1-10 脱出

 目の前に立つスキンヘッドの男に殴られ、僕はよろめく。一颯いぶきさんが泣きそうな顔になりながらも、僕の身体を支えてくれた。何か言ってるようだが、DJが流す音楽のせいで聞こえない。

 一颯さん、今日はずっと笑顔だったのに、こんなに悲しそうな顔をしている。彼女にこんな顔をさせたくない。させるわけにはいかない。


 今、僕がすべきことはなんだ? 彼女の手を引き逃げ切ることか? このスキンヘッドの男を突破して逃げ切れるか? いや、それは可能性が低すぎる。

 なら、決まっている。倒すしかないんだ。他に選択肢などないんだ。僕が今やるべき事はこいつを倒す事だ。


 周囲を確認する。人々は相変わらず踊り狂っていて、僕らには気付かない。後ろにいる堂島どうじまさんは、追ってきた5人の男と対峙している。この人が後ろにいてくれるというだけで、こんなにも頼もしいことは無い。

 口の中には血がどんどん広がっている。血の味。それを脳が感じ取る。脳に血が広がっていくようだ。感覚が冴え渡っていく。錯覚なのかもしれない。でも、いける。大切なのは想像力。


 僕は体勢を低くすると、男の足を思い切り蹴り払った。硬い感触はあったが、それでもそのまま蹴り抜く。

 スキンヘッドの男は倒れこそしなかったが、体勢を崩し、片膝をついた。体格はいい。だが、堂島さんに比べたら小さい。あの人と初めて向かい合った時に比べたら何も怖くない。

 僕は体勢を崩したスキンヘッドの頬に向けてすぐさま右フックを放つ。堂島さんに言われたことを思い出す。踏み込み、腰、上半身、そして腕へ。エネルギーの流れを感じて。

 ゴリッ、そんな音がした気がした。拳はスキンヘッドの頬を捉え、男の歯が何本か折れるのを感じ取ることさえできた。


 堂島さんのアドバイス通りにできてしまった。自分には到底無理だと思っていたことが。自分の体内の血液がどんどん循環し駆け巡るのを感じる。

 スキンヘッドは倒れたが、すぐに起き上がり、苦悶の表情を浮かべながらも僕の頭を目がけて蹴りを放つ。

 だが、遅い。スピードが全く乗ってない。蹴りを躱すのは至って容易だ。体勢を少し落として躱すと同時に、その脚を僕は下から両手で掴む。スピードはないがその蹴りの勢いを利用し、男の脚を担ぐようにして男の身体を投げる。

 普段なら自分よりも体格が大きい相手を投げ飛ばすことなどできないが、蹴りの威力を利用した事と、相手が片足立ちで不利な体勢だったことを利用した。

 投げ飛ばされた男は踊っている人々の塊にぶつかり、流石に周囲の人々も異変に気づいたのか、動揺している。気づけば音楽は鳴り止んでいた。


「想! 大丈夫か!?」


 後ろから堂島さんの声がしたので振り向くと、5人いたスーツの男はもう2人に減っていた。周囲を見ると、DJブースにスーツ男が投げ飛ばされており、そのおかげか音楽が止まっていた。


「はい、こっちは大丈夫です!」


 堂島さんはすぐに駆け寄り、一颯さんのことも心配した。彼女は少し驚いているようだった。そうか、僕はあのスキンヘッドを倒したのか。あの男は頭を打ったのか、起き上がってくる気配がない。


「想、お前がやったのか!? すげぇな!」


 堂島さんは、口を大きく空け嬉しそうにし、僕の背中を思い切り叩いた。あ、これは横沢さんに叩かれたやつより痛い。でも、なんだか少し嬉しい。


「いってー……、堂島さんに言われた通りにやったらできちゃいました」


 堂島さんはぽかんと口を開けていた。


「あれ、俺もけっこー適当に言ったし、うまく言葉にできてなかったんだけど、一発でできちまったのか? やっぱお前は才能があるな。流石、煉美れんびさんの弟だ!」


 そうだったのか、適当だったのか。なんにせよ、結果オーライだし、これからもあの感覚を忘れない。と、入り口から何人か男が出てきた。スーツ姿の者もいれば、私服姿の者もいる。


「おめぇら何暴れてくれてんだぁ!」


 その中の1人が怒声を飛ばす。


「おっと、まだ戦場だったな。ミモザちゃん立てるか? 俺と想で守りながら進むぞ」


 入口まではまだ30mほどある。でも、突破してみせる。堂島さんが駆け出す。僕も一颯さんとともに警戒しながら行く。

 フロアに入ってきた人数は7人ほど。流石に多い。その中で一番初めに飛び出してきた男は奇声と共に向かってきたが、堂島さんは駆け出した勢いを乗せて飛び蹴りをし、それを脇から食らった男は数十m程飛んだ。

 続けざまに3人の男がかかってきた。堂島さんは1人の顎を下から殴り上げ一撃で倒すと、もう1人の腹に重い正拳突きを当てこちらも一撃で倒した。


 その間、僕は前方にあったテーブルを踏み台にし跳ぶ、勢いをつけ、身体に回転を加えて飛びかかってきたもう1人のこめかみに向けて回し蹴りを放つ。

 これも勢いの流れの応用だと動きながら実感する。そして、前髪さんがやっていた回し蹴りを頭で思い浮かべながら無心でやると、できてしまった。

 そして、僕は自分でも驚くくらいに周りの動きも逐一気を配っていた。一颯さんに近付く人影がいた。先程のあの一室から追ってきたスーツの男のうちの一人だ。彼は右手に銃を持っていた。一颯さんを人質に取るつもりなのか?


