山賊大名 小舟木勘三郎能隆

藤瀬 慶久

山賊大名 小舟木勘三郎能隆


 1568年(永禄11年)9月 近江国蒲生郡観音寺城




【織田勢 愛知川対岸に布陣】


 報せを受けた小舟木こふなき勘三郎かんざぶろう能隆よしたかは六角氏の召集に応じ、父・玄番げんば能吉よしよしと共に蒲生郡小舟木郷より馳せ参じていた

 勘三郎十五歳 初陣だった


 従えるのは小舟木郷の兵五十

 その兵は父が率いて箕作城に籠っていた

 勘三郎は側近の二人と共に観音寺城の弓隊の一人として配置されている

 勘三郎は近郷では音に聞こえた弓の上手で、槍・刀の扱いも人並み以上だった



(織田はまた明日攻めてくるじゃろう)

 そう思いながら勘三郎が観音寺城内に腰を下ろした時、遠くで争う音と鬨の声が聞こえた

「夜襲だ!箕作城に織田勢が夜襲を掛けてきたぞ!」

「こちらも夜襲があるかもしれん!皆夜襲に備えよ!」

 俄かに辺りが騒がしくなった


(夜襲などと本気か?今日一日戦ったばかりではないか)

 そう思ったが、現に箕作城の方から火の手が上がっていた

 織田はよほどに元気者の集まりらしい

 慌てて勘三郎も配置に付いた


 だが、その夜観音寺城には夜襲はなかった



 一晩明けると箕作城は落城

 和田山城も開城し、守り切れぬと悟った六角義治は観音寺城を脱出する

 勘三郎も義治に従って城を落ちる

 …

 …

 …

 はずだった




「ここはどこじゃ?」

「守山宿ですな」

「何故こうなったのじゃ?」

「殿が行先も確認せずに突っ走るからです」

「…六角様は?」

「わかりませぬな」


 勘三郎は盛大にため息を付いて腰を下ろした

 中山道の守山宿

 その近くの土手だった


 そう

 箕作城に籠る父や小舟木郷の者たちを心配しつつ、六角義治に従って城を脱出した勘三郎主従だが、義治の行先を知らず落ちた方へ歩き、翌日に守山宿へ到達していた


 従う者は側近の二人

 能見山のみやま新太郎しんたろう景幸かげゆき

 真野まの太兵衛たへえ正伸まさのぶ


 能見山は十歳上の二十五歳

 真野は一歳下の十四歳


 二人とも小舟木郷の出身だった


「ともかく、六角様の行先を知らねばどうにもならん。能見山、ちと守山宿の者に行先を知らぬか聞いて参れ」

「嫌ですよ。殿が行かれればいいでしょう」

「はぐれて迷ったなどと恥ずかしくて言えぬではないか。能見山が聞いて参れ」

「い・や・で・す!殿がご自分で聞かれればよろしい」

「…」

「…」

「能見山ぁぁぁぁ!!そこに直れぇぇぇぇぇぇ!!」

「誰が迷ったと思っているのですかぁぁぁぁ!ご自分の尻はご自分で拭かれるのが筋でございましょぉぉぉぉ!」

 いつもの事だが口調以外はとても主従と思えない口喧嘩に、真野は顔を手で覆った


「二人ともやめてください。今は争っている場合では…」

 言いかけて真野が言葉を失くす

 勘三郎と能見山が不審に思って真野の見ている方に顔を向けると、織田の木瓜旗を背に差した足軽たちが次々と中山道を下ってくるところだった


「「「うぉわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」

 三人は織田勢と反対方向に走っていった




「はぁっ はぁっ はぁっ」

 三人で呼吸を整える

「ここは…ぜはっ どこ…ぜはっ じゃ…こひゅっ」

「瀬田…ぜはっ 川…ぜぃ を…ぜぃ 越え…こひゅっ た…うぉえ」

「落ち…はぁ つい…はぁ て…はぁ」


 ようやく呼吸を整えると三人は状況を確認した


「ここはどこじゃ?」

「瀬田川を越えたところまでは覚えていますが…」

「何故こうなったのじゃ?」

「織田の追手がかかったのです」

「…六角様は?」

「わかるわけないでしょう」


 三人が居るのは瀬田川の対岸

 現在の大津あたりだった

 もちろん、織田の追手などではない

 彼らは織田の上洛ルートに沿って逃げていただけのことだ


 そして疲れを抱えて野宿をした翌日

 三人は船で琵琶湖を渡る織田軍を目にした


「「「のぉぅわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」」

 三人は再び全力で走った

 今回は北に進路を取ったため、『織田の追撃』に遭わずにすんだ

 しかし、山中へ逃れたため完全に方角を見失っていた



「ここはどこじゃ?」

「わかりません」

「何故こうなったのじゃ?」

「わかりません」

「…六角様は?」

「わ・か・り・ま・せ・ん!」


 三人が逃げ延びたのは比良山系の山中 現在の南比良の辺りだった

 山道をもう少し北へ行けば朽木谷

 湖岸に下りて北に向かえば高島郡

 そのあたりだった


「あ!二人とも見て下さい!家がありますよ!ここがどこか聞いてみましょう」

 山を一つ越えて沢の方へ下ると、途中で少し開けた土地に家があった

 マタギか木地師の集落だろうか、家が五軒ほど建っている

 少し朽ちていて、板葺きの屋根の上に草が生えているのが気になったが…


「ごめんください」

 真野が訪いを入れるが返事がない

 開けてみると無人だった


「どうやら打ち捨てられた集落跡のようですな」

「住民はすでにどこぞへ引っ越した後じゃろう」

「まあ、雨露をしのげます。少しの間織田の追撃から身を隠させてもらいましょう」


 三人はうちの一軒に入ると腰を落ち着けた

 有難いことに囲炉裏があったので、火を起こすことにした

 家の周辺の木の下から着火剤となる枯葉と柴木を調達する

 火打石を打ち合わせて火を起こした


「ぶほっ ぶほっ ぶほっ 能見山。生木を混ぜおったな」

「げほっ げほっ げほっ そうそう都合よく枯柴があるものですか」

「げほほっ げほほっ まあまあ、とりあえずこれで湯が沸かせます」

 木は乾燥させずに燃やすと煙がスゴイのだ


 民家の跡なので鍋釜の類はなんとか見つけた

 集落跡には生活用の川も流れている

 器は竹藪があったので竹を切って洗い、簡易の椀と箸とした


 うん。なんとか生きていく設備は整ったようだ


「それぞれ腰兵糧はあと何日分残っておるか?」

「皆同じく残り三日分でしょうよ」

「まあ、一緒に行動してますしねぇ」

「兵糧を食い尽くせば、あとは芋茎ずいきくらいだのぅ…」


 足軽が腰に巻いている縄は、軍事行動中には縄として使い、いざという時は非常食になった

 縄の正体はサトイモやハスイモの茎だ

 茎の皮を剥がし、茹でた後水にさらしてアクを抜く

 その後味噌や塩などでゆでて味付けをし、十分に出汁を吸ったところで干して乾燥させる

 その茎を結って縄にして腰に巻くのだ

 必要分だけ切り取って茹でれば、出汁が出てずいきのスープの出来上がり


 しかしこのずいき、酢味噌などで味付けしなければそんなに美味うまいものではない

 何はともあれ、まずは食料調達だ!





 1568年(永禄11年)9月 近江国滋賀郡比良山中





「む…」

 逃走劇から一夜明け、目を覚ました小舟木勘三郎は隠れ家の廃屋から外に出ようとした時に何者かの気配を感じた

 そっと外を伺う

 一頭の鹿が集落の下草を食んでいた


(廃村となって長いのであろう。鹿の餌場になっておる)

 勘三郎は弓を持つと気配を殺して矢をつがえる


 ヒュッ


 ピィィィィィィィィ!



 矢が鹿の左肩の下あたりに吸い込まれた

 狙い違わず鹿の急所を直撃した


「お見事です!」

 真野が勘三郎の後ろから声を掛ける

「ぅお!?起きておったのか!」

「ええ、『む…』のあたりから」

「驚かすでない!」


 ともかく鹿を確保しに外へ出ると、能見山も起きてきた

「相変わらず弓の腕は見事ですな」

「………褒めておるのじゃな?」

「ええ、もちろんです」

「…左様か」



 能見山は年長だけあって牛の解体のやり方を知っていた

 しかし、知っているだけでやったことはなかった


「牛も鹿も似たようなモンだろう」

 まあ、確かに似てるのかもしれませんがね…


「確かここに刃を入れて…」

「ああ、骨に当たって刃が止まりましたよ」

「強引に切ればいい。フンッ!」

「見苦しいのぅ…血が沢山出ておるではないか」

「関節に刃を入れねば駄目なのではないですか?」

「うるさい。切れればいいのだ切れれば」

「「…」」



 三人は結局一日がかりで鹿を解体し終えた

 一日の労働でクタクタになったが、その分夕餉の期待に胸を膨らませた三人はいそいそと囲炉裏前に集まった

「では、頂くとしようか!」

「「いただきます」」

 囲炉裏の火で焼いた鹿肉は疲れた体に染み入る美味さだった

 例え塩も振らない素焼きであったとしても、まともに食い物を食うのは二日ぶりだ

 たちまち鹿肉を一頭の半分ほど平らげた三人は人心地ついた


「殿、どちらへ?」

「喉が渇いた」

 勘三郎が鹿のスネ肉片手に出入り口の方へ歩いていく

 戸に手を掛けようとしたその瞬間、戸がひとりでに開いた


 ガラッ

「きゃぁぁーーーーーーーーー」

「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!」

 二十歳頃の娘が悲鳴を上げてへたり込む

 勘三郎は大きく尻もちをついてひっくり返っていた


 能見山と真野が素早く主君の方へ動いた

「殿!なんともったいない!鹿肉を落としてしまったではありませんか!」

 能見山がスネ肉を拾う

「娘さん。大丈夫ですか?ここの住民の方ですか?ここがどこかわかりますか?」

 真野が娘を介抱する

「お主ら…ちっとは主君の身を心配せんかぁぁぁぁ!」

「「殿は大丈夫でしょう」」



 娘がひきつった顔をして見ていたが、はっと気づくと急いで逃げ去った

「ああ…行ってしまいました…」

「元の住人であろうか。しかし若い娘が一人でこんな山奥へのぅ…」

「殿よりは年上に見えましたな…」

「…」




 逃げ去った若い娘

 武田忍びの鈴は木陰に隠れて様子を伺いながら心の中で舌打ちしていた


(ここの隠れ家に落ち武者が居付くなんて)


