後日談:カミ蟲とハンコ

「おはようございます。今日もご苦労様です」

 まだ半分寝ている頭で交番を訪れた香墨は朝から元気いっぱいの巡査を不機嫌そうに睨みつけた。

「どうして一々ここに来ないといけないんだ」

「ごめんなさい。文字を戻し終えるまでは作業開始時と終了時にサインを貰わないといけない決まりなんです」

「はぁ」

 先日村に多大なる迷惑をかけた色喰。そいつから抜き出した文字を元の位置に戻す作業が警察から半強制的に指示された。家賃の免除や謝礼などメリットもあるが、すごく面倒くさい。10,000ピースジグゾーパズルをやるようなものだ。

「ここにサインか印鑑お願いします」

「はいよ。えぇと……筆、持ってる?」

「鉛筆で良ければ」

 紺地に三日月の付いた狐月巡査はデスクのペン立てから先の尖った鉛筆を手渡した。サリサリと軽い音を立てながら【香墨】の字を描く。確かに、と受領した狐月へ早々に別れを言い家路に戻った。香墨の家は村の外れにあるため、交番までもそこそこ距離があるのだ。そのおかげで家で今回の仕事をしても誰かに迷惑がかかることはないのだけれど。途中定食屋でおにぎりを1つ買って食べながら町の様子を伺う。新参者の真っ白な狐面にも道行く人は挨拶をしてくれた。

「旅の人かい?」

「ええ、少しの間お世話になることになりまして」

「そう。ゆっくりしておゆきね」

「ありがとうございます」

 ここに来てからそんな会話を何回しただろう。親指についた最後のひと粒を舐め取ると、雑木林の中にいる黒い塊に近付いた。

「おはよう」

 3メートル近くあるそれはピクリともせず、まるで拗ねているようだ。

「置いていこうとしたの怒ってるのかい? ごめんって謝ったじゃないか。あらかたそれが蒸発したら迎えに来るつもりだったんだよ?」

「本当に?」、と言うようにもにょりとだけ塊が動く。

「本当だよ。それに事情が変わって俺も手伝うことになったから。一緒に頑張ろう?」

 優しい声で話しかけ、撫で撫でと手を滑らせると塊は嬉しそうに動いた。

 この塊は香墨のペット。カミ蟲という。紙に住み着く習性があり、そこにある文字を食べて生きている。食べるだけでなく、紙から文字を剥がして操って遊ぶのも好きだ。今回の件ではカミ蟲に助けてもって色喰の体内の文字を吸い出して貰ったのだ。その時の文字は漏らす事なくこのカミ蟲が保有している。ここまで大きくなったのは少々驚いたが、あまり分かっていない生態が知れて興味深い。

「さて、じゃあ始めますか」

 カミ蟲の前に座り、香墨とカミ蟲の仕事が始まった。


 元に戻って行きそうな文字を捕まえて、或いは見つけやすそうな文字を捕まえてその仲間を探す。香墨が長い箸の様なものでひょいと掴んだ文字に合いそうなものをカミ蟲がいくつか取り出し、照合する。元々一つだった文字と文字は呼び合うので間違うことは少ない。ただただ地道なだけだ。ウチんとこの書類を先に頼む、と桜花巡査に言われたが無茶振りもいいとこだ。

「ーーみさん。香墨さん」

 突然視界に紺色の狐面が入ってきた。集中していたのもあるが、名前を変えたばかりの時はどうしても気付かない事が多い。

「ん、ごめんよ。どうしたんだい?」

「もうすぐ日が暮れますよ。今日はそろそろ終わりにしませんか?」

 そう言いながらクリップボードに挟まれた作業表を差し出してくれる。わざわざ持ってきてくれたのか。

「そうだね、もう止めようかな」

 体を狐月の方に向けるとビックリした顔…もとい空気を感じる。

「その顔どうしたんですか?」

「顔?」

 着けてるお面を触ってみる。特にどうもなってなさそうだけど……。気になって面を外そうとしたら、狐月に大慌てで止められた。

「ダメですよ外しちゃ! 」

「ああ、そうか」

「後から見てみてください」

 ふふっと笑った狐月が横にいるカミ蟲を見上げた。こんばんはと挨拶されるとカミ蟲ももにょーんと動いて返す。その動きにあわせて散らけた文字ももにょーんとする。ここにある文字全てが今はカミ蟲の一部なのだ。

