亡霊は囁く
魂魄を通して、高らかな歌声が聞こえる。
それが女王国最速にして最強の
それが、すぐに、目の前に現れるだろう、ということも。
「お願いします、オルトリンデ」
前方に浮かぶ、黒き機関鎧――
魄霧を吸いながら体内に収められた演算機関を唸らせ、
故に、自由に霧の海を駆ける他の
オルトリンデの視界に映るのは、目の前の風景と、他の
「女王国、
「『蜻蛉』ですね」
高らかな歌声が、迫ってくる。蜻蛉によく似た姿をした、薄青の翅を広げた
ブリュンヒルデの声に従い、
ゲイル・ウインドワードの駆る蜻蛉――
ロスヴァイセが『エアリエル』と接触し、光弾が舞い散り始める。撒き散らされる衝撃に微かに探知網に乱れが走るものの、即座に補正の式を噛ませて誤差を修正する。
その時、だった。
「っ、亡霊がいない! オルトリンデ!」
ロスヴァイセの声が、警告を発する。はっとして槍を握る手に意識を向けるも、その槍を突き出す場所もわからないままに、全身に、本来ならば在り得ざる「寒気」が走る。
『やあ、オルトリンデ』
そして、すぐ耳元で囁く、声。
次の瞬間、がぎっ、という鈍い音と共に僅かな衝撃が全身に伝わる。攻撃を装甲で受け止めたのだろうが、出所はわからない。そう、オルトリンデの視覚にも、探査の網にも、何一つ映ってはいないのだ。
なのに、声は。翻訳をかけずともオルトリンデが親しんでいる帝国語で聞こえてくる男の声は、くつくつと押し殺した笑いを流し込んでくる。
『あはっ、やっぱり硬いね。君の身体に、ボクの痕をつけてあげようと思ったのに』
「亡霊――!」
それでも、誰の眼にも映らないそれが、確かにそこに存在している一隻の
隠密攻撃
乗り手の情報も不明だが、時々傍受する女王国側の通信が「トレヴァー」と聞き取れる名前を呼ぶことがあったから、おそらくはそのような名を持つ
オルトリンデは空を蹴り、思考の片隅で探知情報を更新し続けながら、両の肩口から複数の光弾を放つ。圧縮魄霧追尾式の、対
『どこを狙ってるんだい? ボクはこっちだよ、オルトリンデ』
くすくす、くすくすと。不愉快な笑い声が、あちこちから響いてくる。魂魄に滑り込んでくる声はこれほどまでにはっきりしているのに、通信の発信元は巧妙に隠されている。
ただ、その一方で、姿なき亡霊から放たれる攻撃はそう激しいものではない。隠密性能を生かすために強力な火器を積むことができないのだろう、ということは、今までの数度の接触から
これほどまでの隠密性能を実現するには、それこそオルトリンデと同等かそれ以上に巨大にして強大な演算機関が必要になる。その分、火器管制や機動力など、本来持っていた何がしかの機能を犠牲にしている可能性が高い。
体の表面で何かが炸裂する気配を無視して、オルトリンデは探知を続ける。
亡霊の役目は、オルトリンデの妨害のはずだ。「目」であるオルトリンデを潰すことができれば、
時折、あらぬ方向から襲いくる衝撃を、記術障壁と持ち前の装甲で殺しながら、見えない船の位置を演算する。攻撃が放たれる方向、ダメージ、そしてその間隔。目に見えなくとも、実際に攻撃を受けている以上、情報をかき集めればある程度の推測は立つ。
……が。
次の瞬間、オルトリンデの肘に当たる部分に違和感が走ったかと思うと、爆音と共に関節の装甲が弾け飛ぶ。
「く……ぅっ!」
どうしても装甲を薄くせざるを得ない、関節部を狙った精密射撃だ、と。一拍遅れてオルトリンデは理解する。
機関鎧の破損は魂魄レベルの「痛み」には変換されないが、それでも激しい警告の情報として魂魄に流れ込んでくる。つい声を漏らしてしまったオルトリンデに対し、姿なき声は愉しげに笑う。
『ふふ、いい声。そこが感じるんだ?』
ねっとりとした声は、オルトリンデがその名を名乗るようになる前の、ただの「人」であった頃の感覚を呼び起こす。肌の上を何かが這い回るような嫌悪感は、魂魄を埋めるアラート以上に、オルトリンデの心を掻き乱した。
「ふ……、ざけないで!」
