第8話 解答

 穴ぐらで一晩を過ごしたあの日から今日で四日、僕は先輩とともに、学食でカレーを食べていた。転落事故によってできた多数の打ち身はまだ消えていないが、痛みはもうほとんどない。骨折などの大きな怪我をしていなかったのは、やはり幸運だったのだろう。


 逆に僕たちを助け出した斉藤部長の方が仙人チャレンジ中に何か変なものを口にしたらしく、入院の憂き目に会っている。よってあの事件のせいで僕もほとんど忘れかけていた賭けは、先輩の勝ちに終わった。この昼食はその支払いの席という訳だ。


 それともうひとつ、例の探偵小説を書く関係で先輩にきちんと話を聞きたいという目的もあった。仕方ないとはいえここ数日、様々なひとに灸を据えられたり、斉藤部長のお見舞いに行ったりしていて先輩とゆっくり話す機会がなかったのだ。だから僕は未だにこの事件の全体像を把握できていない。


「というわけで、いろいろ説明してもらえませんか?」

「いいよ。どんなことが聞きたいの?」

「まず……転落の原因になった謎の音。あれ結局何の音だったんでしょう。先輩が転ぶ寸前に何か言いかけてましたよね?」

「あー……あくまで根拠のないわたしの想像だが、たぶん空洞に風が響いた音なんだと思う。君は前兆として辺りが騒がしくなったと言ったが、それはあの時少し強い風が吹いたからだ。それがわたしたちが落ちたやつみたいな穴――もしかしたらあの辺りに複数あったのかもしれないそれに反響して、奇妙な音を立てた。それを君の耳が拾ったってわけさ」


 そう言って、先輩はスプーンをカレールーと白米の狭間に差し込む。根拠はないと言っているが、僕にはかなり有力な説であるように思えた。だが今となってはどのみち、確かめようがない。

 僕はさらに質問を続ける。


「では次に、今回の件の大本である葉っぱ事件。あれの犯人って結局誰だったんですか?」

「斉藤の単独犯だよ。これは本人が白状してるから間違いない」


 先輩はスプーン上のカレーを息で冷まして口に運ぶ。僕も薄々察していたことだが、改めて言葉にされると「またか」という感想が先に出てしまった。普段の行いの所為だろうか。


「そういえば、僕が昨日お見舞いに行ったときに、知らない女の子が毎日のように来てて怖いってぼやいてたんですけど、まさか……」

「たぶん小野寺だな。わたしが斉藤のこと教えたから」


 してやったりと笑う先輩に僕も思わず苦笑する。自業自得とはいえ、彼はこれから大変な毎日を送ることになるのかもしれない。


「それでは、あの葉っぱの目的ってなんだったんでしょう。確か校舎裏を調べてる段階ですでに、先輩は仮説を立ててたんですよね?」

「うん。かなり邪道な推測ではあったんだけど、当たってたよ」

「その『邪道』っていうのも、どういうことか聞きたいです」


 先輩は少し言いづらそうに、手元のカレーを見つめる。そしてコップの水に口をつけ、言った。


「……簡単に言えば、メタ読みしちゃったんだよ。もしこれをやったのが斉藤だったら、みたいな風に考えてしまったんだ。そうなったらあとははやかったね。『新鮮な葉』『日陰』『仙人』。キーワードがすべて一本線で繋がった」


 わからない。そのワードがどうやったら繋がるんだ? おそらく斉藤部長は何らかの目的を持って葉を日陰に設置した。その目的というのが仙人に繋がると考えるのが自然だけど……。


「斉藤の行動は、一見意味不明なものに見える。だがすべてあいつなりの理屈に則って行われたものなんだ」

「部長なりの、理屈……」

「そ、だがここで注意しなければならないのが、この理屈は大抵の場合破綻しているってこと。あくまででしかない……はやく食べないとカレー冷めるよ」


 そう言って、先輩はまたカレーを頬張る。つい話に夢中になっていた。僕もスプーンを手に、カレーを食べる。少し甘めに設定された学食のそれはスパイスの香りと相まって、僕の食欲をかき立てた。