 巧妙に廃屋に偽装しておいたが、床板をめくれば地下室があり、食料や各種の薬・道具類などが隠してある

 京での情報収集の拠点にしている宿だった

 ここの拠点は鈴が独自に整備したもので他の仲間は知らないはずだ

 つまり応援が来る見込もない


(しばし見張るか…)


 できればここで騒ぐのは控えたかった

 隠れ家が他の誰かに見つかればまた新たに拠点を作らなければならない

 面倒だった


(幸い蓄えているものには気づいていないようだし…)

 少し考えた後鈴は闇の中に身を潜めた




 -翌日-



 勘三郎たち三人は、この廃村が鹿の縄張りになっていると当たりをつけ、周辺の痕跡を探した

 首尾よく足跡と糞の跡を見つけて追跡し、鹿の水飲み場になっているであろう地点を探し当てた


「ぬふふふふ ここで待てば鹿がやって来るじゃろう」

「あ、どんぐり」

 真野がしゃがみ込んで拾った

「回して遊ぶか?童の頃はよく遊んだものよのぅ」

「どんぐりは食べられるのですよ?私は童の頃によく食べました」

「真か?」

「ええ、米ほどおいしくはないですが」

「この際贅沢は言えん。六角様が再び起たれる時まで我らはここで雌伏せねばならんのだ。真野はどんぐりを拾い集めよ」

「はいな」

 真野が離れて拠点に向かって歩き出す


「拙者も拾い集めましょうか?」

「仕留めた鹿を一人で運べと言うのか?」

「…」



 しかし、その日鹿は現れなかった…



「今日の収穫はどんぐりが一抱えか…まあ食べてみるか」

「一回茹でてアクを抜けば食べられますよ」

「どれどれ(モグモグ)………ふむ………」

「まずいですな」

「能見山!滅多なことを申すでない!食べられるだけ有難いと思おうではないか」

「まあ、こんなものです。鹿肉の残りも焼きましょう」


 今日は狩れなかったので鹿肉は四分の一頭残した

 今更ながら食料は貴重だ

 勘三郎たちは知らないが、床下には一石ほどの米が埋まっているのだが…



(まだ出ていかない…)

 鈴は隣の廃屋で見張りながら焼いた鹿肉を頬張っていた

 昼のうちに失敬しておいたのか


 三人と一人の奇妙な共同生活が始まっていた



 -その翌日-



 勘三郎と能見山は夜明け前から鹿を狙いに行った

 真野はどんぐりと食べられる野草を採集していた

 真野の家は貧しく、食べるものが少なかった

 そのせいで『食べられる物』に関する知識は三人の中で一番豊富だった


 勘三郎と能見山はなんと今日は2頭の鹿を仕留めて帰ってきた

「数日は食料に困りませんね」

 真野は上機嫌だった

 正直、小舟木郷に居る時より食糧事情が豊かだったからだ



「もうすぐ冬が来る。明日は狩りに出ず肉を干して保存用にするかの」

「(殿にしては珍しく)良き御思案ですな」

「そうじゃろうそうじゃろう。わっはっはっはっは」



(まだ出ていかない…ていうか居付く気?)

 鈴は炒ったどんぐりをつまみながら鹿の薄切り肉を堪能していた



 -さらにその翌日-



 勘三郎は鹿の解体

 真野は採集

 そして能見山は矢を作っていた

 今のところは観音寺城を落ちる時に持っていた矢が残っているが、折れたりすれば補充が効かない

 矢竹を切り出して陰干しし、乾燥させてから矢じりを付けていく

 羽根は再利用できた

 戦場と違い、逸れた矢を回収する暇は十分にあった



 狩猟担当…勘三郎

 採集担当…真野

 工作担当…能見山


 奇跡のバランスで狩猟採集生活を成り立たせていた



(……………モグモグ)

 つまみ食い担当…鈴



 -さらにさらにその翌日-



(今日で五日目…もう我慢も限界…)


「ちょっとあんたたち!」

「「!?」」

 勘三郎と能見山が突然の声に驚いて振り返った


 能見山は解体した鹿皮をなめして床具を作り

 勘三郎は薄切りにした鹿肉を莚を出して干していた


「何奴!?…この前の娘ではないか」

はあたしんなの!いつまで居付く気!?」

「そ…そうなのか…しかし我らは織田に追われておる身。もうしばしここに逗留させてはもらえまいか?」

「まあ、いいけど…(害はなさそうだし)」


「ところであなたは何やってるの?」

 鈴が勘三郎を指さして訪ねる

「鹿肉を干しておるのだが…?」

「そうね、切ったの鹿肉を干してるに見えるけど?」

「…違うのか?ほしいいはそれで出来るであろう」

「ああ、もう…」

 鈴は指を眉間にあててうつむいた


「ちょっと待ってなさい!」

「?」



 しばらくして鈴が塩水を持ってきた

「これに半刻(一時間)ほど漬け込んでから干すのよ!そうしないと腐るの!」

「なんと!よく知っておるな!」

「逆になんで知らないことをやろうと思ったのよ」

「為せば成るという言葉を知らんのか」

 勘三郎が胸を張った

「………はぁ」

 深くため息をついた鈴は、勘三郎と一緒に干し肉作りに取り掛かった

 囲炉裏の上に肉を干し、続いて燻製も作った

 冬ごもりの準備が着々とすすんでいくのだった



 つまみ食い担当改め保存食担当…鈴




 1570年(元亀元年) 6月  近江国滋賀郡比良山中




「かかっておるか?」

 能見山が設置した罠をしゃがみ込んで確認する

「いいえ、巧妙にかわされたようです」

「ぬぅ……鹿てきもさるものよ…」


 新たに鈴を加えた小舟木一統4名は、連日食料確保のため狩りと採集に追われていた

 もはや下界の情報を仕入れる考えは勘三郎の頭になかった

 今や完全なマタギである



 鈴の発案で鹿の腸を乾燥させてより合わせ、頑丈な紐を作っていた

 鹿の通り道に輪っかにした紐を仕掛け、鹿が足を引っかければ次の跳躍で輪が締まり、抜け出せなくなるというものだ

 だがこの罠、あくまで『運良くひっかかれば』という条件つきのもので、仮に罠にかかっても鹿が強引に進もうとしなければ締め上げることはない

 最初のうちは何頭か捕獲することができたが、最近では鹿も知恵をつけてきたのか、足を入れても慎重に外して罠をかわすということをやっていた



「やむを得ぬ。ちと辺りを探って1頭でも持って帰るとしよう」



 狩猟採集生活は、コツさえつかめば割と長続きするらしい

 沢山の人間を食わせるのは難しいが、食べる口は4人だけなので数日に1頭という成果でも十分に成り立っていた

 もう丸1年以上この山に籠っている

 勘三郎と能見山はたくましい髭面となり、髭の薄い真野も日焼けして精悍な顔つきに変わっていた

 鈴は二か月に一度ふらりとどこかへ出かけ、一月くらいするとまた戻ってくるという生活をしていた

 そのせいか、4人の中では唯一きれいな身なりをしていた



 - 数日後 -


 ドォォォォォォォォォ!


