第4話

 良い目覚めとは言えない、そんな朝だった。


 残酷な予知夢を見ていない分、昨日の朝よりは遥かにマシではある。しかし、昨日香澄に出会ったことが、日をまたいだ今となっても私の心に深く影を落としていた。


(ナギサくんが死ぬ夢を見たその日に香澄に出会うだなんて……まるで神様が、未来が変えられないことを私に突きつけているみたいだ。)


 そんなこと律儀にしてくれなくたって、私はちゃんとわかっているし弁(わきま)えているのに、律儀な神様もいるものだと思う。


 こんなことで気落ちしていても時間は刻一刻と減っていくばかりで何も変わらないことは承知の上だが、私はすぐに気分が切り替えられるようなご機嫌な性格ではない。


 朝食を食べ終えてせめてもの気晴らしに散歩に出た。昨日は香澄へのごまかしに”散歩”と言って論破されてしまったが、実際に私の趣味は散歩なのだ。


 十二月の半ばだから道端に花なんかろくに生えていないし、木はすっかり裸になってしまっているが、それでもこの季節だからこそ楽しめるものがある。特に十二月の澄んだ空気は、気持ちの切り替えにはもってこいだ。


 すーはーすーはー、とゆっくり呼吸をしながら、町の東から西に流れる川沿いをのんびり歩いていく。


 その時ふいに、みー、と小さな鳴き声が聞こえて私は足を止めた。子猫の声だ。

 親が猫アレルギーだから飼うのは断念してきたけど、私は猫が好きだ。フカフカの小さな額に顔を埋めて、思う存分その匂いを嗅いでみたい衝動がある。


 ……というのはともかくとして、周辺を見回して首をかしげる。声はずっと聞こえているのに、猫の姿が見当たらないのだ。


 土手にいるのだろうか、と、私は土手を下ってみる。あたりを見回しながら川へと近づくうちにどんどん鳴き声は近くなっていく。


 そしてついに、川の中にある小さな岩の上にずぶ濡れの子猫が座って鳴いているのを見つけた。


 昨日の晩から今日の朝にかけて雨が降った影響で川が増水しているのか、流れはいつもより早く、時折岩に水しぶきが上がる。


(どうしよう、助けないと……!)


 だがこの川は途中から深くなっているポイントがあり、私だとつま先立ちで呼吸するのがやっと位の深さになる。増水していることを考えるとうかつに助けには行けない。


 自分より身長の高い人を呼んでこようかと、あたりを見回したその時だった。


「これ持ってて!」

「えっ、はいっ」


 私の横を人が颯爽と走り抜け、その途中で私にカバンを投げ渡した。何とかキャッチしてから、その人の背中を目で追う。


私と同じくらいの歳の小柄な男の子は、川岸で自分の着ていたコートを脱ぎ捨てると、躊躇なく真冬の川にじゃぶじゃぶ入っていく。


水はあっという間に彼の肩まで迫った。私の想像以上に水位は高い。

ひやひやしながらどうすることもできず、ただ固唾を飲んで見守る。


増水で流れも早いはずなのに、それでも彼はゆっくりと確実な歩みで川の中の岩まで進んで行く。


そしてようやく、猫をその両手で捕まえた。


「うわ、さっむ……!」


十二月の川に入った彼は唇を真っ青にしてガタガタと体を震わせる。


「大丈夫ですか……って、戸張とばりくん?」


 カバンを持って男の子に近づいた私は、そこでようやく彼がクラスメイトの戸張くんだと気づいた。


私より拳二つ分くらい高い身長に細身な体躯は、寒中水泳をしたことで服が張り付いて、一層彼を瘦せぎすに見せた。


少し色素の薄い焦げ茶の髪をぐっしょり濡らした彼は、いきなり名前を告げた私を訝しげに見つめる。


「えーと……?」

「同じクラスの春日かすがです」


「春日、あー……、春日芳乃かすがよしのさんね。ごめん今さっきコンタクト落としちゃって、あと私服だったから一瞬気づかなかった。……へっぶし!」


大して話したことがないはずなのに、戸張くんが私のフルネームを覚えているなんて驚きだった。


 いや、私が覚えていないだけで普通はクラスメイトのフルネームくらいは知っているものなのかもしれないけれど……なんて、そんな感想よりも戸張くんの体調が心配だ。


「あの、はやく服だけでも……」

「ん?あぁ、そっか」


 戸張くんは私の言葉に頷くと、脱ぎ捨てたコートを手に取り軽く砂埃を払ってから……私が止める間もなく、子猫をくるむのに使った。


 こういう時、自分の言葉足らずを恨めしく思う。

 はやく服だけでも……というのは子猫にかけた言葉ではなく、戸張くんにかけた言葉だったというのに。


「んじゃ、僕はこの子を病院に連れて行くから、また学校でね春日さん……っくしゅん!」


 そう言って、戸張くんは大きなくしゃみをしてから鼻をすする。


「いやいや待って、そんな状態で行かせられないから!」


 子猫は見たところまだそれほど体力が落ちていない。目もぱっちり開いているし、子猫といえど体つきもそこそこ立派だ。今すぐに体調を崩すようには見えない。


 だが問題は戸張くんの方だ。こんな寒空の下、濡れたままでいては風邪を引いてしまう。


「戸張くんはまず私の家でお風呂に入って!その間に私、猫ちゃんを病院で診てもらうから」

「いいの?」

「私の家、動物病院の近くにあるから。それに、濡れてる戸張くんを放っておけないよ」

「へへっ、春日さんいい人だね。じゃあお言葉に甘えるよ」


 戸張くんは人懐っこい笑みを浮かべて私の提案を飲んだ。


「……いい人なのは、自分の身よりも子猫を優先した戸張くんの方だよ」

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カウント・セブン アサミ @under_see

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