悪役令嬢、実は、聖女 番外編集

七沢ゆきの@「侯爵令嬢の嫁入り~」発売中

第1話 悪役令嬢、実は、聖女~逢魔ヶ刻~

 王主催の退屈な舞踏会。

 俺は群がる女たちを適当にいなしていた。


「ねえ、イ・サ伯、この前行かれたという国の話をしてくださいな」


 よほど豊かな胸に自信があるんだろう。娼婦すれすれに胸元を開いたドレスを着た女が、俺にその胸をすりつけるようにして話す。

 

 俺はそれをやんわりと引き離し、社交界用の表情を作った。


「そうおもしろいものでもありませんよ。男も女も緑の髪をしているくらいです」

「あら、十分愉快ですわ。きっと木々が歩いているようですわね。お供に連れて行ってくださらないかしら?」

「そんなことをしたらあなたのお父様に殺されますよ」

「父は伯ならお喜びになりますわよ」

「いえいえ。私を買いかぶりすぎですよ」


「エイシャ様、伯がお困りですわよ」


 胸の大きな女を押しのけるようにして、つややかな赤毛を結い上げた女が俺の前に立つ。


 成り上がりの新興貴族だろう。


 体は前の女に劣るが、豪壮な装いはずっと上だ。身に着けているドレスと宝石だけでひと財産だな。


 俺は商人の目でそう見積もった。


「伯、わたくし、このドレスに似合うような赤い宝石が欲しいんですの。伯の商会でお取り扱いはありますかしら。お値段はいかほどでもかまいませんわ」

「あなたの美しさに適うような石は私の商会にはありませんよ。よい石を扱っている知り合いがおりますのでご紹介しましょう。これをお持ちになって私の商会をお尋ねください。下男が失礼のないようにあなたをご案内します。さて、美しいあなたのお名前は?」

「ニェーラですわ。ニェーラ・トゥ・オストワ。オストワ男爵家の次女ですの」


 俺は自分の名刺に、『美しきニェーラ姫にふさわしい美しい赤い石を』と走り書きし、目の前の娘に渡す。


 エイシャと呼ばれた娘が悔しそうにそれを見ているのに気付き、俺はそちらにも笑顔を向けた。


「エイシャ姫には桃色の真珠が似合いそうですね。ご紹介しますか?」

「え、ええ!もちろん!」

「では正式なお名前を」

「エイシャ・ルルー・ジェインナ。ジェインナ子爵家、ご存じかしら?」


 勝ち誇った笑みを浮かべるエイシャを横目に、ニェーラが悔しそうな顔をする。


 貴族たちの間では階級は絶対だ。いくら財産があっても、表向きは男爵のカードでは子爵には勝てない。


「ええ、もちろん」


 俺は微笑む。

 知るわけがない。興味がない女の名前なんか覚える必要はないだろう?


「ではこちらの名刺を」

 

 同じようなことを書いた名刺をその女にも渡し、「申し訳ないが、商用があるので」と人垣をかき分けようとする。


 それでも女どもは俺のあとをついて歩こうとする。


 まるで財産と階級という蜜に群がる蟻だな。


 女どもは胸の底では商人上りの俺の親父がハリティアス家を乗っ取ったと知っているくせに、伯爵夫人の地位と財産欲しさに媚を売り、俺の妻になろうとする。


 俺が『父殺し』のイ・サとわかっていても。


 吐き気がした。


 爵位や財産はやつらにとってそれほど大事なものなのか?

 誇りと引き換えに死んだおふくろは希少種なのか?


 そのとき、俺の前を歩いていた、長い黒い髪をなびかせた女が不意に振り向き、目が合った。

 

 邪気。


 そうとしか言えない視線だった。


 不意に人ごみの中に同類を見つけてしまった悪魔が見せるようなそれ。

 空間を黒々と塗り替えるような邪悪そのものの眼差し。


 けれどそれは一瞬のうちにやわらかな貴族の女の目に変わる。


「まあ、はじめまして、イ・サ伯」

「私の名前を何故ご存知なのですか?」


 笑顔で名前を呼ばれはしたが、そいつは俺の知らない女だった。


 つややかな長い黒髪をまとわりつかせた、派手ではないが見る者が見ればわかる上質なドレス、

 それに、いかにも高貴な顔立ち。最上級のエメラルドのような星のようにきらめく瞳。先程の邪気はもうかけらもない。


 それは、俺が今まで見た中で、最も美しい女だった。


「主人から伯の名はよく聞いておりますのよ。それに、商会に伺ったこともありましたわ。残念なことに伯にはお会いできませんでしたけれど、伯の肖像画を見せていただきましたの」

「お名前を伺っても?」

「ええ、喜んで。でもここは騒がしいですわね。静かなところに参りましょう」

「御主人がお怒りになりませんか?」

「ご安心なさって。私のすべては主人のもの。それはあの方もよくわかっていてくださっていますわ」


 そう笑う美しい女を見て、俺はこいつは奴隷か娼婦あがりの女だろうと推測した。


 そういった女が美貌を武器にして貴族の妻になったとき、主人のことはけして裏切らない。

 夫に捨てられればまたもとのみじめな階級に戻るのがよくわかっているからだ。


「ならばあちらへ。私もあなたと話をしてみたい」

「あら、光栄ですわ」


 女が笑った。

 それは嫋やかに美しいはずなのに、なぜか、全身の毛が総毛立った。





                ※※※※

   