 早朝よりぜんまい狩りに余念がなかった3人に山中に響き渡るような馬蹄の音がこだました


「敵襲か!?」

「六角様の援軍かもしれませぬぞ?」

「我らがここに落ちていることをご存じなのでしょうか?」

「…」



 およそ半日ほど馬蹄の音にキョロキョロしていた3人だが、敵の姿も見えないので村に戻ることにした

 馬蹄の音は金ヶ崎から撤退する織田軍の足音だったのだが、朽木谷から京へ続く鯖街道は比良山から山2つほど奥にある

 音はすれども姿は見えずで不思議と勘三郎たちは誰にも会うことはなかった



 まあ、ギャグ小説ですし…



 - 翌日 -



 山菜取りの翌日は鹿を狩る

 もはや手慣れたルーティーンだ


「おおおおおおおおおおおお!!!」

「これは素晴らしい!」

「昨日のあの音は山の神様からのお恵みだったのでしょうか」


 設置した5つの罠全てに鹿がかかって鳴き声を上げていた

 織田軍に驚いて逃げようとしたんだろうか

 勘三郎たちはホクホク顔で鹿を1頭づつ仕留めてから持ち帰った



 - 一月後 -



「…米が食いたい」

「はぁ!?アンタ状況わかってんの!?」

「うるさい!こう毎日毎日肉と山菜ばかりでは辟易するわ!わしは米が食いたいのじゃ!」

「あきれた…」

 鈴が勘三郎のわがままに眉間を押さえる


 結局鈴がため込んだ米も勘三郎たちにバレてしまい、昨年一年間は米を節約しつつもストレスが溜まりきらないくらいには米を食っていた

 しかし、この春に最後の米を食い尽くし、今は三か月も米のない生活を送っていた



「保存用の塩も品薄になっているし…困ったなぁ…」

「ほらほら殿、栃餅あげますから」

「モグモグ……うまい…」

「鹿ばかりじゃなく、遠出をしてウサギやタヌキも狙ってみますか。殿も味が変われば多少は落ち着くでしょう」

「そうじゃのう…」




 - 翌日 -




 鯖街道を一人の商人が牛の背に荷を乗せて京へ向かっていた



 ドスッ



 突然商人の足元に矢がつき立つ


「能見山!お主が背に当たるから矢が逸れていってしまったではないか!」

「羽根は貴重なので回収していただきたいですなぁ」

「え~と確かこの辺に飛んで行ったかと思うのですが」


 ガサガサと葉をかき分けて、商人の目に飛び込んできた3人のいでたちは

 動きにくいので鎧を脱ぎ、竹の脛当てと鹿皮の帷子を着込み、鹿の皮の羽織を着て麻布で額に鉢巻をしている

 2人は髭面で、3人とも日焼けと垢で真っ黒な顔だ


 そう、どこからどう見ても立派な山賊から矢を放たれたのだ



「ひっひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」

 商人は命一つだけ持って一目散に逃げ出した


「あ、これ、牛を忘れておるぞぉ~~~~」

「行ってしまいましたな」

「なかなかに粗忽者よのぅ。届けてやるにもどこに持ってゆけば良いのか…」

「荷は何ですかねぇ?」

「こ…これは!」


 牛の背には一俵(約四斗)の米と塩漬けの鯖がこれも俵に入って括り付けられていた


「米じゃ!米じゃぁぁぁぁぁぁぁ!」

「盗んだらどろぼうですよ、殿」

「ぬぅ…しかし、ここに打ち捨てていっても鳥のエサになるだけじゃろう…」

「まあ、それはそうでしょうが」

「なに、無駄になる食べ物を有効に使ってやるのじゃ。御仏にも通ずる尊い行いと思えば良い」

「久々にお米が食べられますねぇ」


 言葉とは裏腹にホクホク顔の3人は牛を連れて村へ戻った

 夕食は米と焼いた塩サバとゼンマイの汁と鹿肉の串焼きだ



ほぉうひえばそういえばひはにふははまる鹿肉が余るほはらはのならさ…」

「…ちゃんと食ってから話さんか」


 串焼き肉を飲み込んでから鈴が口を開く


「そういえば鹿肉が余るのならさ、市に持って行って米と交換すればいいんじゃない?」

「む…しかし我らは織田に追われておる身。人里に下りては里の衆にも迷惑を掛けることになろう」


「……私が行ってこようか?」

「米を!米を!」

「酒!酒が必要だ!」

「味噌と瓜や大根の種なんかもあればうれしいですねぇ」

「わかったわかった。あとでひとつづつ聞くから」



 かくして小舟木一統は『交易』を覚えた




 1571年(元亀2年) 9月  近江国滋賀郡比良山中




「ごめんください」

 比良山中の小舟木一統のアジトに百姓風の男が2人と女が1人訪れていた


 ガラッ

「どちら様でしょう?」

 真野が戸を開けて来訪者を確認する

「ここはどなた様の村なのでしょうか?」

「小舟木勘三郎様が逗留されています。あなた方は?」

 聞けば織田に焼き討ちを受けた堅田から逃れてきたらしい



「織田に追われておるのは我らも同じ。見捨てるわけにはいかぬな」

「しかし、口が増えれば食料が不足する恐れもありますが」

 能見山が懸念を口にする


「畏れながら、集落には畑もあるように見受けます。私は百姓ですので農作業はお任せいただければ、食い扶持くらいは確保できまする」


 商人から上納(?)された牛は能見山が木製の牛耒うしすきを作り、鈴が種を調達して真野が畑を耕していた

 米作りには水源が足りないので断念していたが、その代り瓜・大根・菜・豆・粟・稗・里芋など貴重な食料生産地となっていた


「わしは野鍛冶ですじゃ。農具や鍋釜などはお作りできますし、炭の焼き方も心得ておりまする。決して足を引っ張るようなことはいたしませぬ」

「こう言うておるのじゃ。敵を同じくする者同士、ここは助け合っていこうではないか」

「まあ、殿がそうおっしゃるのであれば…」


「「「 ありがとうございます!お頭! 」」」

「………殿と呼べ」



 こうして、我らが小舟木村に新たな住人が加わった



 畑作担当…孫六(25歳)元百姓

 鍛冶担当…太兵衛(50歳)元野鍛冶

 雑務担当…すえ(22歳)孫六の妻



 孫六とすえに1軒と太兵衛に1軒の空き家をあてがい、都合3軒の集落へと進化した

 鈴は最近では1か月滞在して2か月留守にするという生活に変わっていた




 1572年(元亀3年) 9月  近江国滋賀郡比良 白髭神社




「やはりこのお社の景観は素晴らしい物があるのぅ」

「ええ、真に心洗われる気持ちです」

「今年も豊作だといいですねぇ」


 勘三郎・能見山・真野の3人は琵琶湖畔に建つ白髭神社を参っていた

 他にも参詣者がいて、ヒソヒソと話し合っていたが特に気にせずにいた

 近江の白髭神社は沖島を背にした琵琶湖中に鳥居が立ち、『近江の厳島』と称される美しい神社だ



 神社の近くには市がある

 孫六とすえに交易を託していた勘三郎たちは、太兵衛の焼いた炭と鹿肉・鹿皮・キノコ類を主な交易品として市で売り、米・麻・塩・鍛冶材料の鉄を調達させていた

 しかし、最近では大胆にも自分たちも里へ下りて市を物色し始めていた

 見た目がなのでほとんどの人には怪訝な顔をされたが、唯一西川という行商だけは機嫌よく相手をしてくれた



「これは何かの?」

「蚊帳というものです。夜眠る時に虫が入らず快適ですよ」

「ふぅむ…………一つもらおうか」

「ありがとうございます」

「殿、そんなものを買ってどうするのです?」

「良い考えがあるのじゃ」


(良い考え?眠る時に使う以外何があるのだろう?)


 行商人 西川甚左衛門は疑問に思ったが、深く突っ込むことを控えた




 -その夜-



「すえよ。この蚊帳という織物、だいぶ丈夫に織ってある。これなら、人の一人や二人持ちあげることもできるのではないか?」

「ええ、しっかりした作りですね。でも何に使われるのです?」

「猪を捕まえる罠にできぬかと思うてのぅ」

「猪ですか。正面から当たられれば破けると思うのですが…」

「わしが引き付けるゆえ、地面に敷いたこの蚊帳の上に来た時に、上に引っ張って吊り上げればどうじゃ?」

「やってみなければなんとも…」

「では、やってみよう!」


 勘三郎は乗り気だったが、能見山と真野は眉間にしわを寄せていた

 勘三郎が張り切っている時は、たいていロクでもないことになるのを承知していたからだ



 最近、孫六の畑を狙って猪が度々作物を食い荒らす被害が出ていた

 確かに猪対策は急務といっていい




 -翌日-




「ぬ お お お お お お お」

「「やっぱり」」


 猪を捕まえる為、地面に敷いた蚊帳を紐で竹に結び、竹を押さえておいてタイミングを計って離す

 蚊帳の網が空中に吊り上げられ、猪を捕まえる




 はずだった






「殿、何やってるんです」

「能見山ぁぁぁぁぁぁぁ!!きっさまぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 網の中でもがく勘三郎がそこに居た


 罠の上に立って猪に石を投げて挑発する予定だったが、突進の速さに足が怯んだ勘三郎と罠を発動させるタイミングを計り切れなかった能見山の絶妙なコンビプレイの結果だった

 空中に投げ上げられる勘三郎の尻の下を間一髪で走り抜けた猪は、そのまま比良の山中に走り去っていった



「あの~おかしら、素直に落とし穴を掘ればいいんじゃないかと…」

 孫六がおずおずと進言する

「殿と呼べ。早くそれを言わんか!」


 結局、落とし穴を掘って竹槍を地面から生やした定番落とし穴によって畑を荒らす猪は退治された



「あっぶらみ♪ あっぶらみ♪」


 鈴は猪肉で燻製を作り、今でいう猪ベーコンを心ゆくまで堪能した





 ……果たして六角家の再興は成るのか!?





 1573年(元亀4年) 3月  近江国滋賀郡比良山中





 ゴクリッ


 鈴が沸かした湯を布に含ませ、体をぬぐっている


「こっち来たら殺すからね」

 笑顔でそう宣言すると衝立の後ろで着物をはだけて丹念に汚れを落としていた

 勘三郎は背を向けつつも後ろが気になってしまい、それを見る能見山と真野はニヤニヤと面白そうにしていた


 勘三郎 20歳

 まだ女を知らない初心うぶな男だった


 今まではそんな事は考えなかったのだが、孫六とすえの生活に触発されたのか、相応の年になったのか、最近では鈴が気になって仕方がない様子だった



 冬のある晩、勘三郎が寝ぼけて鈴の夜具に間違って入ったことがあった

 気が付いた勘三郎は思わず抱き寄せようとしたが、いつの間に取り出したのか勘三郎の首筋に短刀を突き付けながら

「そういうのは無しで」

 とけっこうシャレにならない声色で言われたことがあった

 それ以来気まずい雰囲気を(勝手に)感じながら、悶々と過ごす日々が続いていた



「ふん!ふん!ふん!ふん!」

 勘三郎は邪念を払いのけるように刀を振り、身を鍛え続けていた

 精神を鍛え上げれば女子にうつつを抜かす気持ちなど消えてなくなると信じていた


 でも、そういうものでもないですしね…




 - 一月後 -




「ちょっと親戚の家に野暮用があって2~3年ほど留守にする」

 そう言い残して鈴はどこかへ行ってしまった

 勘三郎は落胆したが、引き留めることもできないと思ってそのまま送り出した



(今は勘弁してほしいなぁ。この仕事が終わればね…)


 鈴はそう思いながら岐阜へ向かっていた




 1574年(天正2年) 4月  近江国滋賀郡比良山中




 ヒュッ


 シュッ


 カキンッ


 山の中で鈴と3人の男が対峙していた

(しくじった!存外しつこい!)

 鈴は岐阜を脱出していたが、甲賀の伝次郎の放った忍びの追跡を振り切れなかった


 三対一  男対女


 そんなことで油断してくれそうな相手ではなかった

(手持ちの武器は…棒手裏剣が二本と短刀一振りか…)



 冷静に距離を測る

 三人の男が左に一人 右に二人に分かれた

 すかさず左側の男へ棒手裏剣を投げる

 態勢を崩したところへ短刀を投げる


 ドスッ


 男の右胸に短刀が刺さり、そのまま崩れ落ちた

 左側の男を始末している隙に右側の男の一人が間合いを詰めていた


(やられる!!)


