第9話 予感

「どうしてさっきからずっと画面とにらめっこしてるんだ? 書き出しに迷ってるのか?」


 ようやく小説の構成も固まった次の日の部室、僕はパソコンと向き合いながらも、手を進めることができないでいた。別に迷っているわけではない。先輩が僕の真後ろに立って、画面を覗き込んでいるからだ。さすがにここまで注視されてしまうと、集中どころの話ではない。


「そんなところに居られたら、気が散ってしょうがないんですよ。見られながら作業するの、苦手なんです」

「そんなこと言われても、他にすることもないし……」

「小説を書けばいいじゃないですか。先輩だって文芸部の一員なんですから……ってあれ? こんな話前もしませんでした?」

「したね。ちょうど葉っぱ事件の日に」


 先輩は僕の隣の椅子に座って、重い頭を支えるように頬杖をつく。


「あの日と同じことと言えば、今日は斉藤のやつもいない。あの時は仙人チャレンジの準備で忙しかったんだろうけど」

「今日はっていうか……部長、最近は以前にもましてここに来ないですよね。チャレンジは終わったはずなのに。ほんとに退院して学校に来てるのか疑うレベルですよ」

「そのはずなんだけどね。まあ仕方ないよ。だって――」


「神田くん、高橋先輩、斉藤先輩見ませんでした?」


 申し訳程度のノックよりコンマ数秒も空けることなく開けられた扉から、小野寺さんが顔を出す。僕が黙って首を横に振ると、すぐに扉を閉じてどこかへ走っていった。部長はこの頃ずっと、彼女から逃げ回っているのだ。


 何度か居場所を聞き出すように小野寺さんに頼まれて、彼に連絡を取ったこともあった。だがその時に、先輩だけではなく僕も小野寺さんと通じていることが勘づかれてしまった。だから今では小野寺さんに関係なく居所が知りたくて尋ねても、まったく取り合ってもらえない。


 僕らという情報源二人が使い物にならなくなった今日この頃は、小野寺さんは自分の足を頼りに部長を探し、時折ここに隠れていないかと確認しにくるようになっていた。見た目は清楚な文学少女とでもいうべき彼女がここまでアクティブに走り回っているのだ。本当に、彼女は見かけが全く当てにならない。


 先輩はこの状況に笑いが止まらないようで、僕も正直とても面白いと思って眺めている。数日前から僕と先輩は、小野寺さんがいつ部室の扉をノックしなくなるか、という内容の賭けを始めた。僕は二週間、先輩は一週間以内に、それぞれ昼食を賭けている。


「見たか? もう一秒もなかった。これはまたわたしの勝ちが濃厚だよ」

「いや、減少ペースからすればまだ粘ってくれる……はずです」

「ははっ……というかほんと、斉藤のやつはどこに隠れてるんだろうな。君もあいつの居場所は教えてもらえなくなったんだっけ?」

「はい、いくら聞いても今は自由の女神像の位置座標しか送られてこなくて……」


 だが目の前の先輩は部長を追う側に加担しすぎたせいか、何を送ってもほぼ反応がなく、ごく稀にフリー素材の生姜焼きの画像が返ってくるばかりであるらしい。それを思うと、現在地以外の話題ならきちんと返してくれる僕の方が、まだマシだと言えるだろう。


 自由の女神がツボに入ったらしい先輩を横目に、僕はキーボードに手を乗せる。


「とにかく、暇なら何か書いてみるのもいいと思いますよ。さっきは小説って言いましたけど別に日記とかでも……そもそも公開する必要もないんですから」

「そうだね……じゃあ例えば、わたしが何かひとつ書き上げたとして、君はそれを読んでくれるかな?」

「小説にするんですか? そりゃまあ読みますよ。先輩がどんなお話を書くのか、純粋に気になりますし」

「君がそこまで言うなら、やってみようかなって思っただけだよ。ひどい出来だったらその時は見せないけどね」


 先輩はカバンから薄いノートを取り出して、一番最後のページを破く。あまり綺麗に切り取れず、下の方が欠けてしまっていた。


 これから先輩がどんな物語を紡ぐのかなんて、僕にはわからない。だがそれは間違いなく、彼女の物語だ。等身大の世界に理想の何かを描き出す、先輩にしかできないことだ。


 だからたとえ、それがどんな結末を迎えても、僕は自分の描いた世界を忘れないでほしいと思う。欠けて歪なかたちのページを通して、その心がいつまでも垣間見えてしまうような、そんな宝物であってほしいと思う。


 そしてそれを、僕にも見せてくれるなら、これほど嬉しいことはない。何の気なしに、そんなことを思っていた。


 先輩はペンを片手に、ノートに何かを書いては消している。時折「ゔぅー」と声を漏らし、頭を抱えている。


 先輩はしばらく頭を悩ませた後、僕の方へと振り向くと、パソコンの画面を指差し、言った。


「小説ってどうやって書き出せばいいんだ? ……って君もまだ書いてなかったのか」

「すいません、ちょっと考え事してました。でもこれの書き出しは、もう決まってますよ」


 僕はキーボードを叩く。僕の物語の始まりを、僕の理想のあり方を、描いた世界の入り口を形作る。先輩は驚いたように目を見開いて、少し笑った。



――『この物語はノンフィクションです。』

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