第2話 悪役令嬢、実は、聖女~魔女がねむるとき~

これは読まれることのないだろう、私からあなたへの手紙だ。





                   ※※※





 私はおじいさま以外の誰にも理解されないだろうということは、物心ついた時からわかっていた。


 ナンセを真似て剣を振るえば微笑み、チェスの手ほどきをしながらどんな風に人を出し抜いても勝たなければならないことを教え、私が人を殺せば喜んで下さったおじいさま。


私が子供でなくなり少女になったら「何も持たずとも玉の輿に乗れるのは女の美貌だけだ。だが、野望を持たない美貌に意味はない。幸いおまえは美しく産まれた。それを存分に使え」と説いてくれたおじいさま。


 そして、私に『本』と強さを授けてくださったおじいさま。

 

 父母はそんなおじいさまを恐れ、私を恐れ、はじめは私を海向こうの寄宿学校に入れようとした。学校と行っても名ばかりの、貴族の娘が貴族の妻になるまでの退屈つぶしとして社交術や礼法を学ぶだけの場所だ。「あなたはこれで社交界の女王になれるわ」と彼らに言われたとき、私は内心彼らを蔑んだものだ。


 そんな物の女王になってどうするというのだろう。社交界で私が傅かれるのは当然だ。


 私はクエンティン公家の娘なのだから。


 私が首を下げるのは王しかいない。

 

 それ以外の者になぜ私が負けなければならないの?





                      ※※※






「おじいさま」

「なんだ?」


 チェスの駒を動かしながらおじいさまが聞く。


「お父様とお母様が死にましてよ」

「ほう、そうか。では葬儀の準備をせねばな。しかしなぜ」


 おじいさまの手が盤上の駒を動かす。迷いのないその手は私の好きなもの。

 私も負けないように駒を動かす。


「私が殺したんですの」


 おじいさまの手がほんの少し止まった。

 そしてひどい悪手を打つ。


「まあ、おじいさまらしくもない」


 私はそう言いながら駒を動かす。

 こんなことで心を動かしてはいけないと私に教えたのはおじいさまだ。


「王手詰みですわ、おじいさま」


 私は女王の駒を動かしながら微笑む。


「おじいさま、どうかなさいまして?

どんな時にでも勝てとおっしゃられたのはおじいさまですよ」


 おじいさまが黙られた。

 なぜ黙られるのかが私にはわからなかった。


 邪魔なものは消し、必ず勝つ。

 それが私とおじいさまの共同認識だと思っていたのに。


 どうして祝杯を挙げてくださらないのかしら。


 チェスに負けたのが悔しいのかしら。


「ネイカーも殺したのか」

「ええ」


 お父様の名を挙げられて問われ、私は答える。


「何故そんなことをお尋ねになりますの?」


 侍女を呼び、冷たい飲み物と甘い焼き菓子を持ってくるように命じながら、私はおじいさまに聞いた。

 

 私は勝った。それなのにあんな顔をされる意味がわからなかった。


「ネイカーは儂の息子だぞ」

「ええ。私のお父様でもありますわ」

「メリッサはおまえの母だぞ」

「そうですわね。それがどうかなさいまして?」


 私は盤上から女王の駒を取り上げて撫でる。


「私は女王になりますのよ。本物の。クエンティン公家の誇りを取り戻しますの。

 女王ならば邪魔者の首を刎ねるのは当たり前でしてよ」


 女王の駒を欠いた盤上が今の王国の姿に見えた。


 王になりたいだけの王。国を維持するだけの王。それだけで満足する愚かな王。


 そんな者にどうして、我が一族が作ったこの国を奪われたままでいなければならないのかしら?