「させない」


 僕は知らないうちに気持ちが口に出ていた。3mほど離れた一颯さんの元へと駆け戻る。すると、スーツの男は標的を僕にシフトし、拳銃をこちらに向ける。

 拳銃なんて今だって怖い。一発で人を殺せてしまう。でも、そんなことをするこいつらが許せない。こんな拳銃に僕は屈したくない。

 銃口の穴を見つめる。こちらに向いている。一颯さんに万が一当たらないよう、彼女がいない方から距離をつめる。感覚が研ぎ澄まされているのか、相手がトリガーにかけた指の動きがわかる。視覚ではなく、何かもっと感覚的なリズムのようなものだ。呼吸なのだろうか。

 スーツ男が銃を打つタイミングはわかっていた。今だ。僕はさらに床を蹴る足に力を込める。相手の懐に飛び込むと、銃を持つ手に掌底を叩き込む。掌底は何年も前に姉さんに教わった。拳銃は男の手から離れ、飛んで行った。

 男は動揺を隠せないのか一歩引いた。逃がさない。僕は右脚を思い切り踏み込み、男の横顔目がけてストレートを放った。呆気なく飛んだ男は伸びてしまった。


「一颯さん、大丈夫ですか? さ、行きましょう」


 僕は再び彼女の手を引き出口へと進む。堂島さんの方を見ると、既にもう2人倒したようで周りに倒れている。そしていつの間にかあのスーツを着崩した男と対峙していた。


「お前らみてぇに人の命をなんとも思わないやつは許せねぇ」


 堂島さんの言葉に、うるせぇと言いながらスーツを着崩した男は飛びかかってきたが、その男の視界から堂島さんが消える。堂島さんは瞬時に男の背後に回り込み、男の腰を抱え込むとバックドロップを決めて、男を気絶させた。

 周りはもはや騒然としていた。そして残る敵は2人。出口に立ちはだかっていた。僕は堂島さんの左隣に立つと目を合わせ頷く。それに対して堂島さんはニカッと笑い応える。

 こうして隣に並ぶとこの男は本当にでかい。見た目ももちろん、精神的な存在として。彼がいたからここまで僕は動けたんだ。


「んじゃ、いくぞっ!」


 堂島さんの掛け声と同時に、僕は彼と一緒に飛び出した。僕は左の男に向かって、堂島さんは右の男に向かって、2人で同時に出口を塞いでいた男2人を殴り倒した。


 一颯さんも連れて3人でクラブを後にする。出る時にカウンターにいた男に声をかけられた気がしたが、最早気にしない。

 繁華街へと再び戻ってきたが、まだ走っている。大通りに出るまでは油断はできない。


「一颯さん、大丈夫ですか? 疲れてませんか?」


 僕は彼女が心配だったので声をかけた。彼女が疲れているのはあからさまだったが、それでも彼女は微笑んで、大丈夫ですと答えてくれた。


 大通りに出た所で、ようやく安心し歩くことができた。再び戻ってきた街には先ほどと変わらぬ賑やかさがあった。人々はいつも通り、往来を行き交っている。


「いやー、想すごかったな。とても素人とは思えねぇ。俺はいつも1人で戦うことが多かったけども、こうして誰かと一緒に協力するのは頼もしいな。それがあの煉美さんの弟とあっちゃ、こんな嬉しいことはねぇ」


 堂島さんはとても晴れやかな表情をしていた。僕もまだ自分で自分が信じられない。あんなにも強そうな人たちに勝ってしまったなんて。手を見ると皮が擦りむけ、ヒリヒリしていた。これは現実なんだ。


 あの横沢さんが死んだ。あの人とは嫌な思い出しかないし、嫌いだったが、それでもあんな無残に殺される所を目の当たりにしてしまうと、いろんな感情が押し寄せてきて複雑だ。


「あまり買いかぶらないでください。僕ががんばれたのは堂島さんがいてくれたからです。まだまだ喧嘩の素人ですよ」


 僕は照れくささを極力顔に出さずにそう言った。すると堂島さんは、はにかみながら僕に軽くタックルしてきた。軽くとは言うものの、力は強いし、疲れもあるためだいぶよろめいてしまった。


弖寅衣てとらいくん、かっこよかったです」


 と、唐突に一颯さんは少し俯きながらそう呟いたので、僕は思わず、「え?」と言ってしまう。しかし、彼女はそれ以上は何も言う気配がなかったので、僕もそれ以上聞き返すようなことはしない。


「お、ちょうどお巡りさんがいるぞ。あの店のことは報告した方がいいよな」


 堂島さんが言った通り、前方に制服を着た警官が2人、こちらに向かって歩いていた。


「絶対に話した方がいいです! あんなの許されていいはずがありません!」


 一颯さんも堂島さんに賛成し、2人は警官のもとに駆け寄った。2人はまだ元気だな。僕は疲れて走る気にはならない。でも、殺人があったのだから警官に報告して、法のもとで裁いて然るべきなのだろう。


 あれ? なんだろう。あの2人の警官になぜだか違和感を感じる。極めて無表情な顔つきをしている。2人が駆け寄ってきたのにも拘わらず、慌てる様子も心配する様子もない。

 すると、次の瞬間。堂島さんの巨体が崩れた。続けざまに、一颯さんも倒れてしまった。

 あの警官の手に握られているもの、あれはスタンガンだ。

 遅かった。完全に気が緩んでいた。僕の真後ろにも張り付く気配があった。

 振り向くとあの男がいた。あのクラブで支配人をしていた柄シャツの男だ。気づいた瞬間に僕はもう意識を失った。

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