跋文『血の繋がりみたいに、ずっと/再世記-11M』
ぐぎゅるる~……と間抜けな音を出す腹をさすり、神凪雄二はため息を吐く。しまった、今日も昼飯を少なくし過ぎた。成長期に製鉄師特有のカロリー消費が重なった空腹。賄いきるだけのモノを出すには、雄二の財布はちょっと穴が開きすぎだ。
学習力のなさに我ながら辟易する。ちょっと前にも全く同じことをやらかしたばかりだというのに……切り詰めるのもほどほどにしないとなぁ、などと、改めて反省する。
ガルムとの激闘から数日。四月も終わりが見えてきたころ。
雄二と東子は、聖玉学園からの下校の途にあった。今日は日曜日、授業がないので、本来ならば家で寝ているか、あるいはプロ・ブラッドスミスとしての依頼をこなしているかのどちらかなのだが、この度は状況が状況だ。
海外からやってきた凶悪な製鉄師が、よりにもよってOI能力者養成学園の地下で大暴れ。そしてそいつと交戦し、激闘の末に取り押さえた……ともなれば、学園側も警察も、なんなら六皇爵会議も黙ってはいない。状況説明だとか、報酬の話だとか、あるいは……口止めであるとか。そういうごたごたが続いて、結局そいつが日曜日まで伸びてしまった、というわけである。
今日はルートヴィーゲに最後の報告をする日だった。これにて六皇爵会議……特に、彼女の養家にして、全てのプロ・ブラッドスミスにとって『上司』にあたる
もちろん、そんな元・家庭教師殿に付き合っていたわけだから、こちらが出す情報の量も相当なものが要求された。捻り出し、纏めるために時間を取られ、雄二も東子も昼食はおろか朝ごはんすら満足に食べられていない有様だ。一応、簡易的な食事であるとか、ちょっとした間食などは貰っているのだがまるで足りない。
「……さっきおにぎりあげたばっかりでしょ」
「うるせー。製鉄師は頭使うから腹も減るんだよ。小食なお前はおにぎり一個二個で腹が膨れるだろうけど、こちとらそうはいかんのだっつーの」
「その言い訳、これで聞くの何回目かしらね」
「呆れられるほどいっぱいは言ってねぇよ!?」
隣を歩く相棒からは鼻で笑う声。カッとなって突っかかれば、しかし銀色の瞳はどこ吹く風。視線を合わせることもせずに、ショルダーバッグをまさぐり始めた。無視はねぇだろ無視は、と抗議の声を上げるべく口を開きかけると、直前で東子が腕を抜いた。
ずい、と突き出されたその手には、取り出された鞄の中身。
「はい」
「ん? ……おおっ!?」
それは、ちょっと前時代的なラップに包まれた、白と黒の三角形。
白は米。黒は海苔。要するに、今朝方東子が持参して、そして昼までに全て雄二の胃袋へと収まったはずのおにぎり、その増援部隊だった。
「くれるのか!?」
「この状況でそれ以外の展開、ありえないでしょ馬鹿雄二。見せびらかすだけ見せびらかして取り上げる、なんてことするほど、悪趣味な女じゃないわ、私」
それに、と東子は言葉を切る。
「欲しいっていったのはそっちでしょ……いつもよりも沢山持って来てあげたんだから、感謝のひとつくらいしなさい」
「サンキュー!」
もう我慢できない。雄二は東子の手からおにぎりを奪い取ると、そのばでラップを開き、白色にかぶりついた。
旨い。ほどよい塩気と海苔の味、そして中に入った梅干しの酸味。見た目的に市販ではないし、括理が握ったのだろうか。それともまさか、東子が自ら握ってくれたのだろうか。どちらにしても感謝しかない。本当に助かる。
「ばっ……ほんとにひとつだけしろとは言ってないでしょ! いきなりひったくらないでよ。親しき仲にも礼儀ありって言葉、知らないの?」
「わ、悪い。死ぬほど腹減ってて……冷静な判断力がだな……」
「全くもう……」
