第5話 きっかけ

後藤と昼食を取った後、僕の体調不良は更に悪化していた。

恐らくは寝不足と軽い風邪だとは思うが

部長と後藤の勧めで暫くして会社を後にした。


重い体でタクシーに乗り込み、自宅付近で降りて栄養剤を買いにミントへ向かう。

ふらつきながらミントの店内へ入ると

いらっしゃいませと上品な女性の声が耳に入ってくる。

声の方向へ目をやると、レジには50代であろう女性が

穏やかな表情でこちらを見ていた。

小柄な女性は落ち着いた薄い茶髪と優しい目元が印象的で穏やかな雰囲気をまとっている。僕の頭痛も気のせいか和らいだ様な気がした。

僕は栄養剤コーナーで何本か栄養ドリンクとミネラルウォーターを手に取りレジへ向かう。


「いらっしゃいませ」


驚いた。女性のネームプレートには「新藤」と書いてあるのだ。


「僕、夜によく来るんですけど・・・もしかして夜の新藤さんのお母さんですか」


僕は思わずそんな事を言ってしまった。

なんて気持ちの悪い質問なのだろうか。

いきなりどこの誰かもしらない男に

そんな事を聞かれたら不快ではないだろうか。

僕は直ぐに後悔をし、謝ろうとした時

女性は驚きもせず、優しく微笑んで言った。


「夜にご利用頂いているんですね。ありがとうございます。そうなんですよ、よくわかりましたね。親子なのに似てないって言われることが多いんですよ」


僕は女性の反応に安堵した後、柔らかい笑顔にほっとした。

確かに夜の新藤さんとは真逆だ。

クールな娘さんと対照的にお母さんの持っている雰囲気はとても穏やかだ。


「ごめんなさい。変なこと聞いちゃって」


「いえいえ。実はよく聞かれちゃうんですよね」


「え、そうなんですか」


「ええ。それで娘が綺麗だと褒められることが多いんです。お母さん的には嬉しいんですけど、私とは似てないって言われるとちょっと複雑に思っちゃう」


新藤さんのお母さんはちょっと不貞腐れた様な顔をした。

その顔は随分と整っており、娘さん目当てではなくお母さん目当ての人も多いんじゃないかと感じる程だ。新藤さんのお母さんにお大事にねと、優しく見送られた僕はミントを後にした後、自宅へ無事に到着した。自室は随分と冷えており肌寒い。スーツから寝間着に着替え、栄養ドリンクを流し込む。

癖のあるビタミンの味がした。


「大人しく寝よう」


誰もいない自室で誰に報告する訳でもないが

僕はそう呟いてベットへ倒れこんだ。


夜の新藤さんに見惚れてしまうのは僕だけじゃなかった事実になんとも言えない気持ちがこみあげてくる。


ベッドが自分の体温で温まる感覚が心地よく僕を夢の世界へ誘う。


眠りに落ちてから数時間後、僕は目が覚めた。

頭痛や吐き気は弱まり全快ではないが、もう大丈夫だろう。

ボーっと天井を見ていると自室になんとなく違和感を感じた。

何か生暖かい視線を感じる。


「起きたかい。おはよう。お邪魔しているよ」


「ででたあああああああ」


僕の部屋に、神と名乗る男性老人が見慣れない座布団を座り

ティーカップを手に茶を啜っていた。


「幽霊を見たような反応だね。違うよ神様だよ。かみさま」


「それで何してるんですか。神様は」


神様は穏やかに笑うと。やっと信じてくれたとボソリと呟く。


「満くん。昨日は済まなかったね。いきなり出てきてきっかけを与えるなんて言ったら混乱するよね」


「はい。まぁ・・・」


「本当に済まなかったね。改めて、もう一度お願いをしに来たよ」


神様の穏やかな表情が少し、真面目になった様に感じた。


「昨日も言いましたけど、どうして僕なんですか」


神様は僕の言葉に少し戸惑いを見せた。

何かあるが今は言えないという様な表情で唇を噛んでいる。


「まぁいいじゃないか」


この際そんなことは問題ではないのかもしれない。

僕の気持ちは若干高ぶっていた。


「そうですね・・・。「きっかけ」・・・受けてもいいですか」


僕の言葉に神様が目を丸くした後、穏やかな表情になる。

僕はバツの悪い気持ちになる。今の生活は確かに気に入っているのだが

やはり孤独死は寂しいと思ってしまった。


神様がティーカップを口にから膝上に戻すと

ゆっくりと説明をしてくれた。


「きっかけ」は3つ与えてくれるそうだ。


その「きっかけ」は人生における大きな転機になりえる程の事らしく

アニメみたいな話で現実味を帯びないが

神様の真面目な表情とこれまでの経緯を考えると、現実なんだと実感する。


「きっかけはどんな風にお願いすればいいんですか」


神様は紅茶を啜って言う。


「なんでもいいんだけど。よくあるのは「富豪になるきっかけ」だな。あとは「病気が完治するきっかけ」でも可能だよ」


「結構なんでも出来るんですね。願い事が叶うみたい」


「うん。願いが確実に叶うっていうと少し違うよ。飽くまでもきっかけに過ぎないんだ」


「どういうことですか」


「例えば、「ダイエットに成功するきっかけ」がほしいという願い。実際、本人の魂に強烈に響く様なきっかけが起こるんだけど、本人が今の生活を変えなければダイエット成功には結びつかない」


「きっかけは与えるけど、後は自分次第ってことですね」


「そう。だから制約も一応ある。「死者の蘇生」や「タイムリープ」。これらについてはいくら濃厚なきっかけがあっても、ほぼ不可能なんだ。人間がいくら努力しても死者は蘇らないし時間は操れない」


「なるほど」


「あ、そうそう。もう一つあった」


神様が得意げに白い髭を撫でる。


「他人へのきっかけは与えられないからね。「離婚した両親が再婚するきっかけ」とか、「応援しているアイドルが売れるきっかけ」とかね。自分が関与しているきっかけでないと与えられないのだよ」


「なるほど」


神様が満足げに頷くと、また手に持ったティーカップを口に運んだ。


「さて、満くん。君の願うきっかけを聞こうか」

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きっかけの神様 @akira1242

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