雨音

トマト

第1話

 柔らかな雨。

 君のことを思い出す。

 君はいつも雨の中にいた。


 



 僕が恋した女の子はいつも雨の中にいた。

 暖かい雨と、むさせかえる緑の匂い。  

 その中に。


 それが彼女の記憶だった。



 ふわりと笑いかけられて、恋に落ちた。

 彼女の短い髪は雨の中で邪魔にならない。

 ノースリーブのシャツも、短いズボンも雨の中では邪魔にならないためなのだろう。 


 彼女は永遠に雨の中にいるのだろうか。


 裸足で傘もささずに歩く彼女が、泥の上に足跡一つつけないから、人ではないのだと悟った。


 でも、彼女はとても美しく。

 そして、女ではあり過ぎず。

 中性的で。


 生々しい女の方が人でないものより怖い、

 13の少年が恋するのは必然だった。




 その一週間は台風が近付いて来ているということで、雨ばかり降っていた。


 両親の離婚のための話し合いに、子供を巻き込まないとの言い訳で田舎の祖母のもとへ生意気な少年は送られた。


 そして、退屈していた。

 拗ねて斜に構えたくそガキと友達になりたいと思ってくれるヤツなどなく、


 祖母ももう生意気な孫などもう相手にせず、


 テレビすらない家で、ひたすら本を読むことにも飽きた頃だった。

 持ってきた本にも限りはあるのだ。


 その日、ぼんやり、縁側に座り、雨がふる庭を見ていた。


 そこに、少女が現れたのだ。


 泥の上をすべるように歩き、その肌は雨に銀色に輝き、雨音のような柔らかい声で歌ったり、庭の柿の木に話しかけていた。

 その言葉は知らない言葉だった。  


 いや、音は聞こえるけど意味を遮断されるというか、声は残るのに音は残らないと言うか・・・。


 とにかくこの世のものではないことはわかった。 


 僕は呆然と彼女を見つめ、そして彼女は僕に気づいて笑った。


 それで僕は恋に落ちた。

 それで十分だった。 





 彼女は雨降る庭から僕に近づく。

 縁側のひさしでギリギリ濡れなくなる寸前のところまで。


 それで彼女が僕には空気が必要なように雨の中でしか生きられないことがわかった。 


 彼女は笑う。

 無邪気に。

 その瞳が、雨の雫のように銀色であることを僕は知った。


 「        」

 彼女の話す言葉はわからない。


 だけど僕は彼女のちかくに行きたくて、雨の中に飛び降りた。


 僕も雨の中に立つ。


 彼女が手を伸ばす。

 その手を取る。


 彼女が駆ける。

 僕も駆ける。


 雨の中を走る。


 彼女が歌う。

 僕は笑う。


 彼女が柿の木に登る。

 僕も登る。


 木の枝に腰掛ける。

 そして目を見合わせ笑う。


 雨が葉を打つ音。


 雫は僕たちに降り注ぐ。


 緑の葉っぱ。

 緑の雨。


 「       」 

 彼女の不思議な言葉にうっとりと耳を傾けるだけで幸せだった。


 祖母が用事から帰ってくると彼女は消えた。


 祖母はすねた孫にいちいち構うような人ではなかったが、さすがに雨の庭に裸足でいる孫には眉をひそめた。


 風呂に入れと言われた。

 確かに身体は冷えていた。


 少し寝込んだ。


 「雨の中で調子を崩すなんて」

 なぜか調子を崩したことよりも、雨の中で調子を崩したことを責められた。


 次の日は熱を出して寝込んだ。


 雨が降っていたから、庭が見える部屋で寝た。

 彼女きてくれたらと思って。


 祖母はまた用事で出て行き、僕はひとりで雨ふる庭を見ていた。

 そしてまた彼女は現れた。


 寝込んでいる僕を見て悲しそうな顔をして、ふといなくり、寂しく思っているとまた現れて、ひさしギリギリのところから、指先だけをさっと差し入れて、きれいな飴色の石を縁側に置いていった。


