第2話
私は時折、鮮明な夢を見る。
鼓膜を揺らす音も、鼻孔をくすぐる香りも、手に触れる温度も︙︙すべてが現実と相違ない、鮮やかで生々しい血の通った夢を。
あまりに現実味を帯びているので、起きぬけの頭ではどちらが現(うつつ)でどちらが夢なのか判別がつかない時すらある。もちろん夢はいつか終わるものだから、いつまでも判別できないということはないし、鮮明な夢というだけならそれまでだ。
けれど私の鮮明な夢はいつも決まって夢を見た一週間後に現実になってしまう。安直な言い方をしてしまえば、これは予知夢なのだ。
先程見た光景も予知夢だ。つまり、ナギサくんは今日からちょうど一週間後の十二月二十一日に、私を庇う形でトラックに轢かれて死んでしまう。
例えば人が予知夢を見たとして、その内容が当人にとって許容しがたいものだったとして、予知夢を見た人が一体何をしていくかは想像に
きっと未来を
まず間違いなく、予知夢を見た人間は予知夢を見たことそれ自体が、未来を変えられる可能性だと勘違いする。
結果が見えているのだからそれを回避すればいい、未来を見てきた自分だけが未来を変えられるのだ、などと思い上がる。
私もかつてはそうだった。これが予知夢なのだと気づいた四年前……中学二年生のその日から、嫌な予知夢であればそれを回避しようとあの手この手を尽くした。
予知夢の子細を忘れてしまわないようにノートに夢の内容を記録して、なんとか避けられないものかと行動を起こし、自分だけではどうにもならない出来事であれば、理解されないことを承知で人に話しては事象を変えようとあがいたものだった。
あのときに戻れるのなら、私は過去の自分に言ってやりたい。
それはすべて無駄なのだ、と。
要するに今まで私が行ってきた“覆し”はすべて失敗している。何か手を尽くしたところで、せいぜい過程が変わる程度で結果は変わらない。状況は好転することなく、悪化の一途をたどるばかりだった。
だから私は予知夢を受け入れるようにしてきた。
手を尽くしても徒労に終わると知ってしまったから、それは運命であり避けられないものだと、自分を納得させることにしたのだ。
(でも今回ばかりは、おいそれと納得するわけにはいかない……)
ナギサくんは私を庇って死ぬ。それは逆説的に言えば、私はナギサくんに庇われて助かる、ということだ。私をこれから助けてくれるナギサくんを放ってなんておけない。
何度も繰り返すが、私は未来を変えることができない。私はいうなればただの観客で、ナギサくんが死んでしまうことは開演が確定した演目なのだ。どれだけ声を張り上げても観客の声は舞台に届かない。
だとすれば、これから私がナギサくんにできることはただ一つだけ。
”悔いのない余生をおくらせてあげること”それだけだ。
だが、ここで一つ問題がある。今日私の予知夢の中で死んだ“ナギサくん”が一体どこの誰なのか、今のところ、心当たりがまるでないのだ。
夢の中で見た顔を思い出そうと頭をひねるが、思い浮かぶのはトラックに潰されてしまった彼だけだ。
べろんと中途半端に剥がれかけた顔の皮、奇妙にねじれた首の皺、ありえない方向に曲がった四肢、突き出た白い骨……その印象が強すぎて、横断歩道越しに歩いていた、無事だった頃の彼の顔が何一つ思い出せない。
ナギサくんのグロテスクな遺体を思い出しても、恐怖ではなく悲しさがこみ上げてくるのが、不幸中の幸いだった。
仕方なく、目覚めたばかりの頭で推理とはとても呼べないなけなしの想像力を働かせる……ほどのことでもなかった。まず間違いなく、ナギサくんは私と同じ学校の同級生だろう。
理由は単純。学校と家の往復をするだけの生活を送る私にとって、異性との出会いなど学校でしか起こらないからだ。
通学途中の電車の中などで出会う、という可能性も考えたがそれは低い。
この短い期間で一緒に出かける仲になるのだから、ある程度お互いの人となりを把握できる環境に置かれているはずだ。
(同級生……ナギサ……)
ところがそこまで絞ることができても、ナギサという名前は記憶のどこにも引っかからない。
それも当然。私は交友範囲が狭いことに加え、人の名前を覚えることが苦手で、同じクラスの生徒の名字を完璧に覚えたのも、ごく最近のことだ。そんな体たらくで女子の名前すら怪しいのに、男子の名前がインプットされているはずもなかった。
これ以上考えても堂々巡りだと思い、私はようやくベッドから起き上がる。それから勉強机に向かい、その引き出しからノートをとり出してペンを走らせた。
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日付:十二月二十一日 土曜日
時間:午前十一時 (駅前の時計台のからくりが終わった直後)
人:ナギサくん(詳細不明・男性・同級生?)
場所:駅前交差点
出来事:ナギサくんが私を庇い、トラックに轢かれて(おそらく)死亡
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一通り書き記して私はため息を吐いた。長く予知夢を見てきたが、人の死を見るのは初めてだった。文字にした事でそれが現実味を帯びて私にのしかかる。
手をゆっくりと広げれば、いつもどおりの変わりない手の平がそこにある。けれどひとたび瞳を閉じれば、私の手に生ぬるく広がっていった血の感触をまざまざと思い起こすことができた。
しゃがみこんだ私の膝までじわりと広がっていった朱(あか)、鼻の奥にこもって消えなかった血の臭い、ピクリとも動かないナギサくん。私はあの光景をもう一度見なくてはならない。
(……ナギサくんを探そう、せめて彼が”良い最期”を迎えられるように)
彼が死ぬとわかっているのに彼の意思を確認せず、独断で彼の死に向けて準備をすること。
それはある種、残酷で傲慢な行為かもしれない。人の生き死にを弄んでいるように見えるかもしれない。
でも私はもう、自分が手を尽くしても助けられなかった未来を見たくはないのだ。
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