はぁ、と小さなため息が返ってくる。しまった、またお小言の一つでも言われるかな。東子、一応お姫様だからこういうときの作法地味にうるさいんだよな。でも腹減ってたんだもんどんな自制の天才でも極限の空腹には勝てねぇよな、うん。などと自分の中で誤魔化していたのだが。
「言い訳するくらいなら、焦らないでちゃんと味わいなさい。ほら、ご飯粒ついてるわよ」
「お、おう」
意外なことに、返ってきたのはうっすらとした微笑みだった。雄二が思っている以上に表情が変わりづらいらしい東子にしては、大分分かりやすい笑顔だ。無性にドキドキしてしまう。
いかん、頬が熱くなってきた。今すぐ話題を逸らさねば。雄二は正面を向き直ると、ふと前々から気になっていたことを口に出す。
「それにしてもわっかんねぇよなぁ」
「なにがよ。そんなに私がおにぎり持ってきたのが珍しい? なら次はやめようかしら」
「誰もそんなこと言ってねぇよ!? あと追加のおにぎりは次もお願いします! ……いや、今回の事件の話……っつーか、
先ほど、雄二たちはここ数日間、ずっと様々な機関から質問攻めにあっていた、という話をした。しかしそれは、皇国警察や学園が、一丸となって自分たちを問い詰めにきた、というのとは違うのだ。
彼らはてんでばらばらに雄二たちに答えを求め……そしてその内容もまた、組織ごとに全く異なっていたのである。問うたことに対して、雄二たちがどのようにこの先機密を保持していくべきなのか、言い含めてきた者たちもいた。
とくに異様だったのは六皇爵会議だ。事実上会議を統率する天児屋家の当主直々に、「この事情聴取で聞かれたことに関して、余計なことは喋らないように。あなたと、そして東子の未来に響きますよ」と
さすがに東子を人質にとられると、個人的にあの当主が苦手なのも相まって従わざるを得なくなってしまう。おかげで学園側には、会議の用意した偽の情報をある程度流すハメになってしまった。理事長には悪いことをしたと思う……いや、雄二は彼女とはあまり交流がないのだが。
会議は念入りに、地下室で何をみたのか――あそこに封印されていた、金色の砲台についての情報を隠ぺいするように言ってきた。どうやらよほど、外部に知られると困るシロモノで……そして、それが明るみになれば、東子にも危険が及ぶものであるらしい。まぁ、ラバルナ帝国の遺産、なんていうとんでもないアイテムだ。本物だろうが偽物だろうが、人様に知られていいわけがない。
だが聖玉学園の理事長という、本来ならばそれを知っているべき人物にも隠しておけ、という命令は、何かが変だ。
要するに、明らかにされるべきことが隠され、隠しておくべきことが明かされている……いろいろと滅茶苦茶なのである。まるで今回の情報収集も、本当の目的はガルム襲撃事件の後始末などではなく、もっと別のところにあるのではないか、と思えるほどに。
そして多分それは、本当ならば把握していなければならないことだ。それを知らなかったがために、東子を危険にさらす……そういう局面が、いつか訪れるタイプの『闇』だ。
「東子は青仁さんから何か聞いてねぇのか? 地下室の封鎖は会議の決定なんだろ」
「……」
相棒は答えない。ただ考え込むように俯くだけだ。東子もなんだかんだで難しい立場である。彼女は確かに六皇爵家の一員ではあるが、しかし『会議』のメンバーではない。いくら『天孫』の妹とはいえ、知らないこと、教えられていないことも多いのだろう。
となると、雄二が真実を知るための頼みの綱は『もう一組の当事者たち』、となるわけなのだが……。
「ガルムの野郎も口封じされてるみたいだし……ちくしょー、あいつあんなに相棒大事にするやつだったのか。嬉しいような嬉しくないような誤算だぜ」
ため息交じりの苦笑い。脳裏に想い描くのは、皇国警察が持っている、重傷を負った犯罪者を収容しておくための警察病院の景色だった。
