出たとこ勝負(その2)
*
取調室。
先の様子よりは、栗岡も辰実に対して話をしてくれるようになっていた。観念した事もあるかもしれないが、先の会話で人間関係が完成した事の方が大きい。
取調の基本は手をこまねいて相手の犯罪事実を自白させる事に非ず、本当の所は取調官と被疑者の人間関係を構築する事である。どんなに口の堅かった被疑者でも、取調官の人間性を垣間見た瞬間に自白を始めたという事例は少なくなかったりする。
「この日のこの時間に来てる非通知で、間違いないですか?」
「間違いありません。」
「非通知でかけてきているのは、いつも同じ人?」
「はい。電話がかかってきて、どこかでいつも会うんです。会う所は喫茶店とかじゃなくて海沿いの公園だったりとか、防犯カメラの無い所でした。」
(結局、答え合わせまでの道程が違うだけで問題は無いか。)
防犯カメラに映っていないとなると、映像で発案者を追うのが難しい。それは基本的な捜査の話であって、発案者の顔を確認するという作業にあっては電話番号から個人情報を割り出し、その場所で確認すれば良いだけであるので問題ない。
実際に栗岡達と連絡を取り、会っている状況が分かれば良かったのだがそれも別のやり方で何とかなる可能性があった。
「馬場ちゃん、すぐに照会依頼を。」
「分かりました。」
刑事一課から借りてきた栗岡の携帯電話を受け取り、梓は取調室を後にする。
「さて、午前中にもう1つ訊かなければいけない事が」
辰実はノートのページを1つ戻す。火薬の作り方について、独自にメモ書きがされているページであった。
「栗岡さん、農場では何を育ててたんですか?とりあえず覚えている範囲で全部。」
「牛と、野菜はトマトとナス、ピーマンとか…。あとは水草も育てています。」
「野菜は、畑で栽培を?」
「はい。」
栗岡の供述を、辰実はすらすらとメモ書きしていく。
「養液栽培か養液土耕栽培している野菜は?」
「トマトの栽培を。」
「…その肥料に硝酸カリウムは使われてますか?」
「使ってます。」
人間関係を作る事が取調に肝要な事だとは言ったものの、目的は犯行について被疑者から聴取を行う事である。じりじりと核心に詰め寄ってくる辰実の様子に、栗岡は恐怖ではなく驚きを隠せないでいた。
それができるのも、立島事件の件で人間関係が構築された事が大きい。
「水草にも、肥料は使ってますか?」
「使ってます。」
「そっちの方は、炭酸カリウム?」
「そうですね。」
「その肥料はどこで調達を?知っていれば。」
「農場が業者から仕入れているんです。それを使ってました。」
(火薬の原料は全て農場で賄っているな)
辰実はここで1つ確信をした。発案者も、予め農場で何を育て、どんな肥料を使っているか分からなければ計画ができない。更に言えば、立島事件をダシに犯行をさせるという点には、栗岡達3人の事を知っていなければ動かすに至らない。
発案者は、確実に農場に足を運んでいる。
栗岡から聞いた事をメモ書きしながらも、辰実はその場で感じた疑問を書き留めている。その疑問を追っていく事で、この場にいながら発案者を追い詰めてはいた。
*
「…多くないっすか?砂糖と重曹買っていく人?」
業務スーパーに聞き込みするも、ここ2週間で砂糖と重曹を買っていったレシートでも20件、ここから絞るのは難しい。それでも支払いの日時を確認し、その時間の防犯カメラ映像を確認する作業に徹している。
「お菓子作る人もおるけえのう。」
「そうっすね…。ベーキングパウダーと何が違うか分からないすけど。」
「それが結構違うらしいんじゃ。」
駒田が映像の時間検索、そこで出てきた人を画面越しに重衛が撮影する。20件の撮影が終わり、一度2人はその場で確認をしてみればある事が分かった。
「ここ2週間で、同じ人が砂糖と重曹を買ってる人がいるっすね。」
「怪しいのう。いくらお菓子作りが好きでも、こんな頻繁に買わんわ。」
同一人物と思われる男性が、ここ2週間で6件も砂糖と重曹を買っている。付近のスーパーで売っている物より量もあるものを頻繁に買うとなれば疑う余地はある。
「重、その男が出た所追うぞ。」
「うっす。」
駒田は、支払いをし店外に出る男を防犯カメラで追う。防犯カメラの精度では車のナンバーを追う事は難しいものの、人が徒歩で出たか車に乗って行ったかくらいは分かった。
