出たとこ勝負(その1)


(前回までのあらすじ)


刑事一課に時間を貰い、被疑者の1人である栗岡から聴取を行う事ができた辰実。これまでの調書や身上に関する書類からも、彼が立島事件と関係のある人物である事が分かっていた辰実は、その事を利用し被疑者が火薬を自分達で作っていた事を自白させる。


そして被疑者3人以外にも犯行を唆した人物がいた。火薬の作成現場を確認するとともに、防犯対策係は強盗の教唆犯を追わなければならない。



 *


「こんな傷、あったっけ?」

「……」


この夫婦の間に、双子の娘が生まれたのが7月の話、それから何ヶ月か経ち季節はもう秋になっていた。ようやっと迎える事のできた2人だけの時間、彼と彼女を体温から体ごと交わらせるのを遮っていた服を脱いだ時に彼女は見た事の無い傷に目をやる。


彼の左腹部に残っている大きな切り傷。2人の間に情を交わす時間は今までいくらでもあった。これだけ大きな傷があれば、覚えていない訳が無い。


「何かあった?…もしかして、春に入院してた時に?」


彼が負傷して1ヶ月程の入院をしていた事がある。当時、彼女は双子を妊娠しており、体調も芳しくない状況で見舞いにも行く事ができなかった。何かがあったと言えば、彼女の知りうる限りでそれくらいだけ。


「すまない。…できれば、知らないままにして欲しいんだ。」


疑問も、力強い彼の腕の中で消えた。彼女の長い栗色の髪も、青い瞳から目を逸らすように。


その傷がどうしてついたのか知らされないまま、もう3年が経っている。彼女は彼を変わらず愛してはいるが、傷の事を答えられなかった時の事は何もなかったのように今は生活していた。


実際は、そうしたがっていると言った方が正しい。知らないままにして欲しいと言った彼の声が妙に優しかった。



 *


何十、何百も過ぎた日の事であるのに、時々今の事のように思い出す事である。その度にクーラーの壊れた熱帯夜を過ごすように眠れなかったような感覚に襲われた。2階からリビングへの階段を降りていく足取りが重い。


「おはよう」


先に起きていた愛結が、朝食の準備を始めている。慣れた手つきで蓋付きのフライパンに卵を割って乗せている彼女の様子が変わっているとすれば、そこに子供やペットがいるという事だろう。


「大丈夫?昨晩は寝つきが悪そうだったけど。」

「何ともないよ。」


にゃー、と挨拶をしながらやってきた猫のさくらを撫でる。金属製の器にカンカンと心地よい音を鳴らしながらキャットフードの粒が注がれていくのを数秒眺めた後、ベッドの近くに置く。


「チビちゃん達が起きてこないわね」

「いつもの事だ」


カリカリと猫の食事の音。暫くして、眠そうな顔をした双子が辰実に抱え上げられてリビングにやってくる。2人とも台に登って顔を洗っても、まだまだ眠そうな顔をしていた。朝食を用意している愛結も目が覚めた様子ではあるが、起きてきた時は双子の娘と同じような顔をしている。


「希実も愛奈も、ご飯できてるから早く食べましょ」



 *


「さーて、勾留4日目だ。栗岡の言っていた倉庫を調べさせてもらうのは午後からだったな。」


栗岡の自白から、事は急展開を迎える…予感がしていた。火薬の作成手順が分かり、非通知で栗岡に電話を掛けた者(=強盗を唆した者)が分かれば強盗に関する事件は収束する。同時に、火薬の出処と使用についての調査も終わる。


「黒ちゃん、刑事一課から。午前中であれば栗岡が空いてるそうよ。」

「でしたら火薬の作成手順と、後は誰の携帯に非通知でかかってきてるかですね。番号が先ですね、これが分かり次第すぐに馬場ちゃんに照会依頼をやってもらおうと思います。」


強盗を唆した者(教唆犯かどうか判断しかねるため、以下:発案者とする)からは非通知で電話が来ていた。携帯電話の着信履歴から、非通知で電話が来ているものについてその電話番号を契約会社に照会依頼すれば発案者の電話番号が入手できる(履歴から発案者のみが非通知でかけてきている事が分かれば話は早い)。