 間一髪体を捻ってかわしたが、右脇腹の辺りを切られた

 反射的に残った棒手裏剣を切ってきた相手の右腕に突き立てる


「ぐっ」


 男がくぐもった声を出した


 好機と見た鈴は血が流れるのもかまわずに比良山中に走った


(勘三郎・能見山・真野…)


 鈴は比良山での生活が気に入っていた

 だが、武田の忍びとしての仕事を果たさねば今度は武田から追手がかかることになる

 このままでは迷惑をかけることになると思いながら、一縷の望みをかけて比良山の小舟木村へと向かっていた

 血の跡を追ってもう一人の男が追って来るはずだが、今は逃げることで頭が一杯だった




 鈴の足に力が入り辛くなってきたころ、無傷の男に追いつかれた

(ここまでか…)

 足を動かしながら、鈴が背後からの斬撃を感じて身を固くした瞬間


 ドスッ


 一本の矢が男の首筋に突き立っていた



 右腕に負傷した男 甲賀の仁助が止血をして追いついてきたが、形勢不利と見て逃げに入った


「鈴!無事か!?」

 激しい痛みの中で、勘三郎に遭えた安心感で鈴は気を失った




 - その夜 -




「すえ、鈴は大丈夫なのか?」

「少し熱が上がっています。まだわかりませんが、今夜は寝ずに看護しますのでおかしらは休んでいてください」

「…殿と呼べ」


 勘三郎はうなだれて囲炉裏の前に座った

 能見山と真野が気遣わしげに勘三郎を見る


「きっと大丈夫ですよ。丈夫なお方ですから」

「…」

「殿ももう休みませんと、貴方まで倒れては我らはどうしようもなくなります」

「…そうだな。二人とも今日はもう休もう」

「「はい」」



 夜具に入っても勘三郎はなかなか寝付けなかった

 心配だったが、今は出来ることが何もない

 とつおいつ思案している間に、夜明け頃に眠りに落ちていた




「痛っ」


 同じ頃、ズキズキした痛みで鈴は目を覚ました

 小舟木の拠点の部屋だ

 助かったのだと理解した

 横を見るとすえがうつらうつらしながら座っていた


「すえさん、すえさん」

「鈴さん!目が覚めたのですね!」

「済まないんだけど、地下室から黒い丸薬を持ってきてくれない?」


 鈴が調合して保管しておいた薬のうち、痛み止めの効果がある丸薬だった

 丸薬を飲んだ鈴は、起きて自分の傷の手当てをした

 痛みはあったが、とりあえずこれで死ぬことはなさそうだと思った

 忍びとして鍛えられた体力に感謝した



「鈴~~~~~!!」


 目を覚ました勘三郎が泣いて抱き着こうとしたが、頬を思いっきり叩いて制止した


そういうのは無しで、まだ傷が痛むから」


 そういうと勘三郎は頬を押さえながら鈴の横におとなしく座っていた

(ありがとね)

 心の中で思った



 信玄の手飼だった鈴は、信玄没後は馬場信春の指図で動いていた

 戦線を離脱した鈴は甲賀の追手と武田の追手がいつ来るか冷や冷やしていたが、追手が来る気配はなく、そうこうしているうちに馬場信春は長篠で討死し、鈴は以後小舟木村を離れることはなくなった





 1578年(天正6年) 9月  近江国滋賀郡比良山中




「困ったことになったのぉ…」

「殿が誰でも彼でも受け入れるからですよ」

「織田を共通の敵とする同志たちなのだ。見捨てることはできぬであろう」

「とはいえ、こう大人数になってくると殿一人では厳しくなってきましょう」

「…まあな」



 我らが小舟木村では村人の数が既に30人を超えていた

 空き家は5軒 各家に可能な限り詰め込んでいたがもう限界だった


 浅井・朝倉の元雑兵達

 越前一向一揆の生き残り

 若狭から逃げてきた農民たち

 などなど


 孫六が差配をして耕作地は振り分けられたが、狩猟の手と住居地が圧倒的に不足していた

 米が作れない山地の集落なので、売れるものは何でも売って米に変える

 栃餅・栗・山菜・キノコ類・炭・鹿・猪・熊などの肉と皮・椀・箸などの木工品・鈴の作る薬・果ては竹を切って竹細工をするなど

 人が増えれば作れるものも増えたが、それらを全て売っても村人の口を賄うのが精いっぱいであった

 しかし、不思議と餓死者が出るような事態になることはなく、食い詰めた百姓兵などは今までで一番楽だと言っていた

 勘三郎は彼らからすれば良い頭領だった



「おかしら、やっぱり住居が足りない。山を開いて家を建てるしかないっすよ」

「…殿と呼べ。春になれば総出で住居を広げるか」

「にぎやかになってきましたねぇ」

 真野が妙にうれしそうに話していた



「獲物も少なくなってきたのぅ」

「若狭や丹波の方へも足を延ばしますか」

「うむ。それと男どもは弓の訓練をさせよ。わし一人ではいくら狩ってもキリがないわ」

「弓一張作るのにどれだけ手間がかかると思ってるんです」

「そこはそれ、弓一張につき酒一升を褒美として遣わすことにしよう」

「………約束ですぞ」

 勘三郎が視線を逸らした



 こうして、10名の小舟木弓隊が組織された

 彼らは勢子ではなく、一人一人が優秀な狙撃手として訓練されてゆく


 …おお、軍記物っぽくなってきた




 1580年(天正8年) 4月  近江国滋賀郡比良山中




「かわゆいのぅ」

 目尻を下げて勘三郎が5匹の瓜坊を可愛がる

 狩りの途中、山からちょろちょろと出てきたので捕まえて持って帰ってきていた

 住居用に開いた土地が余っていたので、柵を作って飼育することにした


「まあ、非常食と思えば…」

「丸々太ってくれれば燻製のし甲斐があるわね」

「いかぬぞ!この子らは運命の子!わしが立派に育てて見せる!」

「…既に情が移っていますな」



 猪と鹿の子供たちを飼育する牧草地を整備し、小舟木一統はいよいよ本格的な山民族へと変貌を遂げていた




 1582年(天正10年) 5月  近江国滋賀郡比良山中




「この竹を…ですか?」

「うむ。何か売り物に出来ぬかと思ってのう」

 西川甚左衛門は、今では行商の途中に小舟木村に立ち寄るほどに親密な間柄となっていた


「竹細工ではいかんので?」

「竹藪を一か所潰したので大量に余ってしまっておるのだ。竹のかごにしてもそんなにほいほい売れる物でもないしのぅ」

「鳥居本の葛籠町あたりでは良い材料ならば引き取ってくれましょう。持って行かれては?」

 葛籠町つづらまちはその名の通り、葛籠や行李が名産品となっていた


「むぅ…しかし我らは織田に追われておる身。軽々に里に出るわけにもいかぬ」

(はて、織田家の敵がまだ近江に残っているとも思えぬが…)

 西川は怪訝な顔をしたが、聞き流して話を続けた


「まあ、一旦預かっていきましょう。何か良い工夫があればまたお伺いした時にでも」

「よろしく頼む」




 1582年(天正10年) 6月  近江国滋賀郡比良山中




 比良山の向こう、京の方角の夜空がかすかに赤く染まっていた

 勘三郎は嫌がる能見山を無理矢理付き合わせて、夜目の訓練と称して木刀で打ち合い稽古をしていた


「何事でしょうか?」

「なあに、でも焼いておるのであろう」

 どんどとは別名左義長という火祭りだ


 こうして稀代の英雄織田信長は『どんど』の炎の中に消えた

 時代のうねりは戦乱の終息へと向かう中で、燃え尽きる前の蝋燭のように一段と激しい戦の気配を濃厚に残していた



「さすが京は派手に燃やすものじゃのぅ」

「あんた達!いつまでやってんのよ!嘉太郎が興奮しちゃって寝ないじゃないの!」

 二年前に鈴は勘三郎の子を産んでいた

 能見山も真野もそれぞれ妻を娶り、のどかな家庭を築きつつあった


 時代のうねりは戦乱の終息へと向かう中で、未だ一部の行商人からしか認知されていない小舟木村は、鈴に尻に敷かれる頭領を微笑ましく思いつつも明日の山菜狩りの準備を着々と整えつつあった





