1-12 狂乱

 姉さんたちと束の間の休息の後、僕は現実世界へと戻ってきた。

 とは言え、拘束されている状態で身動きがとれない。下手に物音を立てて、目覚めたことを悟られるのもよくないだろう。口にはガムテープ、手は後ろに回され手錠をかけられている。幸い、目隠しはされていない。


 薄らと目を開けてみる。車の中だ。内装は広々としており、ワンボックスカーのようだ。シートの上に寝かされている状態。運転席に1人、助手席に1人、男がいる。そして、後部座席の方には堂島どうじまさんがいるのだろう。

 外は夜で暗い上に、スモークガラスなためどこを走っているのか全くわからない。このまま、どこへ連れていかれるのかという不安はある。一颯いぶきさんは本当に無事なのか。こいつらは僕達をどうするつもりなんだ。様々な疑問が浮かび上がる。

 いずれにせよ、こんな悪党の言いなりになりたくない。その場での打開策を見出していき、自分がすべきことをするしかないんだ。


 数十分くらい経ったころだろうか。車のスピードが落ち始め、停車した。ドアが開き、男が僕の体を引っ張る。


「おら、着いたぞ。起きろ。出ろ」


 乱暴に揺さぶられ、頬を引っぱたかれる。こっちはもう起きているが、念の為、目覚めたばかりのフリをして車外に出る。

 すると、男は後部座席にいた堂島さんも起こしにいった。堂島さんはまだ目覚めたばかりで状況を把握しきれず、混乱しているようだった。


「いいかおめぇら。妙な真似したら人質にしてるツレの女の命はないからな?」


 男は堂島さんと僕を並ばせるとそう言った。一颯さんが人質だと? 最低な事をしてくれる。許せない。

 堂島さんは男をひたすら睨みつけている。その男は、いかにも最近の若者が好みそうなブランドで身を包み、上下ともに黒で、体格がいいからか服がぴちぴちに身体にフィットしてる。

 もう1人男が出てきたが、こちらが運転手なのだろう。Tシャツにダメージジーンズを履いて、スナップバックの帽子をかぶっていた。


「今からお前らをあの女のとこに連れていく。黙ってついてこい」


 そう言って帽子の男は僕の腕を、ブランドぴちぴちの男は堂島さんの腕を引っ張った。そうか、一颯さんと別々の車で移動したのは彼女を人質にとるためか。あの支配人が一緒なのだろう。せこい事を考える。


 そして、僕はその時になって自分がどこにいるのかを理解した。工場だ。煌々こうこうとライトが灯っていて、煙突がいくつもあり煙を吐き出している。ごうんごうんと設備の音が外からでも聞こえてくる。

 こんな場所に連れてきてどうするつもりなんだ? 秘密を知った僕らをタダ働きさせるわけじゃあるまいし。


 そして、男達はトラックなどが搬入する大きなゲートの前までつれてきた。帽子をかぶった男が備え付けのタッチパネルを操作すると、ゲートが上方へと開いていく。

 中には資材やらダンボール箱などが積まれている広々とした空間が広がっていた。それらを横目に、僕らはまた男達に引っ張られて進む。

 やがて、白い廊下に差し掛かる。さらにその先にある扉を開け進む。すると、所狭しと機械がうごめく作業所へと出た。設備の駆動音や、アラームの音などが鳴り響き、とてもうるさい。そんな場所をひたすら歩かされた。

 そして、同じような作業所をまた一つ、また一つと経由していき、僕は方向感覚が麻痺していく。まるで迷路だ。目的地にはまだ着かないのか。


 次の扉を開けた作業所は、今までの場所よりも設備の音が比較的静かだった。そして、そこを進むごとに、どこからか声が聞こえる。僕らはその声のする方へと向かわされているようだ。次第に声が大きく聞こえるようになる。