昨日、梨花から電話がかかってきて、それに応じる形で出向いていたのである。拘束していたガルム・ヴァナルガンドが目を覚ました。面会をしてはどうか、と。
一応は命を奪い合った相手だ。あの時は色々と幸運で、なんとか勝利を収めることができたけれど……正直、もう一度勝つことができるかと言われれば怪しい。なので雄二としては、できれば二度と顔も見たくないのだが。
あいつが今、どういう気持ちでいるのか。どんなふうに
果たして、魔鉄製の壁によって外界から遮断された真っ白い病院では、意外な出迎えがあった。
「神凪殿! 東子姫殿下!」
「七星さん」
「お手柄でありますな! 曲がりなりにもお二人と時間を共有した身。鼻が高いのであります!」
廃工場での犯罪組織撲滅、そして二度目のガルム包囲網で共に戦った、魔鉄課警官の七星奈緒である。相変わらずのちょっといかめしい喋り方と明るい笑顔が眩し……かったのだが。
もう一か所、眩しいところがあった。
「……なんすかその恰好」
「これでありますか? コスプレであります。郷に入りては郷に従えと申しますし」
「紛らわしいことするのやめない!? 本当に医療従事者なのかと思ったじゃねぇか!」
太腿である。要するに、何故か奈緒はミニスカートのナース服で雄二と東子を出迎えたのだ。聞けば彼女は、拘束されているガルムの監視役に任命されてるようで。病院で浮かないように、こういう格好をしているのだとか。ぶっちゃけ童顔の奈緒がそんな格好をしていても余計に目立つだけな気がするのだが。
「……よう」
狼めいた銀髪の男は、診察衣姿でベッドに上体を起こしていた。度重なる戦闘と有詠唱の開放で、捕らえられた瞬間のガルムは体力が底をついていた。それでも流石は戦争屋、とんでもない回復力で、一日の内には目を覚ました。
覚ましたのだが……。
「随分雰囲気が変わったな。前はもっと、こう……バーサーカーしてただろお前」
「オレもちとばかし落ち着きってもんを身に着けなくちゃいけなくなったのさ。どこかの誰かさんのせいで、な」
掲げられた腕は、点滴のチューブ以外にも、ガルムを拘束する器具が取り付けられていた。即ち……鎖付きの
まるで
「なぁ、ガルム。教えてくれ」
「なんだ兄弟」
「お前、『ラバルナの遺産』のことはどこで知ったんだ? 学園の地下の話は笠原のおっさんから聞いたんだろうけど……そもそもの話、皇国にそれがある、っていう確証自体はあったんだろ? だからこの国に来たんじゃないのか」
「まぁ、そうだな」
八太郎の話にいわく、『ラバルナの遺産』はその実在すら疑われる魔道具だ。帝国の崩壊に伴い、傘下の国に託された……という噂こそあれど、その『傘下の国』は『全世界のどこか』に等しい。ゆえにガルムがピンポイントで、この国を攻めてきた理由があるのなら……それを聞きたい。
きっとそれは、この不自然な隠蔽、その真実に迫るためのヒントになるはずだから。
「だが――悪いな、そいつは答えられねぇ質問だ」
「何?」
しかしガルムは青色の瞳を閉じ、小さく被りをふった。
「そういう取引なんだよ。刑を待つのをオレだけにする……ヘレナのことを見逃す代わりに、オレはテメーらの頭……六皇爵会議だっけか? その命令を受けなくちゃならないんだと」
「そいつは……」
つまるところ、人質ということだ。雄二が東子との未来を人質にとられているように、こいつもまた、相棒の安全を会議に握られている。
そして二人を、そんな状況に追い込んだのは自分だ。
「そんな顔すんじゃねぇ。勝者は勝者の顔をしろ。そうでなくちゃ、負けに価値が生まれねぇからな」