 1584年(天正12年) 6月  近江国滋賀郡比良山中





「ぬっふっふっふ」

 能見山は嫌な予感しかしなかった

 勘三郎が妙にうれしそうに鞍を抱えて山へ帰ってきたからである


「殿、そんなもの何に使うんです」

「馬の鞍?アンタ馬なんて飼ってないでしょうに」

「とうちゃ、うま、かってないでちょ」

「おお、よしよし。嘉太郎はかわゆいのう」

「…ねぇ、話聞いてる?」


 そう

 英雄織田信長の死をどんどで済ませる我らが頭領勘三郎は、騎馬武者にあこがれるアラサー男子だった

 未だ信長の死を知らぬ彼ら(三人だけ)は『織田の追撃』を振り切るために騎馬隊を組織することを狙っていた



「馬も四つ足、鹿も四つ足、馬に出来て鹿に出来ぬ道理があるか?」

「どこかで聞いたような話ですが、それ多分逆ですよ。殿」

「まあ、見ておれい。 鹿太郎~~鹿太郎~~」


 鹿太郎とは彼がことのほかかわいがっている五歳の鹿であった

 嫌がる鹿太郎に無理矢理鞍を乗せ、銜を噛ませ、ひらりと華麗に跨ると


 次の瞬間


 勘三郎はひらりと華麗に宙を舞っていた

 尻を跳ね上げた鹿太郎に豪快に跳ね飛ばされたのだ



「まあ、そうなりますわな」

「はぁ~…が夫でよかったのかしら…」

「根はイイ人なんですよ。お方様」

「まあ、それは知ってるけど…」


 遠く勘三郎の”ぬおぉぉぉぉぉ”という声を聞きながら、今日も小舟木村は平和だった




 1586年(天正14年) 10月  近江国滋賀郡比良山中




「タケノコが…」

 真野がこの世の終わりのような顔をして体育座りでたそがれていた


 出入りの行商人・西川甚左衛門に相談した竹の使い道が見つかったとかで、潰した竹藪だけでは足りずに周辺に5つあるうちの3つまで潰してしまっていた


 そのせいで真野の春の楽しみ タケノコ祭りが、来年の開催を危ぶまれていた



「ええい、メソメソするでない!真野も鹿三郎の世話をせんか!」

 勘三郎は初代鹿太郎の騎乗に失敗し、鹿太郎はそのまま比良の山中へ走り去っていた

 今の鹿三郎は三代目である



「そういう呑気なことを言ってる場合じゃないかもよ」

 いつになく真剣な顔で鈴が勘三郎に話しかける


「んん?どうした深刻な顔をして。」

「ちょっといい?真野ちゃんも」

「うむ」

「はあ…」



 鈴は小舟木村の主だった者を集めた


「昨日高島の市に行ってきたんだけど、そこでちょっと不穏な噂を聞いてきたものだから」

「不穏な噂?」

「ええ…」


 鈴は昨年から産物の交易に参加していた

 一時は武田と甲賀の追手の影に怯えて出歩くことを控えていたが、武田が滅んで3年経った今でも追手の『お』の字も見えない現状に鑑み、徐々に人里に出歩いていた

 甲賀は追手を出す気ならさらに早く出してきていただろう

 襲撃を受けて10年経った今、鈴を追っている者はいないと判断していた



「この辺が比良山中で、山3つくらい超えた先が朽木領だって話は以前にしたよね?」

「うむ。まさかに織田が討たれておったとは衝撃じゃったな」

「高島の市でも、小舟木村ココの存在が徐々に噂になってるらしいの」

「むぅ?今頃になってか?」

「この前西川さんに竹を売ったでしょ?そのせいでずいぶん見晴らしが良くなったと思わない?」

「うむ。うみからのご来光を自宅から拝めるとは思うてもおらなんだ」

 鈴が険しい顔で眉間に手を置いた


「…話を続けるわね。つまり、逆に街道からもこっちが拝めてしまうってことなの」

「それじゃあ…」

「そ。今まで誰も知らない隠れ里だった小舟木村が、近在のご領主様たちの知るところとなってきたってわけ」


 ざわざわざわ…


「で、ここからが本題。噂では朽木のお殿様が、山に盤踞する山賊どもを成敗するって息巻いてるらしいわ」

「なんじゃと~~!!」

「それはいくら何でも…」

「んだ、横暴だべや」


「我らがいつ山賊働きをしたと申すのだ!一方的に山賊扱いとは聞き捨てならんぞ!そうではないか!能見山!」

「…ええ、まあ…」

 能見山の言葉が妙に歯切れが悪い



「ん~~じゃあ、一つ確認ね。あの牛だけど、どこで手に入れたの?」

 小舟木村の耕作奉行、牛の花子を指さす


「…!! あ、あれはとある親切な商人から譲り受けたものであってだな!」

「そ、そうですよ!御仏にも通ずる尊い行いなわけで…」

「まあ、要するに、カクカクシカジカなわけです」

「「能見山!」さん!」


 鈴が盛大にため息をつく

「じゃあ、実際に被害も出てるって話もあながち嘘でもないわけね。しっかしセコい話ね」

「…?どういうことじゃ?」

「10年以上も前の話で、それも被害は1件だけ。明らかにイチャモンつけて領地分捕ろうってことよ」

「ぬぅぅぅぅぅ」

はアンタのおかげでそれなりに産物が揃ってるし、米が取れない以外はまあまあオイシイ村に見えるんじゃないのかな」

「ぬぅぅぅぅぅぅ!許せん!わしが丹精込めた猪次郎(猪)たちの居場所を奪わんとするとは!」

「まず村人の心配をしてください…」



「まあ、ちょっと久々に情報集めてみるわ。すえさん、しばらく嘉太郎をお願いね」

「はい。鈴さん」





 1587年(天正15年) 6月  近江国高島郡朽木谷館





 朽木谷館では朽木谷2万石の領主 朽木くつき信濃守元網もとつなはじめ、主だった者が評定を開いていた



「九州征伐が終わった今こそ、山賊どもを成敗する好機ですぞ!」

 岩瀬又十郎信明が声高に叫ぶ


「しかし、畿内は関白様の惣無事令が出ておる。私的闘争はお家取り潰しの口実となろう」

 全てにおいて慎重派の野尻平八益元が、勇み足をたしなめるように意見する


「野尻殿!そのような弱気で如何する!

 此度は闘争ではない!山賊どもの成敗じゃ!関白様の意に背くわけではござらんぞ!」

「岩瀬殿はそう言われるが、兵を催すのならば、まずは関白様にお伺いを立てるのが筋というものではないのかな?」

「領内の仕置きの問題をいちいちお伺いを立てていては、それこそ領内を治める資格なし などとあらぬ風聞を呼ぶことになろう!」



 評定は主に岩瀬と野尻の言い合いに終始していた

 屋根裏に潜む鈴にも状況は理解できた


(なるほど、要するにあの岩瀬ってのの暴走というか領地欲から出てるわけね…)

 その証拠に、当主朽木信濃守は明らかに気乗りしていない様子だった


「又十郎。被害と言っても10年以上前の事だし、今は彼らの持ち込む産物で高島も多少は潤っておるのだ。そこまで目くじら立てることでもないのではないか?」

 野尻がうんうんとうなずく


「甘いですぞ!きゃつらは鯖街道と西近江路を扼しておりまする!今は実害はないとはいえ、飢えればどのような行いに出るか分かったものではありませぬぞ!」

「う~ん…しかし…」

「産物にて高島が潤うというのなら、きゃつらを成敗した後、我らの手で交易を行えばよろしい!」


(それが岩瀬とかいうのの本音ね…)


「そこまで言うのなら、兵70鉄砲20を貸し与える故お主が率いて行うが良い」

「殿!」

「平八。一度やらせねば又十郎の収まりがつくまい」

「必ずやご期待に応えて見せまする!」


(見えてきたわね。ということはこちらの取るべき手は…)


 鈴は朽木谷館を後にしながら、戦略を練っていた




 1587年(天正15年) 8月  近江国滋賀郡比良山中




 周辺山地の絵図面を前に、小舟木館で軍議が開かれていた

 軍議と言っても、ほぼ一方的に鈴が作戦を伝えていた


「………という事でよろしく」

「よし!任せろ、鈴!」

「ほんとにお願いね。あ、あと太兵衛を借りていくからね」

「うむ。好きにするが良い」

「……最後にもう一度言うけど、くれぐれも殺しちゃだめよ。手負いはいいけど、死人が出ては朽木も引くに引けなくなるからね。いい?」

「ぬっふっふ。任せておけい!皆の者行くぞぉ!」

「「「おー!」」」



 小舟木一統30名

 意気天を衝くばかりであった



 先頭の勘三郎が鹿三郎にひらりと跨る


 ア〇タカーーーーー!


「ん?誰じゃそれは?」


 いえ、なんとなく…



 その後、頭領に続いて小舟木騎馬(鹿?)弓隊10名が後に続く

 その後ろに半弓を携えた総勢20名の弓足軽隊が続く

 堂々たる軍列だった


 ただ一つ、頭領以下全員がおなじみの山賊スタイルでさえなければ…



「お頭!準備整いました!」

 孫六が勘三郎に宣言する


「ぬっふっふ。殿と呼べぃ。

 では!出陣じゃ~~~!」





 一方その頃


 山2つ超えた鯖街道には岩瀬又十郎率いる朽木勢70名が整列していた

 もちろん、本来の意味での、堂々たる軍列だった


「良いか!今から山に入り、不埒な山賊どもを成敗いたす!これは我が朽木領の安全を確保する重要な戦と心得よ!

 かかれぇ~~~!」


 岩瀬の号令一下70名の足軽たちが山を登る

 鉄砲兵20名は足軽隊に守られながら中央付近を進軍した

 お互いに申し合わせたように、共に山一つ越え、谷を越えてまた一つ山を登った所で、両軍が正面から激突した


 先に敵を発見したのは小舟木勢だった

「頭ぁ!朽木兵が反対側を登ってきますぜ!」

「鈴の読み通りじゃのう。では、各々、抜かりなくな」

「「「へい!」」」


「…あ、殿と呼べ!」


 言うが早いか、小舟木騎馬(鹿?)弓隊は勘三郎を中心に散会し、勘三郎は一人で山頂へ向かった


 騎馬(鹿?)にまたがる勘三郎の堂々たる姿は、嫌でも朽木勢の目に入った

「見つけたぞ!かかれぇ~!」

「あの兜首が岩瀬とやらか。ふん!」

 勘三郎が弓を引き絞った

 岩瀬までの距離は約1町(100m)



 …っヒュン!          カツン!






 見事岩瀬の兜の前立てに命中し、岩瀬が思わずのけぞった


「殿!殺してはならぬと鈴殿から…」

「わかっておる!それ故兜に当てたまでよ!」



「うぬぬぬぬ!おのれぇ!山賊風情が!貸せ!」

 岩瀬が鉄砲兵から火縄銃をもぎ取る



 ダーーーン!



 チュインッ!





 通常は鉄砲の有効射程外だが、岩瀬の放った銃弾が奇跡的に勘三郎の頬を掠めた


「あああああ危ないではないか!!!」


「たわけ!貴様らを成敗しに来ておるのだ!者共!かかれー!」

「ヒソヒソ(山登ってんのに一気にかかれるわけないよなぁ)」

「ヒソヒソ(元気なのは岩瀬様だけだよな)」

「やかましい!鉄砲構え!」


 朽木鉄砲兵20名が山頂に向けて鉄砲を構える


「これはたまらぬ。一旦退くぞ」

「逃がすな!追え~~~!」


 ワァァァァァァァ!



 山頂まで登り切った所で異変が起きた

 四方から飛来する矢が正確に鉄砲兵の肩や腿に突き刺さった


 ぐあっ!

 ひいっ!


