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その時、あれ? と思った。だって、こっちは80%のチカラとは言えダッシュしてたんだぜ。さっきも行ったけど、男子中学生のダッシュだぜ。
それなのに、何故。何故おばあさんが歩きで、ここから見える位置にいるんだ、って。
最初に言った通り、この階段は山をらせん状にぐるりと巻きながら頂上へと続いている。つまり。
踊り場から階段は見えても、上と下の踊り場は見えないんだ。ということは。
おばあさんは、ゆっくりとだが近づいているんだよ。
おばあさんを視界に捉えたとき。横でオクノも、オレと同じようなことを思っている、って不思議と思えた。つまり。
何かよくわからんけど、ヤバい気がする。そういう思いだ。
口に出すとマズイ気がした。だからオレたちは無言で、阿吽の呼吸で次のセットを登り始めた。もちろん、全力でな。
そして行き着いた次の踊り場。オクノと2人、ゆっくり振り返ってみた。
案の定だった。そうだ、案の定だ。
──近づいている。さっきよりも。確実に。
いよいよヤバイと思った。おばあさんはさっきと寸分違わない体勢で、自分の足元を見ながら階段を登っている。
ありえないって、思うだろ。だって、中学生の全力ダッシュだぜ? 今のオレと当時のオレが競争したら、確実に昔の自分に負けるだろうよ。それくらいの全力ダッシュだったんだ。それなのに。そう、それなのに。距離を詰められていたんだ。
オレとオクノは、また顔を見合わせた。一瞬だけ。そして反転、すぐさま全力ダッシュだ。次の踊り場も越えた。100段ダッシュだ。そしてたどり着いた、その踊り場で。また信じられないものを見た。もう、わかるだろ?
さらに近づいていた。
さっき見た距離の、半分に。
さらには、そのおばあさん。
こっちを見て笑ってたんだよ。
目が合った瞬間、これはもうヤバイと確信した。
あれはフツウの人間じゃあない。なにか得体のしれないモノだ。とにかく、とにかく。逃げなければ!
オクノとオレは、そこから全力だった。いや、全力を超えて走ってたんだと思う。もうガムシャラだったよ。とにかく逃げたい。その一心だった。
とにかくオレたちは走ったよ。本気、ってのはああいう走りなんだろうな。
目の前は山の頂上へと続く一本道。後ろには例のばあさんがいる。となると、もう目の前の道を走るしかねぇだろ。オレたちは真剣だった。
そうやってさ、走ってるとさ。不思議なことに気がついたんだよ。
この階段ダッシュ。今日はこれで2本目だ。そして、一本道なんだ、さっきも言ったとおり、この階段はずっと一本道。
そしたらさ。1本目の階段ダッシュで、会っておかなきゃおかしいんだよ。
1本目のダッシュでは、あのばあさんはどこにいたんだ?
