第3話 悪役令嬢、実は、聖女~死人姫とその息子~
母は、不思議な髪の色をしていた。
そのために母は栄華を味わい、そのために母は殺された。
※※※
「イザナル、あなたの髪はとてもきれいね。わたしに似なくて良かったわ」
俺の黒いまっすぐな髪を手櫛で梳きながら、母はもう数えきれないほど口にしたそれをまた繰り返す。
母の髪は夜明け前のようにほのかな銀色だった。
結い上げていないときはそれが波のようにうねり、背や腕に滑り落ちていた。
目の色も灰色に近く、顔色は蝋のように白い。唇さえほとんど色がない。
母はとても綺麗だったが、その独特の色のせいで、命のない人形のようだった。
だから、普通の婚姻など望めないと、王の寵姫となるよう命じられたときに迷わずそれに従ったのだ。
「お母様の髪も綺麗です」
「ありがとう、イザナル。そう言ってくれるのはあなたと陛下だけよ。こんな……
『
その言葉が褒め言葉ではないことくらいは、まだ成年していない俺にもわかっていた。
ただ俺には、母は
日の光さえ浴びさせれば、爛漫と咲き乱れる花に。
「あなたの髪も目も陛下と同じ色。わたしはあなたが産まれるとき、それだけが心配だったのよ。可愛い息子が
「私が王になればお母様にそんなことを言う奴は許しません」
「だめよ、イザナル」
し、と母のひんやりとした指が俺の唇に当たる。
「王はこの国で一番の力を持つの。だからこの国で一番の広い心をお持ちなさい。強い力は自分のために使うものではないの。教えたでしょう?あなたがその手に持つ力と、あなたが御さなければいけない物を」
口を開けない俺はこくんと頷く。
目を覚ましかけているという、玉座の間に眠り続ける過去の悪夢。
俺の役目の一つは、それを悪夢というお伽噺のままにしておくこと。
「それにね」
俺の唇から離れた母の指が、また俺の髪に戻る。
「姿かたちなんて本当はどうでもいいの。自分の力で戦えればそれでいいの。母様も戦ったわ。
「勝ったのですか?」
「え?」
「お母様は勝ったのですか?」
「ええ、そうね。陛下に見初められ、大切にされ、あなたという子もできた。あとはあなたの戴冠を見届けるだけね。本当に……わたしにこんな未来があったなんて思わなかった……」
母が季節の花で飾られた部屋の中を見渡す。
ここは母に与えられた離宮だった。
そして、いまも笑っている。
とても幸せそうに。
俺はその顔がとても好きだった。
「ナルリア家にいてはとても手に入れられなかった幸せよ。あなたも、陛下も」
母の腕が俺を強く抱いた。
その刹那。
母の体がこわばる。耳元で、ひゅっと母が息を呑む音が聞こえた。
「おかあ……さま……?」
母は俺の言葉など聞こえないように、「この子は殺さないで……!」と俺の後ろの誰かに哀願する。
俺が振り向くと、そこには見知った顔の護衛兵が立っていた。
なんだ、彼がここにいるのはいつものことではないか、と思いかけた俺は、その護衛兵の剣が抜身であることに気付く。
「カームラ殿の命令でしょう?この子を殺せば王になれると思っているのでしょう?それは違うのよ。この子でなければいけないの。この国の王はこの子でなくてはいけないの。カームラ殿にそう伝えて、陛下ともよく話し合って……」
「申し訳ありません、エイメ様」
護衛兵は気の毒そうな顔をしたが、剣をしまうことはなかった。
「あなた方をいま殺さなければ私の家族が殺されるのです」
ああ……と母が嘆息する。
白い顔色はいっそう白くなっていた。
「ではカームラ殿にことづけを。この子を殺せばナルリア家だけではなく、アルストレム家もノルドグレーン家も黙ってはいないと。あなたもこの
「しかし……!」
「わたしの首を持って行きなさい。そこの盆に載せて。そしていま言ったことをカームラ殿の前で繰り返して。この子の首まで切ってから伝えては遅いわ。
そうなればあなたの首も飛ぶ」
「お母様?!」
「イザナル、あなたは何も心配しなくていいわ。これからたくさんのことが起きるだろうけど、大丈夫なように母様がしておいたから……」
馬鹿なことに、その時俺はやっと自分の身に何が起こっているか気付いた。
王位が欲しい異母弟のカームラが母と俺を殺そうとしているのだと。
「母様の言った通り、王の務めを忘れないで。この国を守るのはあなたよ」
そして、俺から腕を離し、母はその細い首を護衛兵の前に垂れる。
それでも、俺を見る目は笑みを含んでいた。
今ならわかる。
母は俺を怖がらせまいと必死だったのだ。
「忘れないで、イザナル……」
それが母の最期の言葉だった。
その先に何か言いたいことがあったのか、それとも別れのあいさつのつもり
だったのか、それは今でもわからない。
母の首はそこで胴から落ちたからだ。
※※※
母は真実を語っていた。
確かに俺は殺されることはなかった。
そのかわり、ヴィーゲル王家第一位王位継承者としての俺の存在は消された。
離宮で王太子として安穏と暮らしていた俺は、母の葬儀に出ることも許されず、自分の葬儀などという茶番を見ることもできぬ間に、わずかな金とともに街へと放逐された。
カームラが実権を握った以上、母が名を上げていた貴族たちも表立っては俺をそう援助することはできない。それが奴が出した俺を生かしておくための条件だったからだ。
初めは何をすればいいのかもわからず、途方に暮れていたが、街の中では泣
く俺を気にするものなど誰もいなかった。
ならばどうすればいいのか。
安宿の片隅で慣れない味付けの食事を口にしながら俺は考え続け、自分がすべきことに思い当たった。
母の言うとおり、悪夢をお伽噺に変えよう。
幸い、王太子として帝王学を学んでいたことで、剣や銃の扱い方から戦争の仕方まで、一通りの知識は頭に入っている。
まずは雇われ兵として金を稼ぎ、そして信頼できる者を集め、傭兵団を作ろう。
貴族じみた話し方や作法はすべて捨てればいい。俺はエイメ・イ・リ・ナルリアの息子だという誇りだけをひっそりと持てばいい。
そのしるしはこの手の青い光の中にある。
俺にはもう流す涙はない。
それはあの日の母の血の中に。
いつか来るその日を待ち続けるために。
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