第3話

 朝食を食べて勇んで学校に来たのは良かったものの、私が目的地としていた教員室も教室も、きっちり施錠されていた。


 土曜日は部活をする生徒のために学校の各施設が開放されている。だからこそ教室に入ることも容易と思われたが、鍵を開けるためには事前に申請が必要だったらしく、用務員のお姉さんに門前払いされてしまった。


 つまり出席簿は手に入らず、ひいては同級生の氏名を把握することができない。名簿さえ手に入ればナギサくん探しは終わったも同然だと思っていたが、完全に当てが外れてしまった。


 そんなわけで私は潔く下駄箱に向かった。学校に来てからおよそ十数分にして、私は帰ろうとしている。


 諦めるのが早すぎると、人によっては言うだろう。行動力のある小説の主人公なら、ここから窓口のお姉さんを説得したり、いっそ鍵を壊して教室に忍び込んだりなんかして、ナギサくんの正体をさらっと突き止めてしまうはずだ。


 でも私はそれ以上のことをしない。なぜなら頑張って行動を起こさなくとも、この先の未来でナギサくんと私は出会わざるを得ないからだ。


 どれだけ彼の死を見るのが嫌で、たとえ地球の裏側へ行こうとも、私はこの一週間で必ずナギサくんと出会い、ナギサくんに好意を抱き、そしてナギサくんの死を目撃する。つまり今日ナギサくんの正体がわからないのは、今はまだその時じゃないということなのだ。


 その時、複数人の足音が下駄箱に向かってきた。大方、運動部がランニングを終えて帰ってきたのだろう。声からして女の子だから、女子テニス部か、女子バスケ部か……どちらにせよ興味はない。しかし興味がなかったのは私だけで、相手は違った。


芳乃よしの


 早く帰ってしまおうと下駄箱から靴をとりだし履き替えようとかがんだその時、懐かしい声に呼び止められ、私は反射的に顔を上げた。


 まず学校指定の運動靴が視界に入り、それから少し砂埃のついた女子バドミントン部のユニフォームが目に入る。


 最後にきりりとつり上がった眉に、猫目がちな黒い瞳の、はっきりした顔立ちに視線が固定された。目と目が合うと、彼女は続きの言葉を告げる。


「どうして土曜日なのに学校にいるの?」


 彼女――雨宮あまみや香澄かすみは、怒っているつもりはないのにそう見えてしまうのが悩みだと、いつか私に漏らしたことがある。張りのあるよく通る声が鋭い糾弾の声に聞こえ、目鼻立ちがはっきりしているがために、睨んでいるように思われてしまうのだと困っていた。


 要するに、そういった彼女の事情を知っている私が、今この場から逃げ出したく思っているのは、彼女の表情や声音が怖いからではない。


 彼女に罪悪感を抱いているためだ。


「たまには休日に学校を散歩してもいいかもって。ほら、良い天気だし」


 当たり障りのない会話をしようと心がけて、私は天気の話をしてみた。古今東西老若男女、天気の話題はなんの作為も混じらないから気まずい相手との会話に最適だ。


「良い天気なのに校舎の中を散歩していたの?」


(……一瞬で論破されてしまった。)


 良い天気のときに散歩をするなら外だろう。それなのに今まで私は建物の中にいた。一言で行動と言葉が一致しなくなってしまった。やはり嘘はつくものではない。

 とはいえ、本当の理由を言えるはずもなかった。


 ”同級生と思われる男子が死ぬ夢を見たから、手がかりを探しに来た“……そんなの一体誰が信じてくれるのだろう?たとえオカルト好きでも本気で取り合ってはくれないだろう。


 それに相手が香澄だからこそ、なおさら言えない事情があった。


「まさかとは思うけど……あんた、また予知夢だなんて世迷言よまいごとを言っているんじゃないでしょうね?」


 私の沈黙にれたように、香澄が核心に触れた。


 さらに嘘を塗り重ねて返答することもできず、私は押し黙り視線を下にそらす。そらしてから後悔した。


 視線をそらした先……香澄の足には、ひと目見て一生残り続けるだろうとわかる、ひどい傷跡があった。

 それはかつて、私が未来を変えようとして変えられなかった罪の証だ。

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