ククッ、と、ガルムは獰猛に笑った。どうやらその辺の判断基準は変わっていないらしい。まぁ、急に別人みたいになられても困るので構わないのだが。ちょっと悔しい。
「それに悪い気もしねぇ。どうやらテメーらの上は、オレたちの価値を、よっぽどマギよりも認めてくれるらしいからな……オレ一人が鎖に繋がれるだけであいつが守られるなら、それに越したことはねぇよ」
ガルムの瞳が、そっと腕輪を見つめる。金の色は製鉄師の証。愛する魔女と契約し、二人で一人の明日を探す……そのために戦う者の表象だ。
「どうやらオレにも、そんな感情を懐く余裕ができたらしい」
ニッ、と。
ガルムは猛獣のような笑みではなく、初めて見せる、人懐っこいそれを浮かべて。
「どこかの誰かさんの
「こいつ……!」
煽ってきた。
結局、彼から雄二の欲しい情報は手に入らなかった。今でも雄二の中にはいくつもの疑問が残ったまま。疑念は鎌首をもたげては、泡沫のように弾けて消える。そしてしばらくしたころにまた、鬱屈とした不安となって姿を見せるのだ。
もうここまでくると、青仁が東子の命を脅かすようなことをするはずがない――と信じる以外に、この後味の悪さを払拭する方法はなくなってしまう。
もっとも、あのシスコン君主――雄二にとっても兄のような存在だが、十年近い付き合いの中で、本心を見切れたことは一度もない。
六皇爵会議は、天孫は、自分たちの味方……本当にそう信じていいものやら、なんとなく不安になってくる。
「……ねぇ、雄二」
「ん?」
ふと、ずっと考え事をしていた東子が、意を決したように声を上げた。いつのまにか僅かに引き離していた彼女を見れば、その視線はまだ俯いたまま。
「私、あなたに沢山、隠していることがあるわ。あなたと私は一蓮托生、命を預け合う相棒同士なのに……あなたが私に預けてくれてるものよりも、私があなたに預けているものの方が少ない」
でも、と東子は言葉を切る。
彼女の銀色の瞳が、試すような、あるいは縋るような光を帯びて、さっとこちらを見上げてきた。
ずきり、と胸が痛む。しまったな。今の俺は、こいつがこんな顔するような、そういう『悪い顔』でもしていたらしい。いつだって強気な東子が、雄二との繋がりを確かめようとしてくるとき、こっちの心はぐちゃぐちゃになって、上手い言葉が、正しい言葉が、一言で彼女を安心させられるような気の利いた言葉が、どうしても出て来なくなってしまう。
神凪雄二は、お姫様の涙に逆らえないのだ。
「そんな私でも……嫌いにならないでいてくれる? パートナーでいてくれる? ……好きで、いてくれる?」
「何言ってんだ」
「あうっ」
だから、誤魔化した。彼女の珍しい不安ごと、彼方へ吹き飛ばす。
銀色の額にデコピンをかます。魔鉄の加護があるから、痛みは感じていないだろうけど、衝撃はしっかり伝わっているらしい。東子はダメージを受けた場所を抑えて、涙目でこちらを睨んできた。無言の抗議が聞こえてくる。
うるさい。睨みたいのはこっちじゃい。
「俺が何のために戦ってると思ってるんだよ。話聞いてたか? お前と一緒に明日を過ごすためなの。お前が隣にいてくれる、そういう未来を掴むためなんだよ」
「……っ!」
相棒は、びっくりしたように目を見開くけど。でもこれは、雄二の偽りない本心だ。そもそもこれまでだって何度も公言してきたのだ。今更別の理由を出す意味がない。そもそも他の目的が存在しない。
「どのみち、もっともっと手柄を立てて、いつかは六皇爵会議の一員になるくらいに強くならなくちゃいけない。そのときには向こうの方から、お前のいう『隠し事』ってやつを俺に明かしてくるんだろうしな……だからお前は気にすんな。そのとき一緒に、青仁さんに文句の一つでも言ってやろうぜ」
俺たちの事を不安にさせやがって、ってな。
そう告げると、相棒のクリアシルバーの瞳から、憂いが消えた。
