12(終)

「そう言うなって。乗りかかった船じゃねぇか」

「やだよ、面倒くさい」

「だってお前がやった方が早いんだろう? 今度旨い酒持ってくから」

 騒がしい話し声に意識が浮上する。狐月が目を薄く開けると見慣れた天井だった。

(交番…。この声はサクラ先輩と…)

 どれだけ眠っていたのか。体が固まっているのを感じながら身を起こした。右のこめかみに痛みが走ったと同時に込み上げるような嘔気に襲われる。急いでトイレに走るが、出るのは熱い息ばかりだった。

――コンコン

 開けっ放しのドアから控えめなノック音が聞こえた。

「よう。大丈夫か」

「おつかれさまです…。香墨さん、来てるんですか?」

「ああ。今交渉中だ」

 ふらつきながら仮眠室から1階に降りると、お茶を啜っている香墨が目に入った。見た感じ怪我はなく元気そうだ。

「おはよう」

「僕、どうやってここに?」

「別件でバケモン見たって通報受けてな。祠に行ってみたら、こいつとぶっ倒れてるお前がいたんだ」

「化物なんてひどいなぁ。俺の可愛いペットなのに」

「はは、事情知らなきゃバケモンに見えるだろうよ」

「俺じゃ君を担げないからねぇ。丁度いいから運んで貰ったってわけ。まだ起きてるのは辛いだろう?」

「そうですね…でも大丈夫です。すみませんでした、途中で倒れてしまって」

「丸一日寝た上、真っ青な顔で何が大丈夫だ。大人しく上で寝てろ」

 サクラに背中をぐいぐい押されながら背中越しに振り返ると、香墨が小さく手を振っていた。

「おやすみ」


 翌日。秋空が気持ちの良い朝だ。香墨は最後の小瓶をトランクにしまうとゆっくりと立ち上がり、部屋の中をぐるりと見回した。ここに来た時と変わりない、がらんとした室内。

「思ったより早かったけど…まぁいいか」

 姿勢を正し二拍手一礼をし、お世話になりましたと述べる。最後に、先日入った定食屋に行こうかとも思ったが金がない。幸いここは豊かな山であるし、探せばなにかあるだろう。ゆるりと村長の家に向かう。時間はかかるが取られた文字は放っておいても自然と元の場所へ戻るだろう。いつも町を出るときはどこかスッキリするような感じがするのに、今日は何だかもやもやする。もやをかき消すような、元気な朝の家族の声が聞こえてきた。

「遅刻するよ」

「やっべ、いってきまーす!」

 家族が元気なのは村が元気な証拠だ。

「香墨さん。おはようございます」

「…?」

 デジャブを感じつつ振り向くと、にこにこした狐月が立っていた。面で表情は見えないが、あるはずのない尻尾が大きく揺れている。昨日の今日でもう回復したんだろうか。

「おはよう。もう体はいいのかい?」

「はい! しっかり休ませてもらいましたから」

「それは良かった」

「これからどちらへ?」

 不思議そうにトランクを見ながら訪ねてくる。正体不明のもやもやが大きくなる。

「ん? あぁ、ちょっと村長の家にね」

「場所わかりますか? 案内しますよ」

「大丈夫だよ。…」

 続けて言おうと思った言葉が喉元で詰まってしまった。いつもならもっとさらっと言えるのに。狐月は急かすでもなく、どうしましたか?とでも言うように続きの言葉を待っている。


「この村を出るよ」


「コノムラヲデル…? この村を、出…え?!」

「君には色々助けられたよ。ありがとう。それじゃあまた何処かで」

 面があって良かった。今はあまり顔を見たくない。目線を合わせないよう踵を返す。この感覚はなんだろう。背中から出てるなにかが引っ張られているような変な感じ。

「待ってください」

 腕を捕まれそれ以上進めなくなった。布越しの体温が温かくて、余計に顔を向けられない。

「いやです」

「…」

「香墨さんが出ていくなんて聞いてません。甘味…食事する約束だってしたじゃないですか。村の何処が気に入らなかったんですか?」

 また名前を呼ぶ。名前を呼ばれるのは苦手だ。呼ばれるたびに縁(えにし)が出来る。細い糸が集まって太くなるように縁が強くなってしまうような気がして。町を出るごとに名前を変えていた。香墨という名前だって本名じゃない。それでもそう感じでしまう。

「特にないよ」

「じゃあ何で」

「うーん、なんでかなぁ」

「ならもう少しくらい…。香墨さんがいなくなるのは、寂しいです」

 そう思っているはずなのに、少しずもやもやが晴れていく。

「それにサクラさんが言ってましたよ? 香墨さんはすごく協力的で文字を元通りにする任も快く受けてくれたって」

「へ?!」

「しかもその話を村長さんにしたら、なんと! 任務遂行まではあのお家の家賃免除してくれるんですって。これでお金が無くても雨風は凌げますね」

「あんの野郎…」

「警察からも少しですが謝礼が出ると聞いてます。だから−−」

 狐月の声が少し優しくなった気がした。

「おうちに帰りましょう?」

「…かえる…」

 いつの間にかもやもやは何処かに消えていた。僕が持ちます、とトランクが手から離れ少し先を行く背中をじっと目で追う。胸のあたりに違和感を感じる。これが何なのか今はよくわからない。

「終わったら出てくからね」

「その頃にはきっとこの村が大好きになってますよ」

「どうだろうねぇ」

 勝手に仕事を押し付けられたのは腹立たしい。が、少しの間だけこの住民が狐の面をしている不思議なこの村に留まって見ようと思う。

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