 



「さっき、名前を聞いてくれたわね。私はフレンジーヌ・デ・ターリア・ハイレッジ。ハイレッジ公の妻よ」


 人目のないところでの女の口調は随分くだけたものになった。

 そしてその視線もまた、初めてと同じ、邪気を帯びた毒蛇のようなものに変わっていた。


 俺はそこから目が離せなかった。

 きっとこれは俺が会いたかった女だ。


「安心なさいな。私はあなたのことはよく知っているわ。『父殺し』のイ・サ」


 女___フレンジーヌが煙管をくゆらせながらまた笑う。言葉遣いまで先程までとはまるきり違う。

 煌めくサファイヤのようだったその眼の底には、計り知れない暗闇が潜んでいるように見えた。

 

 ニィ、と赤いフレンジーヌの口角が上がる。俺は魅入られたようにその光景を見つめていた。


 ああ、そう言えば俺のことを『父殺し』と公然と話す者と知り合ったのも初めてだった。


 皆、知っているはずなのに、そんなことはなかったように扱いやがる。

 俺はそれも嫌だった。俺はおふくろの仇を取っただけなんだ。

 『父殺し』だろうがなんだろうがかまいやしねえのに。


 それをこの女ははっきりと口に出した。

 背教を褒めそやす、外側だけは美しい悪魔のような顔で。


「イ・サ、私と話すときは貴族向きの話し方でなくて結構よ。私も普通に話しているもの。私のこともフレンジーヌと呼んで頂戴な」


「じゃあ俺のこともイ・サと呼べよ」

「もう呼んでいるわ」


 ククっとフレンジーヌが笑う。

 嘲るような赤い唇が、薔薇の花びらに見えた


 狡猾で、残酷で、邪悪。

 気を抜けば牙を喉首に突き立てる毒蛇のような女。


 でも俺はこの女が欲しい。


 それは猛烈な渇仰だった。


 きっとこの女なら俺を理解してくれる。きっとこの女なら俺を____。


「イ・サ、大物になりたいなら考えていることを顔に出しては駄目よ」

「なんだって?俺はどんな顔をしていた?」


 フレンジーヌの磁器のような白く滑らかな頬に指を当てる。

 もしかして体温もないのではないかと思っていたが、それはちゃんと温かかった。


「私が欲しくてたまらない顔」


 また、ククっと笑ってフレンジーヌが俺の指を頬から外した。


「ああその通りだ。家格は下かもしれねえが、俺はおまえに一生不自由はさせねえぜ。願いはなんでもかなえてやる」


「誰を殺しても?」


「ああ」


 俺の答えが満足だったのか、フレンジーヌの笑みが深くなった。

 

 欲しい。


 この女がたまらなく欲しい。


 そう言えば話には聞いていた。

 両親を亡くして以来、あまり表に出てこなかったクエンティン公家の娘が、15歳年上のハイレッジ公家の嫡男と結婚したが、年の差のありすぎるそれはあからさまな政略結婚だと。


 ならば、娼婦の成り上がりではなくても、きっと俺ならこの女を奪える。


「15も上の旦那なんかより俺の方がずっといい。わかるだろ?」

「自信家ね、イ・サ。きっとあなたはのし上がるし、わたし好みの男よ」

「なら」

「でも私は欲しいものはもうないの。ハイレッジ様がいればそれでいいの」


 今度のフレンジーヌの笑みは、開いた百合のような乙女の笑みだった。


「愛してるのよ、ハイレッジ様を。イ・サ、あなたもそんな人を見つけなさいな。その人のためならば命を懸けられる、そんな人」


「それがおまえだと言ったら?」


「かまわないわよ。でも。私はあなたのためには命を懸けない」


 フレンジーヌが深紅のドレスを翻す。


「そろそろハイレッジ様がお帰りになる時間だわ。行かなくちゃ」


「な……っ」


 もう少し待てよ、と腕をつかもうとした手は、やんわりと、だが強固な力で振り払われた。


「また会いたかったらいつでも屋敷にいらっしゃい。あなたは私と似ているようだし、話すのが楽しそうだわ」


「わかってるじゃねえか。おまえを理解できるのは俺くらいだろ?」


「ええ、そうかもね。でも私は理解されることなんか望んでない。あなたにも、誰にも」


 フレンジーヌの笑みがまた毒蛇のそれへと変わった。


「ああ、それから、ハイレッジ様に何かしたらあなたを殺すわよ。

 私の腕が細いからと言って、力も弱いとは限らないの」


 そう、優雅に言い放ち、今度こそフレンジーヌは俺に背を向ける。


 それが、俺が生涯を賭けて愛した毒蛇との、最初の出会いだった。

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