彼女の視線がこそばゆくて、雄二は東子に背を向ける。
「むしろ、その……俺、こんなのだけどさ。お前のほうこそ、俺のこと、嫌いにならないでいてくれると……助かる。色々と」
こんなこと、面と向かって言えたりするわけもないし。戦闘中の興奮があって初めてできるのだ、そういうことは。所詮雄二は人付き合いの苦手な一青少年である。
違うところがあるとすれば、それは『ここではないどこかの景色』が見えることぐらいで。
それもこの、どこかひねくれた、銀髪の小さな相棒と共にいれば、なくなってしまうような差異で。
「――ありがとう」
「……お、おう」
素直にお礼を言われると、なんか違和感がある。
「ねぇ雄二」
「なんだ」
「――好きよ。大好き。血の繋がりみたいに……ずっと離れたくない」
ぴたり、と。脚が止まった。うん、流石に今ので止まらない男は多分いない。
それで、神凪雄二は。
かつて命の使い方すら知らなかった名もなき少年でも、いつか刷り切れるはずだった兵器でもなく――彼女に『人生』を貰った、一人の人間であるところの神凪雄二は。
「俺もだよ、東子」
それに応えない、はずもなく。
振り返って、銀髪の小さな体を抱き寄せると。
そっと、桜色の唇に口づけを落とした。
***
「かくてこの世界の歴史は動き出す。少年は少女のため、創世神話の紐を解く――」
聖玉学園、屋上――旧時代的な外観からは想像もできないほど高性能な室外機の立ち並ぶ、養成学園を一望できる高台に、一人の少年の姿があった。金に近い茶色と黒色のまばらに入り混じった髪を一纏めにして、彼は着崩した制服の裾を翻す。
琥珀色の瞳が見つめるのは、ここではないどこか。それはOW、イメージを通して観測される霊質界の風景、地上に顕現した歪む世界――
確かに彼はOI能力者、分類でいうなら
「こんなところで何をしている。ここは立ち入り禁止だぞ、
「げっ」
少年……三枝八太郎の背中に、鋭利な刃物のような声が浴びせかけられる。恐る恐る振り返れば、昇降口の近くに長身の女性教員が一人。赤い髪をポニーテールに纏めた眼帯の女……この学園に、というかこの国に、その特徴を持った製鉄師は一人しかいない。
ルートヴィーゲ・玉祖・ヴァイン。
単体戦闘能力に関しては、『白夜の烏天狗』『黒騎士』と並んで称される「皇国最強」の一人。聖玉学園の歴史科教師にして、六皇爵が一家、玉祖の養嗣子。
そして。
三十五年前に
つまるところ、八太郎にとっては同業者にして商売敵、といったところである。この身が学生である以上、できれば関わり合いたくない、とは言えないのが辛いところではあるが……まぁ、面と向かっての会話を避けるくらいなら、努力をすればなんとかなる。
だからこうやって補足されると、面倒なことになったな、というのが正直な話となってしまうわけで。
「聞かれてました?」
「無論な」
「あっちゃぁ~……」
「何を今更。言っておくが、私の『立場』は貴様が思っているよりずっと高いぞ。当然、その『目』のことも、その役割も知っているが」
「や、そういう意味じゃなくてですね」
八太郎はがしがしと頭をかきながら、ルートヴィーゲから顔を逸らす。ついでに話も逸らそうと思ったのだが失敗した。
「格好つけたところを見られんのが、年頃の男としては恥ずかしいわけですよ」
「……」
沈黙が痛い。気になって振り返れば、赤毛の製鉄師は呆れたように肩を竦めていた。どうやら渾身の冗談は全く通じていないらしい。傷つくなぁ……。
まぁ、一応拾ってくれるらしいけれど。そのあたりの優しさが、この人のこの人たる由縁だと思う。八太郎は雄二、東子ペアと同じか、あるいはそれよりも前からルートヴィーゲのことを知っている。互いの勢力が『犬猿』であることに目をつぶれば、個人的にはむしろ好感が持てるくらい。だからさっきも、「面倒なことになったな」くらいで流せたわけで。