 山中での鹿狩りに慣れた精鋭の騎馬(鹿?)弓兵からの正確な一撃だった

 一人二射 動きの人間の末端部を狙うことは決して難しくはなかった


「ぬぅぅぅ!奴らの獲物は弓だけだ!おそれず前進しろ!」


 鉄砲兵を残し、足軽隊50名を率いて前進する

 10歩歩いた瞬間、岩瀬の立つ地面が急に上空へ跳ね上がった


「ぬぁぁぁぁぁぁ!」

「ワハハハハ!どうじゃ!蚊帳は丈夫であろう!」

「身を以て知りましたからなぁ」


「おのれ!おのれ!」

 蚊帳生地に包まれ、身動きできない岩瀬を尻目に、50名の歩兵たちも次々と


 ある者は落とし穴(竹槍無バージョン)に落ち、ある者は蚊帳に吊られ、

 ある者は地面と水平に襲い来る竹にスネを強打されてうずくまった


 ぎゃあ!

 ひぃ!

 痛ぇぇぇぇぇぇ!



 もはや阿鼻叫喚の地獄絵図と化した朽木勢を尻目に、小舟木勢は悠々と引き上げていった

 戦場になる地点を予測し、丸三日かけた鈴と有志10名による壮大な要塞化工作の結果だった


「わはははは!今日のところはこれで勘弁してやる!」

「おのれぇぇぇ!山賊どもぉぉぉぉぉ!」

「口惜しかったら明日また来るのだな!」


 散々に打ちのめされた朽木勢は、一旦鯖街道上に引き上げ、翌日の攻撃を期して傷の手当てをしていた

 不思議なことに死者は出ていなかった





 一方その頃



 鈴と太兵衛は小ぎれいな小袖を着込み、一見するとれっきとした武家の奥方とその護衛の体をなして高島郡大溝城を訪ねていた





 1587年(天正15年) 8月  近江国高島郡大溝城





 岩瀬又十郎が勘三郎を噛みつかんばかりに見ていた


 山中の戦いより一夜明け、岩瀬率いる朽木勢は、主人 朽木元網から呼び戻され、勘三郎も鈴に連れられて大溝城の一室で対面していた


 参加者は


 朽木信濃守

 岩瀬又十郎

 野尻平八


 小舟木勘三郎

 能見山新太郎

 鈴


 そして、城主京極高次だった



「此度はご足労いただき忝い。朽木殿がの小舟木を成敗されると聞いて、一体どういうことかと思いましてな」


 京極高次は穏やかな人柄で、常に笑顔を絶やさなかった

 しかし、その言葉を聞いて驚いたのは岩瀬又十郎と小舟木勘三郎の2名だった


「京極様の配下ですと!?この山賊共がですか!?」

「京極様の配下ですと!?この小舟木勘三郎が!?」

 鈴が勘三郎の尻を思いっきりつねって黙らせた



「左様。この通り名簿みょうぶも受け取っておる」

 京極高次が一枚の木片を見せる


『比良山中  小舟木村  小舟木勘三郎能隆   以下参拾名』


「これは…」

 勘三郎が絶句した

 昨日、鈴が京極高次に助けを求め、渡したものだった

 名簿を受け取っている以上、勘三郎は正式に京極家臣という扱いになる



「我が配下に対して軍を催す以上、関白様の惣無事に刃向かうものと受け取られてもやむを得ません。いかが?」

「いや、これは我らが早とちりでござった。てっきり主を持たぬ山賊の類かと思いましてな。

 京極殿、小舟木殿、許されよ」

 元網が頭を下げた


「殿!」

「黙れ、又十郎」

 元網が一喝して岩瀬を黙らせた


「此度の事、こちらの手落ちでござった。詫びて許されるものではないかもしれぬが、出来うるならば今後はよしなにお願いしたい」

 改めて朽木元網が勘三郎に相対して頭を下げる



「お顔をお上げ下され。某は降りかかる火の粉を払っただけに過ぎませぬ。こちらこそ、以後は良しなにお願い申し上げたいと存ずる」

 勘三郎も軽く頭を下げた


「では、これにて此度の事は落着ということでよろしいかな?」

 高次が場をまとめた




 この一言で、小舟木勘三郎を世に知らしめた戦

『比良山中の戦い』が閉幕した





 散会後、別室にて勘三郎一行は京極高次と改めて対面していた


「京極様。此度の仲立ち、ありがとうございました」

 鈴が高次に頭を下げた

「いや、わしも望外に産物を得たのだ。今回一番得をしたわけだからの」


 勘三郎が改めて高次に頭を下げた

「改めて、六角旧臣 小舟木勘三郎能隆にございまする。以後は京極様のお下知に従いまする」

「うむ。ただ、は返しておきましょう」

 高次が勘三郎の名簿札を渡した


「京極様…」

「小舟木は形式上我が配下といたしますが、実質は一郷の独立勢力として立っていてもらう。

 要するに、今後についてはお主の尻は拭かぬということだ。

 それでよろしいかな。鈴殿」

「はい。重ね重ねありがとうございます」


「はっはっは。小舟木殿、胆の据わった良いご妻女をお持ちだ。尻に敷かれぬようにな」

「はっはっはっ」

 勘三郎の乾いた笑いが響いた


 尻に敷かれている自覚はあったようだ



「うむ。一郷の郷士なればいつまでも小舟木村でもあるまいな。以後小舟木村一帯を『堅崎かたさき』と呼ぶことにしよう。

 小さき舟がもやる堅き岬じゃ。いかがかな?」


「堅崎…良き名を頂き、恐悦至極にございまする」

 勘三郎が改めて頭を下げた


「では改めて、堅崎郷の小舟木勘三郎よ。堅崎の地を富ませ、領民を撫育することを任として与える。

 以後、励め」

「ははっ!」



 こうして、我らが小舟木村は正式に京極配下の堅崎郷として世に知られることになった

 堅崎郷は以後、山の産物を扱う里として、商人や移住者を引き受けていくことになる








「鈴のおかげで京極様の家臣となることができた。礼を言うぞ」

「礼はいらないわ。その代りこれから毎年10貫文(約100万円)を京極様へ納めないといけないから、ヨロシクね。お・か・し・ら」

「なにぃ~~~~~~!!」

「それを条件に仲裁を頼んだんだからね。反故にしたら今度は京極様の『討伐軍』を相手にすることになるわよ」

「ぬぅ…」

「はっはっはっ。殿、ますます狩りに励まねばなりませんなぁ」

 能見山が妙にうれしそうに笑った

 六角家臣である小舟木一統にとって、敵対はしていても京極家は六角家と同格、つまり格上という意識があった

 六角家の再起が難しい状況では、京極家臣となることに嫌も応もなかった







「殿、よろしいのですか?あのような山賊共を配下に加えるなど」

 大溝城内で赤尾伊豆守が京極高次と話している


「良いのだ伊豆守。名簿は返したからの。関白様から何か言われても知らぬ存ぜぬで通せば良い」

「しかし、小舟木は京極様の家臣であると申し開きをしましょう」

「なに、わしが認めておらぬと言えば奴らは所詮山賊でしかないのだ。もしもの時は我が手で討伐すればよい」

「はっ…」


 柔和な笑顔の奥に一抹の冷酷さを備えた高次に、赤尾伊豆守はそれ以上の意見を控えた





 1592年(天正20年) 7月  近江国滋賀郡堅崎郷




「おかしらぁ!水が出ました!」

「殿と呼べ!でかしたぞ孫六!」


 我らが堅崎郷では、増える住民の口を賄う為に本格的に米作りに挑戦していた

 現在の人口 250名

 動員可能兵数 150名


 今やいっぱしの郷士以上の勢力を有していた

 人口が200人を超えたあたりで、勘三郎は交易による穀物の入手に限界を感じた。

 生活用の小川だけでは水も足りなくなっていた。

 そこで、本格的に元井戸を掘り、八幡町で実用化された竹製の水道の整備を行い、あわせて灌漑設備にすることを目指していた


 技術指導には元甲賀の忍び 仁助が当たっていた

 鈴は仁助の顔を見た瞬間固まったが、当の仁助は今は八幡町で商家の手代として生計を立てているとのことで、以前の事はお互い水に流してほしいと仁助の方から頭を下げられていた



「元井戸は首尾良く取れそうか?」

「それが…」

「どうしたのだ?湧いた水に不具合でもあるのか?」

「井戸の影響で川の水も増水しまして、水道を引くまでもなく水量が豊富な川になりまして…」

「なんと…まあ、せっかく作ったのだ。農業用水と飲み水を分けて使うことにしよう」




「放てーーー!」


 ダダダダァーーーーン


 先の戦いで鉄砲の威力を知った勘三郎は、朝倉旧臣の山本市郎兵衛を鉄砲組頭に、20丁の鉄砲を運用していた

 鉄砲兵の調練は金がかかるので二か月に一度とし、それ以外は20名に増員された旧小舟木騎馬(鹿?)弓隊を鉄砲隊に武装変更していた


 彼らは平時は優秀なマタギとして堅崎郷の山の産物を支える狩猟部隊である

 必然、山中で動く獲物を相手に高精度な狙撃訓練を常時行うこととなった



 おお… 意外に精鋭部隊っぽくなってきてるじゃないですか。殿




 1595年(文禄4年) 4月  近江国滋賀郡堅崎郷




「皆さん、鍬・鋤の準備はいいですか?」

「「「おお~!」」」


 堅崎郷の採集奉行・真野が並み居る面々を前に意気を上げる

 ここ数年開催できていなかったタケノコ祭りだが、川の治水の為に土手に植えた竹林がようやくモノになり、春には立派なタケノコ産地となっていた


「ぐふふふふ。焼きタケノコにタケノコの煮物。鳥を詰めて焼いてもおいしいですねぇ♪」

「うれしそうね。真野ちゃん」

「お方様。それはもう、春はなんといってもタケノコですから!」

「まあ、おいしいけどね」


 真野も既に40歳を超えていたが、食い意地だけは一向に衰えなかった

 よほど幼い頃の食糧事情が悪かったのか…


 ちなみに現在

 勘三郎 42歳

 能見山 52歳

 真野 41歳


 鈴が最初出会った時20ウン歳だったから…

「女性の年齢としは詮索するものじゃなくてよ」

 あ、はい




 ちなみに、勘三郎の一子 嘉太郎かたろう能継よしつぐは14歳

 今年元服し、本格的にマタギの修行を始めていた

 装束はもちろん、伝統の山賊スタイルだ!