その番号さえ分かれば、発案者の個人情報が入手できる。


「あともう1つ良い話。」


返事をしつつも、ご機嫌な様子の片桐に辰実は目を向けた。いつも険しい顔をしている辰実に対して、温泉旅館の朝食でたっぷり和食を堪能してきたかというくらいに塩顔の男は気分が揚がっている様子。


「防犯対策係、今日からフルメンバーで捜査ができるわよ。やっと本格始動って感じになったわ。」

「だからうちの朝も魚肉のハンバーグが出てきたのか」


ここからの事を考えれば、辰実と梓では人手が足りない所であった。


防犯対策係は片桐が指揮、ほか4人が2組に分かれて捜査を行っている。辰実×梓コンビではないもう1つのコンビは見てくれからも分かるガチガチ体育会系の男で、1人は駒田匠(こまだたくみ)という刈上げ頭の大男で、もう1人は重衛将也(しげもりまさや)といって小柄だが体格がしっかりしていた。


「黒さんは取調で、馬場ちゃんは番号の照会と言うとりましたね。」

「ええ。急ぎと言えばすぐやってくれるでしょう。」


「ほなわし等は、何手伝いましょか?」

「この辺のスーパーで重曹と砂糖を大量に買った人がいないか、調べてもらいたいです。」


駒田は辰実の1年後輩になるが、年齢は4つ上である。T島県警に入る前は広島で消防士をしていて、燃え盛るビルから助け出した女性と結婚して4人の子供に恵まれているというぶっ飛んだバックグラウンドを持っている。


「行くぞ重、片っ端から聞き込みじゃ!」

「うっす!」


そして168cmの重衛はラグビー部出身のためか体格が良い。眼は大きく明るい性格で梓の1年先輩になる。…ただ、駒田と並ぶと錯覚で小さく見えてしまうのが残念であった。


スーツ姿のコンビに対し、駒田はカッターシャツの上に青い作業服を着て重衛は黒の長袖Tシャツにベストを着ている。特にそれぞれ意図は無かったが。



「行っちゃいましたね。」

「考えるよりも動くタイプだな。駒さんみたいにハートの熱い人がいてくれるとこちらも気力に困らない。」


よし、と言いながら辰実はブックエンドに挟んでいたA4ノートを取り出す。栗岡の取調の際に内容を書き留めるために使っていたものだ。


「ある程度予想はついてるが、栗岡から火薬の作成手順を聞いてこないとな。あともう1つ、これが分かれば捜査が少し楽になる事も。」

「私あんまり分かってないんですけど、火薬の原料って被疑者がいた農場で全部賄えるん…ですよね?」


化学的な話を詳しく説明された所で、梓には全く分からない。栗岡達3人が農場にあるもので火薬を作っていたくらいの認識であったが、辰実にとってはそれで十分であった。


「俺の予想が間違ってなければ、その通りだな。強盗を唆した奴はその辺りも調べた上で立島事件をエサに引き込んだんだろう。」

「……」


自分で書いているメモ書きに視線を送りながら、梓は怒りと悲しみが混じったような表情をしていた。


「悲しいですよね、人生を弄ばれてるみたいで。」

「ある意味、強盗をした3人も被害者なのかもしれないな。…そんな人がこれ以上出ないためにも、早く他の奴も誰かハッキリさせよう。」


「そうですね」と梓が返事をした所で、辰実は缶コーラのプルタブを起こし飲み始めた。意気揚々と聞き込みに出た駒田や重衛とは対照に、落ち着き払っている様子はバランスを取っているようにも思えた。


「ところで黒沢さん、照会すれば携帯電話の番号は分かりますけど、どこの回線かどうかまでは分からないですよね。その先はどうするんですか?」


「携帯電話の番号上6桁が分かれば、どこの回線か分かる。」

「え、そうなんですか!?」


(面白いな、新鮮な反応をしてくれる)


被疑者の着信履歴から非通知の電話番号を照会してもらい、その電話番号の携帯会社に個人情報を照会してもらう。その相手が強盗の発案者もしくは関係者である事は間違い無いのだろうが、それを謳わせられるかはその場の状況次第であった。

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