もしも本気で、八太郎が排除しなければならない相手なら、こんな呑気に彼女を『見て』はいない。
「『八咫烏』ともあろう者に、そんな感情があるとは思わなかったがな」
「いやぁ? 俺もなんだかんだで普通の男子高校生っすからね」
生まれ持った力は、ちっとも普通じゃなかったけれど。
そっと瞳を閉じて、瞼の上から撫でる。今誰かが自分の瞳を覗き込めば、琥珀色の光の奥に、何か回路図か、あるいはコンセントとプラグのような、奇妙な幾何学模様を見て取れる、と思う。
――一般的に、コネクター・マーク、という。体のどこかにこれを持つ存在は、おおむね二種類に分けられる。そしてそのどちらもが、
三層世界論は、製鉄師のためだけのものではない。むしろもとはこちらの方を研究するための理論であった、とさえ聞く。
物質界、霊質界に次ぐ、三つ目にして最上位の世界――『
そしてそれらの叡智はときたま、生命の形を得て動き出す。情報生命体、あるいは『カセドラル・ビーイング』と呼ばれるものがそれだ。強力な力を持ったビーイングは地上で「神」として語られたり、あるいは「神」の情報を元にしてビーイングが『顕現』することもある。日本皇国を建てた、六皇爵家の祖たち……彼らの正体は、六柱のビーイングだったとさえ言われている。
そんなビーイングと似たような力、OI能力のように一纏めにはできない多種多様な異能を、コネクト・スキルと呼ぶ。これらの異能を持った超能力者を、人は冥質界接続者と呼び――そして八太郎は、そのうちの一人だ。距離を無視してあらゆる位置を観測し、そしてときには相手のあらゆる情報さえも『観測』する、遠見の窮極……『
八太郎は、この異能とOI能力、両方を兼ね備えた極めて稀有な存在だ。東子や雄二ほどじゃないけれど、自分もまた、生まれながらにして特別な役割を負わされたもので……そして、その役割に苦しんできた者だった。
だから八太郎にとって、普通という言葉は憧れだ。人並みという言葉は希望そのものだ。そして……傍にいるだけで、自分を『普通の高校生』にしてくれる、神凪雄二は誰にも代えがたい親友なのだ。
「人並みに喜ぶし、人並みに羞恥心も持ってるし――人並みに、友情を感じもする」
魔物が人間性を帯びてはいけない、なんて法律はどこにもないわけで。むしろ日本皇国は成り立ちが成り立ちだから、真正の魔物に近づけば近づくほど優遇されるような気さえする。八太郎は『同じ力が使えるだけの半端もの』だから、あんまり関係ないけれど。
「『再臨派』の狗がよく言うよ」
「狗はひでぇな先生。せめてそこは烏と言って貰わないと」
烏天狗ともいうし、あながち間違いではないのかも知れないけど。こう……言い方ってもんがあるといいますか。
「ほざけ、
「そいつはどうですかね。アヒルの卵からハクチョウが生まれるのも、悪くはないと思いますけど」
あと八重鐵じゃなくてミッチーっす、と訂正を入れれば、貴様教師にもそれ言ってるのか、と呆れられてしまった。仕方ないだろうがよアイデンティティーなんだから。
「まぁ、どっちが正しいかはすぐに証明されるでしょうよ。他ならない――俺たちの『皇子様』の手によって、ね」
琥珀色の瞳が見据えるのは、遥か彼方、聖玉区の街並みの傍ら。
並んで歩く、銀色の姫君と――黒い癖毛の、水銀の皇子様。
ああ、祝福しよう。お前を導く『烏』として、『
創世神話の……否、創世
ユア・ブラッド・マイン―魔なる鋼の創世侵話― 八代明日華 @saidanMminsyuu
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