 私ならば絶対者として君臨し、この国を富ませ、強くし、いずれ四方の諸族を奴隷にするのに。


「ネイカーとメリッサが邪魔者か……」

「ええ。私をおじいさまに内緒で遠くの学校にやろうとしましたの」


 飲み物と焼き菓子を載せたワゴンを持ってきた侍女が、チェス盤に占領された卓を見て困惑した顔をする。


「ああ、そのままでいいわ。

 私とおじいさまで勝手にやるからおまえは下がっていなさい」


「畏まりました」


 一礼をした侍女が部屋を出ていくのを見届けてから、私はもう一度おじいさまに微笑んだ。

 杯を差し出しながら。


「さあ、おじいさま、乾杯をいたしましょう。私たちの野望がまたひとつ前に進みましたのよ。教えてくださったのはおじいさまですのよ。立ちふさがるものは殺せ、と」


 おじいさまの手が盃を取る。


 震えているように見えたのはきっと私の勘違いだわ。それともそのくらいお喜びになったのかしら。


「私とおじいさまに、乾杯!」


 杯の触れ合うかすかな音。おじいさまは無言のまま。


 思えば、おじいさまがチェスで悪手を指したのは、あの時だけだった。




                   ※※※





「喜べ、フレンジーヌ。ハイレッジ公家との縁談が決まったぞ」


「まあ!あの大貴族の?」


「ああ。今では最も王族に近い家。あれの妻になれば王宮など好きなときに入れる。その上あれは愚直で欲のない男だ。おまえなら簡単に支配できる」


「ありがとうございます、おじいさま!これでまた一歩進みましたわ!」


「礼ならば……ネイカーとメリッサに言え。ハイレッジはおまえの黒い髪と緑の瞳がことのほか気に入ったそうだ。異国の女神のようだと。

 ……ネイカーは澄んだ緑の目をしていた……メリッサは黒髪が美しかった……」


「どうかなさいましたの、おじいさま?」


 おじいさまは窓から遠くを見ていた。

 

 ああ、この人も年老いたのだな、と私は思った。






                    ※※※






「はじめまして!フレンジーヌ殿!」


 その男は屋敷の門の前に立っていた。

 満面の笑みで、とても嬉しそうに。


「公、なぜこんな所におりますの?門兵はどこへ?」


 仕方なく私も馬車から降りてハイレッジ公の前に立つ。

 

 たまに王宮での催し物で見かける彼の印象よりずっと若く見えた。

 金色の髪が太陽の光を照り返していたせいかもしれない。


「きみを待っていたんだ!早く僕の花嫁に会いたくて!」


「まあ、今日はまだご挨拶に伺っただけですのに、公みずから?」


「当たり前だよ。舞踏会や晩餐会できみを見るたびに、なんて美しい人かと思っていたんだ。でも僕はきみより15もおじいちゃんだし、冴えない男だし、手の届くことなんかないと思っていた。それがこんなことになれて僕はとても嬉しいんだ」


「それでわざわざここでお待ちに?門兵に私がついたら知らせるようにお申し付けになればよろしいのに」


「だってそれじゃ僕が本当にきみと会うのを楽しみにしていたのが伝わらないじゃないか。

 わかっているよ。これは政略結婚だ。きみのように若く美しい女性が僕の妻になってくれるのは僕がハイレッジ公家の人間だからだ」


 突然この男は何を言い出すのだろう。

 貴族の婚姻など、どこかに必ず何かの狙いがあってするものだ。

 本当に手元に置きたいものは寵姫や情人にすればいい。

 それとも、ハイレッジ公はおじいさまから伺っていたより賢い人間で、私を牽制しているのだろうか。


 「だから僕はできるだけの誠意をもってきみと出会いたかった。

 ____ああもちろん、きみにまでそれは強制しないよ。きみが最後にこの家に帰って来てくれるなら何をしてもいい。嫌な話だけれど……墓石に僕ではない人間の名を刻んでくれても構わない。何日でもどこに行っても何をしてもいい。でもこの家は」


ハイレッジ公が背後の壮大な邸宅を指し示す。


「きみの家になるんだ」


「では、もし私が公に嫁す時に私と同い年の男性を連れてきたりしても?」


 ずいぶんお人よしな男だと思ったから、冗談めかして私はそんなことを聞いてみた。

 おじいさまからは、この縁談にはハイレッジ公がずいぶん乗り気だったと聞いている。

 

 そうだとしても、先刻の質問への答えはきっと口先だけだろう。


 いざとなれば、あれは駄目。これも駄目、貴族の妻としてふさわしい行動をとれなどと説教をし出すに違いない。それに、彼が気に入ったという私の緑の瞳も黒い髪も時を経れば老いていく。 おじいさまが褒めてくださり、目の前の男が讃える美しさもいつかは風化する。

 

 そのときにはきっと、ハイレッジ公の傍らには、私ではない緑の瞳で黒髪の若い女が侍っている。


「え、うん……」


 ほら。

 答えられないくせに。


 冗談ですわ、と笑って済ませようとしたら、ハイレッジ公がひどく真面目な顔で私を見つめた。


「そうだね、想像してみたんだけど、悲しい気分になった。

 でも……それでもいいよ。きみがそうしたいのなら。そのかわり」


 ハイレッジ公が少し困ったように言葉を切る。

 もしかして、そのかわりに自分が寵姫を連れ込むのも許せ、と言うのかしら。


「必ずここに帰ってきて。僕はきみが好きなんだ。だから僕がきみに望むのはそれだけだ。安心して。僕はきみから何も奪わないよ。もしきみが悪魔で、世界の崩壊を企てていると告白されても、たぶん、止められない」