「車には乗らんかったな。」
駐車場も半分くらい空いているのに、わざわざ店の駐車場の使わないという事は考えられにくい。この時点で2人は男性が徒歩で来ていると考えた。
「となれば、割と近い所に住んでんすかね?」
「可能性はあるな。」
バックヤードの時計を見ると、11時を回っていた。昼は署の食堂で済ますかと思って来ていたのを忘れていた駒田も、思い出して腹が減ってしまう。
「今日はカツ丼の大盛りにするかのう。重、お前は?」
「俺、今日は弁当頼んでんすよ。」
「残念じゃな、今日の日替わりは生姜焼きじゃったのに。」
「ちょ、メチャ美味い奴…」
*
『そう、電話番号が分かったのね。』
「今は分かった電話番号の件で照会を依頼してます。」
『了解。こちらはさっき黒ちゃんの取調が終わって、火薬の作り方と素材の出処が分かったわ。駒ちゃんと重ちゃんも怪しいのがいると報告を貰った。』
一方、梓は栗岡が使用していた携帯電話の会社に照会を依頼し、着信履歴から発案者の電話番号を割り出した。署で辰実が話していた通り、発案者の電話番号が分かればその契約回線の会社に照会を依頼し、個人情報を入手する。
腕時計は11時を指していた。午後からは農場に行き火薬作成の現場を確認する。それまでの照会結果を待つまでの時間を、餌にするように梓の緊張が増していく。
地域警察官として初動捜査に携わってはいたが、捜査員として本格的に事件捜査に加わるのは初めてである。ましてや昨年度は警務課で事務作業をしていて現場になんてまともに出ちゃいない。それで久々の現場が強盗事件に火薬作成の話と今までに聞いた事の無いような事件で頭は落ち着いていられない。
頭の中で整理するも追いつかない中で、照会結果を記載した文書が手元にやってくる。息もつかぬペースで進んでいた午前中は、これで終わった。
*
(若松町にいる人なんだ…。)
照会結果は、非通知で栗岡に電話をかけていた男が久富直哉(ひさとみなおや)という名前で、若松町に住んでいる事を書いていた。商店街から離れた住宅地に住んでいる事が分かった梓は、署に戻る前に家を確認する。公用車、運転席の窓から見えた黒いSUⅤのナンバーをメモし、その場を後にしようとした所で男が出てきた。
お世辞にも清潔感のある人間とは言えない、ボサボサ気味のロン毛に目つきの悪い男。
この時幸いだったのが、梓が運転していた公用車はエンジンをつけていてドライブレコーダーが作動していた事。そしてレコーダーの撮影範囲に男が顔を見せて入った事である。それが梓にも分かったのは後の話で、すぐさま久富の家に対して巡回連絡の記録が無いか、商店街にある交番に向かう。
巡回連絡は警察官が担当区の家や事業所を訪問し、要望相談を聴取する仕事であるが、その際に事故や非常時の連絡先として家族構成や連絡先を聴取する。これも結果は1年前の訪問記録があり、照会結果にあった電話番号も聴取できていた。担当で訪問した交番の警察官も、まさかこの男が強盗を人に提案するとは思っていなかっただろう。
*
「結構揃ったわね。…と言うか、火薬の作成現場を確認したら久富の家に行っても良いと思う。今、黒ちゃんが被疑者3人に写真を見せて間違いないと確認が取れたらだけど。」
栗岡達3人が作った火薬を、久富が受け取っている事は取調で話を聞いている。その久富が業務スーパーで頻繁に砂糖と重曹を購入しているとなれば、十分に疑う余地はあった。非通知でかけた電話の住所に行って、顔を確認しているのも大きい。
「久富の家に行って、謳わせて任意同行ですか?」
「出たとこ勝負じゃな。黒さんの確認言うんは、シラを切られんようにじゃろ。」
ここまでは、あくまで捜査の過程で疑わしい人物を浮上させた。この状況で久富を訪問しても「強盗の犯人とは何も関係ありません」と逃げられる可能性はある。非通知での電話についても、「友人に電話を掛けました」と言われれば苦しいがこれ以上を追求し辛い。しかしここで出た人物について、被疑者が「この人が提案しました」と言えば、3人が久富の名前を知らない事も考慮に入れて関与を十分に疑う事ができる。これで署に引っ張って来る事ができれば、そこからは捜査の過程で得た情報が全て武器となる。だから確認のウエイトは大きい。