霧を蹴り、光の矢を放つ。幾度もの演算を経て放たれたはずのそれらは、しかし、それでも亡霊を貫くには至らない。否、もしかすると計算は正しかったのかもしれない。オルトリンデの動揺を受けて、矢の射出方向が僅かに乱れたことは、放ったその瞬間にわかっていたから。
『ふざけてなんていないよ。ボクは、いつだって、本気だ』
ふっと、魂魄を震わせる声のトーンが落ちると同時に、続けざまに、爆薬を仕込んだ楔が関節部に打ち込まれ、破裂する。いくらオルトリンデが他に比べて鈍重とはいえ、動き回る機関鎧の隙間に違わず弾を撃ち込むなど、まともな芸当ではない。
ゲイル・ウインドワードとその相棒、オズワルド・フォーサイスも脅威だが、この亡霊の「精密さ」は下手をすれば『エアリエル』よりも脅威といえる。
これは、自分ひとりでは太刀打ちできない相手だ。相手に気取られないよう、
ここで、落ちるわけにはいかない。戦場にあり続けることこそが、「目」の役割なのだから。
無数の警告を一旦意識の片隅に投げやって、虚空に向けて言葉を投げかける。
「……っ、淑女に対して随分な仕打ちじゃない、
苦し紛れとも言えるオルトリンデの言葉に対し、声は『ああ』とあっけらかんとした調子で答えた。
『そういえば、名乗ったことはなかったね。ボクはトレヴァー・トラヴァース。女王国海軍中尉、第二世代
意外にも、望んだ通りの答えが返ってきた。ゲイル・ウインドワードもそうだが、
『それにしても、そんなどうでもいいことを聞くなんて、時間稼ぎのつもり? なら、ボクの質問にも答えてほしいな、「蒼の」オルトリンデ』
どうやらトレヴァーは、これが「時間稼ぎ」と理解しながら、攻撃の手を休めている。オルトリンデに加えて他の
オルトリンデの理解を拒み続ける
『ずっと、噂だけ聞いて、気になってたんだ。ねえ、オルトリンデ』
耳元で囁くような甘い声は。
『
いやによく、魂魄の内側に響いた。
かつて「人」であったころの肉体が、徐々に空気の中に溶けていく感覚を。魂魄が本来の肉体を忘れていく感覚を。そして、機関鎧が己の新たな肉体となった日の感覚を、思い出す。
人間の肉体を人為的に蒸発させ、機関鎧に詰め込む。その工程を非人道的だと訴える者も数多い。それこそ、帝国の中ですら
「そうだけど。何か、文句でもある?」
オルトリンデは虚空を睨む。そこに話し相手はいないだろうとわかっていながら、それでも睨まずにはいられなかった。この男もまた、
『いいや、羨ましいのさ!』
トレヴァーの言葉は、オルトリンデの想像をやすやすと裏切った。
『だって、魂魄が擦り切れて果てるまで、
その言葉は――オルトリンデには、狂気としか思えなかった。
確かに、
だが、トレヴァーは。目には見えない
『ボクだって、できればそうしたいよ! こんな体捨て去って、船と溶け合って一つになりたい。ただ抱かれているだけ、繋がっているだけじゃ、物足りないんだ!』
ただ、ただ、己の欲望のままに、
それを「狂っている」と言わずして、何というべきだろうか。
『それに』
しかし、不思議なことに。
「それに?」
トレヴァーの言葉を、その思想を、もう少し聞いてみたいと思ってしまったのだ。
「それに、何だっていうの?」
オルトリンデの問いに、トレヴァーはふ、と小さく息をついて――よく通る声で言い放った。
『戦う機能だけのモノであるなら、戦いが終わった日が、存在の終わりでもある。ボクはね、そういう「わかりやすい」モノが何よりも羨ましいんだよ、オルトリンデ!』
次の瞬間、オルトリンデのすぐ横で何かが炸裂する。魂魄よりも先に異変に気づいた機関鎧が障壁を張り巡らせた次の瞬間、オルトリンデの死角から、爆薬を載せた楔が殺到する。
『ねえ、オルトリンデ! 愛すべき
虚空から投げかけられるそれは、狂気にして狂喜の声であるはずなのに。
――何故だろう。
オルトリンデには、不思議と、悲鳴のようにも聞こえたのだった。
霧世界報告 青波零也 @aonami
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