「これを理解していればあとは簡単。仙人の食糧となる霞。あの葉はそれを集める装置なんだよ」

「……え?」

「日陰に置いたのはせっかく集めたそれが蒸発しないようにするため。新鮮な葉をわざわざ山に入ってまで使ったのは、地面に落ちた枯れ葉を口にするのはさすがに拒否感があったからだろうね。まあ装置自体を地面に設置してるんだからあまり意味はなさそう……というか実際今入院してるんだからなかったと言った方が正確かな」

「ちょ、ちょっと待ってください! 霞を集める装置って……葉に付着する結露を集めるってことですか!?」


 先輩は頷く。


「地面に落ちて水滴として現れたら、それは『霞』ではなく『露』では?」

「だから言ったでしょ? あいつの理屈は破綻してるって。そもそもからして、仙人ならば霞を食う。よって霞を食って生きれば仙人である、なんてバカげた論理を実行に移す男だよ」


 告げられたあんまりな真相に、僕は頭を抱える。こんなのどうやって小説にまとめればいいんだ。犯人の行動が論理的ではないならまだしも独自の、それも破綻した論理に基づいているなんて、探偵小説としてはアンフェアが過ぎないか? いや、でもこういうクライムサスペンスもあった気がするし……。


「ふふっ……悩んでるね。まさに事実は小説よりも奇なりってことだ。ところで、もう聞きたいことはないのかな?」

「……あっそういえば、気になってたんですけど、なんで斉藤部長は僕らを助けられたんですか? 先輩が救助として連絡したのは、先輩のご家族って言ってましたよね? 部長にも知らせてたんですか?」

「いや、わたしはあいつに連絡なんてしてないよ。まあ、言ってしまえばあいつはわたしたちと同じことをして、自分で穴にたどり着いたんだよ。もともと斉藤は別の用事で山に入って、例のけもの道を進んでいた。するとそこには、いつの間にか自分の知らない脇道ができていた」

「ああ、音の正体を探るために僕がつくった道ですか。なるほど、納得しました。それを辿った結果、僕らが落ちた穴にたどり着いたと……それで、その用事っていうのは何なんでしょう?」


 先輩はカレーを口に運んで、水を飲む。僕もまたそれに倣う。先輩の皿はいつの間にか、すっかり空になっていた。


「朝食だよ。斉藤は校舎裏の日陰以外にも霞回収ポイントをつくっていたんだ。山の――あいつが葉を取った木のさらに先まで道が続いていたのを覚えているかな? たぶんあれを進んでいけば見つかると思うよ……ごちそうさまでした」


 先輩はそう言って手を合わせると、立ち上がって僕を見遣る。


「もう聞きたいことはないのかな? 完成するの、楽しみにしてるよ」

「あっ最後にひとつ……事件と直接関係があるわけではないんですけど、いいですか?」

「ああ、もちろん」

「先輩、言ってましたよね、フィクションの裏側にあるのが現実だって。なら、現実を描くノンフィクションの裏側には何があるんだと思いますか?」


 自分で何もかもを決めることができない世界を支えるもの。そんな世界の登場人物たちを動かし、切り取るに値する事件を引き起こすもの。その正体。


 それさえ掴めれば、こんな物語も僕の言葉で、書き出せるようになる気がした。

 先輩はしばらく思案して、笑う。


「わたしが名探偵に憧れるような、君が持つ罪悪感を纏った好奇心のような、斉藤が自身を顧みず飛び込みたがるような、。自分自身がこうでありたいという。そういうものじゃないかと、わたしは思うよ」


 それだけ言って、先輩は食器の乗った盆を両手に歩いていった。打ち身が残っているからか、少し不格好な歩き方ながらも、真っ直ぐに前を見据えて進んでいるのが見えた。


 僕は温くなったカレーを水で流し込んで、まだおぼろげな僕の理想に思いを馳せる。食べ終わる頃にはなんとなく、それが何かわかったような気がした。

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