「香墨さんはこの子の事が好きなんですねぇ」

「どうしてそう思うんだい?」

「やり取りを見ていれば分かりますよ。あ、ここにサインお願いしますね」

 渡されたクリップボードの端を指差す。空欄になっている枠を埋めると、カミ蟲の一部がが寄ってきた。人の拳ほどに整形された触手のような物体がクリップボードを覗き込む。

「何してるんですか?」

「字が気になるんだよ。文字を食べて文字で遊ぶ、文字大好きっ子だから」

「これは食べないでくださいね?」

 今日の日付の担当欄に書かれたきっちりした「狐月」の文字がぴょこんと跳ねる。

「動いた?!」

「ああ、君の字が気に入ったみたいだ。大丈夫、この子達気に入った文字は勿体なくて中々食べないんだ」

「そうなんですか? ありがとうございます」

 黒い触手に目線をあわせゆっくりめに伝えると、カミ蟲は嬉しそうに狐月の頬にすり寄った。

「それじゃあサインは確かに。あ、ハンコ持ってますか? これから毎日の事ですし、ハンコでも大丈夫ですよ」

「ハンコかぁ。持ってないんだよねぇ」

「そうなんですか? 村のハンコ屋さん案内しましょうか? 僕も今朝欠けてしまって新しく作ろうと思ってるんです」

「いや、僕はいいよ」

「一つあると便利ですよ? そうだ。明日は休みなので一緒に行きましょう!」

 本名でもないのにハンコを作る意味がない。それにそういう形に残るものはども……と思っている間に狐月がどんどん話を決めていく。

「では明日九時半頃に伺いますね」

「いやだから」

「ついでに日用品も買いましょうね」

 そう言うとカミ蟲にもおやすみなさい、と声をかけ村へと戻っていった。ハンコなんて別にいらないし、日用品も今あるので十分なんだけど……。まぁいいか。黄昏時に消えていく狐月を見送ったあと狐面を外してみると、白かった面にインクが飛び散っていた。


 翌日。

 最低限の日用品が入った紙袋を抱え、狐月と二人ハンコ屋へ向かっている。朝一で注文すれば夕方までには出来上がるとの言われ、これから取りに行くのだ。

「それだけで足りますか? 」

「十分だよ。あんまり買っても払う宛がまだないし」

「それなら貸すって言ってるじゃないですか」

「それは流石に」

 借りること自体は別にいいんだけど、今までのような事をして面倒ごとが起きるとこの村はすぐ広まりそうだ。良い村な反面やりずらい一面もある。

「でも良かったですね。ツケでいいって言ってくださって」

「この村はみんなあんな感じなのかい? 緊張感がないというか、お人好しが多いというか」

「悪いことする人なんて殆どいませんからね」

「まぁキミの顔があったのも大きいだろうけど」

 予算内に収めるよう見ていても、狐月が全くの予算オーバー品を見つけてきては店主に「これすごく素敵です! ツケにしてもらえませんか?」、と聞いて回るのだ。俺一人なら旅人だから断わるのだろうけどそこは村の警察官。「お巡りさんの知り合いかい? 持ってっていいよ」、と二つ返事で物が手に入る。今日の外出は正直ものすごく面倒くさかったけれど、結果良かったと言えるだろう。


「出来てるよ」

 はんこ屋に入るとしゃがれ声のお爺さんが出迎えてくれる。朱を主にし、左目の下に金色で【印】と書かれた狐面が作業台から二本の印鑑を取り出した。狐月の前には青色の、俺の前には紫色の透けた印鑑が置かれる。

「試し捺ししてみましょう」

 狐月が印面にはぁ、と息を温かい吹きかける。すると印面がじわっと朱くなった。そのまま紙に捺せば【狐月】の文字が現れる。

「ここの印鑑はこうやって息をかけるだけで捺せるようにのるんです」

「それは便利だねぇ」

 真似して息を吹きかける。固い平な机の上で捺しても紙にもっちりと吸い付き印影がはっきり写し出された。少しだけ捺すのが楽しい。

「香墨さんのも大丈夫そうですね」

 狐月は仕上がりを確認すると腰の方はどうですか、と少しの雑談をしてすぐにスタスタとお店を出ていってしまった。ここもツケなのか?

「え、お代は?」

「それなら朝僕が先にお支払いしておきました」

「いつの間に。いくらだ」

「大丈夫ですよ。それは僕からのプレゼントです」

「えぇ……貰う謂れもないし、じゃあ今度払うよ」

「香墨さんにはお仕事の協力してもらってますから。一緒にお仕事頑張りましょうね」

 この男はどこまで面倒見がいいのだろう。そんなにこの村を好きにさせたいのか?

「まぁ…じゃあ有り難く頂くよ」

「はい」

 満足気に答えた狐月がのんびり歩く。夕暮れには早いが、今から何かするには少し遅い。気付けばそんな時間になっていた。結局丸一日、俺の用事に付き合わせた形だ。

「小腹が空いたな。そう言えばさっき通った店に、秋限定サツマイモのソフトクリームって書いてあったような」

 隣を歩く狐月がピクッと反応する。そわそわとし始める姿が犬っころにしか見えない。

「どうする?」

 狐面の下でこっそり口を端を上げながら尋ねてみる。目を輝かせながら――面で目はほとんど見えないのだが――喉元まででかかっている「行きたい」に変わる言葉を探しているようだ。素直に言えない葛藤がだだ漏れである。その姿が面白くてつい笑いが零れた。

「くっくっ」

「あっ、もしかしてわざとですかっ」

「いやぁ? ちゃんと君の意向を聞こうと思っただけだよ」

 ぶー、と膨れる私服姿の巡査を横目で見ながら喫茶店の前で足を止めた。

「少し休憩してこうか」

「! はいっ」

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狐面村-香墨はまだ定住しない 霞月楼 @kagero75

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