 指先ほどの綺麗な石だった。


 お見舞いなんだ、そう思った。




 次の日にはもう元気になっていたけど、熱があると嘘をついて休んだ。

 雨だったから。


 彼女を待つ。


 そして、彼女は現れた。


 僕は用意していたレインコートと雨靴を履いた。

 これで大丈夫。


 彼女やレインコートや雨靴を不思議そうに見ていたが、また僕の手を引いて歩きだした。


 二人で山を歩いた。


 雨の音。

 雨の音。


 葉を打つおと、水たまりに落ちる音、地面を叩く音。

 彼女の声。

 水の匂い。

 それでも聞こえる鳥の声。


 彼女に手を引かれたら、どんな斜面ものぼれた。

 どんな距離でもはやく歩けた。



 彼女の住む雨の中の世界。

 全てが洗い流され、ピカピカに輝く世界。

 優しく水色にけぶる柔らかな世界。


 カタツムリやカエル達が謳歌し、虫や鳥や動物達が雨宿りする世界。

 その日、僕が訪れたのはそこだった。


 彼女は笑った。


 「        」

 聞いたことともない音で話、歌った。


 僕も話し、歌った。

 誰にも欲しがられない子供の話や、仲が良かったころの父や母が教えてくれた古いラブソングを。


 彼女といたいと思った。

 彼女の雨の中でずっと濡れていたいって。


 少し身体は冷えたけど、前みたいに調子を崩すほどじゃなかった。


 彼女は僕を庭まで送るとどこかに消えていった。


 帰ってきた祖母は僕が玄関に下げた濡れたレインコートを見て少し眉をひそめた。


 「調子が悪いのに雨の中に?」

 責めるように言われた。


 「もう大丈夫」

 僕は言った。


 「雨の中で倒れてはいけない」

 祖母はそうとだけ言った。



 明日は彼女は来るだろうか。


 激しくなっていく雨音に耳を済ませながら、僕は布団にくるまっていた。

 彼女のくれた飴色の石が枕元にある。


 彼女の雨で濡れた肌、雫のように輝く銀色の瞳。

 彼女は僕の所へ来てくれた。


 彼女はカタツムリを僕の手のひらに載せてくれた。 

 彼女は笑ってくれた。


 彼女は僕を傷つけない。

 いらないものみたいに扱わない。


 僕は13で生意気で、


 それでも両親に捨てられて傷ついていて。

 だからもう、深く深く、彼女に恋に落ちていた。


 次の日も雨だった。

 台風が近付いているのだ。


 強い雨が降っていた。

 学校から今日は休校だと連絡があった。


 祖母は用事が終わらないとイライラしていた。  

 今日も出かけるらしい。


 「今日は外にでるんじゃないよ。雨の中で倒れでもしたら大変だからね」

 祖母はいった


 僕は適当に返事をした。



 雨は強く大粒だった。   

 でも風はない。

 雨台風なのだとテレビで言っていた。


 そして、やはり彼女は現れた。


 微笑みかけられたから、もう行かずにはいられなかった。


 レインコートを着て長靴を履いて、彼女のもとへ向かう。


 君が好き。

 彼女に手を引かれる。


 雨の中を歩く。

 君が好き。


 


