素敵なドレスを着ているし、剣や銃のお稽古をしている所なんか見たことがないわ。それに、玉座戦争のことは本で何度も読んだけれど、そんなこと書いてなかったもの」
「本に話がないのはおばあちゃまの希望です。私たちは目立つのにうんざりしていたんですよ。あの頃は。
それに、本物の金は闇でも光り、本物の強さも力では測れません。私の好きな言葉です。ある王様の言葉ですよ」
「だって……!」
それでもメイアはまだ不服気だった。
今にも、大人なんかに騙されないもん!と怒り出しそうだった。
「私が話しているのはすべて本当のことです。先程、こども扱いはしないと言ったはずですよ。忘れましたか?」
「ううん……」
メイアが首を横に振る。
エルリックに優しく、しかし理路整然と諭されたせいで、先ほどまでの勢いはだいぶ小さくなっていた。
「おばあちゃまはいざとなれば戦いに邪魔なドレスなど物ともせず、あの細い腕で比類ない剣捌きを見せてくれます。玉座戦争の時の戦い方はそれはそれは素晴らしいものでした。
あのときもドレス姿でしたから、裾を翻し金の髪を揺らしながら戦う姿は、まるで神話の戦乙女のように見えたものです」
「じゃあやって見せてもらって!メイア、それ見たい!」
「きっと無理ですよ」
言いながら、エルリックがなんとも言えない苦笑いを浮かべる。
「なんで?メイアがこどもだから?女だから?」
「違います。おばあちゃまは恥ずかしいんです」
「えー!メイアだったらすぐに軍に入ってみんなに褒めてもらうよ!」
わかんない、わかんない、とぷくんと頬を膨らませたメイアを見て微笑んでから、エルリックはメイアの後ろに黙って控えていたクレメントへと視線を移した。
「クレメント、あなたなら理由がわかるのではありませんか?」
「はい。おばあさまは御自身の価値観を貫かれる方です。そしてその中に武人という選択肢はなかった」
そう答えたクレメントは、華やかな容姿のメイアとは逆に、まだ少年ながら、誠実そのものと言った容貌をしていた。恐らく父親譲りの性質だろう。濃い茶色の髪も黒に近い目も父親によく似ていた。
「その通りです。あの人が望んだのは平凡で平和な毎日を送ることと、それを一緒に過ごせる家族を作ることだったんです。____そしてそれは叶えられた」
「変なの。つーまーりー、おばあちゃまはとっても強いのに誰にも褒められない道を選んだのね。メイア、わからないわ」
「その道を選ぶ方がずっと困難なのですよ。名誉や財産より、自身の本物の願いを選ぶ方が」
クレメントがうなずく。
それを見てエルリックは満足げに口の端を上げた。
次代のハイレッジ家当主として、そのことが理解できるなら安心できると。
「たとえば、林檎が食べたいと思ったときに林檎と金が目の前に現れたら、たいていの人間は金を選ぶでしょうね」
「でも、おばあさまは違う」
クレメントの唇は、静かだがきっぱりと言葉を紡いだ。
「そうです、クレメント。おばあさまはためらわずに林檎を選ぶ」
「おばあちゃまは頭が悪いの?」
きょとんとメイアが首をかしげ、なんとも子どもらしい問いを投げかけた。
「違います。逆にとても賢いのです。メイアも希望通り軍に入れば、おばあちゃまがしたことがどれだけ凄いかわかるでしょう。普通は大きな力を持てば野放図に使いたくなる。それを抑えるのは難しい」
エルリックの目が、一刻、遠くを見た。
その先に、黒い髪に緑の瞳の美しい女と、紅茶色の髪をした長身の伊達男が見えた気がした。
「それが本当の意味でわかったときが、メイア、あなたが本物の大人になった時です。クレメント、あなたも。
安心なさい。時が来ればおばあちゃまは必ず話してくれます。あなたたちの両親も玉座戦争で何が起こったかは知っていますからね。これは王家とハイレッジ家がずっと覚えていなければいけないことなんです」
「どうして覚えていないといけないの?」
「また同じことが起きた時のために。
国を守るということはこういうことなんですよ、メイア。十年後、百年後、もしかしたら永遠にこないかもしれない一瞬のために備えておく。災禍を忘れないことは、剣を振るうより、銃を撃つより、よほど大事なことです」
「ふぅん……」
まだ納得しきれないのか、メイアは歯切れの悪い声を出す。
ただ、祖父が自分を子どもとして扱うのではなく、大人として扱って話してくれたからこそ、祖父の話には意味がわからない部分がたくさんあることだけは理解できた。
だから、先程までのような子どもらしい怒りはもうその顔にはなかった。
「では、メイア、クレメント、年寄のお説教をきちんと聞いてくれたお礼にいい物を見せてあげましょう」
「お説教などと、そんなことは……!」
「クレメント、あなたは真面目ですね。将来この家の当主になるのにふさわしい。____ほら、これですよ」
エルリックが胸元の隠しポケットからそれを取り出すと、メイアの目が大きく見開かれる。
「え、これ……!おじいちゃまも持っていたの?!」
「ええ。メイアは知っているでしょうが、一級黄金戦功十字章です。
私はあの人とは違うのでね。いつも見えないところに身に着けているんです。これは私の誇りであり、支えですよ」
メイアはきょとんとしていたが、クレメントは何かを理解したように深くうなずいた。歴史が好きな彼は、祖父の名の中に『ブロォゾ』という単語が含まれていることと、その単語が意味することを知っていた。
「じゃあおじいちゃまも剣が強いの?それとも弓?銃?戦略?」
「いいえ。これは……私が最後までイザナル殿とおばあちゃまを信じたご褒美です。我々は戦友ですから、王という垣根を越えて今日もイザナル殿はいらっしゃるんです。舞踏会ではイザナル傭兵団の隊長ではいられませんからね」
勲章をもっと近くで見たいというメイアに、エルリックは一級黄金戦功十字章を手渡し、それからメイアを自分の膝に抱きあげた。
「でもね、メイア、こんなものは授けられない時代の方がいいんです。これは戦争が起きた時にだけ配られるものです」
そして、エルリックはいとしい孫をぎゅっと抱きしめる。
ショウエルの愛情、そこから産まれた娘、その上、その娘が産んだ孫の顔を見ることまでできた。どれもみな、自分には手が届かないと思っていた物ばかりだった。
そのとき、昔と変わらない、エルリックが心から愛する朗らかな声が聞こえた。
「あら、あなた、こんなところにいたの?準備はできたから早くあちらへいらっしゃいな。イザナル様がそろそろ到着する時間よ。
メイアとクレメントはお母様と相談して服を着替えておいでなさい」
テラスの入り口から身を乗り出し、ショウエルは三人にそう告げる。
ショウエルの顔にもまた、これまでの歳月の流れがくっきりと刻まれてはいたけれど、かつての面影は十二分に残っていた。
エルリックなどは、出会ったころから変わりませんね、と本気で言うくらいだ。
「ああ、ありがとう。すぐに行きます。
……メイア、クレメント、先ほど私の話したことはまだおばあちゃまには内緒ですよ。いつかおばあちゃまが自分で話す日まで待っていてください」
そして、メイアの手から一級黄金戦功十字章を持ち上げ、また隠しポケットに仕舞ったエルリックが柔らかに微笑む。
「あなたたちにはね、私たちが取り戻した平凡な幸福の中でずっと生きていてほしいんです」
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