出たとこ勝負(その3)


 *


久富の家の玄関。辰実と梓が玄関戸の前に立ち、離れた場所で駒田と重衛が捜査車両の運転席と助手席から様子を見守っている。


「いいか、慎重に。逃げたら駒さんと重が全力で追いかけてくれる。」

「分かりました。」


梓が、頷いてインターホンを押す。警戒を避けるため、カメラの斜角から辰実は離れた。


『はい?』

「新東署の馬場という者ですー」


ガチャガチャと、鍵を開ける音。チェーンロックが張り詰めた所で辰実も「新東署の黒沢です、久富直哉さんで間違いないですか?」と警察手帳を開いて見せる。確認した梓が何も言わないのであれば、本人で間違いは無い。


「一体どういう用件で?」


悪い目つきを更に尖らせて、久富は梓の方を睨む。若干ドアを閉めてチェーンロックを外すと、話に応じる姿勢を見せている。


「先日あった、若松商店街での強盗事件の事でお話を…」

「わあああああああああ!!!」


瞬間、玄関戸を蹴り飛ばす久富。幸いにも辰実はすぐに反応して回避できており、梓は1間くらい距離を置いていたため当たる事は無かった。わき目も降らず逃げ出す久富、車に乗ろうとするも駒田と重衛が駐車場の入口を捜査車両で塞いでいて近づく事ができない。しかし何としてもその場から逃げたい男の心理は、商店街の方向に彼を走らせた。


「出たとこ勝負にしては情けなさすぎじゃないか?」


すぐさま、後を追いかける辰実。続いて捜査車両の助手席から降りた重衛も後を追う。


「追いかけるぞ馬場ちゃん!」

「はい!」


言われるがままに、重衛がいた捜査車両の助手席に入り込む梓。シートベルトの金具がカチッと合図し、駒田はアクセルを踏み込む。久富と距離を徐々に縮めている辰実と重衛は、まだ見える範囲。


スピードが上がってきた頃には、もう既に久富は商店街に逃げ込んでいる。広い大通りをただ逃げたいがための一直線、捕まるのは時間の問題かもしれないが、だからといってどうするかを考えられる状況ではない。



「く、来るな!」


追い込まれた人間は何をするか分からない。逃げるためなら何でもするという心理が働くという事は、警察官であれば学校にいても現場に出ても常に口を酸っぱくして言われ続ける。


急に止まって振り返る久富、辰実の目の前には勢いに乗って迫る右拳。驚くでもなく、状態を最小限で左に傾け空を切らせると同時に、右の掌底を顎に打ち込んだ。ひるんで顎を手で押さえようとする自然な行動の途中に割って入り、右腕を背後に回す。関節の可動域を安易に出ようとする辰実のホールドに、呻き声が漏れた。


「逃がしはしないぞ?署まで同行してもらう。」


項垂れた久富は、重衛と辰実に挟まれる。商店街の通りまで入ってきた捜査車両に入る時に抵抗はなく、大人しく署まで連行された。



 *


「逃げ出したっちゅう事は、何かあるんやろうな。それか警察をなめたド阿呆や。」

「ド阿呆だとしても、人を馬鹿にした真似をしてはいけないと刷り込んでやればいい話です。」


久富が強盗に関わっている可能性と、強盗に使用された発煙筒に何らかの関わりがある事はこれまでの捜査で分かっている。辰実と梓で取調をするよう指示した宮内は、シケモクになった1本を灰皿に擦り付けて数分前に梓が淹れたコーヒーを口にした。どういう伝手で購入したか分からない所の安いコーヒーメーカーは、いつだって雑味だらけのコーヒーを提供してくれる(宮内曰く、「鉄でも絞ったような味がするわ」)。これがまだ、氷を溶かして味の薄まったアイスコーヒーだから幾分かマシだろう。


「作った火薬をどこに保管しているか分かれば、すぐに許可状を請求するわ。」


スピード勝負よ、と片桐は付け加える。


「いくつかある証拠で押していけば、すぐに謳うと思います。」

「だとしても慎重に。…貴方なら心配いらないでしょうけど。」


録取内容をメモしているノートとペンを手に取り、「行こう」と梓に声をかけ辰実は取調室に向かう。落ち着いた様子で芯が通ったように姿勢よく歩いていく辰実と、それに駆け足でついていこうとする梓の様子を見て片桐はコーヒーを口にした。


ぬるくなったせいか、雑味が濃く感じられる。味覚は人間の体温に近い程強く感じられるという事実も考え物だろう。


「朝から動きっぱなしでしょう?駒ちゃんと重ちゃんは暫く休憩してなさい。」


返事を聞きながら片桐は、家に置いたままで手を付けていない紅茶パックを署に持ってくるかどうか考えていた。



 *


「今回は馬場ちゃん、君がやってくれ。」

「え、私がですか?」


防犯対策係が追っているのは久富に対する火薬類取締法違反であるが、事によっては強盗の教唆犯や幇助になってくる可能性もある。そんな取調に、せいぜいスーパーで万引きしたオバチャンくらいしか経験のない梓がと言われると驚いてしまう。強盗が連続で発生しているとなると、本部の捜査一課が出てくるような話だ。


「中々扱わない事件だが、やってみれば勉強になる。」

「分かりました。」


自分がやる、となって梓の背筋から緊張が走り出す。深呼吸をして何とか落ち着かせようとした矢先から、それは自制の効かない子供のように走り始めた。


「分かっていると思うが、突き詰める所は強盗との関与になる。」

「…久富が火薬をどうして作らせたのか、それが強盗の発案とどう関わって来るのか?という話ですか?」


「それで間違いない。馬場ちゃんは、人の話を聞いて理解するのが上手いな。」

「大した事では無いです」


(確か、居酒屋の手伝いをしてたな。結構やってるんだろう。)


結局の所、対人スキルの必要性は警察官として根っこの部分で必要なスキルになってくる。その点、居酒屋の手伝いで鍛えた梓には地力は十分にあると考えて良い。


(問題があるとすれば、緊張でそのスキルが活かせるかどうか。…そして相手が話をしなければ聞き上手の本領が発揮できないという事。)


「やらせておいて自分は座って見物と言うのも悪いから、作戦は提案しておこう。」


梓の緊張をほぐすために、辰実は言葉を選ぶ。元々は不愛想で喋るのは得意な方では無いが、これは辰実が培った対人スキルの1つであった。…と言っても、誰もが身に着けられるモノではある。


「突き付けるなら、買い物の事と肥料を貰っている事だな。どうして非通知で電話をかけたのかも。」

「実はあんまり分かってないんですけど。久富が買っていた砂糖と重曹、あと貰っていた硝酸カリウムは発煙筒の材料ですか?」


「それだけ分かっていれば十分だよ」


それともう1つ、と辰実は付け加える。言葉を選びつつも顔は険しく不愛想な様子が崩れないのだが、梓には彼が気を遣っている事は伝わっている。


「立島事件の話が出てきたら、俺と交代してくれ。」

「………」


正対し、梓は辰実に目を合わせた。何を考えているかは辰実にも分かったようで、言う事があれば言ってくれと目で促される。


「分かりました。…ですがその前に1つ教えて下さい。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Grano-La ~秘密と花嫁と~ うましか @Pudding_Bugyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