最初に被疑者が間違いないと言っていた事について切っ先を出せば、後は相手の出方で切り方を変えていけば引っ張れる。それで、出たとこ勝負であった。
「黒沢さん戻って来ました。」
「どうだった?」
「強盗の発案者で間違いありません。」
戻ってきた辰実は、すぐさま片桐に報告する。
「…まあ、倉庫が先ね。久富はいればすぐに引っ張りましょう。」
「分かりました。」
*
署の1階、休憩スペースの自販機前。梓が食堂で昼食を終えた後、自販機に行ってみれば辰実が近くのベンチに座って缶のコーラを飲んでいた。
「凄く速足で進みましたね。」
「馬場ちゃんが家に行って顔を確認してきたのが大きい。」
ありがとうございます、と梓は恥ずかしそうに答える。家を見に行ったらたまたま出てきて、ドライブレコーダーに映っただけだが、そもそも家に行かないだけで任意同行までの時間は結構違ってくる。
「…ところで黒沢さん、昨日商店街で一緒に歩いてた人って?」
「妻だが?もしかして昨日、俺はどこかで馬場ちゃんと遭遇してたのか?」
「喫茶店の窓から見えたんですよ、綺麗な人ですね奥さん。」
留め具を外したような笑顔、栗色の長い髪と青い瞳は、窓越しでもよく見えた。印象深い事はそう簡単に忘れはしない。
「…もしかして、グラビアの倉田愛結ですか?」
表情に変化が少ない辰実だったが、この時は明らかに「そうですよ」と顔に出して驚いている。ここから、「そりゃまあ見られたら分かるよなー」と顔に出るまでが一連の流れであった。口元に手を当てて言葉を選んでいる様子を見て、もしかしたら言ってはいけなかった?と疑問になるがそれ程の事では無さそうであった。
「君は本物と写真、どっちが綺麗だと思う?俺は両方だと言っておくが本当の所は本物が良い。」
言葉を選んで出てきたのがこれ。事案に対しては冷静に対応できる男の隙が伺える。
「ここだけの話だが、寝相がめちゃくちゃ悪いんだ。ここだけの話だぞ?」
「ふふ、分かりました。」
打ち解けるのは早い彼女だったが、緊張は解けてない。それが徐々にほぐれてきたのが分かっただけでも辰実は良しとした。特に妻の事を聞かれても、実際の話であるし梓に関しては変に方々に話をしたりしないだろうと信頼はしている。
*
「まさかうちの農場の倉庫で火薬が作られていたなんて、本当に驚きです。」
栗岡達3人を住み込みで雇っていた彼は、考えもしなかった事実にどう答えて良いのか分からなかった。倉庫の中には、肥溜め用に掘られた正方形の穴がいくつも並んでいる。その全てに肥溜めができているように見えたが、実はこれが火薬の原料である硝石に変化するのだ。
「土と牛の糞尿、藁と土。肥料の炭酸カリウムがあれば作れるんですよ。時間はかかるんですが。」
「…彼らは、それを3年も。どうして分からなかったんだ。」
「貴方が悪い訳ではありません。」
牛の糞尿、藁、土。この3つを混ぜ合わせ雨と乾燥を避けた場所に置く。雨に濡れれば炭酸カリウムが流出する可能性があり、乾燥した場所では菌が活動できないため、この2つを避けなければならない。
混ぜた素材の中に含まれている硝化菌が働く状況を作るため、定期的に混ぜ合わせた土をかき混ぜる。これを1年繰り返した後、熱湯に溶かして硝酸カリウムを抽出する。抽出した水溶液を炭酸カリウムの水溶液と混ぜ合わせ、沈殿した炭酸カリウムを取り除く。残った水溶液から水分を取り除けば硝酸カリウムの結晶(=硝石)が採れる。
そして木炭と硫黄、硝石を混合すれば犯行に使われた黒色火薬が完成。
「ところで、この写真の男をご存知ですか?」
「…久富さんじゃないですか。この人も農業をしていて、硝酸カリウムを分けてるんですよ。」
何かありましたか?と聞かれた辰実は、「3人の事を知っている人かと思いまして」としか答えなかった。
真実は時に痛みや枷となる事を、辰実はよく知っている。
捜査に関する話は言うべきでは無いという理由もあるが、住み込みの大学生が犯罪に手を染め、時間をかけて準備していた事だけでも相当ショックを受けている。更に顔見知りの男がその犯罪を仕組んだとなれば、更にショックは大きい。
(使ってない倉庫の肥溜め作る穴を全部使って3年間火薬を使ってる。相当な量が流れていると考えて良いだろう。)
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