第7話 救出

「つまり、二人揃って山の斜面を転落した結果、この穴に落っこちたってことですか?」

「いまの話を総合すると、そうなるね」


 時刻は現在、午前五時半。まだ痛みの引かない身体をどうにか起こして、僕は先輩と話をしていた。おぼろげながらも全身をそこかしこに打ち付けていたのは思い出した。暗かったからあまりよく確認していなかったが、服の下はたぶん痣だらけになっているのだろう。


「そういえば、先輩は怪我とかないんですか?」

「多少痛むが、おそらく君よりかは軽傷だ。落ちている間ずっと、君に庇われていたからね……ありがとう」

「そうだったんですか?」

「あれ、無意識だったのかい? 怖くて正面からしがみついていたわたしを、君は転がっている間抱きしめて守ってくれていた。この穴で目を覚ました時も、わたしは君の上に乗っていたから……たぶん君が下敷きになってくれたおかげで助かったんだ」


 本当に心当たりがない。そもそも先輩を気にしている余裕はまるでなかったから、おおかた僕も先輩と同じように、無意識的にただ目の前のものにしがみついていたのだと思う。が、これは言わぬが花だろう。


 沈黙が流れる。先輩は思いを固めるように深く息をして、口を開いた。


「その、神田……ほんとにごめん。わたしの我儘で、もしかしたら死んじゃってたかもしれないようなことに巻き込んだ。実際大怪我したみたいだし、謝っても謝りきれない」

「先輩についてきたのは僕の意思だし、怪我したのも僕の力不足です。謝ることなんて、何もありませんよ」


 僕がもっと的確に動けていれば、こうはならなかったはずだ。いつも通り最後には、何事もなくいつもの日常に戻っていく。そうなっていたはずなのだ。


 だが先輩は、僕の言葉にかぶりを振る。


「そんなことない。君は最初から渋っていたじゃないか。そんな君に、わたしは無理を言ったんだ」

「渋っていたのは先輩が調査することですから。それこそ僕の我儘でしかないです」

「でも君は、わたしのことを思って言ってくれていたんだろう? それなのにわたしは君の善意を無下にして、結果こんなことになってしまった」


 ひどく後悔しているらしい先輩に、僕は思わず口をつぐむ。何を言っても今は堂々巡りになってしまいそうで、何も言えなくなる。でも何か言わないと。僕はどうにか、喉から言葉を絞り出す。


「――善意なんかじゃ、ありませんよ」

「……? いや、でも」

「僕がどうして先輩を無理に止めなかったのか、わかりますか? 口ではいろいろ言いながらも、無茶なことをしようとする先輩を本気で止めることはしなかった。どうしてか、わかりますか?」


 先輩は困惑したような顔で、黙って首を横に振る。嫌われてしまうかもしれない。不安がちらりと脳裏をよぎる。けれど僕の口は勢いのまま、言葉を吐き出し止まらなかった。


「見たかったんです。フィクションに憧れる現実の人間が、どこまでフィクションに近づけるのか興味があった。心の隅に、いつもこんな感情が居座っていた」


 先輩を心配する気持ちがなかったわけではない。けれど、隅に座るこいつの声は、先輩が名探偵になる度に大きくなった。無視できなくなっていった。


 小野寺さんのことを苦手に思うのも、所謂同族嫌悪というやつなのだろう。彼女を前にすると、否が応でも自分の歪さのようなものを見せつけられた。自分でも引いてしまうような屈折した他人への興味が、僕の中にもあるということを思い知らされた。


 先輩は戸惑ったようにしばらく目をぱちくりさせると、おずおずと口を開く。


「そんなの、当たり前じゃないか」


 あっさりとした先輩の言葉に、僕は目を白黒させる。そんな僕を真っ直ぐ見据えて、先輩はさらに続ける。


「他人にもフィクションにも特別な興味がないのなら、小説なんて書けるわけがない。フィクションの裏側にはいつだってそれぞれの目から見た現実があるんだから。わたしは君に――小説家としての君に、興味を持ってもらえるのは嬉しいよ。彼らに並び立てる日も近いと思えるからね」

「彼ら……? まさか、書けってことですか? 先輩が主人公の、探偵小説」

「そうしてくれたらいいなってだけさ。もちろん、助手役の君も出演でね」


 あまりに突飛な言葉に、僕は思わず吹き出してしまう。だって、僕が綴る先輩の探偵小説なんて――


「それはもう、ノンフィクションでは?」

「……適当に脚色して、最初に『この物語はフィクションです。』ってつけておいたらいいんじゃないか?」

「たぶん、ダメだと思いますよ」


 僕の懺悔はあまりに単純に片付けられてしまったから、まだ上手く飲み込めない。これを書き上げたその時には、すっかり整理できているのだろうか。そうであったらいいなと思う。


 先輩が突然、何かに気付いたように穴の入り口に目を向ける。そうして上を指差すと、僕の肩を叩いて言った。


「ようやく救助が来たみたいだ。草の擦れる音が聞こえた」

「ほんとですか! ここです! ここにいまーす!」


 僕の声が届いたのか、音はどんどん近づいてくる。昨晩散々聞いた草を踏みしめる音が止み、穴を覗き込むように誰かがひょいと顔を出す。


「神田? 高橋まで……えっと……どういう状況?」

「斉藤部長!?」

「斉藤、ロープか何か持ってないか? 助けてくれ」

「と、とりあえずちょっと待ってろ。すぐ取ってくるから!」

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