この階段は山に作られた階段だ。周りは鬱蒼とした雑木林になっている。だから、そこに身を隠すことは簡単だ。ダッシュトレーニングをしていたオレたちが、隠れていた相手を見落とすってのはまぁ、納得できるよな。
──だけどさ。そのばあさんが、身を隠す理由なんて見つからないだろ? ガキならまだしも、年老いたばあさんだぜ。はっきり言って、そんなことしてるヤツがいたら異常だよ。
だから意味がわからなかった。それでもただ、オレたちは走ることしか出来なかったんだ。そして、ついに。そう、ついにだ。赤塚山の頂上に、ようやくたどり着いたんだよ。
お前は知らないと思うけど、赤塚山の頂上はさ、ちょっとした展望台になってんだよ。石っていうかコンクリで作られた台みたいなのがあって、そこにベンチと屋根があるんだ。コンクリの台は広さがまぁ、割とある。テニスコート半分くらいは、あるんじゃねぇのかな。その台をぐるりと取り囲むように、胸くらいの高さのフェンスがあるんだよ。落下防止のために。
なんて説明したらいいのか、わかんねぇけど。そこらへんの公園にもさ、屋根付きのベンチとかあるだろ? あれがまぁ、あるわけだ。
ちょっとでも高さを稼ごうと、2、3メートルほどのコンクリの台の上にな、とにかくベンチがある。その台へ上るために、コンクリ製の階段が備え付けられてるんだ。
オレとオクノはそこに辿り着いたはいいものの、そこはフェンスに囲まれた行き止まりだ。後ろは怖くて振り返れない。屋根に上ろうとも足掛かりがない。だからオレとオクノはフェンスを乗り越えて、2、3メートルほどの台の下に飛び降りて、息をひそめて隠れたんだ。背中をコンクリ製の台につけてな。
──するとさ。
すぐに。そう、まさに息つく間もないタイミングで。
誰かの足音が聞こえたんだよ。上のコンクリの台を、歩く足音がな。
誰かの、ってもうわかるよな。そう、そのばあさんの足音が、聞こえたんだ。
ありえないタイミングだった。だって、フェンスを乗り越えて台の下に飛び降りて、すぐだぜ。本当にすぐ。オクノとなんの会話もできないくらいのタイミングで。
もう声は出せない。だってそうだろ。明らかにそのばあさんは異常だ。絶対に、絶対におかしい。だから僅かでも声が聞こえたら、隠れている場所がバレちまうんじゃないか。
そう思って、だから2人して黙ってた。心臓はバクバク言ってた。体感だけど、心拍数は200を超えてんじゃねぇか、ってくらいだった。
頼む、収まってくれ! って願ったね。自分の耳の後ろのほうで、自分の心臓の音が大音量で鳴ってる。周りにも漏れてんじゃねぇかって思えるほどの爆音で。
まったく動くことは出来なかった。息を殺して隠れるってのは、ああいうことを言うんだろうな。とにかく、2人で念じていた。
──頼む。頼むから消えてくれ!
するとさ。オレとオクノの願いが通じたのか、ピタリと足音が止まったかと思うと、コンクリ製の階段を下りる音が聞こえたんだ。次第に足音は遠ざかっていく。そして、ややあってから聞こえなくなった。
あぁ、助かった。止めていた息をようやく吐けた。深い深い、溜息みたいな呼吸だった。あんなに息を止めていたことは、なかったと思うな。
それで、オクノと目を見合わせたら。お互い涙目になっててさ。ちょっとだけ笑えたよ。
なんて顔してんだ、お前。お互いそう思ったに違いなかった。とにかく、家に帰りたい。お互いの顔にそう書いてたと思う。
家に帰るなら、来た道を戻るか、それとも。目の前の森を突っ切って降りていくか、その2択だった。
どうしようかと思って、オレはオクノに目で合図をしたんだ。オクノと目を合わせて、一度森の方を見る。
こっちにするか? それとも。
頭上を見上げて、来た道を戻るか──、
そうだ。頭上を見上げた時だった。
夕暮れの空を遮るようにさ。いたんだよ。
嬉しそうな顔をして。
ニタァって、音が聞こえそうなくらいに笑って。
頭上の台、その上のフェンスをまさに乗り越えるような勢いで。首だけ出して。ニタァって笑って。
オレたちを見下げながら、言ったんだ。
ばあさんが。
「どこに行くの? おばあさんとお話ししましょう?」
──もう、ダメだった。
漏らすかと思った。いや漏らしてたかも知れねぇ。
汗まみれで、びちゃびちゃで。汗か涙か小便か、わからなかった。とにかく、オレとオクノは走ったんだ。