「父上、私も鹿に乗りとうございまする」

「うむ、ならば鹿十郎を遣わそう。大事にいたせ」

「はっ!ありがとうございます!」


 初めて乗る鹿に大きく尻を跳ね上げられながら、嘉太郎も空を飛んだ


「ぬぁぁぁぁぁぁぁ!」

「わっはっはっは」


 …親子ですなぁ




 1598年(慶長3年) 8月  山城国紀伊郡伏見城




内府ないふ殿、お拾の事、くれぐれもよろしく頼みましたぞ」

「お任せ下され。この内府、必ずやお拾君を盛り立てて見せまする」

「なにとぞ、なにとぞ、よろしくお願い申す」



 この年、天下を制した豊臣秀吉が死んだ

 彼が起こした朝鮮出兵は、秀吉の名を乱世の終わりを告げる英雄から、戦を継続させる暴君としての汚名へと変え、民に愛された英雄豊臣秀吉は民の怨嗟の声の中で最期を迎えた

 彼の死と同時に朝鮮へ出兵していた諸将は日本へ帰還し、朝鮮出兵の最中に醸成された武断派と文治派の対立は既に抜き差しならないものへとなっていた




「次はわしの番よ」


 天下への野望に目を滾らせる徳川家康は、大坂城に入ると豊臣政権内部の主導権を取り、一種専横ともとれる独断政治を行っていく

 天下は次なる大乱の気配に満ちていた




 1598年 8月  近江国滋賀郡堅崎郷




「ぬぉぉぉぉぉぉぉ!」


 ドボンッ



「殿!せっかく耕した田が台無しではないですか!」

「うるさい!親に対して生意気ではないか!」

「父上が本気でかかってこいとおっしゃるから…」


 息子の嘉太郎とあぜ道で相撲を取っていた我らが頭領小舟木勘三郎は、息子に投げ飛ばされて派手に田んぼに落ちていた

 一面に水を湛えた棚田の数々は、堅崎郷の食糧事情を大幅に改善していた



「能見山!手を貸せ!」

「まったくもう…」


 ブツブツ言いながら手を差し出す能見山の手を掴んだ勘三郎は、豪快に引っ張った



 ボシャーーーーン!!


「わはははははは!」



 犬神家スタイルで田に突っ込んだ能見山がジタバタと足を動かす

 これはシャレにならないと慌てて嘉太郎と共に救出していると、後ろに炎をまとった鈴と能見山妻女のがあぜ道に立っていた



「アンタたち……誰がその服洗うと思ってんの…?」


 お方様…ニコニコ笑顔が逆に怖いです…







 原型がわからなくなるほど頬を腫れ上がらせた勘三郎たち3人は、仲良くふんどし一丁で川で洗濯をしていた


「殿が巻き込むからこんな目に…」

「やかましい!黙って汚れを落とさんと次はないぞ…」

「父上…母上に勝てる武人は居るのでしょうか…」

「わからん。アレは今やわしでも勝てぬ」

「元々尻に敷かれてたでしょうに」

「うるさい!能見山も他人の事は言えぬであろう!」





 大溝城主京極高次は、1591年(天正19年)に北条征伐の後の領地替えで近江八幡山城を与えられ、その後1595年(文禄4年)7月に滋賀郡大津城6万石の太守となっていた


 堅崎郷はこのまま無事に乱世の終焉を迎えられるのか!?





 1600年(慶長5年) 9月12日  近江国滋賀郡大津城




「殿!城は保ってあと2~3日かと…」

「むぅ…ここまでか…」


 上杉征伐に出発した徳川家康に対し、石田三成が家康留守中の近畿にて挙兵。

 味方を集めて上杉勢と呼応の構えを見せ、東へ向かう家康軍を追撃した

 京極高次は当初石田方西軍へ参加していたが、9月3日に西軍を離れて居城大津城へ戻り、徳川方東軍への参加を宣言していた

 これに怒った西軍の毛利元康や立花宗茂らが大津城を包囲し、壮絶な籠城戦となっていた



「殿~~~!堅崎郷の小舟木より使者が参っております!」

「なんだと?小舟木から?」


 一人の忍びが小舟木勘三郎の文を携えて来ていた



「殿!書状には何と?」

 京極配下の猛将、赤尾伊豆守が尋ねる

「大津城の危機の折りには、城を脱出し堅崎郷へ来られたし と言ってきおった」

「なんと…」

「ここはもう保たぬ。一か八か、包囲を突破して北へ向かおう。

 伊豆守、騎馬隊のみで駆けられるか?」

「200騎であればなんとか…」




 1600年(慶長5年) 9月11日  近江国滋賀郡堅崎郷




「我ら甲賀衆100名、小舟木殿の下知に従いまする!」

 仁助が甲賀忍び100名と共に、小舟木勘三郎の前で膝を付いていた


 大津城の京極高次が包囲されていることを知った勘三郎は、主君の危機を救わんと堅崎郷の兵200と共に出陣の準備を整えていた

 その最中、不意に甲賀の仁助が100名の忍びを引き連れ、勘三郎の元を訪れていた



「仁助殿、一体何ゆえに…?」

「我が主の意志にござる。名は明かせませんが、我が主は徳川殿の勝利を願ってござる。

 ここに居る甲賀衆は、今は百姓や商人・人足などそれぞれ生計を立てておりますが、これが最後の戦奉公と集まった有志にございまする」


 勘三郎は困った顔で頭を掻いた


「しかし、此度は死にに行くようなもの。仁助殿たちを巻き込むわけには…」

「京極様にこっちに来てもらえば?」

 鈴が事も無げに言った


「鈴。しかしここでは大津城以上に守りは難しかろう」

「比良山中の戦いを忘れた?アレをやれば、少なくとも大津城から迎えた京極様を逃がす算段はできるんじゃない?」

「ううむ…しかし…」

「三郎のおっちゃんたちもヤル気だよ」


 三郎とは、甲斐の三郎という鈴の以前の上司だった

 偶然高島の市で再会し、勘三郎に紹介して今は堅崎郷に住んでいた



 甲斐の三郎が進み出る

「我ら旧武田忍び衆。年寄った者ばかりですが、平和の中では生きにくい者が30名は居りまする。

 皆、ひと声かければ明日中にはここへ参りましょう」


「どう?兵200に忍び兵130 結構やれそうじゃない?」

「罠を設置している時間があるまい」

「私が総指揮を執れば2日で完了して見せるよ」

「むぅ…」


 能見山が前に出る

「殿!お方様の言われる通り、ここへ京極様をお迎えいたしましょう!」

「………よし! わしが京極様へ文を書く!総員迎撃戦の準備を!」

「「「 応! 」」」




 堅崎郷は上を下への大騒ぎとなった

 兵として戦えない者はいち早く高島から船に乗り、八幡町へ避難した


 田に水を引き、蚊帳を準備し、穴を掘って竹槍を備え


 鈴の号令の元、迎撃戦の準備は本当に丸2日で終わった




 1600年(慶長5年) 9月13日  近江国滋賀郡大津城




「では殿、先陣を仕る!」

「任せたぞ!伊豆守!」

「ハッ!」


 大津城の城門を開き、先陣として騎馬100騎と兵400を伴って赤尾伊豆守が大津城の北を抑える立花勢へ突撃を仕掛けた


 立花陣は一時混乱した


 その混乱の隙を付いて、旗指物や馬印を出さずに京極高次が一路北へ駆けた

 従う者は騎馬100騎のみだった




 京極高次率いる100騎の騎馬隊はその日の夕方には堅崎郷に入った

 遅れて、翌9月14日の朝には赤尾伊豆守が堅崎郷へ入った

 従う者 騎馬10騎 兵50 にまで減っていた



 赤尾勢を追って立花宗茂の軍勢1万5千は蓬莱山の麓 和邇わに郷に布陣

 翌9月15日早朝より堅崎郷を攻め上るかに見えた




「布と墨を持てぃ!」

 勘三郎が大声で叫ぶ


「殿、何をするのです?」

「ふっふっふ。まあ見ておれ」


 言うや、勘三郎が白布に墨書しだす




 後に挑発の名手と言われ、『引き寄せ勘三かんざ』の名を世に知らしめた戦い


白髭坂しらひげざかの合戦』がいよいよ幕を開ける





 1600年(慶長5年) 9月15日  近江国滋賀郡和邇郷





「堅崎とかいう郷がこの先にある!逃げ込んだ京極を討つのだ!」

 主だった武将達を前に立花宗茂が最後の軍議を開いていた



 ざわざわざわ



 なにやら陣外が騒がしい


「殿、何やら、…その、妙な旗指物を差した兵達が西近江路の北より現れたとの報告にございます!その数、約20騎!」

「妙な旗指物?」

 大将宗茂以下、主だった武将達が何事かと陣幕の外へ出る




 西近江路の北から我らが小舟木勘三郎が騎馬(鹿?)20騎と共に立花勢に相対していた

 その背には手書きの旗指物がひらめく


 本来、旗指物とは戦場で自分の居場所や所属を示すためのものだ

 そのため、主家の家紋や自身の主義主張などを示す場所としても使われた

『風林火山』『天下布武』など

 要するに精一杯格好を付けるものだった


 我らが勘三郎達の背に負った旗指物には



『立花公 脱糞致候』



 ………






 現代語で意訳してみよう


『ヘイ立花!ウ〇コ漏らしてビビってんじゃねぇぞ!この〇ソが!』





 ………子供かっ















 ギリギリギリ…



 ………んん?




 顔を芯から真っ赤にした立花宗茂以下立花勢のが、勘三郎目掛けて突撃した


「「「「〇すぞコラァァァァァァァァァ!!」」」」




 ええ~……



「おおお…掛かった掛かった。 逃げるぞ!」

 勘三郎の号令一下、小舟木勢は一路北へ駆け抜ける


 大将以下主だった武将達が突撃したことで、やむを得ず配下の兵たちも一路北へ突撃した



 木戸郷の街道は東に向かった後、うみに沿って北への曲がり角となっていた

 曲がり角の先で孫六が勘三郎を迎えていた



「おかしらぁ~」


「と、殿と呼べぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!