 ――――これは、叫び声だ……。


 男の悲鳴が聞こえる。悲鳴が止んだかと思うと、また別の男の悲鳴が鳴り出す。次第に僕の心臓も高鳴り、やがて恐怖が湧いてくる。

 設備がずらりと並んだ通路を進むと、少し開けた空間に出た。そこには異様な光景が繰り広げられていた。

 女がいた。その女は鮮やかな緑色の薄手のドレスを着ている。フリルがあしらわれた裾は、膝下程までの長さでスリットが入っており、ハイヒールを履いている。

 腰まで伸びている金髪は滑らかなストレートで、前髪は一直線に切り揃えられていた。日本人の顔つきではなかった。妖艶と言っていい程の美貌を感じる目鼻立ちをしている。


 そして、その女から少し離れた所に男たちが何人も列を作っていた。男たちは僕らと同じように手錠を嵌められ、口にガムテープをしていた。その列の先頭にいる男を、スーツの男が女の下へと連れていく。

 男は叫んでいる。ガムテープ越しにも聞こえる大声で。そして、次の瞬間……。

 女が手を振った。それだけなのに、女の前にいた男の首が落ちた。そこに作業服を着た者たちが現れ、死体を片付けていく。よく見れば床には血が飛び散った形跡がそこら中にあった。


 なんだ……これは……。これじゃ、まるで、処刑場じゃないか。どうなっているんだ。隣にいた堂島さんも目を見開いている。先ほどのあのクラブの一室よりも酷い惨劇だ。まさか、これも日常茶飯事なのか? あの女にとってはこれが日課だとでも言うのか?

 次の処刑が終わった時、スーツの男が女に耳打ちする。そして、女は初めてこちらを向いた。そして、笑った。


「あぁー、あなた達が報告にあった例の輩ねぇ」


 女の口からは流暢りゅうちょうな日本語が発せられた。日本に滞在して長いのだろうか。女は離れた位置から僕らを見つめている。獲物を見るような目付きに背筋が凍る。

 僕は目を背けたいのだが、視線を逸らすことができない。金縛りにあったように、体は動かず、目も動かせない。


「うちの傘下さんかの店で随分遊んでくれたみたいねぇ。元気のいいボウヤたちなのねぇ」


 女の艶かしい言葉はもはや恐怖でしかなかった。その言葉を聞いただけで僕の首も無くなってしまうのではないか、という錯覚を抱いてしまう程に。声を聞いても年齢を予測できない。外国人だからだろうか。

 右前方の通路から人影が現れた。一颯さんを引き連れたあの柄シャツのオーナーだった。いつの間にか周囲にはスーツやチンピラ風情の男達が集まっていた。皆、金髪の女の配下の者達なのだろう。


「あらぁ、可愛い子じゃなぁい。でも、残念。今からあなたはこの2人の男の前で死ななくちゃならないの」


 なんだって? 僕らは大人しくしていたのに、約束が違う。それを言っても屁理屈で返されるだけだろうけど、最初から一颯さんを殺すつもりだったなんて、極悪にも程がある。一颯さんも顔が青ざめている。


「しょうがないでしょ? この男たちが身分を弁えず、人様の店を荒らしてくれたんだから。あなたはそんな男達についてきたことを後悔し、せいぜい2人を恨みなさい」


 そう言って金髪の女は笑った。確かに一颯さんを巻き込んでしまったのは僕らだ。でもこれはあまりにも残酷すぎる。

 すると、女は一颯さんとは逆方向に集まっていた処刑順番待ちの男の列の方へと歩いていった。


「ほら、こーんな感じであなたも死ぬのよ?」


 そう言って、先頭の男の首を切り落とした。その時になってやっと見えた。あの女の右手中指に指輪があり、その指輪から刃が出ているようだ。一体どういう原理なんだ。

 一颯さんは恐怖で震えているようだった。僕もまだ震えが止まらない。


「ほらほら、どう? こんなに簡単に人が死んでいくのよ?」


 金髪の女はそう言いながら並んでいた男達をどんどん切り裂いていった。首を切り落とすだけではなく、身体を袈裟けさ斬りにしたり、頭から縦に両断して、女は舞い踊っていた。狂気でしかない。

 しかし、先ほどと違い指輪から刃で切っているわけではないようで、少し離れた場所にいる男たちも切り刻んでいた。どうなっているんだ?