全力で、森の中を下った。だってそうだろ。頭上にいたんだぜ。そのナニカが。
下りは脚に負担がかかるから、あれだけダメだって言ってたのに。そんなことはもう、その時考えられなかった。とにかく駆け下りた。夕暮れで暗くなりつつあった、森の中を全力で。
何度も転んだよ。腕とか脚とかほっぺたとか、いろんなところに木の枝が当たった。でも構うものか、って感じだった。ケガなんてこれっぽっちも怖くなかった。
後ろのナニカに比べればな。
断言できるぜ。間違いない。
あの時のオレたちは。確実に、絶対に。
あのウサイン・ボルトよりも速かった。
かなりの傾斜のある下りだったし、後ろにはナニカがいたし。だから、非公式ながらオレは、オレの夢を叶えられたんだよ。100メートルを誰よりも速く走りたいっていう、夢をな。まぁ、そんな叶え方、望んでたハズがねぇんだけど。
そのあと。森の中を突っ切って降り切ったオレたちは、自分たちが止めていた自転車を見つけて。それに飛び乗って、とにかくその場を離れることができた。命からがら、ってヤツさ。
赤塚公園から全力で離れて、オレの家よりも近かったオクノの家に飛び込んだ。自転車の記録は詳しくねぇけど、きっとこれも世界記録ペースだったと思うぜ。
オクノの家に辿り着いて、汗まみれになりながらリビングに入ると。驚いた顔の、オクノのおふくろさんがいた。オレたちは安堵したよ。知っている人の顔を見れるだけで、人間は心から安心できるんだな。
さっきも言ったとおり、オクノのおふくろさんは驚いた顔だった。まぁ、そりゃそうだよな。オレたちはいろんなところに生傷を作って、葉っぱとか蜘蛛の巣とかに塗れて。とにかくまぁ、酷いもんだった。
オレたちはオクノのおふくろさんに、ことのあらましを説明したよ。オフクロさんはすぐに信じてくれた。だって、その話をしていた時のオレたちは。
全身、鳥肌が立っていたからな。
ほら、今話しているオレみたいに。鳥肌、立ってるだろ?
オクノのおふくろさんは、車で家まで送ろうかって言ってくれた。ありがたい申し出だったよ。でもな、人間って、不思議なんだよな。その時は送ってもらいたい気持ちは山々だったんだけど、自転車に乗ってここまで来ただろ。明日も部活に行かねぇと、って思っちまったんだよな。自転車がないと、学校は遠すぎる。だから、オレはその申し出を断ったんだ。
オクノは玄関の外まで一緒に来てくれた。もちろんおふくろさんも。それで、オクノは言ったんだ。
「家に帰りついたら、必ず電話をくれよ。気を付けて帰れよ」
ありがたいよな。友達の言葉って、本当にありがたい。おれは涙ぐみそうになりながら、言ったよ。
「あぁ、必ず電話する。お前も気をつけろよ」
そうして自転車に乗ろうとした、その時だった。
自転車のサドルから、何かが転げ落ちたんだ。
なんだ? 何が乗っていた?
地面に落ちたソレを見て、しげしげと眺めて理解した瞬間。オレは今度こそ腰を抜かしてしまったよ。
地面に落ちたそれ。
風に揺られて転がる、それ。
──四葉のクローバーだったんだよ。
────────────
それ以来。カトウは四葉のクローバーを見るたび、そのナニカを思い出すという。
あのおばあさんは何者だったのか。それは誰にもわからない。本当にいたのかさえも、わからない。しかしただひとつだけ、カトウにはわかったことがあるそうだ。
四葉のクローバーは、たしかに幸運の象徴だ。日本語ではクローバーを、シロツメクサと言う。それにはこんな花言葉があるらしい。
「幸運」「私を思って」「約束」
そして、「復讐」。
だから、クローバーを贈る時は気をつけなければならない。いや、クローバーとは本来、人に贈るには不向きな花なのだ。
だからあなたも気をつけたほうがいい。
特に、四葉のクローバーを贈ってくる人には。
四葉のクローバーにももちろん、花言葉はある。そしてそれは、普通のクローバーの花言葉とは、違うものだ。
もう一度言おう。四葉のクローバーを贈ってくる人には、気をつけた方がいい。
四葉のクローバーの花言葉、それは。
私のものになって、だから──。
(終わり)
四葉のクローバー 薮坂 @yabusaka
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