切取線
不夜城と呼ばれるこの街も、その猥雑な中心から十五分も歩けば昔ながらの住宅街が残る。
片側三車線の通りを走る車は途切れない。
マンションのエントランスから漏れる光は、街路灯のように点々と歩道を照らしている。
手袋を外さずに操作盤のボタンを押した。
「あぁ、あんたか」
モニターから声が返り、オートロックのドアが開く。
エレベーターを降り、部屋へと向かう。
インターホンを押すと玄関ドアが開いた。
「早かったじゃないか」
部屋の主が男を中へと招き入れた。
*
スマホで位置検索をして倉庫から駅へと向かう。
打たれた右腕をずっと気にしている。
駅前にあった閉店直前のドラッグストアで湿布薬を買った。
構内の多目的トイレに入る。
シャツを脱ぐと上腕部が青紫色に腫れあがっていた。
不器用な左手で時間を掛けて気休めの湿布薬を貼る。
ホームへ降りたときには十時を過ぎていた。
時間に余裕はない。
ポケットからメモを取り出す。
地下鉄の駅を降りたときには十時五十分になろうとしていた。
痛む右手で山高帽を被り直す。
交差点からは複数のビジネスホテルが見える。
それを横目に目的地へと急ぐ。
この時間になっても車が途切れることはなく、時折ヘッドライトが男を照らした。
左の坂を上がり、古いながらも手入れの行き届いたマンションにたどり着いた。
メモを確かめて操作盤のボタンを押す。
応答はない。
手の中の紙には住所とともに、林 賢治と書かれている。
集合ポストを見てもやはり名前の記載はない。
もう一度呼び出してみるが応答はなかった。
少しの間なにか考えていたが、もう一度操作盤に向かう。
「やってみますか」
ボタンをいくつか押す。何も反応はない。
さらに押してみる。反応はない。
開かないガラスドアを思案顔で見つめる。
今度は【*5627呼】と押した。
ガラスドアがモーター音と共に開いていく。
「住所を逆から並べて暗証番号にするとは、ちょっと安易かもしれませんね」
防犯カメラに向かいにっこりとほほ笑んだ。
エレベーターが九階に停まった。
部屋番号を確かめながら目的の部屋を探す。
もう十一時を過ぎている。
廊下に人の姿はない。
玄関前のインターホンパネルにも林の名前はなかった。
呼びボタンを押すが反応はない。
待つこともせず、レバーハンドルに手を掛ける。
注意深く下へと回し、そっと引いてみる。
鍵は掛かっていない。
「林さん」
物音も聞こえない。
ゆっくりと奥へ進み、リビングの扉を開けた。
中央のテーブル横に男がうつ伏せで倒れている。
近づいてしゃがみ込む。
(拳銃で後ろから撃たれている。知り合いか)
男の背中には一センチほどの穴があき、周辺には血がにじんでいた。
手首の辺りをそっと持ち上げてみる。
(死後硬直は始まっていない。倉庫へ電話を掛けてきたのは、本人で間違いないはずだ)
動くことのない横顔を見る。
(私に何を話したかったというのか……)
「そこで何をしてる!」
突然の大声に振り返ると、御園と赤池が並んでいた。
すぐに状況を把握したのか、白い手袋をはめながら山高を押しのける。
「
「そうみてぇだな。山高、お前がやったのか」
「思ってもいないことを」
呆れたように笑って答える。
「だよな。じゃぁ何でここにいる?」
御園の目は笑っていない。
「また彼らとちょっとしたトラブルがありまして。そこでここへ来るように言われたんです」
メモを手渡すと、赤池が透明な袋へ入れた。
「何か話したいことがあったらしいんですが」
「話したいことねぇ……」
「そちらは?」
「タレコミだよ。この部屋へ行ってみろ、ってな」
御園が遺体に目をやる。
「こいつは俺たちが追っていたキーマンなんだよ」
「御園さん、応援部隊の案内にエントランスへ降りますが大丈夫ですか?」
黙ったまま片手を上げて、早く行けとばかりに手を振る。
赤池がいなくなると、山高へ向き直る。
「お前さん、このまま逃げても構わないぞ」
返事をせずに御園の表情を伺う。
「何もやっていないんなら面倒なことに巻き込まれる前にずらかっちまえよ。後は俺がどうとでもするから」
山高は声をあげて笑った。
「その手には乗りませんよ。何もしていないのだから逃げる必要がないじゃありませんか」
ちっ、と御園が軽く舌打ちをする。
「まぁいい。これでお前さんも重要参考人だからな」
もう一度、遺体を見下ろしながら続ける。
「しかし、気に入らねぇ」
「このタイミングで組対が追っていた男が殺される。その現場に私がいた。さらに、そこへあなたたちが駆けつける……」
「あらかじめ決められていたみたいじゃねぇか」
二人の視線は横たわる男に注がれたまま。
もうすぐ日付が変わる。
―― 一夜のキリトリセン 了 ――
一夜のキリトリセン 流々(るる) @ballgag
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