 ハイレッジ公はどう形容したらいいかわからない笑みを浮かべていた。

 悲しみのような、諦めのような。


「いやだわ。ただの冗談でしてよ。そんなことはしませんわ」


 私はこのとき、本当に先刻の言葉を冗談にしたかった。

 今でもあの時どうしてそう思ったのかはわからない。


 ただ、ハイレッジ公にこんな顔をさせるのが嫌だったのだ。


「だって私はあなたの妻になるんですもの。母が早くに事故でいなくなりましたから無作法をすることもあるかもしれませんけれど、お許しくださいましね」


「う、うん!もちろん!」


 ハイレッジ公の表情が目に見えて明るくなる。


 どうしてだろう。


 どうしてこんなことで私まで嬉しいのだろう。


「フレ……フレンジーヌ姫と呼んでもいいかい?」


「ただのフレンジーヌで結構ですわ。公は私の夫になる方ですもの」


「いいのかい?!」


「ええ」


 言葉にあわせて微笑むと、ハイレッジ公の顔が目に見えて赤くなった。


「ありがとう、フ、フレンジーヌ。絶対に幸せにするから」


「あら、まるで婚姻の誓約みたいですこと。

 これは門の前でするような話でもありませんわね。屋敷の中に入れてくださるかしら」


「あ、気が付かなくてすまないね。軽い食事と飲み物の用意がしてある。

 よければ中に入ってくれないか?」


「公。中に入れてとお頼みしたのは私でしてよ。そんな風に聞かれても、私は『入ります』と言うしかないではありませんか」


「あ、ああ、そうだね。駄目だ。きみといると僕は頭が回らないよ」

「まあ」


 公と私は目を見せ合い笑い合う。

 公の笑顔は屈託のない、いいものだった。

 

 願わくば、私の笑顔もそう見えているといいのだけど。

 

 そう言えば、私はこんな風に笑ったのは何年振りだろうか。


「公」


「なんだい?」


「私こそ、ありがとうございます。この縁談を受けてくださって。

 墓石には公の名前を彫りますわね」


 公の顔が今度こそ、病気ではないかと思うくらい赤くなった。

 そして、赤い顔を隠すようにおかしな方向に顔を向けながら答える。


「あ、ありがとう、フレンジーヌ」


「御礼など。こちらこそ。私こそ公に会えて嬉しいですわ」


 これは偽りのない私の本心だった。


 公は私の周りにいるどんな人間とも違っているように見える。


 もし私が感じたこの印象が本物なら、私の手を取ってほしい、ともに一生を過ごしてほしいと、この短い邂逅の中で私は渇仰していた。


「公、お手を出してくださいますか?」

「ん、いいよ」


ハイレッジ公が私にてのひらを差し出す。


私はその上に自分の手を乗せ、乞い頼んだ。


「公、公と私の家まで案内してくださいまし」






                     ※※※







 それからしばらくののち、私と公の華燭の宴は滞りなく行われ、私はフレンジーヌ・イェン・ナーラ・クエンティンから、フレンジーヌ・デ・ターリア・ハイレッジとなった。


 おじいさまは公が私に寄せる信頼がことのほか篤いのをお喜びになったけれど、「覚えているな、フレンジーヌ」と幾度もの耳打ちもされた。


 私は「ええ」といつも笑顔で頷いていたが、いつのまにかそんな野望は蒸発してしまっていた。

 けれどお爺様があまりにも「早くやれ」としつこいから、おじいさまも殺した。

 

 私はもう、女王になどなりたくなかった。

 ただ、ハイレッジ様の妻でいたかった。 

 

 どうしてだろう。15歳も年上で、野心もなく、ただ穏やかなだけの平凡な男なのに。

 それなのに、なぜ、殺したくないと思ってしまうんだろう。

 

 あけっぴろげな笑顔、夏の日差しのような金髪、水底のような青い瞳。

 歌うことと庭の手入れが好きで、好意の見返りを求めない。


 何もかも私とは対照的な男。


 私から、野望を消し、また生まれさせた男。


 彼が生きていたら……と考えるのはもうやめよう。


 彼はもう死んでしまったのだ。ならば私は彼の最期の望みを叶えるのみだ。




 ああ、もう紙面がない。

 願わくば、これをショウエルが読んでくれるように。


 私と公は本当に愛し合っていたと。

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