 孫六!仕掛けを早くぅぅぅぅぅ!!!」


 言い終わらぬうちに、山が動いた と思った瞬間立花勢1万5千が全力で街道を走ってきていた



「「「「待てやゴラァァァ!!」」」」

「ひぃ!」


 孫六は驚きながらも、後ろに控えさえた猪50頭を次々と檻から解き放った

 正面に向かうよう、後ろからムチを入れて追い立てる



 ドドドドドドドドドド!!!


 わぁっ!

 ぐえっ!

 ぎゃぁぁぁぁ!



 立花勢の先頭が次々と跳ね飛ばされる

 うみと山に挟まれた狭い街道で、逃げ道もなく兵達は次々と跳ね飛ばされるか、うみに飛び込んで難を逃れた



「おのれぇぇぇ!鉄砲!!」


 少しだけ冷静さを取り戻した宗茂が、鉄砲兵200を構えさせる


「放てぇぇぇぇぇ!」


 ダダダダダーーーン




「ああ!猪次郎!猪助ぇぇぇぇぇ!」

 勘三郎が吼えた

「おのれ立花!わしのかわいい猪次郎達を!」

「言ってる場合ですか!逃げますよ!殿!」

 能見山に鹿三郎を引っ張られ、大物だいもつの坂を比良山中へ進路を取った


「逃がすな!追え~~~!!!」



 思わず挑発に乗ってしまったことを恥じながら、宗茂以下武将達がようやく兵を指揮し始める

 西国無双と言われた立花勢は、まともにやれば小舟木勢の山賊衆に遅れを取る弱兵ではなかった



 比良山中に逃げ込んだ小舟木勢は、途中の忍び兵達と合流し、罠を発動させながら山を登った



 山を転がり落ちる丸太

 乱れ飛ぶ蚊帳

 落とし穴の先の竹槍に串刺しにされる者

 しなる竹に脳天を打ち抜かれ、白目をむいて倒れる兵達

 スネを押さえてうずくまる者もいた



 しかし、所詮総勢で330名のゲリラ隊は、1万5千の立花勢に徐々に押し詰められていった

 次々と打ち取られる忍び兵と堅崎兵に焦りを感じながらも勘三郎達は山中で必死に防陣を張っていた



「この!この!このぉ!」


 ジリジリと三方から押し詰められ、勘三郎も自ら刀を振るっていた

 足軽たちの槍先が勘三郎へと突き出された



 その瞬間




 ヒュンッ




 ぐえっ

 グシャッ




 縄で吊られたひと抱えほどもある太い丸太が、空中を舞って横から足軽たちを薙ぎ払っていった

 見上げると鹿に跨った鈴が颯爽と見下ろしていた


「「「あねさん!」」」

「お方様と呼びな!勘三郎!ひとまず棚田へ!」

「応!」


 間一髪危機を脱した勘三郎本陣は、田を開いた場所へ逃げ込んだ

 田には水を張ってあり、あぜ道以外はぬかるんで行軍に不自由だった



 ターーーーン  ぐえっ

 ターーーーン  あがっ

 ターーーーン  おぶっ



 田に足を取られた者たちのうち、物頭と見える者たちを小舟木狙撃隊が順次撃ち殺していった

 効果は絶大で、徐々に逃げる兵が出始めた


 もう夕日が傾き始めていた


 本陣があぜ道を駆け抜けた所で、周辺に潜んでいた忍び兵達が田全体に煙玉を投げて煙幕を張った

 視界が効かない中での追撃は危険と判断した宗茂は、一旦麓に兵を退き、陣を張った






 夜、勘三郎達は小舟木館で京極高次を中心に軍議を開いていた


「今日一日が限度ですな。明日は守り切れんじゃろう」

 今日一日の戦いで、小舟木勢330は半分以下にまで数を減らしていた


「明日、わしが敵を引き付けまする。その間に京極様は抜け道から高島に下り、船で八幡を目指して下され。八幡は京極様のご領地。きっと商人達が尾張まで逃れる手はずを整えてくれましょう」

「そなたはどうするのだ?」

「京極様に拾われた命でござる。ここでお役に立てるならば本望というもの」

「勘三郎…」


 京極高次は軽く頭を下げた

「そなたの忠勤、忘れぬぞ」



「鈴、嘉太郎。そなたらは京極様をお守りして八幡を目指すのだ。よいな」

「……嘉太郎。京極様をお守りしなさい。仁助殿、京極様と嘉太郎をお願いします」

「鈴!」


 鈴がプイと横を向く

「……先に死ぬのは、許さないから」

「鈴…」

 全員がニヤニヤと勘三郎を見た

 一瞬空気が和んだ



「小舟木殿。京極様と嘉太郎殿はお任せ下され。我が主も必ずや力になってくれましょう」

「仁助殿、どうか良しなにお願いしまする」





 一方その頃


 比良山麓に布陣する立花の本陣へ、伝令が駆け込んでいた





 1600年(慶長5年) 9月16日  近江国滋賀郡堅崎郷




「我らが駆け下った後、京極様一行は反対側より山を迂回して高島へ!」

「心得た!」

 勘三郎と赤尾伊豆守が言葉を交わすと、勘三郎以下100名の兵は山を下りて立花陣を攪乱に向かった

 忍び兵の生き残り30名は鈴と共に徒歩で駆け下った




「煙玉を!」

「ハッ!」

 山麓付近で煙玉を投げて視界を遮った小舟木勢は、そのまま刀を振りかざして街道へ向かって突撃した。

 そして、そのまま気がつけば








 うみに落ちていた



 ボチャーーーーーン



「ぬぉぉぉぉぉぉ!敵はどこじゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 立花勢は夜のうちに忽然と姿を消していた


 関ヶ原の合戦に西軍石田三成が敗北したと報せが入り、夜のうちに大坂へ向けて退却していた





 こうして、関ヶ原の合戦の同日、堅崎郷を舞台に行われた『白髭坂の合戦』は幕を閉じた




 1600年(慶長5年) 10月  摂津国東成郡大坂城西の丸




「面をあげよ」


 京極高次は東軍総大将の徳川家康と対面していた

 傍らには小舟木勘三郎を伴っていた


「そのままでお目通りは、ちと…」

 高次にそう言われ、風呂に入って衣服を改め、髪と髭を整えていた

 元々が端正な顔立ちであった勘三郎は、身なりを整えると、日焼けした顔も相まって一廉の武将として堂々たる風情だった



「大津侍従殿(京極高次のこと)。此度の働き真に見事であった」

「はっ!有難きお言葉。恐悦至極に存じまする」

 上座の家康が鷹揚にうなずく


「毛利・立花勢2万8千を大津に釘付けにし、決戦に参加させなかった功は絶大である。

 よって、侍従殿に若狭国小浜及び近江国高島郡にて9万2千石を与える」

「有難き幸せ。なれど、立花勢1万5千を最後まで引き付けたは、ここに居る小舟木勘三郎殿の功にございます」

「うむ。小舟木勘三郎は侍従殿のご家中の者と聞いておるが?」

「さて。主従の契りを結んだ記憶はございませぬが」

「京極様!」

 高次が手で勘三郎を制止する


「此度を機会に、内府様にお仕えできれば幸いと本人も申しておりまする」

「ふっふっふ。侍従殿もなかなかの狸ですなぁ」

「ははぁ」

 高次が平伏する

 勘三郎はあっけに取られていた



「小舟木勘三郎」

 家康が勘三郎に視線を向ける

「ハッ!」

「此度関ヶ原の合戦にて立花勢1万5千を堅崎郷へ引き付け、決戦に参加させなかった功は絶大である。

 よってその方に堅崎郷他数か郷を与え、2万石を知行させるものとする。



 …異存はあるかな?」



「あ、有難き幸せに存じまする!」

 感極まった勘三郎は涙を流して平伏した


「ふっふっふ。民を撫育し、よく領内を治めるが良い」

「ははぁ!」





 ---後記---





 こうして、小舟木勘三郎能隆公は堅崎藩初代藩主となり、近江西部にその基を開いた

 領民を愛した能隆公は、産業を育成し、その治世は二代能継公に至ってますます栄えたという





 その後、堅崎藩の領内を治める中で、公私に渡って共に戦い続けた糟糠の妻・鈴の方様は、慶長15年(1610年)この世を去った


 生涯尻に敷かれ… 一途に愛した能隆公は、遂に側室を持つことがなかったという

 享年60ウン歳だったと伝わる






 元和元年(1615年)の大坂の陣においては、能隆公自ら息能継公と共に出陣

 大御所家康公の配下にて戦った



 夏の陣において、大御所家康公の本陣を目指した真田勢に対し挑発を仕掛け、家康公の退却を可ならしめたと伝わる



 しかし、その詳細においては不明であり


で救われたとは知られとうないのう」


 という家康公の一言により、諸記録から抹消されたとの逸話がある




 そのためかどうか、参陣していた各大名の日記等から、真田勢が『顔の芯から赤備え』となって進路を転じたという記録だけが残る



 真田の猛追を受ける中で能隆公は息能継公の退却を助け、自身は反転して真田勢に突撃し、討死した



 従う者は観音寺城落城以来の股肱の臣


 能見山景幸

 真野正伸


 の2名のみであったという

 彼らの最期の言葉は


「鹿太郎!あのツノは紛れもなく鹿太郎!生きておったか鹿太郎~~~~!」

「ちょっ、殿!そっちは敵…」

「2人共待ってくださいよ~」


 だったと伝わる




 大坂の陣の逸話が真実かどうかは不明である

 しかし、戦後二代能継公に1万石が加増され、現在の近江堅崎藩三万石が成立したのは事実である




 近江堅崎藩を開いた能隆公は、その風貌も相まって


『山賊大名』

『比良の山猿』


 等と渾名された


 柳川藩祖立花公とは最後まで和解が叶わず、ご先代能定公の代になってようやくに誼を通じることとなった




 記  天保元年  能見山市兵衛景正






「さて、藩祖の記録として殿に献上せねばのぅ」




 注:この物語はフィクションであり、登場する人物・団体等の名称は史実と一切関係ありません

 また、近江に堅崎藩という藩も存在いたしません

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山賊大名 小舟木勘三郎能隆 藤瀬 慶久 @fujiseyoshihisa

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