 彼女は谷川を指差す。   

 谷川はいつもより水が多く、うねっていた。  


 彼女は一人川の中に入り、魚をつかむ。

 水流が強いから魚が流れてきているのだ。


 跳ねる魚を彼女は僕に渡してくれる。

 これは食べれるヤツだ。



 川魚は生臭いから食べれるヤツはそんなに無いって、死んだ祖父が言っていた。


 祖父が食べれると教えてくれた魚だ。


 「僕にくれるの?」

 僕はそのキラキラ水に光る魚を苦労してつかむ。


 彼女は魚をに何かを囁くと、魚は動かなくなった。


 「ありがとう」

 僕は言った。


 石に魚。

 貰ってばかりだ。


 彼女に何かあげたい。

 そう思った。



 僕は岸に魚をおくと、ズボンのポケットを探った。

 キーホルダーだった。


 指先ほどの透明な小さな瓶。

 その中にギザギザの星形の砂が半分位入っていた。

 それがキーホルダーの先にぶら下がっている。  


 鳴き砂っていう砂らしい。

 昔、両親と旅行に行った時に買ってもらったものだ。


 まだ僕がいらないものじゃなかった頃。


 思い出なんかはいらない。


 要らなくなった子供になったことを思い知らされるのは嫌だ。


 でも砂は綺麗で珍しい。


 だからとっておいたのだけど。



 ついていた家の鍵を外してキーホルダーを彼女にあげた。


 彼女は壜の中を透かし見て、笑った。  

 星形の砂。


 本当に珍しそうに。



 彼女が笑う。

 びしょ濡れの世界で。  


 彼女は綺麗だ。


 雨が川を叩く。  

 水の匂いは多様だった。

 川の匂い。   

 雨の匂い。 

 魚の匂い。

 濡れた草の匂い。

 彼女の匂い。


 僕は彼女の濡れた肌に触れた。

 その手は暖かだった。


 僕は彼女の頬に触れた。

 その頬は滑らかだった。


 僕は僕の唇で彼女の唇に触れた。

 震えるほど、そこは柔らかだった。


 「    」

 彼女が何か言った。


 銀色の瞳が瞬く。

 驚いていた。


 「ごめん」 

 僕は謝った。


 


 君が好きだ。  

 君といたい。 

 君の側に僕を連れて行って



 そう言おうとしたとき、急に川の水位があがった。


 そして轟音



 僕は頭の先まで水の中にいた。

 鉄砲水だ。 


 谷川の水量が連日の雨で増したのだ。 

 僕は銀色の激しい渦に自分が吸い込まれていくのがわかった。

 それは逆らえるようなものではなく。


 ああ、死ぬのだな、と思った。



 最後に見たのは、銀色の水の中で、まるで宙を飛ぶようにやってくる彼女。 


 彼女の脚は長いヒレに変わっていて、その指にも水掻きがあって・・・。


 ・・・そっちが本当の姿なんだね、と思った。



 綺麗だ。

 そう思った。


 雨の時だけ、水の中から出れるんだね。

 そうなのか・・・






 僕は気付けば病院で、泣いている両親と祖母がいた。


 僕は河原で気絶していたらしい。

 水は飲んでいなかったけれど、身体がひえきっていて、大変だったらしい


 祖母は怒っていた。

 死にかけた以上の危険を僕が犯したことに。


 「雨の中で死んだなら、お前は捕らわれてしまったんだよ!!」


 雨の中で死んだなら、魂を雨に捕らわれて、水の中で生きる化け物になるという言い伝えが、あの村にはあることを知った。


 河童の伝承みたいな、そう・・・。

 雨の中で死ねたなら・・・。

 あの子とずっと一緒にいられたのだろうか。


 そう・・・。


 僕の涙を父母も祖母も安堵の涙だと思ったようだ。

 そこから彼女には会えていない。


 そこから僕は少し変わった。

 拗ねるのはやめた。


 誰かが僕をいると言ったり、いらないと言ったところで、雨は降るし止む。

 僕を気にする気にしない世界と同じくらい、彼女とみた雨の世界もあるのだ。


 誰かが僕を傷つけても、彼女はあそこにいて、僕を傷つけない。

 そう思えばまあ、色んなことがたいしたことなくなった。



 いつか。


 いつか、いつか、いつか。


 僕が死ぬ時は雨の中がいい。


 雨の中死ぬ僕を、あの渦の中から連れ出したように、彼女が魂を連れ出してくれるのだ。

 そして、その時は僕は彼女に言う。


 君はとても綺麗だと。

 君にずっと会いたかったと。


 この世界は美しい。

 どんなものがあるとしても、あの雨の世界がそこにあり、彼女がそこにいる限り。


 僕にとってはこの世界は美しい。

 僕に聞こえる雨音は、全てが優しい音楽になる。


END




 











 





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雨音 トマト @kaaruseigan1973

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