 あんなに大勢並んでいた男は皆一瞬のうちに死んでしまった。こんな人間がいていいのか? 命をなんとも思っていないこいつは、きっと一颯さんも僕達も容易く殺すだろう。女は再び一颯さんへと近付いていく。


「さぁて、次はあなたの順番よ。ほら、死ぬとこを2人に見せてあげなきゃね? 何か言いたいことあるなら言っていいわよ?」


 そう言って女は一颯さんの口元に貼られたガムテープをとった。


「2人とも、ごめんなさい。全部、私のせいです……本当に、ごめんなさい……」


 一颯さんは言葉を発しながら泣いていた。僕は必死に首を横にふった。違う、一颯さんのせいじゃない。

 こんな手錠さえなければ、せめて彼女を連れて逃げることぐらいできるのに。なんで……なんで……?


「あらぁ、せつないわねぇ? でも、私もう待てないの。あなたみたいな可愛い女の子大嫌いだから、早く殺したくてたまらないの。大丈夫、痛まないように一瞬で殺してあげる」


 そう言って、女はゆっくり右手を上げ始めた。一颯さんは目を瞑って泣きながら震えている。


 嫌だ……嫌だ……一颯さんが殺されるなんて……それこそ怖くてたまらない。

 全身の震えが止まらなくて、青ざめて、血の気は身体中から引いてしまっていた。動悸も収まらない。

 なんで、なんで、こんなことになってしまったんだ?

 なんで、なんで、こんな非道い人間がいるんだ?

 許せない。許せない。金髪女も、そいつを目の前にして何もできない自分も。

 怖い。怖い。嫌だ。嫌だ。やめてくれ。やめてくれ。


 恐怖が限界に達した時だった。

 心臓が大きく脈打った。

 そして、血の気がなかった身体中に一瞬で血が行き渡り、浸透していく。

 得体の知れない何かが身体中を駆け巡っている。死滅していた細胞全てが一瞬で再生したような。

 そして、わずかだが口を塞ぐガムテープの端が剥がれた。僕はその一瞬で解ってしまったんだ。


「ドドさん、手錠を外すので、周りのやつらをお願いします」


 ガムテープで口が塞がれていたはずの僕が言葉を発して、堂島さんと、彼を拘束していたブランドぴちぴち男、そして僕を拘束している帽子の男、3人が驚いているのがわかる。


 金髪女の手が下ろされようとしたその刹那、僕と堂島さんの口を塞いでいたガムテープと、僕らの手に嵌められていた手錠が勢いよく女の方へと飛んでいく。

 金髪女も、異変に気づき手を止めたがもう遅かった。2つのガムテープは女の目を塞ぐように張り付き、2つの手錠は女の手に嵌められ、その手錠の両端は女の後方にあった設備に繋がれる。


 一瞬の出来事であった。周りの誰もが何が起きたかわからず止まっていたが、思い出したかのように堂島さんがブランドぴちぴち男の顔面をぶん殴る。

 僕はその間に一気に柄シャツオーナーに近づき腹を思い切り殴り、蹴りで突き飛ばした。


「一颯さん、大丈夫? 切られてない?」


 彼女の身が心配で思わず馴れ馴れしい言葉を出してしまった。一颯さんは驚いていたが、笑顔になって、


「はい……私にとっては、弖寅衣てとらいくんが正義の味方ですから……」


 と、涙を流しながら答えた。彼女の手錠も僕は外してあげた。


「なによ!? 何がどうなってるの!?」


 金髪女が暴れていたようだったが、何かで手錠の鎖を切り、ガムテープを手で外していた。

 その時、柄シャツのオーナーが起き上がり、ナイフを持って僕に飛び掛ってきた。


「まだ懲りないのか?」


 僕がそう言うと同時に、柄シャツ男が持っていたナイフは男の手を離れ、向きを変え、男の腕に突き刺さった。男は叫び声を上げ、のたうち回っている。


「そんな……あなた……何者!?」


 金髪女の表情から笑顔は疾うに消えていた。

 そう、僕は気づいてしまったんだ。

 自分に、常識外れの力があるということに。

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